つれていかれちゃったわ
実家に帰ってきたわたしは、お母さんによってご飯を強制され、たくさん食べさせられた。
「まずはお腹いっぱいにならないと元気にならないよッ! 嫌なんて言わせないからね? もし食べなかったら、そのあーちゃんとやらを渡してもらうわよ」
と、脅しのような言葉ももらっていたので、わたしは必死になってお母さんのご飯を食べた。味噌に漬け込まれた鶏肉を、鉄板の上でキャベツやニンジン、キノコなんかと一緒に炒めた郷土料理。お肉と野菜を一緒に食べられる、お母さんの得意料理だ。味噌の甘辛い味と若干のおこげが良いアクセントになって、ご飯が進む。美味しかった。
一通り食べ終わったわたしは、お母さんが片づけてくれている中であーちゃんを抱いて一休みしていると、段々元気が出てきていた。今まであーちゃんの食べ残しを少しもらってただけだったから。
「コヤケ、そろそろお風呂に入りなさい」
「うん」
「その人形も連れてくの?」
「うん」
「……そう」
お母さんにそう返すと、わたしはあーちゃんを連れてお風呂場へと向かった。マンションのとは違って浴槽が広く、足が伸ばせるからあーちゃんもゆっくりできるに違いない。
ずっとあーちゃんを抱えているわたしに対してお父さんとお母さんはあまり良い顔をしていなかったけど、あーちゃんに触らないという約束はちゃんと守ってくれている。
「今日は広いお風呂だから、きっとあーちゃんもゆっくりできるよ? 大丈夫、心配しないで。ここもわたしの家だから」
脱衣場で服を脱ぎながら、わたしはあーちゃんに向かって喋りかけていた。彼女は相変わらず、笑顔のままでわたしを見ている。その無機質な瞳の奥で何を思っているのかは解らないけど、少なくとも今のところ、あーちゃんは暴れたりはしていなかった。
そのまま一糸まとわぬ姿になったわたしは、あーちゃんを抱いてお風呂場へと入っていく。中はわたしが大学に行っちゃう前と、何も変わっていなかった。いつもの場所にいつものシャンプーや石鹸、洗顔料なんかが置いてある。
あっ、でもお父さんの髭剃りは新しくなってるな。小さな変化を感じつつ、わたしは頭と身体を洗った。久しぶりに洗った自分の長い髪の毛はグシャグシャだったので、二回もシャンプーする羽目になった。
なんとか洗い終え、濡れた髪の毛をタオルで巻いて頭の上でまとめたわたしは、あーちゃんを傍に置いて湯舟に浸かる。
「ふー。そうだ。あーちゃんにわたしの地元のこと、お話してあげる」
いつもはあーちゃんを綺麗にしてすぐにお風呂を終わってたので、この子とこうして一緒にゆっくりするのは初めてだった。いきなり連れてこられてびっくりしてると思うし、ちゃんとお話してあげないと。
わたしが生まれ育った地元は、大学のある街からは結構離れてて。車だと三時間以上はかかっちゃう場所にある。海に面した大学に対して内陸で、周囲を山に囲まれている、そんな場所。
盆地であるが故に、夏である今はとても暑い。でも日が暮れると山の方から風が降りてきて、一気に涼しくなるという面白い気候だ。またこの町は雪国でもある。
冬になると雪がどっさり降るから、12月25日は毎年ホワイトクリスマスだったし。幼い頃から朝学校に行く前には、お父さんと一緒に家の前の雪かきなんかをしていた。わたしはへっぽこだったから、結局お父さんがほとんどやっちゃうんだけどね。
そして田舎ながらに伝統的なお祭りや各種の昔ながらの建物、街並みの保存状態が良かったお陰で、今は観光地として成り立っている。食べ物だと牛肉も有名で、わたしみたいな地元民は給食にも使われていたので食べ慣れているんだけど。観光地になってからちょっと値上がりした気がしている。
「ランちゃんとよく行ってたあのカレー屋さん、まだやってるかな? 良かったら明日、あーちゃんも一緒に行かない? ちょっと辛くて量は多いんだけど、野菜がゴロっと入ってて美味しいんだよー」
「コヤケ、いつまで入ってるの? お父さん待ちくたびれてるわよ」
あーちゃんに地元のことに加えて、昔の思い出話なんかを語っていたら、いつの間にか長湯しちゃってたみたいだ。そう言えば、ちょっと頭がボーっとする。
何とか湯舟から出たわたしは頭のタオルを外し、少し冷たい温度にしたシャワーをかぶった。またタオルで拭いて巻きなおさなきゃいけないけど、流石にクラクラしたままでいると危ないし。ちょっと冷っとする水を被っていると、頭が段々と冴えてきた。
「うん、もう出るよ」
そしてバスタオルで身体を拭いたわたしは、そのままあーちゃんも綺麗にしてあげる。これだけだと中に水が残っているかもしれないから、後で乾かしてあげないとね。あっ、セミの足がついてた。取ってあげないと。
「うん、綺麗になった。出よっか、あーちゃん」
ご飯もそうだったけど、こんなにゆっくりお風呂に入ったのも久しぶりだった。まるで身体にまとわりついていた薄皮が取れちゃったみたいで、すごくさっぱりした気分だ。
お風呂場を後にしたわたしは、お母さんが用意してくれていた寝間着に着替える。懐かしいなあ、この小さいクマがいっぱいプラントされてる寝間着。高校の時はずっとこれで寝てたんだっけ。大学に行くからって新しいの買ったけど、これはこれで好きだったんだよね。
そんな感傷に浸りながら、わたしはドライヤーを取り出していた。あーちゃんを乾かして、その後は自分の髪の毛だ。さっぱりしたら一緒に寝ようね、あーちゃん。ベッドでさっきのお話の続き、してあげる。
・
・
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「やっぱり無理やりにでも取り上げた方が良いだろう」
「でもあの子、全然あの人形を離さないのよ?」
コヤケが寝静まった深夜。彼女の父親である間藤トシヒロと母親であるミカコは、居間で静かに話し合っていた。話題はもちろん、変な人形を後生大事に抱えている一人娘のことである。
「ランちゃんの話じゃ、あの人形が来てから家の物が飛び回ったり、セミの死骸が急に現れたりしたんだろう? しかもそれを見てもらおうとしていた霊媒師の人が、事故で亡くなったなんて」
「そりゃ私だって、そんな気味の悪い人形なんか早く捨てちゃいたいわ。でも下手なことすると、コヤケがその霊媒師みたいなことに」
彼らはランから事情を一通り聞いていた。あのコヤケがあーちゃんと呼んでいる人形が来てからの、彼女の身に起こったことについても。
「そんなことは絶対にさせん。コヤケは私達の大切な娘だ。あんな人形なんかの好きにはさせるか」
そのような事情を聞きつつも、トシヒロは力強くそう言った。大切に育ててきた一人娘の身に、危機が迫っている。父親としてそんな状況を見過ごす訳にはいかない。彼の力強さを見て、ミカコが感心したかのような声を上げていた。
「それに、人形にも供養の仕方があるんだろう?」
「ええ。ランちゃんから聞いたんだけど、ほら、お寺でお焚き上げってあるじゃない。ちょうどチラシも入ってたんだけど」
ミカコが案内チラシを取り出しつつ話したのは、お寺で行われる人形供養であった。役目を終えたお人形の供養し、魂抜きをした後にお焚き上げ。つまりは焼却処分をしてしまうというものだ。
そこまで高くない一定の料金を納めることで、人形の種類や材質に関わらず、どのような人形でも供養をしてくれる、とチラシには記載されている。
「お寺の人たちなら人形の供養にも慣れてるし、ちゃんと処分してくれる筈だと思うわ」
「なるほど、お寺でしてくれるのか。あとはその後に、お祓いなんかもしておいた方が良いかもしれんな。知り合いの神主さんにも連絡してみよう」
「お願いね。コヤケ、私達が約束を破ったら、怒るわよね」
事の段取りを考えていた矢先に、ミカコがそう口にした。彼らは、コヤケから無断で人形を取り上げることを考えていた。
あれほどにあのあーちゃんに執着しているコヤケにお願いしたところで、人形を燃やすなんていうことを承諾したりはしないだろう。場合によっては、暴れ出すかもしれない。
そうなると、彼女に気づかれないままに事を済ませてしまい。後で彼女にフォローを入れる方がまだ現実的だ。手遅れにしてからであれば、彼女も下手なこともできないであろうから。
だからこそ、絶対に触らないと約束したあーちゃんを掠め取る必要がある。それが例え、彼女との約束を破ることになったとしても。
「だろうな。場合によっては、幻滅されるかもしれん。だがそれでも、娘は守らなきゃならん。例え嫌われたとしても、結果的にコヤケが無事なら、それで」
「そう、よね。あの子の命には、代えられないわよね」
「そうだ。そしてコヤケを信じよう。あの子なら、きっと解ってくれるさ」
「うん。私たちの子、だからね」
トシヒロとミカコはそう頷き合う。コヤケの為に、コヤケを裏切る。二人はその覚悟を決めた。
「ランちゃんも、ずっとウチの子に良くしてくれてるし。それにあのユウヤくん。いつの間にあんな彼氏まで作ってたのかしら。あの子に男の子なんて、考えもしなかったわ。ふふふ」
やがて彼女が話題に出したのか、コヤケを連れ出す時に一緒にいた、ユウヤのことであった。色恋沙汰に縁のなかったコヤケだったが、遂に時が来たのか、とミカコは微笑んでいる。
「…………」
対して、トシヒロは難しい顔をしていた。まだ彼の中では、娘にボーイフレンドができたという状況を上手く呑み込めていない部分がある。未だにユウヤに対して、どのような顔で接したら良いのかが解らなかった。
「んもう、あの子もいつもまでも子どもじゃないんだから。そんな顔しないでちょうだい」
「その話は、また後だ。兎に角、今はコヤケの身の安全だ」
これ以上その話はしたくない、という様子がアリアリと見て取れるトシヒロに対して、ミカコはやれやれといった調子で笑った。
しかし確かに、まずはコヤケのことが先である。今後どういう流れで進めようかと、二人はその後も具体的な話を詰めていった。そうして彼らが行動に出たのは、本当にすぐ後のことであった。
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