第12話 深夜病棟 ―――赤羽涼太
ここはどこだ?この管や機械は何だ?体が思う様に動かない…
どうしてこんな状態になっているのかさえ、解らない。
起き上がろうとしても、起き上がれない。
目は正常に動いている様だ。
とにかく、ここがどこなのか、この目で確かめる必要がある。
それが、今やるべき最重要事項な筈。
辺りを見回してみると、どうやらここはどこかの病院だと言う事に気付いた。
しかし、何故、そんな場所にいるのかが思い出せない。
何も思い出せない。
何も…
ふと、目線の位置にあるデジタル時計が視界に入った。
今日は、 4月21日、時間は午後の1時17分みたいだ。
俺は、痛みを堪えながら、何とか起き上がり、ベッドに腰を掛け様としたが、やはり体が思った通りに動いてくれない。
何とか目線を左側に向けると、ベッドの脇に備えられているナースコールの存在に気が付いた。
『御用がありましたらこちらのボタンを押して下さい』と、書かれている。ボタンに手を伸ばし、やっとの思いで押す事が出来た。
「はい。目が覚められたのですね?今、そちらへ向かいます」知らない女性の声がスピーカーから聞こえて来た。
暫くすると、先程の看護師だろう女性と、白衣を着た医師が部屋へ入って来る。
医師が俺に質問をして来た。
「あなたのお名前は?」と。
「赤羽涼太です」
その後、誕生日や、家族構成など、幾つか質問をされたが、それらを全て答え終えると、医師は挨拶だけして部屋を出て行き、その場には看護師だけが残る形となった。
その看護師に「私の事、覚えてる?」と、突然言われた。正直言って初めて見る女性としか思っていなかった。暫く考え込むと、その女性が「私よ、私!同じ高校だった太田唯よ。忘れちゃった?」
思い出した。高3の時、初めて同じクラスになった子だ。でも、当時はショートカットだったからか、すぐに思い出せなかった。
俺は、何でここにいるのかを質問してみると、どうやら車で事故に遭ったらしく、そのまま救急搬送をされたと言う。幾ら、話を聞いたところで思い出せないのが正直な感想だった。
太田の話によると、前日の夕方4時半過ぎに、井野町にある旧道の交差点で、信号無視の車にぶつけられたらしい。その事故のショックで、その記憶がないのかもと言われた。
「私は、今日18時で帰るけど、明日は夜勤で来るからね」とだけ言い残し、太田は体温や血圧を測って部屋から出て行った。
太田と入れ替わりで、母親と父親が病室へ入って来る。
包帯巻の息子を見て、驚いてはいるが、取り敢えず命に別状はないと聞いているらしく、安心している様子に見えた。
あの事故で、命があるだけでも奇跡だと、警察が言っていたらしい。
警察?
何かが頭に引っ掛かった。
暫く考え込むと、何か大切な事を忘れている事に気が付く。
警察…警察…警察…
「俺のスマホは?」両親に言うと、壊れたスマホを渡された。
どうやら、その事故によって壊れてしまったらしく、画面は割れ、電源も入らない状態となっていた。
母親なら宏美の実家を知っている筈だから、すぐに宏美を呼んで欲しいとお願いをした。母親は頷いて、すぐに呼んで来るからと言って病室を後にした。
俺は、父親から事故の詳しい話を聞いた。
相手の運転手は即死だったと言う。
だから、信号無視をした理由などは解らないままだが、警察が言うには仕事の時間に追われていたのでは?との見解。社用車だったらしく、その会社の従業員が言うには、客のところに急いで向かう用があったらしい。
それに巻き込まれて事故に遭い、今、ここにいると言うのだ。
父親が仕事だからと言って病室を出ると、母親が戻って来た。
母親の後ろには宏美が立っている。
「母ちゃん、ちょっと二人にして貰って良いかな?大事な話があって…」
「涼太、大丈夫?」宏美の問い掛けに頷く。普段、宏美は俺を涼太君と呼ぶ。しかし、それはあくまで誰かが側にいる場合であり、二人の時は呼び捨てで呼ぶ。
それには理由がある。
その理由は、二人だけの秘密で、誰も知らない筈。
俺達は付き合っていた。いや、正確に言えば、浮気と言うやつだけど。
俺には風香。宏美には敦司がいる。俺達が付き合っていたのは、高校の時からであり、今でもたまには秘密で会っている。
俺と宏美は同じ高校に偶然進み、敦司と風香は別の高校だった。
恋人や友達を裏切ってまで、俺達はこそこそと付き合っていたのだから、こんな話を誰かに話そうとも思わないし、二人だけの秘密にしている。
「それで、昨日の事なんだけど…」宏美が何かを言おうとしている。
昨日?何かあったっけ?思い出せない。
しかし、何かが引っ掛かったまま。この引っ掛かりは、宏美なら解るんじゃないかと思って呼んで貰ったのだけど、それでも思い出せない。
昨日だけじゃない、ここ数日の事が思い出せないのだ。
「俺、覚えていないんだけど、風香がいなくなって、それでみんなと会ったのがいつだっけ?それ以降の記憶がないみたいなんだよ…」
宏美は驚いた顔をして、俺の顔をジーっと見つめた。そして、ちょっと待ってて、と言い残し病室から出て行った。
すぐに部屋へ戻って来た。
コンコンと、ノックオンが響く。返事を返すと、先程の太田が入って来た。
「あ、宏美じゃん!久し振り」
「あれ?ここで働いてたんだね、唯!」
勤務中と言う事も忘れて、二人は懐かしむ様に話し込んだ。
「二人って、やっぱ付き合ってたの?高校の時から仲良かったもんね」
「そんな事ないよ、ただの腐れ縁だよ、付き合ってないよ」
他愛もない会話をしている。そして、俺達の関係を否定して嘘を付く宏美。
