第12話 世界の人たちを救う?

「先生の研究は世界の人たちを救います。」と言われた私はうだつの上がらない大学の助教だった。私の研究がどうして? この世界の「私(東野助教)の話」


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「先生の研究は世界の人たちを救います。」


 私の前には一人の学生が来ていた。私の研究に興味があると。そして最後にはこのように言った。



 私は香鈴大学の助教だ。次元物理学を専門にしていた。だがそんなものは他の人に理解できるはずがない。だから50歳を超えてもこの大学で助教のままだった。


 同期はもう他の大学の教授や大きい研究所の所長になっている。私だけが出世もせず、ここにくすぶっていた。ここの物理学科の服部教授は私よりかなり年下だった。一応、気を使ってくれるが私は厄介者扱いだった。長く大学にいるのにいい研究もできず、パッとしなかったからだった。



 その学生は研究室にいきなり訪ねてきた。


「2年生の小川涼介です。社会学部ですが。」


 私は多分、教授に用があるのかと思った。学祭の寄付なのか、講演の依頼なのか・・・


「すまないねえ。服部教授は出張中でおられないんだ。出直してくれるかね。」

「いえ、東野先生にお話を伺いたくて来ました。」

「え、私の?」


 私は面食らった。この大学に来て以来20年以上、そんなことを言ってくる学生はいなかった。私は信じられなかった。私の研究はその分野でも独特過ぎてだれも見向きもしなかった。それを一学生が・・・


(多分、冷やかしか・・・物理学科の学生じゃないんだろう。私の話が分かるはずがない。)


 私は思った。でもせっかく私を訪ねてきてくれたのだから話だけでも聞こうと思った。


「先生の研究は次元の移動についてと聞いています。」

「ああ、そうだけども、まだ仮説の段階だ。検証はできていない。」

「その次元の移動についてどこまでわかっているのですか?」

「ああ、それはね・・・」


 私は話し出した。私の理論を久しぶりに聞いてくれる人が出てきてうれしかったのだろうか、私は饒舌に相手のことも関係なくしゃべり続けた。それをその学生はメモを取りながら真剣に聞いていた。


(ほんとうにわかっているのか?)


 私は途中で疑念がわいた。ただ相槌を打って聞いているふりをしているのではないかと。だから私は意地悪ながら彼にいろいろと訊いてみた。


「それは・・・」


 彼はよどみなく答えた。まるで私の理論を完全に理解している、いやそれ以上に知っているかのようだった。


「よくわかっているんだね。」


 私は満足して言った。この世に私の理論を支持してくれる人がいるとは。一人の社会学部の学生とはいえ・・・


「先生、一つ教えていただけないでしょうか?次元移動を行うと世界の均衡が破れるということはないでしょうか?」


 それは考えたこともないことだった。次元移動ができるかどうかを考えている段階で、それが引き起こす副作用なんて考えるはずはない。学生を相手にわからないとも言えないので、


「ふむ。それは難しい問題だ。影響が出ないとは言えない。」


 私はとりあえず答えた。するとその学生は身を乗り出して、


「もし世界が一つだけでなかったら?独立した世界が次元を通じてつながってしまうということは?」


 その学生は続けざまに突飛なことを訊いてきた。しかしそんなこと、私に分かるはずがなかった。


(複数ある独立した世界?平行世界のことか?それが次元移動とどんな関係があるんだ?・・・)


 それは私のあずかり知らぬことだった。平行世界の理論あるが、それについては詳しく知らなかった・・・。


 私は答えに困って、


「どうしてそんなことを訊いてくるのかね?まるでそれが起きるかのように。」


 逆に訊き返した。するとその学生はまるで言い過ぎたと言わんばかりに身を引いた。


「ええと。ちょっと・・・」


 彼はなんとかにごまかそうとしていた。


(ははあ。文系の学生だったな。多分、次元や平行世界のことをSF小説の題材にでもしようとしたんだな。そのヒントが欲しかったのだろう。まあ、それでもいいか。)


 私はその学生の行動に納得がいった。


「次元移動は可能だと思うが、その先が平行世界とつながっているかどうかはわからない。平行世界も理論上の仮説だから、本当にあるかわからないしね。」


 私はそう言ってその学生に反応を見た。


(まあ、私に言えるのはここまでだ。後は自分の空想でSF小説でも書いてくれ。)


