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 翌日の時間はあっという間に過ぎた。


 授業中にも教師に隠れてせっせと内職し、放課後になるとニコラは真っ直ぐにアロイスの部屋に向かう。

 ニコラが三人の男を手玉に取っているというとんちんかんな噂は既に男子寮中に広まっているらしいので、もういっそ開き直って、堂々とアロイスの部屋を目指した。


 ジークハルトが火消しのために作り出した、「ニコラの腹違いの姉がアロイス付きの侍女で……」云々という嘘が後々きちんと広がれば、病状が悪化したのを伝えに行った、とでも何でも後から言い逃れはいくらでも出来る。

 ───と、頭の中で言い訳をした。


 さすがに人命がかかっているので、今は後の懸念事項には目を瞑るしかないのだ。


 廊下で他の生徒とすれ違う度に、好奇の視線を向けられることにうんざりしながら、ニコラはムスッとしかめっ面で男子寮内を突き進む。


 アロイスの部屋に到着すれば、どうやらニコラが最後だったらしく、既にアロイス、ジークハルト、エルンストは揃っていた。





「やっぱり改めて言わせほしいんだ。ニコラ嬢も、本当にありがとう」


 アロイスはそう言って、ニコラの手をぎゅうっと握る。

 昨夜は月明かりの下で青白いという印象しか受けなかったが、明るいところで見れば、アロイスの顔色はもはや見事に土気色で、目の下には真っ黒いクマがある。

 元が白磁の肌だからこそ際立つそれらのおかげで、そのやつれようはこの上なく顕著だった。


 美人の翳りには色気があるとはよく聞くが、そんなことはないとニコラは確信した。

 いつも揶揄ってくる様子の方が、腹は立てどもよほど健全で好ましいに決まっている。


 ニコラはもうとっくにアロイスも庇護対象に数えてしまったのだ。意地でも助けるという覚悟を込めて、ニコラはその手を力強く握り返した。




 それから、ニコラはぐるりと部屋を見渡す。

 月光の薄明かりの中で見た昨夜と違い、明るい中で見渡せばまた印象が変わってくるものではあるが、それはそれとして。

 窓際に立つエルンストを目に止めて、ニコラは二人を振り仰いだ。


「もうエルンスト様に事情は話しましたか?」

 アロイスとジークハルトはこくりと頷く。


「真剣は?」

「ここにあるぞ」


 エルンストが壁を示すのでそちらに目をやれば、その三振りは確かに立てかけてあった。

 それは貴族が観賞用に飾るような装飾過多な物ではなく、もっと機能的で、実用的な作りをした剣。

 ニコラは腰に手を当て頷き、不敵に笑んだ。


「それでは、悪夢狩りと行きましょうか」






 昨晩部屋に戻って用意した物の数々を、ニコラはテキパキと寝台横のサイドボードの上に並べていく。

 たとえ夢の主導権を握られていようとも、悪夢のベースは、あくまでもアロイスの意識。

 良くも悪くも、全てはアロイスの認識、もとい思い込みにかかっていた。


『ニコラであれば、夢の中で武器を使えるように出来る、何かしらの術を使うことが出来る』


『ニコラなら、アロイスの夢にジークハルトとエルンストを送り込むことが出来る』


 そう、アロイスが思い込むことが出来るか否か。夢の中に武器を持ち込むことも、ジークハルトとエルンストを夢に引き込むことも、全てはアロイスの認識次第なのだ。


 今回ニコラは夢渡りに関して、術を使うことはない。

 我ながらペテン師じみているなと思わないでもないが、そういう考えはお首にも出さず、ニコラは凛として口八丁を並べるしかなかった。


 神道や密教、陰陽道、はたまた祓魔師の悪魔封じの術エトセトラ、エトセトラ。

 それらは万能の、神様の如き力ではなくて、ニコラには出来ることも出来ないことも当然ある。

 だが、今のアロイスの前では、不思議なことを何でもやってのける、魔法使いでなくてはならなかった。


 サイドボードの上に並べた物の中から、ニコラは赤い糸を掴むと三人の小指に巻き付けて、アロイスを中心にそれを繋げていく。


 〝決して切れない運命の赤い糸〟などというジンクスがこの世界にあるかどうかは知らないが、繋がりを意識させるため、視覚的にも目立つ赤色を選んだ。


「こうして糸で繋いで、三人とも例の蜘蛛を仕込んだ枕で眠ってもらいます。殿下が悪夢に引きずり込まれれば、繋がっているジークハルト様とエルンスト様も、自動的にその夢に招かれることになります」


 ニコラはまるで塾講師が数学の公式を説明するが如く、普遍的なものを説明するように断定的に述べた。


「そして、夢の中に入れたら、その蜘蛛を殺してください」


 少しでも勝ちのビジョンを明確に想起出来るように、またそれが言霊になるように、ニコラはゆっくりと説明し、声に霊力を乗せる。


「悪夢みたいに馬鹿でかい蜘蛛も、足を一本切り落とすだけで、格段にスピードは落ちます。大丈夫。蜘蛛なんて、足を全部切り落としてしまえばただの無様な真ん丸です」


 アロイスは真剣な目でニコラを見つめ、頷いた。


「基本的に、呪いの媒体は被呪者、つまり呪われた人間しか眼中にありません」


 ニコラは昨夜のビスクドールを思い出す。

 懲りずにニコラに鋏を突き立てようと向かって来ては、その背後からあっさりとジークハルトに弾き飛ばされる姿は何とも滑稽なもので、ニコラは昨夜の話も掻い摘んで説明した。


「そんな風に殿下だけを一辺倒に狙い続ける蜘蛛の足を、ノーマークの第三者が片っ端から削ぎ落としていくことはきっと、そう難しいことではないですよね?」


 ジークハルトとエルンストを見据えれば、二人もまたしっかりと頷いた。

 昨日の今日だ。ジークハルトは特に、そのビジョンが鮮明に浮かんでいることだろう。




 ニコラは夜なべして、授業中にも内職して作ったアイテムたちを指差して、自信ありげに笑ってみせる。

「私も外からサポートします。例えばこれ」


 ニコラは寝台の上に並べた大量の薄い人型の木の板を何枚か手に取り、トランプカードのように扇状に翳す。


「身代わりの形代かたしろ、といいます。名前を書くことで、一度限りその人の身代わりになってくれるんですよ。例えば本体が腕に傷を負えば、この板の腕がパキッと割れ、足に傷を負えば足が割れます」

「すごいね」

「これはかなり、ありがたいな」


 アロイスとジークハルトはきらきらと目を輝かせてニコラの手元を覗く。

 形代の原料となる香木は、しがない子爵令嬢からすれば恐ろしく高価なため、余程差し迫った時にしか使わないのだが、今回は大盤振る舞いするしかない。


「眠っている間、形代が割れる度に新しい形代を供給し続けます」

 その代わり、あとでしっかりと請求しようと心に誓って、ニコラはにっこり笑った。


 エルンストはといえば半信半疑という顔でニコラの話を聞いているが、こちらに関してはあまり多くは望むまい。

 むしろ半分は信じていそうなあたり、最初に比べればだいぶ進歩している方だろう。

 

「最後のサポートアイテムは、コレです。その名もドリームキャッチャー。悪夢を絡めとるまじない道具です」


 ニコラが授業中にちまちまと編んだそれは、輪っかの中に糸を張り巡らせて網目状にした、インディアンのまじない道具だった。

 蜘蛛の巣状に張った糸で蜘蛛を絡めとるというのも妙な話だが、悪夢であることには違いない。妨害にはなるだろう。


「これで外からちょこちょこ蜘蛛の邪魔をしてみます。……だから、早々に夢の中で決着をつけて来てくださいね」



 ニコラとしても、いつものようにサクッと祓ってやりたいにも関わらず、アロイスの命は今もなお風前の灯で、彼ら自身に委ねるしかないのだ。

 ニコラに出来ることはと言えば、ペテンじみた口八丁で言いくるめ、サポートアイテムを投げるだけ。

 何だかんだ言って、正直なところ、ニコラは歯痒くて仕方がなかった。


「……だからさっさと、生還してきてくださいよ」


 ニコラは唇を噛んで、口を真一文字に引き結ぶ。

 ジークハルトとアロイスは顔を見合わせてから、くすりと小さく笑うと、それぞれニコラの頭をくしゃりと掻き混ぜた。


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