8話 姉の追及、妹の追撃



 翌日の放課後。


 俺はクラス委員の仕事があって、教室に残って作業していた。


 ただし、一人だけじゃない。

 俺の正面には元カノ・梓川あずさがわ みしろが座っている。


 去年、今年と、俺はみしろと同じクラスだ。

 担任も去年とおんなじ人だったこともあって、クラス委員を俺たちに任されたのだ。


 2年に上がった当所、彼女とまたクラス委員をやれることを喜んだ。

 大好きなみしろのそばにいられることがうれしかったのだ。


 だが別れた今は、この関係は、呪い以外の何ものでもない。


「…………」


 お互い、終始無言で、担任から任された、書類のホッチキスどめをしている。


 みしろとは二学期初日からほとんど会話していない。

 別れた相手と話すのは気まずいからな。


 ……とはいえ今は、別の意味でみしろと話せないでいる。


 梓川 みしろ。彼女は夕月の双子の姉だ。


 姉は黒髪のストレート、妹は茶髪のボブ。


 髪形以外、すべてが似ている。


 ……同じ顔のみしろを見ていると、嫌でも、昨晩の事件を思い起こされる。


 10日の禁欲のあと、俺は夕月に誘惑された。


 さんざん俺に甘い声をかけた後、しかし、何もしなかった。


 俺の興奮を最高潮までもっていって、彼女はあえて何もしてこなかったのだ。


 ……恥ずかしながら、俺はこう思ってしまった。


 したい、と。


 しかし夕月は何もしなかった。

 まるで俺の頭の中が見えているかの如く、あえて、おあずけをしてきたのだ。


「ねえ、飯田いいだくん」


 ふいに、みしろが口をつく。

 珍しい、実に、10日ぶりの会話だった。


 元カノに話しかけられて、どきっとしながらも、俺は応じる。


「ど、どうしたみし……梓川あずさがわ


 お互い、亮太、みしろと呼ばなくなっていた。

 当然だ、俺たちはもう付き合っていないのだ。下の名前で呼ぶのはおかしい。


「ゆづきちゃんと、何かありました?」


 ……なん、だと?

 何があっただって?


 馬鹿な、どうして、みしろが知っている?

 じわ……とわきの下に汗がにじむ。


「い、いや……別に」


 だが、いや、落ち着け。

 これは世間話だ。

 夕月が姉に、昨日のことを話すわけがない。


 どういうわけか、夕月はみしろを避けている傾向にある。

 この姉妹に過去、何があったのかは知らない。


 だが教室でこの姉妹が、話しているところは見たことがない。

 情報が伝わってるわけが、ない。


「うそ。うそです」


 みしろが手を止めて俺を見てくる。

 その目は、恋人に向けるものではなかった。


 同級生に向けるような、無色透明な目でもなかった。


 ……その瞳には、黒々とした闇があった。

 眺めているだけで吸い込まれるような、怪しげな黒いまなざし。


 一瞬、怖いと思ってしまう。


「何か、あったんですよね? 絶対」


 低い声。そして妙な気迫を感じた。


「……マジでなんにもないよ」


「ですが、飯田君、ゆづきちゃんを露骨に避けてました。なんでですか?」

「! そ、それは……」


 確かに昨晩の件があって、俺は夕月を意識してしまい、教室では距離を取ってしまっていた。

 こいつ……よく見てやがる。


「……いつもはぺたぺた、ぺたぺたって……見せつけるように、いちゃついてるくせに。今日は何か変でした」


 ぶつぶつ、と小さくみしろがつぶやく。

 俺に問いかけているのか、独り言を言ってるのかわからなかった。


「何があったんです? ねえ」

「……しつこいよ。なんもないってば」


「もしかして……妹に、手を出したんですか?」


 みしろの目には非難と疑念の色が浮かんでいた。

 夕月に手を出したのか?


 いや、違う。俺から手なんてだしてない。

 やばかったが、ギリで耐えた。


「そんな、わけないだろ。俺たちは、兄妹なんだぜ? 家族でそんなこと、するなんて、おかしいだろ」


 半ば自分に言い聞かせるように俺言う。

 ちょっと言い訳がましかったろうか。


 俺の返事が遅かったこともあって、もっと疑ってくるかもしれない……。


「…………」

 

 しかしみしろは、黙っていた。


「そう、ですよね……」


 先ほどまでの謎の迫力は消え失せていた。

 どこか元気のない調子で言う。


「家族でそんなことするの……おかしい、ですよね」

「? ああ……そうだよ」


 みしろはそれきり黙ったまま作業を続ける。

 なんだったんだ、急におとなしくなって。


 まあ、あれ以上追及されたら、ぼろを出しかねなかったので都合がよかったのだが。


 それきり、俺たちは一言もしゃべらず、仕事を終える。


「じゃ、俺……先生にこれ、届けてくるから」


 ホッチキス止めした書類の束をもって、俺は教室を出ていこうとする。


「飯田君。約束して」


 またあの黒いまなざしで俺を見つめながら、みしろが俺に言う。


「ゆづきちゃんには……絶対、手ださないで」


 みしろからは強い思いを感じる。

 それだけ、妹のことが大事なんだろう。


「…………」


 いわれるまでもない、そう、応えるつもりだった。

 でも、口をついた言葉は、


「……じゃあな」


 そっけない、そんな一言だった。

 なぜだ、どうして、俺は約束できなかったんだ……?


