第5話 斧の戦士と天使の日常

 トレノの剣が今にもジェリドの太い首を捉えようとしたその時、ジェリドは重い戦斧を軽々と引き寄せた。


 全力を載せたトレノのエストック、今度ばかりは戦斧と交錯する。


 細いエストックは折れるのかと思いきや、少し刃こぼれこそしたものの、しなってその難を逃れる。


「くっ!」


 思わず舌打ちして、後方に下がるトレノ。


(まさか、あの戦斧をこうも軽々とっ!)


 トレノが思う間も与えずに、ジェリドは彼の頭上目掛けて戦斧を叩き込んだ。


 紙一重でそれをかわすトレノ。戦斧は地面を砕き、土や石ころが爆発した様に弾け飛ぶ。


 けれどそこにはもう戦斧の姿がない。既に戦斧を振り上げたジェリドは、二、三射目と矢継ぎ早に振り下ろす。


 身軽さを大いに生かしたトレノは、当たる事こそなかったが、鈍重であると思われた斧を、こうも易々と間髪入れずに叩き込まれるとは想像していなかった。


 叩き潰される虫とは、この様な気分なのかと歯痒はがゆく思うトレノである。


 足元の地面は次々に叩き割られ、粉砕されてゆく。これでは足場が劣悪過ぎて、足を使って優位を取ろうとするトレノにとっては、やりにくくて仕方がない。


 止む無く戦斧の攻撃範囲の2倍以上の距離に、後退を余儀なくされた。


 連撃を止めると中段の辺りに構えたジェリドは、若い剣士に破顔しながらこう言ってのける。


「いやあ、すまんな。斧というのは剣と違って節操がなくてな。王に腹を立てて騎士を辞めたなどと言ったが、実の所、剣と駆け引きは苦手なのだ」


 ガハハハッと笑うジェリド。命のやり取りをしている最中において不謹慎に思えたが、即時に切れ味抜群の真剣であるかのような顔つきに戻る。


(何が駆け引きが苦手なものか。奴は俺の剣との間合いで戦う不利を理解して、自分の得意な土俵に無理矢理連れ出したのだ)


 豪胆かつ出来る男だと、トレノは認めざるをえなかった。


 トレノは指を咥えると口笛を鳴らした。彼の騎馬ならぬ騎狼が、すかさず走ってくるとその背に軽々と飛び乗る。


「まだだ、まだこれからよ。此奴に乗った俺の攻撃をかわせると思うなよ」

「なんだ、1対1の勝負ではなかったのか?」


 ニヤッと笑って相手を煽るジェリド。ここから仕切り直すといった相手の出鼻を挫いてゆく。


「ほざけっ!」


 怒りに眉を上げながらトレノは、狼の腹を軽く蹴る。狼は走り出すと、一直線にジェリドに向かってくるのかと思いきや、右に左に向きを変えながら間合いを詰めてきた。


 さらにトレノ自身は、狼の身体に着けていた剣も引き抜き、両手に剣を握っていた。


 ジェリドは相手がどちらから襲ってきてもいい様に身体の向きを小刻みに変えてはみたものの、相手が狼では流石に無理があった。


 遂にトレノと狼がジェリドと交錯すると思われたタイミングで、狼は一際大きく跳ね上がって、ジェリドの頭上を越えてゆく。


 頭上の狼の腹を目掛けて戦斧で突いてはみたものの、流石に当てる事は敵わなかった。


 ジェリドの背後に着地した狼は、間髪入れずに襲いかかった。


 トレノはジェリドの頭上から両手の剣で、首を挟み込む様に剣を振った。

 これには流石のジェリドも向きを変えて迎え撃つ事は出来ない。


 グサリッと刃物が深く突き刺さる音がして、次に血飛沫が上がった。しかしジェリドの首は繋がっているし、トレノの方も無傷である。


 口から顔を穿かれたのは、トレノの狼であった。戦斧使いは、自らの真後ろを突いたのである。後ろに目がある訳ではない。


 なれど彼は気配だけを頼りに狙いを定め、見事に的中してみせたのである。


 衝撃で地面に落ちて、全身を強く打つ羽目になったトレノ。


 見上げると目に映ったのは敵の首ではなく、これ迄の生涯を共にした相棒の哀れな姿だ。


 頭蓋まで穿かれて、ダラリと力無く、戦斧の上でくの字になって鮮血に染まってゆく最中であった。


 ジェリドはその哀れな亡骸をゆっくりとトレノの前に降ろした。


「すまんが、これ以外の選択がなかった。丁重に弔ってやるがいい」


 その言葉には仏の心があったが、細い目をカッと開いてギロリと睨んでいた。これでもまだ殺るのか? と言っているのだ。


 トレノにとって、これは自分の身を裂かれるよりも痛かった。自らの敗北を認め、抵抗しなかった。


 そして狼の首元にグサリと剣を刺すと首を切り離し、敵の首級を収める筈の白い布で相棒の首を丁寧に包んだ。


 そこへ息を切らしながら駆けてきた少年と少女がいた。


 少女は両手を握りしめ、狼の魂が安らかである様に神に祈りを捧げる。


 少女は薄汚れた作業着姿であった。しかしトレノには彼女の背中にあるはずのない羽を見た様な気がした。


「すまんが身体の方を頼む……」


 トレノはそう言い捨てて、相棒の首だけ抱えて町を後にした。


「おかえり」

「うん……ただいま」


 愛娘の帰りを迎えるジェリドは、優しい父親の顔に戻った。迎えられた方の顔は、少しうしろであった。


 命をかけた戦士の戦いとは、勝ち負けに関係なく虚しさが残るものだ。しかしこれが戦場を生きる彼らの『日常』なのだ。


「飯に……と言いたい所だが、先ずは湯に浸かれ。お前、酷い格好だぞ。まるでモグラの様だ」


「そうです、あなたの娘は残念ながらモグラです」


 娘は少しムッとしながら言い返す。父は思わず少し吹いてしまう。張り詰めた糸が緩んでゆくのを互いに感じる。


 斧の戦士と森の天使の日常であった。

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