第26話



 八月十六日。練習十三日目。


 昨日の事件も踏まえ、練習時間の繰り上げなどの対策を取ったうえで、俺たちはいつものように練習を行っている。


 ライブをやる、と決めた円花のモチベーションは、これまでになく高まっているようだった。そんな円花のパートナーたる四条もまた、相乗的に気合が入っているらしい。普段より二割増しの声量が、遠く階上から響いてきている。


 トイレ休憩から部室に戻ったところで、俺はぴたりと立ち止まり、眉をひそめた。


 俺の定位置に堂々と座り、ぴょこんと跳ねた毛先をくるくると指先でいじくり回す少女の姿が――まっさきに目に入ったからだ。


「あ、センパイ! お邪魔してますっ」


 早坂は屈託のない笑顔を浮かべて、鋭い八重歯をわずかに覗かせた。


「なぜお前がここにいる」

「いいじゃねぇか、堀川」


 得意げにDJセットを操作している日暮が、呑気な調子で口を挟んでくる。


「いろいろあったとはいえ、ひなたちゃんは間違いなく功労者だかんな。円花ちゃんが滅茶苦茶やる気出してるの、知ってるだろ?」

「えへへ。ひなたなんかでもお役に立てたようで、なによりですっ」


 鼻の先をこすって、早坂は小ぶりな胸元をえへんと張った。


 そもそもお前が余計なことをしなければ……と言いたかったが、すんでのところで飲み込む。

 代わりにため息をついて、俺は空いている四条の椅子を引いた。


「なんだよ堀川、浮かない表情だな。なんかあったのか?」

「べつに。なんでもない」

「そうなんですか? ひなたの目にも、センパイはいつもより元気がないように見えますけど」

「お前といつも顔を合わせてる覚えはない」

「今日で四回目ですね、センパイ♡」


 からかうように口の端を曲げて、早坂はわざとらしい上目遣いで俺を見た。

 こういう絡みに相手するのも面倒なので、こちらから話題の方向を変える。


「で、なにしに来たんだ?」

「遊びに来ました。四条センパイが、『いつでも遊びに来てよかばい』って言ってくれましたのでっ。お言葉に甘えてってヤツですね♪」

「世のなかには社交辞令というものがある」

「もー、センパイ冗談キツイんですから!」


 ぜんぜん冗談じゃないぞ……と言いたかったが、ニヤついた日暮が視界の隅に映り、俺はまたしても言葉を飲み込んだ。


「あ、でも、そんなに長居するつもりもないです。今日はちょっとしたイイ話を、センパイがたに聞いてもらいたくて!」

「お! なんだか面白そうじゃねぇか!」

「ふふふ、日暮センパイなら乗ってきてくれると思ってましたっ」

「俺はそういうノリ、嫌いじゃねぇからな」


 長机を挟んで笑い声を交わしている二人。既に早坂がドル研の空気に溶け込みつつあった。


「まずはお聞きしたいんですけど、センパイたちはライブの宣伝とかってされてますか?」


 俺と日暮は、きょとんとして顔を見合わせた。


「……とくに、なにもしてないが」

「えぇ⁉ どうしてですかっ⁉」


 信じられないといった顔つきで、早坂は驚きの声を上げた。


「街角でやるようなミニライブだぞ。料金を取るわけでもなし、必要があるとは思えないが」

「ありますよっ! もしやセンパイ、閑古鳥が鳴いても『ライブすること自体に意味がある』なんて、思ってるわけじゃ……ないですよね⁉」

「……」


 俺が黙っていると、早坂はジドっとした目で頬を膨らませた。


「お客さんが来ないと、円花さんの『答え』もきっと、見つかりません。アイドルの楽しさ、アイドルファンの楽しさって、究極的にはステージと観客席の『対話』にあるんですから」

「ほう、なるほどな? なかなか的を射てるじゃねぇか」

「ふふっ、日暮センパイは話が早くて助かりますっ。専門は違えど、やはりアイドルスピリッツは共通しているってことですね!」

「ははっ、俺をあまり舐めるなよ? 二次ドル推しだからとて、ライブ現場の経験は伊達じゃねぇからな!」


 キャッキャッと盛り上がる二人を尻目に、俺は早坂の言葉を反芻していた。


 ――『対話』、か。


 確かにそのとおりかもしれない。スポーツでも芸術でも、なんだってそうだ。


 なにかを届ける対象がいる。その対象から、なんらかの反応を受け取る。

 心が満たされる瞬間というのは、そうしたやり取りを繰り返す過程のうちにあ

る。


「でも、もう本番まで十日切ってんぞ? ここでいっちょ宣伝するにしても、ネットを使うのはこりごりだしなぁ」

「そこでです! ひなたからは『ビラ配り』の提案をさせていただこうかと!」

「……ビラ配りか」


 古典的な広告方法だが、上手く使えば効果は高い。ネットで宣伝するよりもはるかに手間はかかるが、今回のような地域のイベントだと、むしろ向いていると言えるだろう。


「そうです。急いでビラを作って、会場周辺の人やお店に配りまくるんですよ」

「とはいえ、ビラを作るには時間がかかるんじゃねぇのか? 枚数にもよるが、印刷代もかかるわけだろ?」


 日暮がもっともな疑問を口にしたところで、早坂がここぞとばかりに身を乗り出してきた。


「ひなたの言うイイ話っていうのは、実はそのことなんですっ」


 ……それから早坂は、「イイ話」についての詳しい説明を始めた。


 どうやら彼女の従妹がウェブデザイナーらしく、お願いすればデザインのひとつやふたつは請け負ってもらえるという。


「あ、ちなみにお代もいただきませんし、印刷代もひなたが負担します。今回はご迷惑をおかけしましたし、それくらいのことはやらせてくださいっ」

「なるほどな。俺たちにとっちゃ、かなり耳寄りな話だが……堀川はどうよ?」

「なにか裏を勘繰りたくなるような話だな」

「そ、そんなことないですよっ⁉ これはあくまで、ひなたなりのお詫びですから!」


 残念ながら疑り深い俺は、険しい視線を早坂に浴びせ続けた。


「デザイン料も、本来ならバカにならないはずだ。お前が出すのか?」

「そ、そういうわけじゃないんですけど……ちょっとした事情があるんですっ。だからたぶん、頼み込めばタダで作ってくれるんじゃないかなって、思ってますけど……」

「聞いたか日暮? この提案の重要な部分は、根拠のないこいつの推測で成り立ってるらしい」

「…………うぅ、せ、センパイのいじわる~~っ!」


 早坂は勢いよく席を立って、大股でドアのほうへと歩んでいった。

 そしてくるりと俺たちを振り返り、


「ひなた、きっと現物を持ってきてみせますから! 覚えておいてくださいよ、センパイっ!」


 バタン! と乱暴にドアを閉めて、早坂はどこかへ駆けて行ってしまう。


「……もう少し気ぃ遣ってやれよ、堀川」

「指摘すべきところを指摘しただけだ」

「お前もなかなか強情なとこあるよな……」

「どうだか」


 ――まあ、ともかく。


 これでしばらくは、早坂がドル研に来ることもなくなるだろう……と。

 そんなふうに考えていた時期が、俺にもあった。

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