ヤンキーの恋人-島浦のカフェー

岩田へいきち

第1話 木島先輩

ボコッ、ボコッ、バシッ、 「きさん、のぼすんなよ」 由真は、帰りの暗い道を運転しながら元彼の夏希と初めて出会った日のことを思い出していた。


長崎県佐世保市、夢高団地の四階で両親や兄弟と暮らしていた由真は同じ団地に住む同級生の裕美と毎夜、家を抜け出しては、団地の公園のブランコに揺られながらお互いの高校での出来事を話すのが日課になっていた。その夜も夏休みに入ったばかりのそんな時だった。若い男同士が喧嘩をしているというか、片方がもう片方を一方的に殴っていたのだ。一方は、黒の長袖インナーシャツに作業ズボン。もう一方は、チンピラ風の赤いアロハシャツに短パンをはいていた。作業ズボンの男がそのアロハシャツの若い男をまるで大人と子どもの喧嘩のようにボコボコにしていた。

「あっ、木島先輩」

「えっ、裕美、知っとると?」

「木島先輩やん、佐世保でも有名よ。由真、知らんと?」

「知らん、知らん、どっち?」

「黒の殴ってる方」

「ええ、あれ高校生? 怖っ」由真はどう見ても高校生には見えない木島先輩や喧嘩相手を見て怖がっていた。

「前にメールとかしとった」

「えーっ、そうなんだ、なんで? あんな怖か人と」

その時、木島先輩が振り向いて、裕美と由真に気づいた。

「おお、裕美」と言うと木島先輩は喧嘩を一旦止めて近づいてきた。

喧嘩相手は木島先輩を追いかけて、土下座して謝っている。

「お前はもうよか、佐賀に帰れ。今度ふざけた真似したら許さんけんな」

そう言われたアロハシャツの若者は、由真たちに会釈をしながら公園横に止めたバイクに飛び乗って逃げるように去って行った。

「どがんしよ、こっち来る」

「大丈夫よ、女の子には手を挙げるような人じゃなかけん」

そう裕美に言われて、由真はうつむいていた顔をそっと上げた。そして、ちょうど由真を見ていた木島先輩と目がバッチリ合ってしまった。

――怖い。

 由真は、怖いと思いながらもそのキリッとした鼻筋と鋭い目付きにドキッとしていた。自分が通う普通高校の男子に何か物足りなさを感じていた時だっただけに木島先輩は、由真の心を少し揺らしたようだった。

「裕美、久しぶりやね。お前の友だち?」

木島先輩は、今までの怖さとは打って変って優しく裕美に話しかけて由真を確認した。

「はい、おんなじここの団地です」

裕美がそう答えると今度は由真に向かって

「見苦しかところば見せてすまんやったね」と言った。

――あれ、優しいやん。 由真は、急に大きくなった胸の鼓動を感じながら

「いいえ、大丈夫です」と返事をするのが精一杯だった。


 由真は現在二七歳、高校はなんとか卒業したものの、あの夜以来、勉強には興味が湧かず、大学へ行く気もなくなっていた。大学へ行かないからと言って、就職する訳でもなく、毎日ブラブラしていたら従姉妹のお姉さんから伊万里のスナックで働かないかと声をかけられ、遊ぶお金も欲しいし、苦労かけた父母の役にもたてばと、勤めてみることにした。

伊万里市は佐賀県の西の端、佐世保市とは、県境、市境として接している。伊万里の飲屋街には、多くの佐世保のお姉さんたちがアルバイトや本業で通っていた。従姉妹のお姉さんも佐世保市在住だが、従業員として、店に通っているうちに自分で店を持つことになった。そして、主な従業員を従姉妹同士で固めようとしたのだ。その店の名前は『コッコ』 特に意味はないが、店内は白基調の明るいところだった。

由真は 、最初、お客に愛嬌を振りまく事がうまく出来ず苦労したが従姉妹のお姉さんたちの助けもあって、徐々に慣れて、自然体で接する事が出来るようになった。そして、持ち前の明るさと美貌でたちまち人気になり 、今度は、その自然体な接客が地元中心の客にウケて次々と新しい顧客を獲得。大手の社長にも気に入られ、店でもチーママという責任ある立場になっていた。

 店が休みの日以外は必ず出勤するという忙しい日々を過ごしていたが仕事は楽しく、ついつい夢中になってしまう事もあった。

 しかし、最近は違った。これまで必死に少しも休まず働いて来たけど、いつものように若者たち、おじさんたちが盛り上がっていても、由真の心の中には何かが足りない。虚しさの波がやって来るのだ。週に一、二回の間隔の時もあれば、小刻みに毎日少しずつ現れたり、べた凪になったり、そして今夜は、津波のような空虚がやって来ていた。車で約一時間ほど通っているので店でお酒を飲むことは、ほとんどなかった。今日もアルコールは飲んでいなかったが、土曜日でお客さんが多かったせいか、タバコを吸いすぎたのか、はたまた、空虚に押し潰されたのか運転しながら少しぼうっとしつつ、昔のことを思い出していた。最近ちらほらと周りから同級生が結婚しただとか子どもが生まれただとか聞くようになり、自分はなんなんだろう? このままでいいのかとお客さんの接待をしながら思うようになっていたのだ。お客の中には、お見送りの際、酔って抱きついて来たりする人もいる。それが、スケベェなオヤジだけでなく、たまに三〇そこそこの恋愛対象にもなり得るぐらいの若者が抱きついて来ることもある。そんな時、黙って、抱きつかれたままで動かないでいることもあるのだが、全く恋愛感情は湧いて来ない。それどころか、こいつ、奥さんも子どもいるのに、何やってんだと殴りたくなるのを、チーママという立場上、必死でこらえている。そんな日々になっていた。


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