さあ、らんちゃん


「杉浦ランさーん、中待合でお待ちくださーい」

「はーい」


 コヤケがマサシ達と邂逅したその頃。ランは予約した産婦人科内にて名前を呼ばれて立ち上がり、診察室の前の中待合を目指していた。何度かお世話になった場所でもあり、ランもある程度気心の知れた場所である。

 何やら思いつめたような表情の女性を後目に彼女はさっさと歩いていき、中待合の椅子に座り込んだ。


 いつの間にかお腹はかなり重たくなっており、歩くだけでも一苦労であった。


「ったく、なんだってのよ。せっかくのコヤケとのラブラブ生活だってのに、こんなことになるなんて」


 腰を下ろしたランはタブレットを取り出し、先ほどまで行っていた作業の続きを始める。それは最後に援助交際をした相手の洗い出しであった。

 あのレイを事故に見せかけて殺したくらいからぱったりと援助交際を止めてしまった彼女。そうなるとそれ以前で相手をしていた誰かの種が、自分にヒットしてしまったということになるのだが。


「全然連絡つかないじゃない。もう辞められたのかしら?」


 その頃に連絡を取っていた複数の男性、中には警察が調べていたあのタカちゃんもいたが、全く連絡がつかない状態であった。用心していたランは常連の男性であろうと、出会い系サイト上でのみやり取りをしていた。一種の自己防衛の為であったが、逆に言えばサイトを止められてさえしまえば全く連絡が取れないことになってしまう。

 事実。今まで連絡を取っていた可能性のありそうな男性にメッセージを送ってみても、全く返事がこない状況であった。


 こういった出会い系サイトを利用している男性は、他のサイトにも手を出していることが多い筈と、他に登録をして似たようなプロフィールの男性がいないか探してみたが、それもまた空振りであった。

 少しの間奮闘していたランだったが、やがてもうこれ以上は見込めないと思い、タブレットをポケットへとしまう。


「あーあ、これじゃ慰謝料も何も取れないじゃないの。全部自腹かぁ」


 ため息をついたラン。自分のお腹をこうした犯人がいない訳がないのだが、それを探そうとするとかなりの時間と手間、そして金がかかってしまうだろう。あまり時間をかけるといくら鈍いコヤケと言えども把握されてしまう可能性もある。

 そうなると下手に探し回るよりは、ここは泣き寝入りしてしまった方が早い。いくらかは払わなければならないが、コヤケとの日々を守れるのなら仕方のない支出だ、とランは諦めることにした。


 とはいえ、唐突に身銭を切ることになってしまった現状については、不満以外の何物でもない。自分で蒔いた種とはいえ、何もこのタイミングで出てこなくても良いではないかと、もう一度ランは大きくため息をついた。


「杉浦さん、中へどうぞ」

「はーい」


 その時に中から呼ばれ、ランは診察室の中に入った。診察室の中は白を基調とした部屋模様で、資料等が乱雑に置かれた机や椅子、カーテンが天井からぶら下がっているベッドがある。

 部屋の奥も続いていて、注射やその他の医療器材等が置いてある机や、また他の診察室にも通じているのだろう通路もあった。おおよそ病院にかかった時に見たことのある風景だ。


 病院の診察室は同じ内装にしろっていう法律でもあるのか、とランが思っていると、中にいた馴染みの医者のおじさんの顔が「こんにちは」と声を出した。ニコニコと柔らかい笑みを浮かべている白髪交じりの短髪の彼は、ランの顔を見ると目の前の丸椅子に座るように促してくる。


「お久しぶりです杉浦さん。いきなりお小言になってしまって申し訳ないのですが、できればもう少し来ていただきたかったですね」

「そんなのあたしだって知らないわよ。いきなりこうなったんだから」


 問診をしつつ、事の経緯を説明したランだったが、医者の彼は唸るばかりであった。


「だから、ホントにいきなりこうなったんだって。あたしだってビックリしてんの。さっさとおろしてよ」

「お話は解りました。とにかく、一度エコーで見てみましょうか。お子さんの状態がどんな感じか見ないと、今後どうするかも決められませんからね」


 女性看護士が超音波診断装置、通称エコーを持ってきている間に、ランはベッドに仰向けに寝転んだ。そうして服をめくりあげると、医者が彼女のお腹にエコーゼリーと呼ばれるジェル状のものを塗っていく。


「最近のエコーは凄いですよ。フルカラーで見えますし、角度が良ければはっきりとお子さんの顔が見える時もありますから。印刷もスムーズにできますし、技術の進歩に感謝ですな」


 どうも最新機器を購入したらしく、使うのを楽しみにしていたといった様子がランからは見て取れた。嬉しいのは構わないが、さっさとやることをやってくれないか、と彼女は内心では冷めていたのだが。


「では、順番に見ていきますね。大きく息を吸って、吐いて」


 やがて準備が終わったのか、医者が本体にコードが繋がっているバーコードリーダーのような検査装置を手に取ってランのお腹に当てた。この部分から超音波が発せられ、その音波の反射によってランのお腹の中を解析し、画像という視覚情報に変換される仕組みだ。その結果は、装置の本体にあるモニターに映される。

 促されるままに深呼吸したランのお腹に接した検査装置が、その超音波によって彼女のお腹の中を覗きにいった結果。


「う、うわぁぁぁあああああああああああああああああああッ!!!」

「きゃぁぁぁあああああああああああああああああああああッ!!!」

「ッ!?」


 モニターを見ていた医者と隣にいた看護士が、突如として叫び出した。いきなり叫ばれると思っていなかったランは、思わずその身を震わせて上半身だけで起き上がる。

 彼らは慌てて立ち上がると、そのままあたふたとしながら診察室の裏へと二人して逃げ込んでいく。コードに繋がれた検査装置がブラブラと宙を揺蕩う中、ランは唖然とした表情でそれを見送るしかできなかった。


