第20話 もう一つの選択
ある日、妻が入れ替わっていたとしたら・・・現実世界で突然の状況に戸惑う「私(須藤)」の話。
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私は会社に向かいながら、あることを考えていた。それは妻の美里のことだ。結婚して2年、もうお互いの本当の姿が見えていた。
同じ会社の先輩、後輩の間柄から恋愛に発展して結婚した。会社では可愛げがあり、アイドル的存在でいつも輝いていた。彼女が、見栄えも仕事の上でも冴えない私など相手にしないと周りは思っていた。だがどういうわけか、彼女は私に好意を示し、当時の私は寂しさを感じていた状況であったので、そのままとんとん拍子に結婚までこぎつけた。
だがそれからが苦しみだった。美里は家のことをほとんどできなかったし、しようとする気もなかった。昔から誰かがしてくれる環境にあったのだろうか、家のことは私がしなければならなかった。それに見栄ばかりを気にして、着飾ってはどこかに出かけていたし、分不相応な買い物をした。それで家計は苦しくなっていた。
それだけではなかった。美里は私に笑顔を見せることはなくなった。そしていつも怖い顔をして私に不満をぶつけてきた。
「もっと給料上がらないの?」
「出世してよ!友達の御主人はね・・・」
「私ならもっといい人と結婚できていたのよ。でも可哀そうだからあなたと結婚してあげたのよ。」
「つまらないわね。もうイライラする!あっちへ行ってよ!」
そんな時、私は彼女の激しさに言い返すこともできず、ただ別の部屋で嵐が過ぎ去るのをおとなしく待つしかなかった。
◇
今朝起きた時、美里はいなかった。朝から出かけているようだ。もしかしたら不満が募って、実家に行って義母に愚痴を聞いてもらっているのかもしれない。
(不満なのはこっちだ!)
しかし一旦、結婚した以上はいくらか辛抱してでもこの生活を続けねばならない。離婚という最後の手段を取るまでは・・・。もう時間は戻らないのだ。
だがもしあのことがなかったら・・・最近、私はよく想像することがあった。
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あれは3年前のことだった。私には啓子という交際している女性がいた。ある飲み会で知り合ったのだが、同じ地方の出身ということで話が盛り上がった。それから付き合うようになり、結婚を意識するようになった。
だがそれはそうならなかった。彼女の実家は会社をしていたのだが、それが倒産寸前となった。そこである企業から助けてもらうために、彼女はその企業のオーナーの息子と結婚をしなければならなくなった。こんなドラマのような話、実際本当にあった。その息子というのはいわゆる放蕩息子のようで、そこの親がしっかりした娘と結婚させてまじめに更正させようと考えたらしい。
その頃の私と啓子はただぼんやり未来を考えているだけだった。そんな時にリアルな現実に決心を迫られた。
「私・・・結婚しなけばならないの・・・」
啓子は悲しそうに言った。そんな彼女に私は・・・何も言ってやることができなかった。彼女の取り巻く状況は色々聞かされて知っていたからだった。しかも啓子の母親も私に会いに来たことがあった。手切れ金とともに・・・
「須藤さん。これで啓子と別れてください。それに啓子とのことは一切口外しないで。」
「それはできません。私は真剣に啓子さんとお付き合いしています。」
「あなたは本当に啓子を愛しているっていうの? 啓子のためを思ってくださるの?」
「はい。」
「それじゃ、別れてくれるわね。あの子の将来のために・・・あなたはふさわしくない。啓子の幸せのためにも別れてください・・・。」
啓子の母親は最後には涙をにじませていた。その母親の話だと啓子も悩み苦しんでいるようだった。私と両親の板挟みになって・・・。それを解放するのは私が身を引くしかなった。
「わかりました。」
私はうなずいた。しかし手切れ金は受け取らなかった。それは私の最後の意地だった・・・
そんな状況だったので、私は啓子に何も言ってやることができなかった。彼女はそんな私を責めようともせず、泣きながらその場を走って去って行った。私は追いかけなかった。そして啓子はその放蕩息子と結婚した・・・。
もし私に勇気があったなら・・・啓子のことをもっと愛していたなら・・・。私は自分を責めた。だがもうどうにもならなかった。私は酒におぼれるようになった。
そんな気分が沈んだ私を美里が慰めてくれた。彼女は天性の明るさで私の苦しみを少しずつ晴らしてくれた。だがそれは私に同情しただけで、私のことなど何とも思っていないと思っていた。
「いつも寂しそうね。私が結婚してあげようか?」
ふいに美里が笑顔で言った。私は冗談だと思っていたが、彼女は本気だった。返事をあいまいにしているうちに美里は次から次に話を進め、まるでベルトコンベアに乗るように順調に結婚した。
――――――――――――――――――――
もしあの時、強引に啓子と結婚していたら・・・。今より幸せな生活が待っていたのかもしれない。周りの人を不幸にしたかもしれないが、2人のためにはそうした方がよかったのかもしれない。私は電車の中でぼうっと考えていた。
私はデスクに座って仕事を始めた。すると、
「おはようございます。」
と声をかけられた。顔を上げるとそこには美里が笑顔で立っていた。
「どうしてここに?」
私は驚いて彼女に尋ねた。すると美里は不思議そうに答えた。
「どうしてって? この部署に呼んでくれたのは須藤さんじゃありませんか。」
(私が呼んだ? そんな覚えはない。 それに須藤さんって、どうしてそんな他人行儀で呼ぶんだ?)