 私はそう思っていた。


「いえ、平行世界があると仮定したうえで先生の見解を聞きたいのです。」


 その学生は引き下がらなかった。私は少し嫌になってきた。


「平行世界の存在が証明できない以上、考える価値もないと思うがね。」


 私は少し突き放すように言った。これでこの学生も私から何かの話を引き出すことをあきらめるだろうと・・・。


 しかしその学生はとんでもないことを言いだした。


「実は僕は平行世界から来たんです。」


 それを聞いて私は(はあ?)という気持ちになった。この学生はSF小説でも読みすぎておかしくなってしまったのか。確かに周りの様子が少しでも違うと違和感を覚えて、自分は別世界の人間だと思い込む人がいるのは聞いたことがある。


「そうだったんだね。」


 私は軽く流した。早々に話を切り上げて帰ってもらおうと思った。この学生に付き合っていると私までおかしくなるような気がしていた。それを感じたのか、その学生は言った。


「荒唐無稽なことを言っているのは自分でもわかります。でも本当なんです。信じてください。」


 だが私はもうこれ以上、相手をしていられないと思った。


「いや、いいんだ。もう私の研究の話はしたし、これでいいかね。」


 私は話をすぐに切り上げようとした。だが彼は引き下がらなかった。


「では証拠をお見せします。」


 その学生は立ち上がり、部屋の外まで確認して周囲に人がいないのを確認した。


「これはここだけの秘密にしてください。」


 学生は真剣な顔をして何かの構えをした。今度は何が始まるのかと私は眉間にしわを寄せた。


「エネジャイズ!」


 学生が言うと、彼の周りに何かのエネルギーが集まり、その姿は一部ずつ変わっていき、やがて黒い人影になった。


「えっ!」


 私は腰を抜かさんばかりに驚いた。どう見てもそれは何かの手品やイリュージョンの類でもない、実際に起こっていた。


(こんなことが・・・)


 私は絶句した。その様子を見て、その学生はすぐに元に戻った。


「これはどういうことかね?」


 私は興奮を抑えられなかった。人間の体が急に変異した・・・どのような現象が起こったのか、興味がわいてきていた。


「これはマサドです。次元においてある戦闘用の肉体と今ある肉体を入れ替えたのです。これは先生の次元移動の理論が使われているはずです。」

「そんなことが・・・私の理論は誰にも相手にされてないし、それを利用して何かをしようと提案されたこともない。第一、そんなことができるなんて考えもしていない。」

「いえ、それが実現したんです。私がいた平行世界では・・・」


 学生は話し始めた。その世界ではググトという物がいて人を襲うということだった。そこで私の理論をもとにしたマサドが作られたということだった。だが何かのはずみで次元がおかしくなり、平行世界の人間が入れ替わっているということだった。その中にはググトもいた。それがこの世界に現れて人々を襲っているということだった。


「このままではググトが次々にやってきて、この世界の人類は非常な危機を迎えます。」


 あまりのことに私は仰天した。確かに最近、化け物が現れて人を襲う事件が頻発していたが、これが私の研究と関係していたとは・・・


「でも私にどうしろというのかね。私はしがない研究者だ。何ができるというんだ?」


 理論が関係しているからと言って、それを止める方法が私に考え付くのだろうか?と私は自問した。


「先生ならできます。そのマサドを作ったのは向こうの世界の東都大学の東野英一郎教授です。」


 それに私は驚いた。平行世界の私は自分の理論を実践して最高峰の大学の教授までになっていた。そうならば私にもできるかもしれない。向こうの世界の私と今の私はほとんど同じであるかもしれないから・・・


 そして最後に学生は言った。


「先生の研究は世界の人たちを救います。」と。


 ◇


 私は何かウキウキしていた。日の目を見なかった研究が人類の役に立つとは・・・私はその学生とまた会う約束をして家に帰った。


 家に帰ったが誰も出迎えることもなく、ただ一人、台所で遅い夕食を取った。


「帰っていたの?」


 台所に出て来た妻はそれだけ言うと、水を飲んで行ってしまった。


 浪人していた息子も出ていたが、私を見ても何も言わなかった。


「勉強は進んでいるか?」私は尋ねた。


「ああ。」


 息子はそれだけ言って、また部屋に戻って行った。うだつの上がらない父を見て、自分は東都大学に入って、親父とは違う素晴らしい人生を送るんだと思っているのかもしれなかった。


 私は家ではごみ扱いだった。妻と息子とはまともな会話をここのところしたことがなかった。ずっと助教のままの私を2人はとうに見捨てていた。


 だが私には目標ができた。


(研究を成功させて妻や息子を、いや世間を見返してやるんだ!)