「な、なんなのよ、一体」


 ただ事ではなかった彼らの叫び。そしてそれが自分のお腹にエコーの検査装置を当てたことが原因だということも、ランにはなんとなく解っていた。つまり彼らはランのお腹の中を見て飛び上がり、逃げ出したのだ。

 しかし、一体何故そのようなことになったのか。その理由が彼女には解らない。解らないなら、自分で見るしかない。恐る恐る、ランは空中を揺蕩っていた検査装置を手に取った。


 その手は震えている。これを自分のお腹に当てた瞬間、激しい後悔に苛まれることを、彼女の直観が警告していた。見るな、止めろ。内側で理性が叫んでいる。

 だが、彼女は手を止めなかった。結局見ないことにしても、このお腹はずっと自分で抱えていかなければならないものだ。知ろうが知るまいが、離れることはどの道不可能。ならばせめて、この正体を知っておこう。医者ですら逃げ出したその理由を、と。


 恐る恐る、彼女は検査装置をお腹へと向けていく。冷たい何かが彼女の背中を伝い、無意識に背筋が伸びていた。

 やがて検査装置の先が、ジェルを塗られた彼女のお腹にくっついた。つるつるした冷たい感触がお腹に広がり、しっかりと密着していることを肌で感じる。


 後はその結果だ。ランはゆっくりと顔を上げ、空いている方の手でエコーの本体の向きを変え、上にあったモニターに目をやった。検査結果が画像として出力されている、その画面に。


「あっ……あっ……」


 その瞬間、ランは自分で見たものが信じられなかった。拒否したい、否定したい。ただの見間違えだ、そんなことあるものか、と鼻で笑い飛ばしたい気持ちが沸き上がってきたが、ずっと目に入ってくる光景は、彼女の一抹の望みを木っ端微塵に打ち砕くものであった。

 モニターに映し出されたのは、紛れもない事実。そして画面に映っているものが、自分のお腹の中にいるのだという、現実。


 同時に診察室内の虚空から、大量の人形がランに向かって降り注いできた。彼女の視界を埋め尽くす、人形、人形、人形、人形。有名なお着換え人形から、何処かの会社のマスコットキャラクターまで、パッと見て一つとして同じ人形がない、その光景。

 そして全ての人形の一部が焼け焦げていた。まるで彼女がしでかしたことを、見せつけてくるかのように。


「い、い……いやぁぁぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」


 ランは半狂乱になりながら機材をなぎ倒し、人形を蹴散らして逃げ出した。めくれ上がったままの重たいお腹をそのままに、扉すら破壊しそうな勢いでただただ走り去った。見てしまった光景を頭から振り切る為に。

 しかしその光景は、まるで彼女の頭の中に焼き付いてしまったかのように離れなかった。それが嫌で、嫌で、どうしようもなくて、ランは走った。


 待合にいる他の患者にぶつかっても、履いてきた靴すらも放って裸足のままでも、彼女は産婦人科から飛び出した。なりふり構わずに、逃げ出した。


 ――くすくす。


 誰もいなくなった診察室にて、やがて一つの機械が動き始める。それは印刷機の音であった。ランがエコーの装置本体をなぎ倒した弾みで印刷ボタンが押され、その時の画像のデータがインターネット回線を通して印刷機に飛んでいたからだ。

 やがて内部のローラーが回り始め、セットされたA4サイズの用紙に送られてきたデータが、色付けされながら紙へと転写されていく。そうして全てのデータを印刷し終わったA4サイズの紙が一枚、吐き出された。


 ――くすくす。いままでいっぱいあたしのせいにしてきたもんね。


 用紙に印刷されていたのは、人形だった。しかも二体。片方はピンク色の毛糸の髪の毛を真ん中で分けており、黒くて丸い目。つり気味の眉毛に逆三角の鼻。口を開けてニッコリと笑った顔をしている。服装は色とりどりのお花が散りばめられた白いワンピースに、赤と白の縞々の靴下、黒い靴を履いている。

 しかしその姿はボロボロであり、腕は千切れ、左腕だけが辛うじて糸でつながっている状態。身体中が破れ、焼けこげ、黒ずんだ中の綿が飛び出している人形。


 ランの両親の形見であり、そして全ての責任をおっ被せられて燃やされたあの人形、あーちゃんだ。


 ――くすくす。つぎはらんちゃんのばんだよ。このこたちがうまれたいっていってるの。


 もう片方。陶器製のビスクドール人形だが、目は入っておらず髪の毛も痛み放題。服もなく裸の状態だったが、身体の至る所にヒビが入っており、内側から出たと思われる何らかの黒い液体が流れ出た痕として残っている。何も入っていない目の部分も同様で、黒い涙を流したかのよう。

 こちらもあーちゃんと同じく全身が炎で焙られたことによって黒ずんでおり、左の脇腹に至ってはぽっかりと穴が空いてなくなってしまっていた。


 ――くすくす。このこのおかあさんも、いっぱいおこってるの。それにあたしもうまれてみたいなぁ。だから、


 人形が二体、ランの子宮の中に詰まっている。彼らは向かい合って並んでいるのに、首だけが正面を向く形で印刷されていた。

 まるで彼らが意志を持って、エコーの方を向いたかのように。加えてその口元を、生きた人間であるかのように醜く歪めていた。その口元は、こう言わんとしているかのような表情だった。


 ――ちゃんとあたしたちをうんでね。あははははははははははははっ!!!


 彼女のその声に呼応するかのように。部屋中の人形の全てが、醜く顔を歪めて……笑った。

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