18. 芹花の訪問

 さっきよりも、バターの香ばしい香りが強くなっている。

 シャワーと洗い物から戻ると、キレトと絵美さんが、焼き立てのマドレーヌを食べながらお茶していた。


「スッキリしたところで、愛音ちゃんも、一緒にお茶しない?」


 もう3時だったんだ。

 お腹空いたと思ったら......

 私もキレトも、お昼も食べないで、帰ったんだもんね。

 

「お昼ご飯まだで、お腹空いたから、頂きま~す!」


「さっき焼き上がったばかりだから、まだ熱いの。気を付けてね。飲み物は、紅茶入れてるけど、それでいい?」


「あっ、はい、お願いします」


 アールグレイの優しい柑橘系の香りが届いて来た。

 その香りの作用も有るのかな......?

 安心した途端、また涙腺が緩み出した。


「愛音ちゃん、大丈夫?」


 どうしちゃったんだろ、私......?

 生理の時って、こんなにも情緒不安定になるものなのかな?

 さっきから泣いてばかり......

 こんな泣いてばっかりいたら、絵美さんが心配してしまう。


「大丈夫です!」


「こいつさ~、せっかく川浦にペア組みたいって言われたのに、バカみたいに、ライバルに譲ってあげて、自分から失恋しにいってた!」


「そうだったの......」


 自爆を絵美さんにバラされてしまった......

 まあ、自分から言うのは辛過ぎて無理だから、尋ねられても答えに困ったけど。

 それにしてもバカみたいにって.....キレトの奴、一言余計なんだけど!


「バカバカって言わないでよ! それでなくても、今日1日で、かなりへこんでいるのに!」


「バカは1回しか言ってないし......別に、愛音のそういうところ、いいと思うけど」


 散々バカにした挙句、そうやって今更、褒めて来るのは違反だよ!

 また自然と涙が溢れて来るし、どうやって言い返していいのか分かんなくなる。


「ちょっと、希羅斗きらと! 愛音ちゃんを泣かさないの!」


「今の俺、悪く無くね?」


「「ううん、悪い!」」


 絵美さんと声がハモってしまった!

 思わず泣き笑いしてしまう。


「なんでだよ~!」


 その時、ベルが鳴って、絵美さんがドアホンに出た。

 お父さん? でも、まだ早いかな?


「愛音さんの友人の臼井です」


 えっ、芹花!?

 どうして......?


 芹花、どうしてここが家だって分かったの?

 まだスカイランドで遊んでいる頃じゃなかったの?

 

 この瞬間に、キレトに2階の自室にこもってもらって、玄関のキレトの靴を下駄箱の中に隠せたら良かったのに。


 私の友達という事で、絵美さんは愛想よく、中に上がらせていた。

 芹花は、いつもはお父さんが座っている、私の向かい側の席に誘導された。


 多分、玄関に並べられている靴でも気付いていたはずだけど、私の横に座っているキレトを見て、驚きの表情を隠せなかった芹花。


 芹花の前にも、焼き立てのマドレーヌと紅茶が置かれた。


「愛音ちゃん、身体は大丈夫なの?」


 芹花の目的は、単に私の身体についての心配だけ?


「うん、もう回復した! 心配してくれてありがとう」


「そうなの、良かった~! 安心したわ!」


 明るい笑顔になった芹花。

 やっぱり、私の心配をして、わざわざスカイランドは早目に切り上げて、お見舞いにきてくれたんだね。

 

「スカイランドでは、もう解散したの?」


「乗り物、乗り尽くしたし、磯前いそまえさん達も早く2人になりたかったようだから」


 磯前いそまえって、って何?

 それじゃあ、まさか......渡上があんな事を言ったりしたから、芹花は、私とキレトの事を疑って、ここに来たの?


「あれは、渡上が勝手に言ってただけで、私達は違うから!」


「そうそう、渡上はトラブルメーカーだからな!」


 私とキレトで全否定した!


「なんだ、そうだったの~? 良かった!」


 安心したところで、芹花がマドレーヌを頬張った。


「うわ~っ、美味しい~! これって、もしかして手作りですか? スゴイスゴイ~! 私が希羅斗きらと君と結婚したら、こんな美味しい洋菓子の作り方をお母様から習う事が出来るのね!」


 社交辞令のつもりで言ったのかも知れなかったけど、その芹花の言葉は、私はもちろん、絵美さんもキレトも驚かせた。


「褒めてくれてありがとう! 別に結婚してなくても、遊びに来てくれたら、いつでも、一緒に作るわよ」


 戸惑いながらも笑顔で返した絵美さん。


「嬉しい~! 是非、また遊びに来ますね!」


 少しずつ慣れて来た私でも、言えないような事を初めて会った絵美さんに対して、どうして、そんなスラスラと言えてしまうの、芹花?

 そんなに絵美さんに気に入られたい?


 絵美さんも、すごくにこやかに接している。

 私みたいな、不愛想な義理の娘じゃなくて、芹花みたいな可愛げの有る女の子だったら、お父さんと再婚して、絵美さん、もっと幸せになれていたような気がしてくる......

