第037話 格の違い

 ヒイロの左目に宿った『黒の王ブレド』の瞳、ゲヘナの火が白金の強い光を発する。


 同時にざわざわと「黒い魔力」がヒイロのまだ華奢な躰に纏わりつき、カタチを為してゆく。

 それに合わせて、あらゆるステータスに恵まれてはいてもあくまでもただの「魔法使い」であるヒイロが、まるで別の存在へと変容してゆく。


 胸から腰に掛けての体幹部分は薄くラバースーツの如く変化した漆黒の魔力に包まれ、真紅の魔力線を明滅して走らせている。

 肩から腕に掛けては強固な装甲状と化し、拳部分はややアンバランスなほど巨大化。

 とても「魔法使い」のものとは思えぬほどに鋭く巨大な爪が五指にあわせて形成されてゆく。

 これでは「魔法使い」のトレードマークである杖も持てまい。その必要があるとも思えないが。

 腰から下は薄い袴状となった魔力に幾重にも覆われていて、脚は見えない。


 幼く整ったかんばせはそのままに、左目は「ゲヘナの火」、本来深く澄んだ濃い碧である右の瞳は、禍々しい朱殷しゅあん――刻が経ち、澱み濁った血の色――に染まっている。

 白に近い艶やかな金髪は変わらず、だがそう巨大ではないものの螺旋に捻じくれた山羊角が左右対称に生えている。


「ま、魔人だと!?」


 白仮面の男ディケンスが口にしたのは伝説の名。

 『魔獣』と同じく神話にて語られる、太古の時代に神々に敵対した忌むべき存在。


 確かに今のヒイロはそうとしか見えない。

 

 ヒイロが方針を変更してレベル6到達時に取得した『合一ルベド

 それは「分身体」にだけ取得可能なアクティブスキルである。

 名の示す通り、己の本体との一時的な合一を可能とする能力スキル

 

 「T.O.T」においてはお遊びのようなスキルであり、分身体でのイベントクリアを円滑スムーズにするためのものでしかない。

 分身体のレベルでは対処しにくい、または対処不可能な敵を、本来はずっと先まで進んでいる本体の力を借りて力技で排除するためのもの。


 よって『合一ルベド』発動時は分身体には一切の経験値は入らないし、本体側は当然行動不能となる。

 だがそれと引き換えに分身体と本体を足して二で割ったレベルとなるし、そのレベルまでの本体の魔法・能力・技はすべて使用可能になる。


 本体と同じレベルまで鍛えた「分身体」が『合一ルベド』を使用した場合、本来であれば取捨選択の末にたどり着いた魔法・技構成ビルドを二種すべて使用可能といういわゆるチート状態となる。


 とはいえその状態では「何も入手できない」となれば、RPGというジャンルにおいてはストレス解消程度にしか意味をなさない。

 成長を伴わない行為は、RPGにおいては忌避されがちなのだ。

 特に終劇エンディングを迎えていないタイトルにおいてはなおのことである。


 その気になれば、「光と闇が両方そなわり最強に見える」


 それが実践できるというだけだ。

 ヒイロは「暗黒」ではないので頭がおかしくなって死ぬことはないだろう。「騎士」でもないのだが。

 

 だが「T.O.Tゲームの世界」が現実化した今、圧倒的な力を有する『黒の王』と合一できる能力というのは使い勝手がいいうえに、破格の性能と言える。


 いちいち『黒の王』の本体を晒さずとも、その半分までの力がいつでも使用可能となるのだ。


 入手経験値なんてものは通常時に地道に稼げばいいだけだし、半分とはいえ『成長限界の軛』ばかりか『連鎖逸失ミッシング・リンク』にまで縛られているこの世界において、5桁レベルが文字通り桁違いであることに変わりはない。


 いつ突発事態イレギュラーが発生するかもしれぬ現状において、ヒイロにとって取得は必須の能力と言えるだろう。


 よって『連鎖逸失ミッシング・リンク』が人為的になされている可能性が提示された際、それをしている組織と対峙するために取得したのだ。


 ここまでヒイロの中の人好みの「変身」を伴うとは予想外ではあったのだが。


「ま、魔人ならなんで邪魔を? お前らが命じて――」


「いや、聞いてもいないのにぺらぺら話されてもその、困るんですけど……」


 確かに「魔人」としか見えぬ姿に変じたヒイロだが、その性格まで変質しているわけではないようだ。

 訊きもしないことを勝手に話し始めたディケンスに辟易している。


 ヒイロのその様子に、魔人めいた姿はあるいは虚仮威コケオドしかと思いたいディケンスだが、ただそこにいるだけで周囲の空気を震わせるほどの魔力がそうではないと告げてくる。


 なまじ成長限界レベル99まで到達しているだけに、相手の底知れなさ程度であれば理解できてしまうのがディケンスの不幸とも言えるだろう。


 ――だったら!


 成長限界レベル99で、「拳闘士じぶん」が「魔法使いレアジョブ」、しかも魔人としか見えない相手に勝てないことは充分思い知っている。


 冒険者ギルドで会った時は確かにレベル5あたりでしかなかったヒイロが、なぜ自分とに達しているのかはわからないが、それも今は置く。


 本来勝てない相手を出し抜くには、いつの時代も有効ながある。

 そんなことをする必要はなくなって久しいが、必要とあればいつでもできる。

 そもそもそうやって格上を出し抜いている内に、『組織』に拾われたのだ。


 幸いここには六人も――


「――?!?」


 そこまで考えたところで、すとんと自分の思考が停止する。

 考えとほぼ同時に、これだけは同レベルでもこっちが上のはずの機動力を活かして、人質とするべく間抜けな魔法使いの方へ動き出していた体も止まる。


 その原因に思い当たる節がなくて、一瞬きょとんとしてしまうディケンス。

 

 その直後に激痛が来た。


「下種いこと考えますね。というか僕たちは再生できるんだから、人質は無駄とは思いませんでしたか?」


 何がどうなったかわからない。

 だが今ディケンスは迷宮の地に叩き伏せられ、両の拳を完全に粉砕されている状態だ。

 

 ディケンスが行おうとした人質を取るという行為を、完全に先読みされていたのだ。


 アルフレッドやアンヌたちは、先のヒイロの変身から驚愕というパラメーターが振り切れっぱなしであり、言葉もなく、今自分たちが人質にされようとしたことにも気付けていない。

 ただ目の前で展開される、圧倒的で容赦のない断罪に気を呑まれている。


 間違いなくやった本人であるヒイロは、嫌悪感を浮かべた表情でディケンスを見下ろしている。


 機動力では「拳闘士」はかなり上位のだ。


 少なくとも「魔法使い」に後れを取ることなどあり得ない。

 それどころか、同じ成長限界レベル99同士で、相手の動きをまるで捉えられないことなどあり得るはずがない。


 下っ端ではあっても、稀有な才能相手に勝てないまでも一方的に負けることもない。

 そう思える程度には自分の力も信じていたディケンスは、混乱の極みに陥っている。


 そもそも成長限界レベル99同士という前提が間違っているなど思いもよらない。


 だがそんなことよりも痛い。ただただ痛い。

 『組織』に入ってからこの方、いや入る前からもずっと得たことのないほどの痛みだ。


 自分は痛みと死を与える側で、与えられる側ではなかった。

 それが逆転する可能性など、愚かにもたった今まで考えたこともなかったのだ。


「また動かれても厄介かな……」


 そう言って子供が昆虫の脚を折るよりも気軽に、倒れ伏したディケンスの脚を踏んで圧し折るヒイロ。

 その表情には嗜虐的なモノなど一切浮かんでおらず、演技ではなく「面倒だけれどやるべきことをやっている」以上の感情を垣間見ることができない。


 その淡々とした行動に恐怖を感じる余裕もないほど、ディケンスは痛みに支配される。

 今迷宮ダンジョンに響き渡っている絶叫が自分のものだとは思えない。


 信じたくはない。


痛覚遮断ペイン・ヴァスターレ能力スキルは持ってないのか……」


 意外さと、面倒くささのないまぜになった表情でヒイロが呟く。


 物理攻撃職であれば「怯み」を発生させないために得ている者が多いが、これはヒイロの過大評価である。

 『組織』に身を置くディケンスであっても、プレイヤーのように好きに能力スキルを得ることは出来ないのだ。


「これじゃ聞きたいことも聞けないな。――エヴァ?」


「や」


「いや、あの……」


 治せと言ったわけではない。


 ヒイロは会話が成立するように痛みだけを消してくれと頼んだつもりだが、エヴァンジェリンにはそっぽを向かれてしまった。


 その様子をみたベアトリクスが笑いをこらえている。


「どうあれ下種を治すようなことはやりたくない、というのはわからんでもない。だが左府殿。――これは主殿の御命令じゃが?」


 ベアトリクスの言葉にそっぽを向いていた視線を戻し、ぷっと膨れながらいやいやディケンスの痛みを消すエヴァンジェリン。

 それにほっとしたような表情を見せ、苦笑いで二人の美女に「ごめんね」などとヒイロは言っている。


 異常な光景である。


 人ひとり、ひしりあげざるを得ないような痛みを与えておきながらこのやり取りができるというのは、少なくとも尋常とは言えないだろう。


 それはこの場にいる普通のヒトである、アルフレッドたちには充分に伝わっている。


 ヒイロ自身も恐らく自覚出来てはいない。

 善と悪で語れることでもない。


 『天空城ユビエ・ウィスピール』一党とその首魁は、やはりどこまで行ってもこの世界に対して異質であることからは逃れられないのだ。


 それはレベルという圧倒的というにもバカバカしい桁違いな差に起因し、この世界に生きる者とはすでに地続きではない別格の存在になっているが故の


 それがこの世界にとって良いことなのかどうか、今は間違いなく味方で、命まで助けてもらっているにも拘らず、アルフレッドには自信が持てなくなっている。


 何がどうというわけではない。


 自分たちの命を冗談ごとのように奪った相手を断罪するのに、やり過ぎだの冷酷だのといった甘い言葉が入り込む余地などないはずだ。


 戦いを生業とする者にとって、相手の命を奪うからには自分もそうされる覚悟があって然るべきだし、自分たちにディケンスと呼ばれた男の生殺与奪の権を与えられれば間違いなく処分するという確信もある。


 ――だが


 それが杞憂であれば、と願うアルフレッドである。


 だがディケンスはこれから、さっき痛みの中で死に至ればよかったと思うような目にあうことになる。


 本質的にこの世界よりも格上の存在が下す「最適解」がいかに無慈悲で残酷なものかを、我が身と心を以て思い知るのだ。

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