第3話 戦斧の騎士と森の天使

 ラファン自治区。アドノス島の王都、フォルデノ王国の東隣に位置し、山地が8割を占める為、林業が盛んな地域である。


 住民は自然を愛し、その恵みで生きている事に感謝し、大事に守り続けてきた。

 多くの者が林業を生業としており、力に自信のある屈強な者が多かった。


 しかしマーダ率いる黒の軍団に襲われて、その大切な緑の大半を焼かれ、住民達は職を失った。


 他の自治区へ出稼ぎに行く者や、中には屈辱に耐えながらも、生きる為にやむなくフォルデノの兵士になった者もおり、この地域の男達の大半が愛する大地に別れを告げた。


 当然、活気は失われていた。


 ディオルという山の中を歩く少女が居た。緑の大半を失い、焦土と化したその中を懸命に歩いている。


 背中には竹で編んだ籠を背負っている。中には木の苗が入っており、手足はおろか、まだ幼さの残る白く綺麗な顔すら惜しげもなく、真っ黒にしながら植樹をしているのだ。


 しかし長く美しい銀髪だけは大事なのか、丁寧に結い上げて水色のバンダナで覆っていた。


 彼女の名はリイナ、歳は14になる。山の名と同じディオルの町に住んでいる。


 ディオルで彼女の事を知らぬ者はいない。何故なら彼女は、その若さで『戦の女神エディウス』の司祭なのだ。


 彼女が神に祈りを捧げる奇跡……神聖術は、多くの町人達の支えとなっていた。


 彼女の司祭としての力もさることながら、白い司祭の衣をまとったその容姿、まさに天使と呼ぶにふさわしい存在であった。


 フォルデノ軍に黒の剣士とその強力な配下が加わってから、ラファン自治区は先ず、最初の標的にされたといって差し支えない。


 山の男達は自然、屈強な戦士となる。山や谷という自然の要塞と成り得るこの場所の民衆軍は、6つの自治区中、腕力だけなら最強と言ってもいい。


 けれど黒の軍団は、あえてこの最強を最初に攻め滅ぼす事で、民衆軍の戦意をくじく事を狙い、それを造作なくやってのけてしまった。


 そんな全てを失った山に、リイナはほとんど毎日欠かすことなく登っては植樹し、新たな山の命達に祈りを捧げた。


 林業の知識なぞ全くない。自分の植えた若い緑が上手く育つ事など知る由もないが、今自らが出来る事はこれだけですと小さな背中が語っていた。


 その背中を暫くの間、ただ見送っていた他の町人達も、やがて彼女を追う様に荒れ果てた山道を整備したり、同じく植樹に汗を流す様になっていった。


 祈りを捧げる教会すら失った町においても、彼女の存在はやはり天使であった。


 町の中央部、少し小高い丘の様な場所、元々はリイナと信者達が祈りを捧げていた教会のあった跡地。


 数多くの十字架が並んでいる。墓地である。明らかに最近建てられた目新しい十字架が多い。その下に遺体が眠っていればまだ救われている方であった。


『ホーリィーン・アルベェラータ』と刻まれた十字架の花を替えて、祈りを捧げている屈強な中年の男がいた。


 元々屈強な男が多いこの町ではあるが、彼の身体はそのまま彫刻になるのではないかと思える程の雄々しいものである。


 身体の至る所に傷跡が残っているが、それさえも歴戦の勲章であった。

 妻の墓に祈りを捧げるその顔には、凛々しさと優しさが同居している。


「リィン、今日も娘は山に登っておるよ。まめな処は君にそっくりだ。私か? 私なら3日やれば同じだけ休むよ」


 男はそう言って、心の中の妻に微笑んだ。


 彼の名はジェリド・アルベェラータ。この町の天使、リイナ・アルベェラータの実の父親であり、そしてこのラファン自治区民衆軍の総指揮官である。


 彼も娘と同様、その名を知らぬ者はこの町にはいないのだ。


 黒の軍団に敗れたとはいえ、彼の存在の輝きは未だに失われてはおらず、生き残った戦士達は、未だに彼の家を訪れ、反撃の狼煙を上げようとあおってくるのだ。


「今はまだその時ではない、だがいずれ時は必ず訪れる」と、彼らをなだめるのが、最近の彼の日課となっていた。


 無論、彼自身その時を伺っていた。そんな時、エディンの小さな漁村で初めて黒の軍団が敗走したという噂を耳にした。


 これは確かめに行かねばならぬ。今日、妻の元を訪れたのは、旅立ちの報告も兼ねての事である。


 不意に狼の遠吠えと疾走しっそうする足音が聞こえてきた。ジェリドは音の鳴る方へ厳しい視線を送る。


 狼であるのに馬程もある巨体であった。背中には黒いスーツの様なメイルを着た剣士が乗っていた。


 表に出ていた住民達は、慌てて家や物陰に隠れた。ジェリドは墓地を出て沿道で狼の男を待ち受けた。


「止まれぇい!」