 私には、芹花のように、絵美さんに接する事なんて、一生かかっても出来なそう。


 もちろん、キレトだって、私なんかより、芹花と一緒に暮らせた方がワクワクの毎日だったはずだし。

 ああいう周囲に馴染みやすい性格に生まれていたら、私、もっと違っていたのかも知れないのに......


 どうして、私、良くしてくれている絵美さんに対しても、なかなか打ち解けられないでいるんだろう。

 絵美さんの事、初めて会った芹花でさえ、「お母様」呼びしていたのに、私はまだ「お母さん」なんて呼べないし、いつになったら、そんな日が来るかなんて想像も出来ない。


 私にとって、お母さんは、たった1人だけだから......


「ごちそうさまでした! 本当に、すっごく美味しかったです! ......それでね、希羅斗きらと君、お話が有るんだけど......」


 躊躇ためらいいがちに、キレトの方を見て言った芹花。

 芹花の発言に、嬉しいはずのキレトも、さっきから戸惑っている。

 私のお見舞いで寄ったのではなく、本当の目的は、キレトだったのかもって思わされてしまうのは、私の気持ちがゆがんでいるせいなのかな......?


「話って.....あっ、俺の部屋行く?」


 ここでは話し難そうな内容と察したようなキレト。

 

「うん、そうする! 嬉しい~! 希羅斗きらと君の部屋に入れてもらえるなんて!」


 芹花がこぼれそうな笑顔でそう言いながら、私の方をチラッと見た。

 

 なんか、複雑......


 芹花はずっと前から私の友達なのに、私の部屋より先に、キレトの部屋に案内されているなんて。


 キレトの部屋で、どんな話をするつもりなんだろう?


 きっと、私や絵美さんのいる前では話したくない、2人だけの空間で話したい事なんだ。

 何だか、親友から仲間外れにされたような気分......


「芹花ちゃんって、愛音ちゃんのお友達なのよね?」


 絵美さんに、そこを確認されてしまった......

 確かに、傍目はためから見ても、私の友達というよりも、キレトの女友達、ううん、付き合い出した彼女的な感じなのかも。


「芹花、キレ......希羅斗きらとの事が好きみたいだから、告白するのかも知れない」


 危ない!

 絵美さんの前なのに、いつもの調子で、って言いそうになっちゃった!


「そんな感じよね。あっ、もしかして、希羅斗きらとが好きな子って、芹花ちゃんなの?」


希羅斗きらとも、転校初日からずっと、芹花の事が好きだったから。今日だけで、私のクラスから2組のカップルが誕生した事になるのかな」


 そのうちの1カップルは男子は、私の好きだった川浦君なんだけど。

 好きだった......もう過去形にしないと、気持ちが落ち着かない。

 

「今時の中学生は、自分の気持ちのまま行動出来て、羨ましいわね~! 私は、そういうの苦手な方だったから......」


 焼き菓子を作った後の洗い物をしながら絵美さんが言った。

 

「絵美さんって、とても積極的な感じなのに、違ったんですね! そういえば、友達とダブルデートの件ですけど......その友達って、お母さんですか?」


 今朝、そういう話になった時からずっと、そのダブルデートの顔触れが気になっていた。

 絵美さんと、一緒だったのは誰?

 お母さんとお父さんも含まれていた?

 

「苦い思い出なんて、言っちゃったから気になるよね、ゴメンね。こんな事を言うと、愛音ちゃんの気分を害してしまうかも知れないと思って、あまり言いたくなかったけど......私、腐れ縁だったお父さんの事、ずっと好きだったのよ」


 絵美さん、お父さんの事が昔から好きだったの......?

 もしかして、お母さんよりも前から?


「そうだったんですか......? お父さんは......?」


 絵美さんに無理に聞かないほうが良い内容だったのかな?

 でも、自分の両親が関係しているんだったら、知りたい。


「お父さんとは、一緒にいるのが当たり前と思っていた。そして、お父さんも同じ気持ちでいてくれてると勝手に思っていたの。それが、高校の時に転校して来た未奈みな......愛音ちゃんのお母さんの登場で、変わってしまったの。愛音ちゃんには、耳が痛い話かも知れないから、この話は、この辺で終わりにしましょう」


 絵美さんとお母さんは親友なはずだけど、パパを巡って三角関係になっていたって事なのかな?


 私は、その続きが知りたいんだけど......


 せっかくいいところだったのに、ちょうどその時、キレトの部屋から、2人が出て来た。


「お母様、お邪魔しました! 愛音ちゃん、また明後日ね!」


 満面の笑みを浮かべて芹花は、キレトに玄関まで見送られて帰った。


「まだ信じられね~! 芹花ちゃんと付き合う事になった!」


 自慢気に言いふらし、バンザイをしているキレト。


「あっ、そう、おめでと!」


 絵美さんがいる手前、普通に祝ってやった。


「良かったわね~、希羅斗きらと! 念願叶って、あんな可愛い女の子と付き合えるようになって」


 絵美さんも、芹花みたいな可愛くて愛想の良い女の子が、これから出入りするのは嬉しい様子。


 私にとっては、失恋した日なのに......

 キレトや芹花にとっては、今日は交際記念日。


 小学生の時から、憧れていた初恋の川浦君......

失恋するくらいだったら、まだ片想いのままずっと続いてた方が良かった!


 トリプルデートの前に時間を戻して欲しい!

 そして、トリプルデートなんて不穏な企みを無くすの!

 

 大体、誰よ?

 トリプルデートなんて、余計な事を考えたのは?

 どうせ、キレトが川浦君達に持ち掛けたんでしょう?

 そして、そのキレトまで、ちゃっかり乗っかって、芹花と付き合い出すなんて!


 私は、何年も片想いしても報われなかったのに......

 キレトは、転校して何か月も経たないうちに、容易く男子達の憧れの芹花と付き合う事が出来たなんて!

 

 しかも、自分からじゃなく、芹花の方から告られて!


 この差は、一体何なの!!


「ただいま~! 今、そこで、すごく可愛い女の子と擦れ違ったけど、愛音の友達かな?」


 こんなタイミングで、お父さんが、いつもより早目に仕事から戻って来た。


「あら、お父さんも早かったのね!」


「可愛いよな~、芹花ちゃん! 今日から、俺の彼女なんだ~!」


 バカみたいにニヤけて、お父さんにも、自慢し出すキレト。


「そうなのか、スゴイな~! あんな可愛い子と転校早々、付き合い出すとは、さすが、坂井の子だな~!」


 坂井......?


 絵美さんじゃなくて、キレトのお父さんの事だよね?

 キレト父も、そういうモテ系の人だったんだ。


「その名前出すの止めて」


 絵美さんが不愉快そうに言った。

 

「親父は、今も現役でモテてるからな~」


 浮気が、絵美さんとの離婚の原因だったのかな、多分。

 ダブルデートの思い出もだけど、絵美さんにとっては、キレト父との結婚も苦い思い出なのかも知れない。


 絵美さん、今でもキレイだけど、若い時は、もっとキレイだったと想像がつく。

 料理も上手だし、手先も器用だし、明るくて気が利く性格で、多分、絵美さん自身もすごくモテていたと思う。


 その絵美さんでも、辛い思い出が、少なくとも2つは有るんだ......


 私とか、絵美さんも、なのかな......?

 有る一部の人間にとって、大人になるっていうのは、そういう苦い思い出を1つずつ積み重ねる事なのかも知れない......


 それなのに、キレトとか芹花とか、渡上君や磯前いそまえさんのように、簡単に幸せをゲット出来る人達もいる。


 私みたいなのは、そういう幸せなカップルになりそうな人達の周りのあぶれた男子達の中から、最初っから自分の相手を選んでなきゃならなかったんだ!

 

 世の中には勝ち組と負け組になる人がいて、私は負け組に所属していたって事を前もって認識してなきゃならなかったのに......


 多分、キレトが言っていたように、高望みし過ぎたんだよね......


 何よりこたえるのは、勝ち組のキレトが同じ家に居て、友達の芹花も勝ち組って事!


 これからは、当然、芹花が家に来るようになる。

 そして、私の親友なのに、私の部屋じゃなく、キレトの部屋に直行する。

 絵美さんとも、和気あいあいな感じで話すの。

 

 何だか、私の居場所が無くなる感じで、辛過ぎる......


「そういえば、さっき、渡上って名前が出ていたけど、もしかして、成太せいた君の事?」


 絵美さんが、思い出したように言った。

 渡上の事、知っているんだ、絵美さん。


「そう、成太せいた。ガキの頃から性格悪かったよな~!」


「あのまま成長してそう? 私、成太せいた君のお母さんが苦手で、参観日とか同じクラスだったら会いたくないわ」


 笑いながら話す絵美さんとキレト。


「絵美さん、渡上のお母さんまで知っているの?」


「えっ、愛音ちゃんは覚えてない? いつも、ヒステリックな声で怒鳴り散らしていたお母さん」


 私、物心ついてなかったのかな?

 キレトは覚えているようだけど、私には、全く、その頃の記憶なんて無い。


「お前、ホントに記憶力もカスだな!」


 記憶力も......って、何よ!

 自分の方が少しばかり頭がいいからって、すぐ私の事をバカにする。


「キレト、またそういう言い方する! 愛音ちゃんは、小さい頃に忘れてしまいたいような不幸な出来事が有ったから、覚えてなくても仕方ないの!」


 不幸な事って......?

 お母さんが亡くなった事......?


 そういえば、絵美さんと初対面の時に、前にも会っていたけど、私が覚えていないかもって言われていた。

 ずっと前に、キレトや絵美さんは、お母さんやお父さんに会いに何度も、この辺りに来ていたのかな?

 

 キレトは覚えているのに、私が覚えていないのって、キレトに言われている事を証明しているようで、非常にムカつくんだけど......

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