6
ニコラとジークハルトは中央の階段を素通りし、一階の片奥へと進んで行く。
ニコラは残念ながら、失せ物探しの類の術がそれほど得意ではない。そのため、ざっくりとした方角までしか分からないのだ。
一階片奥の突き当たりに辿り着くも、残念ながらアロイスの姿は無かった。
「一階じゃないなら上ですかね……あんまりうろちょろしてないといいんですけど」
幸い玄関ホールの中央階段まで戻らずとも、一階突き当たりにも階段があったため、そこから登る。
中央階段より質素な分、その階段は木の腐蝕も激しいようで、ぎぃこぎぃこと今にも踏み抜いてしまいそうな音が鳴る。
本当に気を抜けばバキャッといってしまいそうな階段だった。
流石に二人同時に登る勇気はないため、一人ずつそろりそろりと上がって行く。
金目の物は全て、元の持ち主かはたまた盗人かに持ち出されているのだろう。
日焼けの跡からそこにあったと分かる踊り場の花瓶も、壁に掛かっていたであろう絵画も忽然と無くなっている。
何とか二人揃って二階の床を踏み締め、ほっと一息ついた瞬間に「あーーーーーー!」と半泣きの声が耳に突き刺さった。
ニコラは耳を塞ぐことよりも優先して、荷物を大きく振りかぶり、声の元にぶん投げる。
「ジーク! ニコぐぇっ! え? えっ?……何で?」
そう距離も離れていなかったため、荷物はアロイスにクリティカルヒットしたらしい。
転がって目を白黒させて困惑するアロイスに、ニコラはツカツカと歩み寄りしゃがみ込む。
「こんな、ところで、不用意に、名前、呼ばない。復唱」
区切る毎にしぴしぴと指でアロイスの額を突く。
「ゴメンナサイ……こんな所で不用意に名前を呼びません」
「よろしい。ここではニーカと呼んでください、アロー様」
「分かったよ」
「念の為聞きますが、この空間の物を飲み食いしたりはしていませんね?」
「異界の物を食べてはいけない、だっけ? 大丈夫、してないよ。そもそもここ、食べられそうな物もないだろう?」
ニコラは立ち上がり、ふんと仁王立ちになる。ジークハルトが手を貸して、アロイスも立ち上がった。
アロイスは恐る恐るジークハルトを見る。
「というか君、ジークで合ってる? ニーカ嬢と一緒にいるし銀髪だし咄嗟にジークって叫んでしまったけど……」
「合ってるよ」
「独特なお面……だね……?」
「あぁ、これかい? ここには神様がいるから、私は顔を隠した方がいいんだって」
「そ、そう……」
それを聞いたアロイスがちらりとニコラの顔を窺うので、ニコラは肩を竦める。
「最初から着けていないと多分意味がありませんけど、アロー様も着けますか?」
一応予備は作っているため、先程ぶん投げた荷物を指差せば、アロイスはぶんぶんと頭を振った。
そんなに着けたくないものだろうか。
見慣れてしまえば案外愛嬌があるのにと、ニコラは少しだけ口を尖らせる。
「それにしても、本当にすぐ追いかけて来てくれたんだね。二人ともありがとう」
怯えるように肩を縮こまらせて、辺りを窺いながら礼を言うアロイスに、ジークハルトは驚いたように目を瞠る。
「すぐに? 君が行方不明になってから、少なくとも丸一日は経過しているんだけれど……」
「!」
アロイスは碧眼をこれでもかという程に見開いた。
「冗談だろう……? 僕はまだこの廃墟に入ってせいぜい一時間くらいしか、」
ニコラとジークハルトは神妙な顔で揃って首を振る。
「こういう異空間は、過去であり、未来であり、現在でもあります。この空間で三日過ごしても、現実世界では一秒も進んでいなかったり、その逆も然り。神様や妖精に関わると、往々にしてこういうことが起こります」
ニコラは肩を竦める。
「だとすると、まさか我儘リュカとその取り巻きたちも行方不明になっているのかい!?」
らしくもなく血相を変えるアロイスには、ジークハルトが
隣国の王子とその取り巻きが昨日無事に学院に帰り着いたと聞き胸を撫で下ろしている様子を見るに、本当に王族として公務をきちんと果たそうとする気概はあるらしい。
