左遷の日
人生は。
山あり谷あり。
この言葉には。
二つの意味がある。
楽あれば苦ありという意味と。
苦難の連続という意味と。
もしもこの言葉が。
人生の真実を表しているのだとすれば。
生きるということは。
起こりうる苦難を解決し続けるのが当たり前なんだから。
後者の意味が正しい。
でも一般的に、この言葉は。
前者の意味として共感を得ることが多い。
その理由は。
占い師の手口と同じようなもの。
つまり、人間だれしも。
常にいくつかの悩みを抱えるようにできていて。
そのうち一つが解決されて。
昨日より幸せな今日を迎えた翌日には。
すでにその状態が平時となって。
今までは満足できていた物事のうちから。
ひとつを不満に感じるようにできている。
逆に、今の状態からさらに一つの枷をはめられると。
昨日より不幸な今日を迎えた翌日には。
もともと抱えていた問題の内、ひとつが。
さほど大変に感じなくなるものだ。
だから。
どんな人だって。
昨日と比べて、今日という日が。
楽だったり。
あるいは苦だったりして当たり前。
それが本当は。
いくつもの問題が常に降り注ぎ。
いくつもの問題を常に解決し続ける。
そんなことを繰り返しているだけなのに。
……なーんて。
楽しいサプライズが降り注ぐことを考慮に入れない、破たんした理論を立てたくなるほど。
俺には、連日。
山ほどの問題が降り注ぐ。
日本狭しと言えど。
これほど手を変え品を変え。
あらゆる問題が降り注ぐ男はいないだろう。
今、抱えている問題は三つ。
どれもこれも、全力で立ち向かわなきゃならない案件だ。
でも。
これが解決できたとて。
どうせ新たな問題が湧きあがって。
一か月後の俺は。
結局三つの問題を抱えているに決まってるんだ。
……それを不幸に感じていると。
カンナさんに話したら。
バカな奴だと笑われた。
その時。
秋なにがしさんとやらの名前が引き合いに出されたが。
いるわけねえだろうに。
俺より大変な目ばかり見る奴なんて。
秋乃は立哉を笑わせたい 第21笑
=恋人(未定)と、
協力して問題を解決しよう=
~ 一月二十五日(火) 左遷の日 ~
※
どれほどの功労者も、
どれほどの役職者も、
必要なくなれば捨てられる。
「ええい! 逃げようとすんなお前は!」
「やだやだやだ! お正月に鳥居なんかくぐるからこんなことになっちまったんだ!」
「…………え? なにそれ?」
「『おにい』が、取り『い』を通ったから、『おに』になったんちゃうん?」
「どうしてその天才を勉強で発揮できないんだお前……」
入試まで。
あと一か月。
その一か月も。
よその月と異なり。
二日三日短い、『逃げる』の二月。
春姫ちゃんから泣きの電話がかかってきて。
試しに模試をやらせてみれば。
びっくりするほど面白い答案が出来上がった。
これはまずい。
実にまずい。
「お前は珍解答投稿者にでもなる気か!? どうして分数の割り算もできねえんだよ!」
「あれは理屈を考えてるうちに頭がぐっちゃぐっちゃになるから凜々花の敵! なんでメゾネットの家同士で一階と二階住人のカップリング?」
「✕印をそんなふうに言うな! 今からでも間に合うから!」
「そう、凜々花は天才だかんな!」
「そうそう」
「だから明日からでも間に合うんよきっと」
「絶対ダメ! 今から!」
ジタバタしても許すもんか。
俺は凜々花を椅子に縛り付けて勉強道具を目の前に並べながらため息をついた。
明日からなんて許すもんか。
明日ってやつは、明日になったらまた明日になる、魔法のスタート地点なんだよ。
「こんなガリガリやんねえでも、凜々花楽勝で受かるって!」
「まあ、鞭だけでお前が勉強できるなんてこれっぽっちも思ってねえ」
「飴ちゃん貰ったってやんねえよ?」
「ふっふっふ。これでもかな?」
そんなセリフを外で聴いていたかのようなタイミング。
インターホンも鳴らさずに家に入って来たのは。
「あ! 凜々花の舞浜ちゃん! おかえり!」
「り、凜々花ちゃん。……いっしょに勉強、しよ?」
「うん!」
凜々花にとっての巨大な飴玉。
こいつの名前は
飴色のサラサラストレート髪をなびかせて。
たぐいまれな美貌を柔らかくさせながら凜々花の隣に腰かける。
やれやれ。
勉強嫌いなやつを勉強させるには骨が折れる。
「よし。じゃあ、秋乃はこの間の続き。世界史だな」
「うん……」
「凜々花は数学。裏技込みで」
「裏技?」
「お前の場合、基礎を固めて進むより、応用問題のヒントとして基礎を見返した方が早いからな。問題集を後ろからやれ」
俺だって、凜々花と秋乃という二大巨塔に常日頃上り続けているんだ。
いやがおうにも成長する。
「なにそれ斬新……。凜々花、そういうの待ってたかも……」
「あ、あたしも逆からやってみたい……」
「バカ言うな。歴史を逆から読んだら脈略が……? いや? それもいいか」
俺の風変わりな提案に乗って。
楽しそうに勉強を始めた二人のおバカさん。
地頭のいい二人は。
驚くべき速度でページをめくって行ったんだが。
三十分でもう飽きた。
「いちいち基礎に巻き戻るのめんどい!」
「しょうがねえだろ。その基礎を知らねえんだから」
「こっちはラスボスのダンジョンで戦ってるのに、なんで始まりの村にちょいちょい帰るの!?」
「いつもお前そうやってるじゃねえか。宿代ケチりたいからって」
「あ、あたしも飽きた……。しかも、直近二ページしか覚えてない……」
「それじゃどっち向きに読んでも一緒じゃねえか」
なんというスプリンターコンビ。
持久力がまったく無い。
でも、俺には秘策がある。
事前に秋乃へ送っておいたメッセージをもう一度携帯へ送ると。
それを見た秋乃は。
黙々と勉強を再開する。
すると凜々花もぐずることをやめて。
再び教科書へと向き直った。
俺が送った魔法の言葉。
そこに難しいことは何もない。
ただ、一言。
『凜々花はお前を見て真似をする』
そう書いただけ。
……かつて。
お袋が、家に持ち帰った仕事をこなしていると。
凜々花は決まって。
隣に座って読み書きやら数の数え方やら。
一生懸命勉強したもんだ。
それを、学校帰りに思い出して。
秋乃にお袋役をお願いしたわけなんだが。
実はこれにはもう一つ。
隠された効果がある。
「ふっふっふ。気付いてねえな」
俺は、台所に入って。
二人分のお茶を淹れながら小さくつぶやいた。
よしよし、読み通り。
凜々花に見られていると思って。
秋乃が真面目に勉強してる。
実はこの作戦。
秋乃の位置に俺が座ったってかまわねえわけなんだけど。
それに気付かず。
良いとこ見せようと頑張ってやがる。
本件に関して。
俺は鬼にも悪魔にもなろう。
権謀術数の限りを尽くして。
お前達に勉強させるんだ。
思わずにやけそうになる口元を理性で隠しながら。
静かに紅茶をテーブルに並べる。
そして、俺の策の出来栄えを確認しようと。
二人の手元を見てみれば。
地頭のいい二人が。
その真骨頂を見せて導き出した解答。
ノートに、所狭しと書かれていたのは。
大量の。
〇と✕
「うはははははははははははは!!! 遊んどるんかい!」
「だ、だって、思惑が透けてる……」
「おにいの考えとかお見通しなんよ! 教師、クビ!」
「いやいや! 俺無しで勉強したって間に合わねえよ! 落ちるぞお前!?」
「ああ、うるさいうるさい!」
「ほんと……。う、うるさくて集中できない……」
「秋乃までそんなこと言うのか!?」
「で、でも。クビは可哀そうだから……」
……
…………
………………
ギリギリ、クビを回避できた俺は。
黙々と問題集に取り組んでいる。
そんな俺の姿を見てか。
同じように参考書に向き合っているのは。
「……で、左遷されたと」
ここは舞浜家。
そのダイニングテーブルでため息をつきながら参考書を閉じた春姫ちゃんだった。
「面目ない」
「……まったく、情けないことだな」
「でも、さすがに凜々花が心配だ。春姫ちゃんが勉強みてやってくれよ」
そんな嘆願に。
春姫ちゃんは何も返事をせず。
黙って台所を指差した。
「……先輩に、紅茶を淹れてくるように」
「俺で二人目なんかい」
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