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「…………手伝って欲しいことがあります」


 ジークハルトの腕の中で赤くなったり気難しい表情になったりと百面相をしていたニコラは、やがて目を泳がせながらモゴモゴと言った。


 それはジークハルトの望む答えではなかったが、ニコラなりの譲歩ではあるのだろう。

 ニコラが襲われかけても、表立っては守ることも出来ないジークハルトに対する、最大限の譲歩。


 基本的に他人を頼ろうとしないニコラが、自ら巻き込み協力を乞う。

 そんな小さなことに歓喜してしまうあたり、惚れた弱みとは恐ろしい。





 とある物を燃やすために、人目につかない場所で、かつ物を燃やしても隠蔽が簡単で、燃え広がりそうにない場所を探していたのだというニコラに、ジークハルトは西塔裏のごみ置き場を提案した。


 ごみ置き場は簡素な煉瓦造りの小屋で、すぐ隣にはごみを燃やすための窯炉もあり、周囲に雑草や植木もなく、何より入口の鍵は生徒会が管理している。

 ニコラは即、ジークハルトの提案を採用した。




 落ち合うのは、草木も眠る午前二時。

 約束の時間に、ジークハルトはフード付きの外套を被り、音を立てずに寮の自室を抜け出した。


 ランタンでも持って歩きたい所だが、さすがに寮監に見つかるリスクを思うと、残念ながらそれも難しい。

 幸い月は煌々と明るいが、建物の陰に入ってしまうと途端に闇が深くなってしまう。

 手探りで建物の壁を伝いながら待ち合わせの場所に辿り着けば、ニコラは既にそこにいた。


「待たせたかい」

「いえ、今着いた所です。外套を被ってきたんですね」

「まぁ、私の髪は目立つからね……」

「それもそうですね」


 ジークハルトの銀髪は闇夜の中では主張が激しく、隠密には向かない。

 対照的にニコラは豊かで癖のない黒髪を隠すことなく夜風に靡かせて、「行きましょう」とジークハルトの手を取り歩き出した。



 しばらくは無言で建物の陰を壁伝いに進む。建物が途切れ木々の間を抜けると、ようやく月の光が注ぐ、校舎へ続くメインストリートに出る。

 ここまで来てしまえば寮舎からの死角に入るため、二人は顔を見合せてほっと一息ついた。


 ニコラは月の下で踊るように、軽やかに石畳の上を歩く。足取りは猫のように軽く、機嫌が良さそうだった。


「秋ってすごく短いでしょう。暑くも寒くもない絶妙な時期の夜に散歩するの、好きなんです。ほら、月だって綺麗」

「そうだね。綺麗な満月だ」

 遮蔽物のない月の下は、ランタンなどまるで必要ない程に明るい。


「ジークハルト様。婚約者、早く決めてしまってください」

 月を見上げながら、ニコラはそんなことを呟く。


「嫌だよ。ニコラ以外嫌だ」

「いつまでもそんなこと、言ってられないでしょう。私も何か方法を考えますから、早く……」


 ニコラは真上にある月から目を外し、深い海色の瞳でジークハルトをまっすぐに射抜いた。

 藍色に月の光が映り込んでゆらゆらと揺らめくので、ジークハルトは目の淵をそっと指の先でなぞる。


「なんて、表情してるの」

「……何てことない表情ですよ」


 指先が涙に濡れることはない。

 だが、潤んでいるように見えるという自身の主観を、ジークハルトは信じたかった。


「そう……。だけど、婚約するのも結婚するのも、私はニコラ以外嫌だよ」

「……意地っ張りめ」


 ニコラはほんの少しだけ困ったように、安堵したように、眉を下げる。

 意地っ張りはどっちだと、ジークハルトは苦笑した。


「選択肢なんて、星の数ほどあるくせに」

「どんなに星があろうとも、私が欲しい月はたった一つだからね。意味がないんだ」

「誰が上手いこと言えと」

「ふふふ」


 それっきり、二人は口を閉ざす。

 この問答は、今まで何度も繰り返されてきたもの。今までずっと平行線だったことが、今日いきなり決着するはずもない。

 お互いにそれが分かっているから、沈黙は息苦しいものではなかった。





 口を閉じてしまえば、清冽な夜風が草木をさわさわと撫でる音、虫の声に意識が向く。

 しばらくそれらに耳を傾けながら歩いていれば、そのうち微かに違和感のある音が混じっているのに気付いて、ジークハルトは足を止めた。

 

 コツコツコツコツ───。

 カラカラカラカラ───。

 

 じっと耳を澄ましていなければ聴き逃してしまうような、足音のようでいて、何かを引きずるような微かな音は、次第にじわじわと音量を増していく。

 それはどうやら、少しずつ近付いて来ているらしかった。


「……ニコラ、何か聞こえるんだけれど」

「おや、お出ましですね」


 ニコラは待ち望んでいたと言わんばかりに、艶然と笑みをたたえて背後を振り向く。

 ジークハルトもまた釣られるようにゆっくりと振り返れば、ソレはいた。



 メインストリートの道幅に対し、不釣り合いなまでに小さいその人影は、これまた背丈に対して不釣り合いな程に大きく無骨な裁ち鋏の刃先をカラカラと引きずりながら、ジークハルトたちの十五メートルほど後方にいた。


「に、人形が、動いて……」


 ソレは、三十センチほどの大きさだろうか。

 埃を被ってくすんではいるが、金の巻き髪は月の光を浴びて鈍く輝き、前髪は可愛らしく眉の上で切り揃えられている。


 瞳だけは長い睫毛に守られたのか、多少輝きは失っているものの青く炯々けいけいと輝く。


 その人形は、自身の背丈ほどの大きな裁ち鋏を背負い、ワインレッドのドレスの裾を揺らしながら、一歩また一歩と、ジークハルトたちに近付いて来ていた。

 月明かりを浴びた顔には不気味な陰影がつき、変わるはずのない微笑が弓なりにうっそりと歪む。


「───ッ!」


 非現実的な光景に喉が引き攣れ、声は音にならなかった。冷たい手で背筋を撫でられたように怖気が走る。

 気付けば辺りは無風になっており、ゾッとするような静寂だけが辺りを包み込んでいた。


「ジークハルト様、ちょっとあの子、破壊か捕獲かしたいんですよ。こんな開けたところで迎え撃つのもあれなので、早々にそのごみ置き場に行きましょう」


 ニコラはそんな、明らかに異常な光景をものともせずに、まるで明日の天気の話題でも振るような軽い口調で、人形を指差した。


「どうしてそんなに冷静なんだい!?」


 普通人形はひとりでに動かないし、嗤わないし、何より凶器を持って近付いては来ない。

 ニコラの反応を見ていると、自分の常識の方が間違っているのかと錯覚しそうになってしまう。


「そりゃまぁあの子、昨日も来ましたから。昨晩相手をしてあげなかったせいで、怒って凶器を持って来ちゃったみたいですね」


 唖然とするジークハルトをよそに、ニコラは「課題が終わらなかったから仕方ないのに……せっかちな」と不満げに口を尖らせる。

 その斜め上に大いにズレた呟きには緊張感の欠片もなく、ジークハルトは一周まわって驚愕やら恐怖が薄れていくのを自覚した。


 強ばった身体からすとんと力が抜けて、苦くはあるものの、笑みさえ浮かんで来てしまう。


 ジークハルトの肩口にも届かない、低い位置にあるニコラの頭を見下ろす。

 見知らぬ男子生徒に囲まれて震えてしまうような、普通の女の子のようでいて、そのくせ誰もが恐れおののくような化け物を前にしても怯えひとつ見せない、ひどくアンバランスな幼馴染。

 思えば、ニコラが隣にいるのだから、恐ろしいことなど何もないのだ。


 ならば、不必要に恐がる必要はどこにもない。

 珍しくニコラから頼ってくれたのだ。ジークハルトは自分に出来ることを十全にこなさなければなるまい。

 ジークハルトは深呼吸をして、意識を切り替えた。


「ニコラ、目的地はあの角を曲がったらすぐだよ。倉庫で迎え撃つんだろう? 走ろう」


 小さいくせに、自分を救ってくれる唯一の手を掴んで走り出す。

 ニコラがへばらないですむスピード配分を見極めて走るのは、ジークハルトの得意なことの一つだった。







           ♢



 もう一度眠れば、さらに倍の大きさとスピード。そうなればもう、確実に追いつかれてしまう。


 それから一睡も出来ずに迎えた翌日、馬車に乗って学院へ戻るたった一瞬、規則的な揺れに一瞬意識が遠のいてしまった時には、もう追い掛けられていた。

 もはや獅子ほどの大きさになってしまった蜘蛛にひたすら逃げ惑うも、結果は目に見えていて。

 腕に走る痛みに目を覚ませば、袖には濡れた布が張り付く不快な感触。裾から零れ滴る液体は赤い。


 夢の中で得た傷は現実にも反映されるのだとようやく理解して、這い寄る死の予感にカチカチと歯が鳴る音が唇の隙間からこぼれる。


 胃から何かが込み上げてきたが、気管がぐっと塞がって、ただせるだけで終わってしまった。







***


ニコラの「月が綺麗ですね」は、果たして意識的なのか無意識なのか、、、?

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