普段ニコラにちょっかいをかけては楽しんでいる翩々たる姿からは想像がつかず、それがどうにも意外だった。
しかし、だからこそ今回ばかりはアロイスに非はないと認めるしかないのだろう。
外交問題を回避しようとして巻き込まれたのならば、それはもう仕方がない。
『興味本位で首を突っ込むのなら見捨てる』それは裏を返せば、そうでないならば助けると言うことと同義だ。
アロイスを庇護対象に加えてしまった以上、守り切らねばニコラのプライドが廃る。
ニコラはやれやれとため息を吐いた。
何はともあれ、探し人は見つかった。次は神様に会いに行かなければ。
ニコラは二人を促して再び歩き出す。
またはぐれられては敵わないと、二人の手を握って、ニコラを真ん中にした横一列で進む。
アロイスは二人と再会出来た安堵感からか何なのか、いつもより饒舌に喋った。
「ねぇ、ニーカ嬢。元々ここに来ようとしていたのはリュカなのに、どうしてリュカとその取り巻き達は無事に帰れて、僕だけ帰れなくなったんだい?」
「さぁ。顔が綺麗だからじゃないですか」
「馬鹿リュカだって、エキゾチックだけど顔立ちは整っているよ? 彼も顔だけは良いんだ。顔だけは、ね」
隣国の王子が絡むと、アロイスの言葉の端々に棘が覗く。余程振り回されているらしい。
「じゃあ、アロー様の顔面の方が神様の好みだったとか」
ニコラがそう言えば、途端にアロイスは胡乱げな目を向けてくる。
「そんな適当なことある?」
「それが本当だったら、随分と理不尽だね」
反対隣のジークハルトも苦笑するが、ニコラは手を繋いだまま器用に肩を竦めた。
「何言ってるんですか、神様なんて大概理不尽なものですよ」
ニコラはアロイスとジークハルトの顔を交互に見上げる。
「いいですか。神様が成すことは全てが善なんです。その結果人間に迷惑や不利益が振りかかろうとも、神が善悪を決めるんですから関係ありません。神というのは、理不尽で無慈悲なことをするからこそ神であって、信仰の対象になる。……だから彼らは厄介なんですよ。可能なことなら無縁でいたい」
ニコラは苦々しく吐き捨てた。
多神教の始まりは共通して、人智の及ばない理不尽で強大な自然の脅威に対する祈りだ。
例えば、大雨が降り土砂崩れが起こり、人に禍がおこるとする。だが自然を神と考える人間たちはそれを「神の怒りだから」と考える。想うことは像を結ぶ。
神様の成り立ちがそんな風だからこそ、彼らの性質が理不尽なことに関しては折り紙つき。
伊達に『関わりたくない仕事ランキング』二位を張っていないのだ。
「とまぁ、顔が好みというのは冗談として。実際のところは、人ならざるモノと関わったことが有るか無いか、あたりじゃないですかね」
本当にアロイスの顔が気に入って神隠しをしたのなら、凡庸なニコラや顔を隠しているジークハルトもここに招かれることはなかったはずだ。
では今ここにいる、性別も身分もまるでバラバラな三人の共通点はといえば何か。
それは、人ならざるモノが存在するということを知っていることだった。
知れば知るほどアレらは近くなる上、干渉されやすくなるのだから、妥当な仮説だろう。
二階の床は一階よりも心許なく、一歩一歩進むごとにギィギィと耳障りな音が鳴る。
三階は無く、見上げた天井には雨漏りの跡が無数にある。湿気の影響からか、壁も腐蝕が激しい。二階の状態は一階より更に悪かった。
カビ臭さが一層強まって、ニコラは眉をひそめる。
「ここ、ウィステリア好きの伯爵の邸宅だったらしいよ。借金がかさんで夜逃げしたみたいだね」
アロイスはニコラ達と合流するまでに調べて回ったことを話す。
一般に、洋館の作りは一階が他人の出入りする社交の場で、二階が住人のプライベート空間だ。二階の書斎などには日記や帳簿などがそのまま残されていたらしい。
「というか、ウィステリアって手入れしないとこんなに生い茂るものなんだね、吃驚したよ」
アロイスは尚も饒舌に喋り続ける。
その脈絡のなさに、何だかいつもと様子が違うなとジークハルトと顔を見合せた時だった。
通り過ぎて来た二、三メートル後方で、バキッと一際大きく家鳴りが鳴る。