「いや、そうじゃなくて・・・」
訳がわからなくて混乱した私がそう言いかけた時、
「三上さん。」
と課長の呼ぶ声がした。
「はい。じゃあ、後で・・・」
美里はそのまま行ってしまった。彼女は確かに今、旧姓で呼ばれていた。
(何がどうなっているんだ?)
私は何が何やらわからなかった。
だがその謎は解け始めていた。周囲が昨日とは違っていた。いや私だけが変わっているというべきか・・・。とにかく昨日までの世界と変わっていることがあるのだ。今朝は考え事をしていたから気にしていなかったが、思い出せば少しずつおかしなことがあった。だが家の様子も変わったことはなかったし、会社の仕事は同じだった。だが・・・
家に帰ってわかった。恐るべきことに・・・
◇
帰宅すると家には誰もいなかった。まあ、会社にいたのだからまだ帰っていないのだろう・・・と思っていると、
「ただいま。」
という声が玄関から聞こえた。だがその声は美里ではなかった。私は不思議に思って玄関に出ると、そこにはなんと啓子がいた。
(どうして啓子が?)
私が驚いていると、啓子は
「ああ、疲れた・・・」
と言って奥に入って行った。私はその後を追っていった。どうして啓子がここにいるのかを聞こうとすると、
「何にも夕食の準備をしてないじゃないの!」
と啓子は私を睨みつけた。私は何のことかわからず、きょとんとしていると、
「私は朝から今まで働いてきたのよ。ちょっとぐらい協力してくれてもいいじゃないの!」
啓子はさらに私を責めた。
「いや、僕も会社から帰ったところだから。・・・」
「あなたってそういう人よ!」
啓子はリビングに行って泣き始めた。私は狼狽して尋ねた。
「一体、どうしたんだ?」
すると啓子は泣きながら恨み言を言った。それは驚くべき内容だった。
私と結婚したばかりに啓子の実家の会社はつぶれ、両親は病気になった。彼女は実家の両親の面倒を見ながら、多額の借金を背負う身になった。少しでも返そうと朝も夜も一日中働いていた。それも私に借金を背負わせまいとしているためだった。
「あなたと結婚したばかりに・・・」
啓子はさらに涙を流した。オーナーの息子と結婚させられようとしていたのを私が引き留めたと言うのだ。
(あの時、私が勇気を出して啓子と結婚したのだ・・・)
その結果が今の状況だった。私が以前、風の便りで聞いていたのは、オーナーの息子と結婚した啓子は、優雅なセレブ生活をしてそれなりの幸せを手にしていたということだった。
だが今の現実では啓子は私と結婚していた、目の前にいる啓子は働きすぎてやつれて疲れ果てていた。そして私はそのことをいつも責められているという状況だった。
私が啓子と結婚していたら・・・という想像をしていたから、現実がねじ曲がってしまったのではないかと思った。ありえないことではあるが・・・。そうであれば啓子はそれに巻き込まれて可哀そうな目に合っているのではないかと・・・。私は自責の念に捕らわれていた。
「ごめん。これからは気を付けるよ。」
私は啓子に頭を下げて謝るしかなかった。
◇
そういう生活が数日続いた。家の帰るたびに私は啓子に責められ、気が滅入っていた。会社でため息をつく回数が増えていた。
「どうしたんですか? 先輩、ファイト!」
ぼんやりしている私に美里が声をかけてきた。ここでは他人である美里は、かつてのように私を励ましてくれていた。
「ああ、ありがとう。」
私は美里の笑顔に癒された。そういえば以前もそうだった。落ち込んだ私を救ってくれたのは美里だった。
「今日は私の歓迎会ですよ。きっと須藤さんも来てください!」
彼女はそう言ってデスクに戻って行った。彼女はまだ独身で決まった彼氏もいないようだった。誰からも愛され、可愛がられていた。この部署のいわゆるアイドル的存在だった。ここでは輝いていた。
(美里は私と結婚しない方が幸せだった。ここでは生き生きしている。家ではあんなに息苦しそうにしていたのに・・・)
私はなぜか、すこし寂しさを感じていた。
◇
その夜は美里の歓迎会があった。啓子には悪いと思ったが、出ないわけにいかなかった。私は日頃のうっぷんがたまっているせいか、少し飲みすぎてしまったようだ。眠り込んでいる私を美里が介抱してくれていた。私は起き上がって尋ねた。
「ごめん。眠り込んでしまった。みんなは?」