再び部屋のドアをノックする音が響く。
入って来たのは、敦司と…宏美のおばさんと…思い出せない。
どうやら、その思い出せない人が、宏美のお祖母さんだと教えて貰った。
「今は事故のショックで記憶障害があるから、変に刺激をしない方が良いだろう」と、意味深な言葉を残して、お祖母さんとおばさんは帰った。
病室には俺、宏美、敦司、そして太田だけになった。太田は、すぐに隣室に行くと言って出て行くと、三人だけになった。
「涼太、記憶が曖昧だって聞いたけど、どこまで覚えている?」敦司に聞かれたから「風香の事でみんなと会っただろ?それっていつだっけ?その日以降は解らない」正直に答えると、敦司はそれ以上何も言わなかった。いや、きっと何かを言いたいのだろうが、敢えて言えないのだろう。
その日、少しだけ話をして二人は帰った。誰もいなくなった病室に母親が入って来て、検査や治療で、最低でも二週間の入院が必要と言われたらしい。
二週間もこんな場所にいるのが憂鬱で仕方がなかったが、だからと言って、家に帰って生活が出来るとは思えなかった。
肋骨、右手が折れているらしく、足や腰は痣だらけだと言う。鏡を見ると、顔にも包帯が巻かれている。
それだけ、でかい事故だったのだろう…
生きているのが奇跡と、言われるくらいだし。
俺は、暫く大人しくベッドで寝ているだけの生活が始まった。
2022年 4月22日
夜、目が覚めると、廊下の方から足音が聞こえた。
コツン…コツン…コツン…
足音が近付いてくる。そして、俺が入院している病室の前で足音が止まった。
キィ―ッ…ガチャッ…
誰かがドアが開けて、誰かが入って来た様だ。
定期巡回か?と、思い、時計に目を向けると、時間は23時33分だった。
コツン…コツン…コツン…
段々と、足音が近付いてくる。その足音は、俺のベッドに向かっている様に感じた。
寝た振りでやり過ごす。寝息をわざと立てた。
スーッと、仕切りのカーテンを誰かが20センチ程開けた。
誰かが俺の顔を覗き込む。
薄目で確認しようも、何とも言えない恐怖で目を開けられない。ただ、ここには他にも三人がいる場所だから、何かあれば声を出せば、きっとナースコールを押してくれるだろう。それに、こんな時間に病院内にいられるって事は、この病院の関係者なのか?解らない。
耳元で、どこかで聞いた事のある声がした。
「涼太君…」
それが、誰の声なのか、すぐに思い出した。久し振りに再会した高校の時に同級生だった太田唯だ。
俺は、ゆっくりと目を開けた。
安心した。確かに、そこに立っているのは太田唯本人だったから。
でも、何でこんな時間に?と、思った時、太田の顔が強張ったのだ。
「静かに…奴が来る…」耳元でそう囁く。
奴?奴って、一体誰の事を言っているのだ?
太田が更に言う。
「とにかく、手を貸すからナースステーションまで行こう」と…
意味が解らないけど、取り敢えず従う事にした。体を起こして貰い、何とか廊下まで出ると、車椅子が用意されていた。それに乗り、太田が後ろから車椅子を押す。
薄暗い廊下の先に、明るく開放されたナースステーションが見えた。
看護師が二人いる。
何故か、そこには宏美と、昨日ここに来たお祖母さんも一緒にいた。
「宏美、連れて来たわ」そう言って、車椅子を宏美の前に止めた。
ありがとう、そう言って、宏美は俺の横に立って、事の真相を教えてくれた。
そして、太田が言っていた『奴』の正体も、その話で判明したのだ。
余りの話に、俺は驚きを隠せなかった。いや、この話を聞いて、まともにいる人間などいないだろう…
お祖母さんは、とにかく霊感など、そう言った不思議な力が強く、俺が危険だと悟り、すぐに病院へ駆け付けたと言うのだ。
そう言えば、そんな話を聞いた事があったなと、ふと思い出した。しかも、驚いたのは、太田にもそう言った力があるみたいで、俺が運ばれて来た時から、何かの異変を感じていたらしい。
他の二人の看護師も話は簡単にしたと言うが、何とも不思議そうな表情で静かに佇んでいる。病院と言う場所で働いているからだろうか、幽霊とかの話はそれなりに体験や、そう言う話をよく耳にするのだろう。
テレビや雑誌での受け売りだけど、きっと、そうに違いは無いだろう。
だから、太田の知り合いだからこそ、看護師二人は信用して承諾したから、病院内に宏美とお祖母さんを入れてくれたのだろう。
太田がいたから、こうやって二人は来れたが、もし、知り合いがいなかったら?そう考えると、恐怖が込み上がって来た。
「看護師さん達、ちょっと奥の部屋に…」お祖母さんが指示を出す。
書類がしまわれている小さい部屋に二人が入るのを確認する。しかし、太田はその場に残ったままだった。
「来たよ…」宏美が言う。
俺は、宏美の見ている方角に視線を向けた。
薄暗い廊下を歩いて来る人物に見覚えがある。
まさか…こいつが?でも、何故?何かの間違いだろ?
天井に張り巡らされた僅かな蛍光灯によって、薄暗い廊下に奴の影だけが俺達の方に向かって色濃くなって伸びる。
左には宏美、右にはお祖母さん、背後には太田が、俺を守る様に立ち、奴と対峙した…
「宏美、私が涼太君を守るから、二人は奴の動きを止めて」髪を後ろで束ねながら太田が言うと、お祖母さんがお経を唱え始めた。
奴が近付いてくる…そして、その表情がハッキリと見えた瞬間、俺は忘れていた数日間の記憶を思い出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます