第047話 武器商人 黒縄会
「まただ! まただよツェツィーリヤ!! もうたくさんだ!!!」
「落ち着いてください、ネル様。こんなもんなんです、ヒトなんて」
ウィンダリオン中央王国王都、某所。
密かに設立された『
そこで『
美しい白に近い銀髪を自らの手で乱れさせ、いつも涼しげなこれも銀の瞳に失望と怒りをにじませている。
なだめているツェツィーリヤと名を呼ばれた女性は、
ヒトなんて、との言葉通り、正体は豹の
『黒の王』配下の
「脅して奪う。騙して奪う。果ては殺して奪う。対価を払うかと思えば妙な粉だったり、妙な利権だったり、
つい先刻の『取引』で、またしてもまともに対価を支払おうとしない、商会とは名ばかりの無法者の群れを
今回の連中は、王都で無事に商売がしたかったら自分たちに利益の何割かをよこせと言う、最も頭の悪い連中だったせいで我慢も限界に達したのだ。
もはや問答無用で始末して、
いくらまっとうに新規商会として拡大しようとしても、その手のが寄ってくるばかりで遅々として進まない現状にいら立っているのだ。
結果ここ数日で、王都を拠点とする
「お嬢は見た目でナメられっからなあ……真の姿はあんなにおっかねえのに」
「今なんといった?」
「ナンデモアリマセーン」
要らんことを言って虫の居所の悪い
「まあほらお嬢。まともな奴らもいるこたいるし、そう怒りなさんな」
四人ついている護衛の隊長格である、獅子の
煙草を口の端に咥え、苦笑いの表情でなだめにかかる。
「確かにな! 中堅どころや零細には真っ当な商人も確かに居る。だが放っておけば大手にあの手この手で妨害されて商売にならんどころか、私たちが売った商品を取り上げられさえしている」
「それが現実ってもんです」
それでも納得しない
こりゃだめだ、と判断したのだろう。
こういう時は自分から落ち着くまで荒れさせておくに限る。
そういう意味では
お嬢の扱いはツェツィーリヤの方がまだまだ上だなあ、と反省する
「うがー!」
「お嬢、なんかみるからにあっやしー奴が会いたいって来てんだけど、どします?」
とうとう頭をかきむしってイライラを爆発させる
どうやら来客があるようだ。
「招いていないのに?」
「自分でここみつけたみたいっスよ」
それを聞いた瞬間、
「つまり撒き餌として市場に流した『
へっへと笑いながら、
獣は本来罠などかけはしないが、獣人はその限りではない。
戦闘であれ交渉であれ、獣人たちにとって力の比べあいとなるものはすべて
「会おう、通せ」
「へーい」
――やっとかかった。
口の端を上げ獰猛に笑う
相手は商売の世界において一定以上の
それが正しく商いを求めるのであれば、誠意をもって双方に利益を生む商売を。
だがもしもそうでないのであれば――
自分たちなりの
「はじめまして、私が『黒縄会』の会長、シャ・ネルと申します」
何なら揉み手でもしそうな勢いである。
商談相手の装い、雰囲気を見て偶然辿り着いた
商談室に通された初老の紳士は、いかにも商人でございという空気を漂わせてはいない。
この場にもしもヒイロがいれば、大手商社のやり手ビジネスマンを思い浮かべるであろう、洗練された空気を身に纏っている。
ただそうと言い切るには、少々剣呑な空気も含まれる。
戦場というよりは、荒事の世界特有の薄い刃物のような緊張感。
ただ一人の護衛も付けず、得体のしれない商会の懐に堂々と足を踏み入れる。
そこにはどんな形であれ力持つ者が漂わせる、確かな自信が見て取れる。
それがどんな力なのか、自らのものなのかそれとも借り物なのか。
それをこれから問われることになる。
「御挨拶痛み入ります。私は『
一部の隙もなく丁寧な挨拶を返す、ディルリッツと名乗る初老の紳士。
「
「御存知でしたか」
驚きの声、いや正しくは喜びの声を上げる
さもありなん、ディルリッツの言は謙遜としても嫌味になりかねない言い様である。
それほどに『
商いを生業とするものが、その名を知らぬことなどあり得ないほどに。
味方にすれば儲けを、敵に回せば破産を約束されるとまで言われる、経済の世界における巨人なのである。
「それはもう。あらゆる商品を扱う世界最大の商会! 金で買えるモノであれば世界の果てからでも調達してみせる、文字通り三大陸をまたにかける巨人」
――そして世界最大の
「いやいや……」
「そんな大商会。しかも一国の市場を任されている総支配人ともあろうお方御本人様が、我々のような
わかりきったことを
そのわざとらしい問いに、
「いや『黒縄会』が卸したという武具がたいへん素晴らしい、という噂を聞きましてな。我々
「もちろん、お取引はこちらも望むところです! お安くしますよ?」
商会の名前を含んで探し当てたことを誇るでもなく、そうした理由をもったいぶらずに切り出すディルリッツ。
だが愛想よく答える
「いえ、商品のお取引ではなくてですな」
「と仰いますと?」
「例の商品の入手先を教えていただきたい。――情報のお取引ですな」
「それなりの御代はいただけるので?」
そろりと場の空気が重くなる。
ディルリッツの様子も、それを受ける
だが間違いなくこの場で、目に見えない何かが軋みをあげはじめる。
「それは当然。こちらでは如何でしょう?」
「おーい。お帰りいただけ」
ディルリッツが提示した金額を確認するや否や、
「足りませんかな?」
「舐めるなよ
提示された額は決して少なくはない。
確かに小さな商会であれば、自分たちの生命線ごと売り渡してもおかしくはない額だ。
だが現時点において、世界で誰も手に入れることが叶わぬ商品の入手ルートを明け渡す対価としては、到底適価には程遠い。
独占契約ですらなくその供給先を教えろということは、『三大陸』の威光をもって木端はそこをどけと恫喝しているに等しい。
態度こそ丁寧であっても、言っていることの本質は変わらない。
よって
「舐めているのはどちらかな
口の端を醜くゆがめ、力に溺れる者特有の表情を浮かべてディルリッツが嗤う。
馬脚を現したというよりも、相手が小銭で納得しなければはじめからこうする心積であったのだろう。
「なんだと」
失望と怒りをその銀の瞳に浮かべていた
ディルリッツはその失望と怒りが、巨人に無理強いをされた小人の強がりだと誤認している。もしくは状況を理解できていない愚か者のそれだと。
総支配人として
そして
一度出してしまった言葉は、二度とひっこめることができないという商人の鉄則を遠い昔に忘れ去ったまま。
「駄賃をくれてやるからさっさと教えろと言っているんだよ
醜悪な貌。
醜悪な言葉。
だがいかに理不尽で横暴であっても、相手が『三大陸』であれば、逆らうことなどできない
ディルリッツが『三大陸』において一国の総支配人にまで上り詰めた今でもこの汚れ仕事を率先して請け負うのは、相手の心と積み上げてきたものを圧し折り、己の万能感に酔えるこの瞬間をこよなく愛しているからだ。
極論してしまえば、この瞬間を味わいたいがためにこそ、己の才能と生涯を『三大陸』に捧げてきたとさえいえる。
この事務所の周囲は荒事専門の手下に包囲させている。
全員が冒険者上がりの
高い金を払って雇っている、こういう場合の処理に手慣れた連中だ。
個人の力が大きいこの世界において、
ディルリッツの言葉と同時に事務所の周囲8ヶ所で噴き上がった殺意、いや悪意はこの場にいる全員に間違いなく届いている。
――かわいそうだが、表で警護についていた若者はもう生きてはおるまい。
必要な
すべきことを数瞬で終えた手下たちは、それ以上不要な悪意を周囲に振り撒くことをせず、すでにその威を納めている。
今までであれば自分たちが「俎板の上の魚」だと理解した愚か者たちが怯え、慈悲を乞い始めるタイミング。
あるいは彼我の力も考えず、自暴自棄で噛みついてより悲惨な目にあうはじまり。
だが。
「なるほど。その程度の事、ね。なるほど、なるほど。――素晴らしい」
ディルリッツの目の前にいる美しい女は、嗤っている。
今まで自分が見下し、蔑んできた木端商人たちに向ける嘲笑よりも深く、嬉しそうにディルリッツの事を見下げ果てて嗤っている。
それがなぜかわかる。
「そういうことなら
「なに?」
当然そんなことをさせるつもりもないが。
「ひとつよろしいか?」
恐れるどころか、いっそ嬉しそうに問うてくる銀色の女性に、ディルリッツは完全に呑まれている。
その答えを待たずに
「世界に冠たる大商会である貴殿ら『三大陸』であっても、必要に応じてこのような手段に出られるということは、だ」
今や声だけではなく、顔色も失いつつあるディルリッツにその美しい顔を近づけ、後ろ手にくんで腰を曲げ、覗き込むようにして言葉を紡ぐ。
「貴方たち商人の世界においてでさえ、つまるところ
ディルリッツの至近距離で二つの銀色の瞳が、力と欲で濁った瞳の深淵を覗きこむ。
「ならばよい」
つばを飲み込むこともできぬディルリッツからふと顔を逸らし、踊るようにその場で一回転して元の位置へと戻る
「我らは
そして告げる。
「我ら『黒縄会』の
ざわざわと本当の姿を現し始める三
まだ明るい時間帯であるのに、眼だけが光ってその他すべてが陰であるように見える。
木端商人の護衛程度に後れを取ることなどあろうはずもない、強力な荒事専門部隊を呼ぼうとしてディルリッツは人生最後の、そして最大の絶望に囚われる。
ディルリッツ自慢の荒事専門部隊は、なすべきことを終えて殺意を抑えたのではない。
殺意を発したその瞬間に、もう二度と殺意を発することなどできぬようにされていただけのことだ。
ディルリッツが振り返った商談室の入り口から、のっそりと巨大な山猫が姿を現す。
その巨大な咢には幾人もの手や足が咥えられており――そこから伸びたすでに屍と化した荒事専門部隊たちであった者たちの虚ろな瞳が、虚空や、地面や、中にはディルリッツの方に向けられている。
それに加わる『三大陸』、ウィンダリオン中央王国総支配人の上げる、人生最後の叫喚をきくヒトは誰も居はしなかった。
「こうなったら話ははやい。『三大陸』を私たちの力で制圧するぞ。その上で一大勢力として真っ当な商売をしてやる。他の連中にもそれを強いてやる」
売られた喧嘩は高値買取。
それは『
それについては序列上位者にも、
一支配人の暴走であり、『三大陸』の総意ではないなどという寝言も聞く気はない。
吐いた唾呑むなよとの宣言こそしてはいないが、『黒縄会』と『三大陸』は全面対立状態に入ったのだ。
どちらが生き残るのかは、各々が信奉する力のみが決めるだろう。
そこに遠慮するつもりはもはやない。
お嬢の納得する商売って何よ? と
「カタチこそ違えど、関わった誰もが利益を得られなければそれは私にとって商売ではないんだよ。掠め取るのも、だまし取るのも好かん。それならば力によって奪い取る方がまだいくらかマシだ」
どうやら商人としての
だが『三大陸』を完全に吸収した『黒縄会』は順調にその経済的支配を拡大し、商売の世界は少なくとも今よりは真っ当になってゆく。
ただ一つ。
とある迷宮の攻略を進める、ある冒険者の意に背かぬ限りにおいては。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます