間章

第028話 D-Day H-Hour

「ただいま、っと」


 もちろん返事をくれる者など誰もいないが、家に帰って無言というのもなにか落ち着かない。


 虚しさを感じなくもないが、それこそ誰が聞いているわけでもなし、自分の尻のすわりがよければそれでいいともう開き直っている。


 そういう返事をしてくれるアプリもあるにはあるが、それをやるとなにか魂的に負けな気がして未だ導入に踏み切れていない。

 もはやこの部屋に女性が来ることなどあるまいし、それを聞いてたじろぐような友人もいない事実は、スーツの上着とネクタイと共に横に置いておく。


 深夜零時過ぎ。


 なんとか終電に間に合い、日が変わりはしたものの自分の部屋へ帰ってくることは出来た。繁忙期の海外事業部自部署は比較的落ち着いているのが常なのだが、今年は現地法人の立ち上げだなんだと重なってクソ忙しい。


 せっかくの休日前日にカプセル・ホテルなんて冗談じゃないが、だからと言ってタクシーで帰るとなると結構バカにならない時間と金が飛ぶ。

 まあベッドタウンに住むということは、そういうことだ。


 どうせそんなに使うアテもない金をケチってどうすると思わなくもないが、それなら俺としてはハマっている「T.O.Tゲーム」に課金する方がよほど有意義だと思い直す。


 本当に終電に間に合って助かった。

 間に合わなかった場合にかかったはずの金は「T.O.T」につぎ込もう、そうしよう。


 …………。


 世間様の大部分の人たちが言う「有意義」と俺のそれが大きく乖離していることは充分に理解している。ゲームにハマる歳かと言われれば返す言葉もない。


 とはいえ今の己の状況に対して、別にそれほど悲観しているわけでもない。

 強がりも含まれているのかもしれないが、自覚はないので本音のところだ。


 会社では年齢と能力に応じた役職につき、まあそれなりの報酬も得ている。

 上司も同僚も部下もおり、人間関係に餓えるようなこともない。


 あくまで仕事上の付き合いとはいえ、仕事での付き合いだからこそ友人と称するただの知り合いなどとよりは、よほどきちんとした信頼関係の構築が必須だ。


 それがなければ、仕事にならない。


 お互いがやるべきことをどうにかこうにかやりくりし、他部署と合わせて結果を出してゆく仕事はやりがいがある――と言えば格好つけすぎだが、やりたくもない仕事を金のためだけに嫌々やっているというだけはないことは確かだ。


 居酒屋で愚痴会を開くことの方が多いのも否定できないが。

 まあ、かけた労力と報酬のバランスなんて言い出したら何もできなくなるしな。


 仕事があって生活を維持でき、趣味につぎ込む金に困らなければ、少なくとも俺にとっての世界は泰平。

 それに家の冷蔵庫で、好きな銘柄のビールが冷えてりゃ上等ってものです。


 結婚だ、子育てだと真っ当な人生を歩んでいる数少ない本当の友人らには頭が下がるが、あいつ等はあいつ等なりに「まあ幸せかな?」と言える人生を歩んでいるはず。


 要は人それぞれってことだな。


 俺は俺の幸せを追求するために、さっさとシャワーを浴びてビールを呑もう。


 零時過ぎとはいえ、明日は休日。

 起きていられなくなるまで好きな「T.O.T」をガッツリやれる。


 ……言っても若い頃ほど持たないんだけどな、最近。




 シャワーを浴びてさっぱりした状態で、好きなビールのロング缶片手にエルゴノミクス・シートに腰を掛ける。

 ゆったり寝そべるような姿勢で、極力体に負担をかけない設計。

 飲み物などを置くサイド・トレイは自動アームで制御され、ひっくり返したりすることはほとんどない。


 インテリア類に金などかけない俺の部屋では、かなり高額な部類に入る家具だ。

 今の時代、長時間ゲームに没頭するのであれば一番重要な家具と言えるだろう。


 二昔ほど前はゲーマーという人種が一番金をかけていたであろう、PC、モニタ、入力デバイスという御三家はある意味健在である。


 ただしそのうち二つ、PCとモニタは当時と大きく姿を変えている。


 世界初の普及型ウェアラブル・コンピューダーである「サードアイ・コネクタ」がその原因だ。


 「サードアイ・コネクタ」は首の後ろから肩にかける感じで装着する「本体」と、一見すれば蔓かイヤー・ユニットしかないように見える「グラス」との組み合わせで構成されている。


 その「本体」と「グラス」はかけた金に応じて高性能化するのは当然だが、基本的なベーシックセットで動かぬゲームは基本的には存在しない。

 にもかかわらず、「少しでもいい環境でプレイしたい」というゲーマーの業は技術の進歩に永遠に追いつくようで、当然俺もその例には漏れない。


 特にグラスの性能は何よりも最優先される。

 どれだけゲームでも、基本的ベーシックな本体で処理できる以上、映像・音響のアウトプットがより重視されるのは当然と言える。


 その結果として世の中からTVやモニタと呼ばれるものは加速度的に無くなっていっているのが昨今だ。

 誰もが自前のモニタ、しかも任意で大きさを変えることが可能なものを常に装着している状況では、必要がないから当然そうなる。


 またこのシステムの肝でもある「グラス」部分が視力矯正の機能も併せ持つため、長い歴史を持つ視力矯正器具、所謂眼鏡やコンタクトレンズも同じく姿を消した。

 コンタクトレンズについては「グラス」の役目をやらせる研究は続いているものの、そこまでの小型化が普及可能コストで実現できていない為まだ世に広がっていない。


 その事実は、初期こそ一部の「眼鏡が無ければ生きていけない人(かける側に非ず)」において大問題となったが、普及がここまで進んでしまえば話題に上げる人も絶えて久しい。