「遅くなるから帰ってしまいましたよ。」
「それじゃ、君が残ってくれていたのか。ごめんね。すぐに帰ろう。タクシーで送るよ。」
「駅前にタクシーがいましたからそこに行きましょう。」
私と美里は店から出た。そして駅まで2人で少し歩いた。こんなことは以前、あったような気がしていた。それは遠い過去のような・・・
「須藤さん。寝言を言っていましたよ。」
美里がいたずらっぽく言った。
「そう? 何か変なことを言っていなかった?」
私は多分、啓子への愚痴でも言っていたのだろうと思った。
「ううん。でも美里、美里って!」
美里は不思議そうにそう言った。私は慌てた。以前のままに彼女をそう呼んでいたのだろう。だがこれはまずい・・・何とかごまかさなければ・・・
「ごめんね。ひどく酔っていたから。訳が分からなくなっていたのかも。」
「いえ、いいの。なんだかうれしかった・・・」
美里が頬を赤く染めて微笑んだ。その笑顔を見て私は美里のことが急に愛しくなった。だが今は他人で・・・
「ぎゃあ!」
急に後ろで悲鳴が上がった。振り返るとそこにググトが立っていた。そいつは美里を狙っているようだった。
「ググトだ! 逃げるぞ!」
私は声をかけた。だが美里は恐怖で固まっていた。
(早く逃げないと!)
俺は美里の手を引っ張って逃げようとした。しかしシェルターのスイッチはどこにもなく、隠れるところはなかった。
(うかつだった! ググトのことを忘れていた。)
以前の私なら特に夜歩くときは警戒していたのに、完全に油断していた。そういえば妻が入れ替わった時から、ググトのことをどこからも聞いていなかったような気がした。
「助けて!」
美里が奴の触手に捕まった。私はそれを引き離そうとしたが、別の触手で吹っ飛ばされた。恐怖に涙を流す美里にググトの鋭い口が迫っていた。
「美里!」
私は我を忘れてググトにぶつかっていた。もう妻ではないが美里を失うことは耐えられなかった。それも目の前で・・・
「邪魔するな! お前も殺すぞ!」
ググトはそう言ったが、私は奴を離さなかった。何とか美里を奴から引き離そうとしていた。
(美里!美里!しっかりするんだ!)
私は心の中で叫んでいた。彼女は恐怖で気を失っていた。私の力ではどうにもならず、ググトは彼女を切り裂こうとしていた。
「ぐおっ!」
突然、ググトが悲鳴を上げた。そして触手は力なく地面に落ち、ググトは泡になって消えていった。美里は私の腕の中にいた。
「大丈夫ですか?」
私の前にマサドが立っていた。彼が助けてくれたようだった。
「ありがとう。マサドが来てくれなかったら美里は殺されていた。助かった。」
私は言った。するとマサドは人の姿に戻った。それは大学生くらいの若い男だった。
「マサドが分かるのですか? あなたもこの世界に飛ばされたのですか?」
その男が訊いてきた。
「飛ばされた? あなたは周囲の状況が変わったのが分かるのですか?」
私は驚いて訊き返した。するとその男は答えた。
「ええ、ここは元々、ググトのいない平行世界です。何らかの原因で向こうとこちらの世界で入れ替わる人がいるのです。この僕がそうですし、ググトもそうです。あなたもそうなのでしょう。」
「そうなのですか・・・」
私はそれを聞いて少しほっとした。私が余計な願いをしたために神様が世界を変えてしまったのかと思っていた。私と啓子が結婚する世界に・・・。だがそうではなかった。ここは別の平行世界だった。だがそれは私が取りえたもう一つの可能性のある世界だった。啓子と結婚していたら多分こういう状態になるのだろう。そして私は、明るく笑顔にしてくれる美里にまた惹かれるのだろうと・・・
男が去ったあと、しばらくして美里が目を覚ました。
「もう大丈夫だ。」
私は美里に言った。彼女はまださっきの恐怖におびえているようだった。
「あの化け物は?」
美里は辺りを見渡しながら尋ねた。
「消えたよ。もう大丈夫だ。送っていくよ。」
私は美里を抱えるようにしてタクシーに乗り込んだ。彼女はタクシーの中でも私にしがみついていた。そんな彼女を私はそっと抱きしめた。
(この世界でも私は美里と結ばれる運命なのか・・・)
私はそう思わざるを得なかった。
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