 ◇


 次の日から私は研究に没頭した。投げ出そうかと考えていた研究題材だったが、平行世界で成功したのを聞かされると続けてきてよかったという思いがあった。それに人類を救うという目標ができたのでやりがいできた。しかもマサドという完成した形があるので、研究の方向性に迷うことはなかった。


 あれからあの学生にしばしば来てもらって、いろいろ測定したり、体を調べたりした。まだまだ向こうの世界の技術には追い付かないが、一歩一歩、先に進んでいることは感じていた。


 研究をしているうちに平行世界についても興味がわいてきていた。同じような人が同じような町で同じように生活しているようだが、変わっていることも多くあるようだった。特に私自身が向こうの自分と大きく違っていた。私は興味本位でその学生に訊いてみた。


「向こうの私はどんな風になっているの?」


「ええ、そうですね。僕も直接、お話したことがないから、実際の人柄についてはわかりません。でもマサドになるときに先生の講演をお聞きました。一本筋の通った感じで輝くようなオーラを感じる方でした。誰からも尊敬され、誰からも頼りにされていました。ググトから多くの人を救ったのですから。あ、そうそう。東野次元研究所や東野記念大学というのもあります。東都大学には先生の銅像もありますよ。右手をこう上に向けて、『人類よ、希望を捨てるな』って。」


(そんなことを言っているのか。向こうの世界の私は。まあ、恥ずかしくもなく。)


 私は思った。だがそれと同時に、


(私が果たしてそのような人間か。この狭い研究室の隅でくすぶっている人間が・・・)


 私は自信がなかった。私はそんな大きなことができる人間だろうか・・・と自問していた。


 ◇


 研究は少しではあるが進んでいた。小さいものなら別次元に送れるようになっていた。私は自分の理論で次元の壁を破ったのであった。


 ある日、服部教授から部屋に呼ばれた。


「東野さん。一体、今、何の研究をしているの?」


 服部教授は尋ねてきた。彼女は女性で若いながらここの教授だ。彼女は私よりかなり年下だが、あまりに実績が上がらない私に意見したくなったのだろう。


「今、研究しているのは、物体の次元移動です。」

「そうですか。でもそれは前から聞いているわ。ここにいる以上、実績を上げてもらわないと困るの。あなたは他の人から何と言われているか、ご存じ?助教のマッドサイエンティストって言われているのよ。他の人には分からないことばかりしているから・・・」


 服部教授は何か言いたげだった。多分、この研究室から私を追い出して若い研究者を育てようと考えているのかもしれない。以前の私だったらここで何か言い訳をするか、同情をひいてここにいさせてもらうか、またはあきらめて退職したかもしれない。だが今の私は違う。


「それなら研究室でお見せします。研究の成果を。」


 私は胸を張って言った。



 研究室で服部教授に次元移動を見せてみた。服部教授は驚きのあまり目を丸くして声が出せなくなっていた。


(そうだろう。以前の私でも信じられない。こんなことができるようになるなんて!)


 私は誇らしげだった。


「こ、これはすごい・・・すごいわ。私の研究室からこんなすごい研究が出るなんて!」


 服部教授はやっとそれだけ言うと、慌てて部屋に戻っていった。


(どうだ!私の研究は!万年の助教だってやれるんだ!やっとわかったか!)


 私を馬鹿にしていた教授を見返してやったことで、私は気分が高揚していた。


「私が世界の人たちを救うんだ―!」


 誰もいない研究室で私は大きな声を上げた。


 ◇


 家に帰ってもいつもように私は一人だった。だが今日は気分がかなり違っていた。まださっきの興奮が冷めやらず、胸の底から熱いものがこみあげてきた。


「私だってやれるんだ!きっとやれる!今まで本気を出していないだけだ!」立ち上がった私は自分に言い聞かせるように大きな声を出した。


「うるさい!」


 息子が部屋から怒鳴った。私はしゅんとなって椅子に座りこんだ。


(これが現実だ。これから抜け出さねば・・・)


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