 ジェリドの迫力のある声が木霊こだました。空気が震えているのではないかと思える程であった。


 狼と男はジェリドまであと一歩という所で言われた通りに静止する。

 しかし気圧されて止まったという感じでなかった。男の顔がニヤけていたからだ。


「この墓地に立入る事は許さぬぞ。黒の兵士よ」


 顔色を変える事なく、真っ直ぐと男を見ているジェリド。彼は巨大な岩の様に立ちはだかった。


「これだけの命をうばっていったというのに、まだこの町に何か用があるというのか」


 墓地を指差しながら、静かな怒りをこめるジェリド。

 狼の背中から身軽に地面に降りた男は、身体の埃を払うと回答した。


「嗚呼、その通りだ。忘れ物を取りに来た」


 男は「クククッ」と笑って、ジェリドを指さした。


「貴様だよ、忘れ物は貴様の首だ」


 そう言って男は、手で首を斬る仕草をする。


「この間の戦いでは5番目の女ティン・クェンの相手になっちまったからな。だから今日は俺一人で来た」


 男は両手を腰に当てて、自信ありげな顔をジェリドに突き出した。


「ほう……」


 あごさすりながらジェリドは、男の姿をまじまじと観察する。


(成程……これが第3の男トレノか)


 彼は無論、この男を知っていたものの、剣で語った事はない。

 しかし男の姿を眺めて、大体の力量を認識したようである。


「判った、良いだろう。すまんが家に戻って装備を整えてくる故、あの柵に囲まれた場所で待ってて貰えるかな」


 ジェリドが目線だけで指したその先には、ボロボロではあるが確かに柵に囲まれた様な場所があった。


「民衆軍の闘技場の跡といった所か。良いだろう、貴様の首を跳ねて町の連中に見せつけるにはうってつけの場所だ。30分待ってやる」


 男が言い終わるのを待たずに、ジェリドは既に家路に向かったので、背中に言葉を浴びせる羽目になった。


 男は酷く気分を害し、大きな背中をギロリッと睨んだ。


「30分も要らんよ、10分で充分だ」


 ジェリドは背を向けたまま、左手を挙げて軽く振った。


 再び場所は山中……。リイナは今日の分の植樹を終えて町に帰ろうとしていた所、山道を自分の名を叫びながら登ってくる少年がいる事に気がついた。


「私なら此処よーっ」


 燃え残った木の影から顔を出して、リイナは手を振った。


「リ、リイナっ………」


 少年は息を切らしながら、その場に座り込んだ。町から此処まで駆け上がって来たのであろう。大きく肩で息をしている。


「ロイド、一体どうしたって言うの?」


 少年の震える背中を擦りながら、リイナはただならぬ事態だと悟る。


「ジェ、ジェリドおじさんが……」


 ロイドと呼ばれた少年は、息切れしながら必死に声を振り絞る。


「父さん? 父さんがどうかしたの?」


 父の名が聞こえてきたので彼女は驚きつつも、先ずはこの幼馴染おさななじみを落ち着かせようと、精一杯冷静な声を出す。


「あっ、あの時の狼野郎がっ、はぁっ………来たんだ。そっ、そして、おじさんに、いった、い、いちの勝負だって」


 とにかく息が上がってしまったロイド。何よりもこの一大事を早くリイナに伝えようと躍起やっきになるものの、なかなか言葉にならなかった。


第3の男トレノか………」


 リイナの顔色がついに陰りを見せる。彼女自身、その渦中の男と第5の女戦士ティン・クェンが率いる黒の軍勢相手に、司祭として立派に戦ったのだ。


 だからこそ、その力を嫌という程、知っているから顔が曇ったのである。


 しかし彼女は自らに立ち込めた暗雲をあっという間に払いのけて、暖かな春の木漏れ日の様な笑顔を取り戻し、幼馴染おさななじみに告げる。


「大丈夫………、大丈夫よロイド。あの父さんが負ける訳がない」


 リイナの青くんだ瞳が、真っ直ぐにロイドを見つめる。


 ロイドはこの幼馴染の天使の笑顔に、幾度いくどとなく救われてきた。


 今も幼馴染の父親の大事を知らせるべく、こうして必死に走ってきたというのに、気が付けばこの天使の笑顔に救われてしまった。


 少し男として情けない気がして、彼は少しうつむいた。


戦の女神エディウスよ、我が父に勝利の歓喜を…)


 心の中で十字架を切るリイナ。勿論彼女とて、父の安堵あんどを心配していることには変わりない。


(そしてお母さん、どうか父さんを守ってあげて……)


 若い司祭はまだ荒い息が治まらないロイドの歩みに合わせて、決して慌てる事なく下山を始めるのであった。

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