「うわぁぁぁあぁああ!」
アロイスの間抜けなビビり声に、ニコラは普段の意趣返しに
「え、ちょ、わっ!」
「アロー!?」
アロイスがニコラの手を掴んだまま全力で走り出したのだ。
ニコラは同年代の同性と比べても非常に小柄で、当然ながらアロイスより足も遥かに短い。
その上、ニコラは前世も今世も、壊滅的に運動が苦手だった。いわゆる運動音痴というやつである。
そんなニコラが足のコンパスからして違うアロイスの全力疾走に引っ張られればどうなるか。答えは明白だった。
ぐん、身体に負荷がかかる感覚に悲鳴を上げる暇もなく、当然ながら、物音はただの老朽化だと
つられて必死に足を動かそうとするが空回るばかりで、半ば引き摺られるように二階を駆け抜け、中央階段を転がるように駆け下りる。
「アロー、ストップストップ!このままじゃニコラが死んでしまうから!」
途中から見兼ねてニコラの背を支えていたジークハルトは、片手をニコラの背に添えたままニコラを追い越して、アロイスの腕を掴んで止める。
途端に足がもつれて転倒しそうになった所を、ジークハルトがひょいと支え直して何とか事なきを得た。
しかしニコラは完全に息が上がってしまって呼吸も文句もままならない。
「アロー、駄目だよ。ニコラは運動だけは壊滅的に出来ないんだ。こんな風に走らせたらすぐに死んでしまうよ」
失礼な言い草だとは思うが、運動が本当に出来ないというのは自他ともに認めるところだった。
反論したくても出来ず、しようとしたとしても喋れる段階には程遠い。
ニコラは激しく肩を上下させながら、息を整えるのに精一杯だった。
ジークハルトに窘められてようやく少し冷静になったらしいアロイスは、慌ててニコラを覗き込んで謝る。
「ニーカ嬢、本当にごめん! え、でも待って、たったこれだけの距離を走っただけでこうなるのかい? 体力無さすぎない……?」
アロイスは信じられない物でも見るように、たった今降りてきた階段と二階を見上げ、もう一度ニコラを見る。その様子がどうしようもなく癇に障って、全力で睨めつけた。
確かに走ったトータルの距離は二十数メートル程で、アロイスもジークハルトも、ほとんど全くといっていいほど息は上がっていない。
ニコラが運動音痴なことは確かだが、悔しさと腹立ち紛れに渾身の力でアロイスの足を踏んづけた。
それからニコラはたっぷり五分ほどかけて呼吸を落ち着かせ、そして唸る。
「……だいたい、どうしてそんなにビビり散らかして、るんですか。ここには何も居ないことくらい、ひと目で分かる、でしょうに」
「えっ?」
アロイスは目を見開く。
ニコラもまた、何故アロイスが驚くのかが分からずに困惑した。
アロイスの目は、ほとんどニコラと同程度に視えているはずなのに、何を驚くことがあるというのか。
「こんなに禍々しいのに……!? 何も居ないのかい? 本当に……?」
「あぁ……なるほど」
ニコラは片手で顔を覆って天を仰ぐ。
アロイスはジークハルトとはまた違った観点から恐怖心を煽られていたらしい。
確かに、ニコラをして近付きたくないと思わしめた以前の強烈な瘴気は薄く、今は残滓として漂うばかり。
ニコラからすれば、比較対象が数年前のとんでもない禍々しさであったため、残滓のようなその瘴気を前に、本体はもうここには居ないのだと判断していた。
だが、以前の状態を知らなければ、この瘴気の
そのくせ目に映るのは何も居ないがらんどうの風景なのだから、逆に気味悪くもなるかと、ニコラは肺の中の空気を全部出し切る勢いでため息をついた。
「今ここには、神様の他には本当に何も居ませんったら。この禍々しさは残りカスみたいなものですから、大丈夫です」
そう言って、もう一度ジークハルトとアロイスの手を取る。
「さぁ、あとは神様にご挨拶に行くだけです。早く終わらせて帰りましょう」
向かう先は先程とは反対側の、一階最奥。
この薄汚い廃墟の中で、弱々しくも清浄な気を放つ
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