 妹に手を出さないって、どうして、言ってやれなかった?


 向こうは、言わずとも当然だと解釈したのだろう。

 俺を追ってくるようなことはなかった。

 ただ、一言、地の底から響くような声音で、みしろがつぶやく。


「……信じてますからね、飯田君」



    ★


 その日の夜も、夕月は当然のように、俺の部屋に忍び込んできた。


「今日は、鍵、掛けないんだね?」


 くすくす、と夕月がうれしそうに笑う。

 ……まただ。目と口元を補足して、怪しく笑う。


「どうせ、鍵かけても入ってくんだろおまえ」

「ふふっ♡ 亮太くんってば、素直じゃないなぁ♡」


 パジャマ姿の夕月がゆっくりと、俺の元へ近づいてくる。

 ベッドに座る俺に向かって。


 まるで、獲物を追い詰める、狡猾な蜘蛛くものように。


「期待してるんだよね? わかるよ……亮太くん。今日ずっと、私の事、避けていたもの」


 ベッドに乗って膝立ちになり、夕月が顔を近づける。


 ……つい数時間前までみしろと一緒にいたからか、いつもよりさらに、夕月に姉の面影を重ねてしまう。


 さっ、と目をそらす。


「……むかつくなぁ。まだ、あの女、ここにいるんだぁ」


 夕月が俺の心臓に、手で触れる。

 さっきまでの怪しい笑みをひっこめて、今はどこか、いらだったような表情をしている。


「まあいいや♡ えーい♡」


 とん、と夕月が俺の体を押す。


「さ、寝よう♡ 亮太くん♡」


 ころん、と夕月が俺の隣に横になる。


 俺は義妹に背を向けて寝る。


「……夕月ゆづき。もう、これきりにしよう」


 みしろにも言ったんだ。兄妹で、あんなことをするのはおかしいと。


「……誰に、そそのかされたの?」


 低い声。それは姉と、まるで同じだった。

 ぞくりとするような、妙な迫力のこもった声。


「……ああ、そっか。あの女。ほんと、むかつく。邪魔しないでほしいなぁ」


 ぴたっ、と夕月が俺にくっついてきた。


「おまえ……ナシだって言っただろ?」

「でも私、了承してないですよ♡」


「俺も、これを了承してない」

「亮太くんはいじっぱりだなぁ……」


 夕月が甘い吐息をふきかけてくる。


「……いいんだよ♡ 素直になって」


 振りほどく力も、拒絶する力も、夕月のささやきによって奪われる。

 耳元で彼女がささやくたび、酔っぱらってしまったみたいに、俺の体から力が抜ける。


「……私に身をゆだねて♡ 落ちてって♡」


 俺は……気づけば糸の切れた操り人形のように、彼女のされるがままになった。


 まるで催眠術にかかったみたいだ。

 

「ふふっ♡ 亮太くんかわいい」


 振り解く気力すらも夕月が奪っていく。


 俺のほうが、背も高く、力も強いはずだ。


 だが俺は夕月にただ翻弄される。

 言葉と、体温と、甘い匂いで、夕月は俺にからみついてくる。


「切ないの? 苦しいの? いいよ……全部受け止めてあげる♡」


 体が緊張でこわばる。

 冷たくなっていく体と反比例するように、夕月の体は興奮で熱くなっていく。


 極上の羽毛布団に包まれているような、安心感と、温かさ。


 しかし脳裏に浮かぶのは、元カノの顔。

 そして帰り際のセリフ。


――ゆづきちゃんには……絶対、手ださないで

――……信じてますからね、飯田君


「……なにが、亮太くんの邪魔してるの?」


 またも、夕月が俺の頭の中をのぞいたみたいに、言ってくる。


「……そんなの、忘れちゃえ♡」


 甘い言葉に俺は翻弄される。

 

「あの女のこと忘れさせてあげる♡」


 ちゅ、と首筋にキスをする。

 その瞬間、俺はみしろの顔とセリフを完全に忘れていた。


「あは♡ それじゃ、期待に応えてあげなきゃだね」

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