 特殊な需要を満たすファッションとして「伊達眼鏡」がしっかり生き残っているあたり、日本に限らず人の業というものは深いものらしい。


 入力に関しては音声入力ですべて可能になっているが、仕事ではキーボードはまだ必須である。オフィスでみなが音声入力している様子を想像するとちょっと笑える。


 ちなみに俺は、家でもキーボード派である。


 ゲームの操作は未だに各種コントローラーを介して行われるものがほとんどで、VR普及初期に流行ったモーション・トレーサー系が主流になることはなかった。

 ゲームの種類によってはそれが主となっているジャンルもあるが、オタク心をくすぐる専用デバイスはいまだ健在。


 とにかく「サードアイ・コネクタ」と呼ばれるこのウェアラブルコンピューターの普及によって、完全没入型コンテンツや、拡張A.現実Rが一気に普及した。

 その中にはあたかも自分が体験しているような臨場感を売りにしたコンテンツも多く存在する。アダルト系もその例に漏れない。


 とはいえあくまでもそれは視覚と聴覚で疑似的に「それっぽく」しているだけであって、五感全てで疑似体験可能な域には届いていない。

 いってみれば通常モニタ時代から存在した、一人称視点のコンテンツに毛が生えたようなものともいえる。個人的にはそれでも十分凄いのではあるが。

 五感全てで架空体験、疑似体験を可能にするのが、いまだ実現に至っていないフルダイブ型VRシステムの目指す境地といえるだろう。


 はやく体験してみたいものである。

 「T.O.T」の世界にフルダイブできるのであれば、自分に出せる限界まで出すものを出す覚悟は完了している。我に購入の用意あり。


 まあもし実現できたとしても、がいないN.P.Cノンプレイヤーキャラクターが、あたかも中の人入りのように振る舞うことが可能になるのはまだまだ先のことだろう。


 それを思うとうっかり早死にはできない。


 まあそんな感じで俺が一番金をかけているハードである「ゲーム専用サードアイ・コネクタ」を装着し、エルゴノミクス・シートに沈み込む。


「外界遮断モード。「T.O.T」をVRモードで起動。『天空城・謁見の間』」


 音声指示に従い、余計な情報が排除され、「T.O.T」の世界へ没入できる準備が整う。

 操作はいつも通り、音声プラス左右のサイドアームに固定されたゲーム専用デバイス。


 まずはVRモードの『謁見の間』で、お気に入りの『我がしもべ()』たちを愛でてからプレイ開始するのが、俺のルーチンである。


 しもべ――必死で集め、育てたキャラクターたちはかなりの精度でイラストの風味を損なうことなく3D化されており、こちらのアクションに対して声付きのリアクションを返してくれたりする。


 ロールプレイとしての我が分身プレイヤー・アバター『黒の王ブレド・シィ・ベネディクティオ・アゲイルオリゼイ』と、『謁見の間』や『しもべ閲覧モード』での俺全開のそれでは、別人格にしか見えないだろう。


 僕たちにA.Iが搭載されていたとしたら、混乱せずにはいられまい。


 感覚はないが触れたりするアクションも可能で、話しかけることができないのが惜しいところである。もしもそれが可能であったら、かなりキモい絵面が現出するのでメーカーの英断かもしれないが。

 

 欲しいキャラが追加されれば、思考停止して出るまで回す――これをプレイヤーに強いるのは、このキャラクターの出来によるところが大きいのは今も昔も変わらない。


 主との謁見シチュエーションである『謁見の間』だけではなく、各キャラクターの技やモーションすべてを、ぼーっと眺められるモードがある以上、欲しいキャラそのものはもとより、人化バージョンや別衣装バージョンすべて入手したくなるのはゲーマーという人種の本能であると言えよう。


 そりゃ定期イベントでしか入手が不可能なキャラがいる以上、イベントも盛り上がるわけである。

 そしてそのキャラの人化バージョンや別衣装を実装すれば、ガチャはガチャガチャ回る。

 

 わかっちゃいるけど降りられない。


 馬鹿と言われようとなんと言われようと、謁見の間で季節衣装を着ているお気に入りキャラを眺めたければ、出るまで回す以外の選択肢はないのだ。


 最近はやれ「オワコン」だなんだと騒ぐ輩も増えてきているが、スピンアウト作品もメディアミックスもまだ隆盛。「オワコン」などと騒がれている内はまだまだ安泰と言えるだろう。


 オワコン呼ばわりする連中の中には、『世界の舞台――Theatrum Orbis Terrarum』というタイトルの略称「T.O.T」を(ToT)と泣き顔表現する輩もいる。


 地味にイラっとくるが、上手いなと思わなくもないので複雑だ。


 ……いつかサービス終了するときは来るんだろうけど、その時は相当寂しい想いをするんだろうな。

 

 まあ現時点ではコンプリートを達成している俺である。

 好きなキャラを好きな衣装で、好きなだけ眺めたり戦場で戦ったりできるので文句はない。

 今までかけた金を計算するような愚かな真似はしないのだ。


 だがそのコンプリート表示も、再来月の巨大イベントまで。

 イベントコンプリートでの獲得キャラや、新たに実装されるキャラがかなりの数いるはずである。


 

 しかしそのための準備はしっかりしている。


 リアル資金は準備した。

 出るまで回す覚悟はとっくにできている。


 ゲーム内資産も資源もアイテムも潤沢、だがまだ積み増す。

 昨日ログアウト時に『世界再起動リ・ブート』は購入済み。


 今日からは最先端時間軸まで、効率プレイで強化月間開始である。





 往くぞ我が一騎当千、つわものたるしもべどもよ!


 我ら『天空城ユビエ・ウィスピール』の総力を挙げて、101度目の世界を蹂躙する! 







 ――なんか今日、立ち上がるの遅くね?

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