第26話 閑話 オレだけの幼なじみ
藍月いおり。オレの幼なじみだ。
お人好しで、ビビリで、いつもオレにくっついて回るような、引っ込み思案の女の子。
いおりは昔から背が低かった。
ちっこくて、ちょこちょこと動き回る姿は小動物を彷彿とさせて癒やされる。
誰かと一緒に遊ぶより、一人で黙々とゲームを進めることを好む変な奴。
多分、相性で言ったらオレとは合わないんだろう。
オレは外遊びが好きで、運動神経もよかったからサッカーや追いかけっこも得意だった。
本当はいおりと一緒に遊びたかったけど、きっと断られるだろうなって思いながら誘って、毎回予想どおり断られた。
まったくタイプの違うオレといおりが小さいころから一緒にいるのは、オレがずっといおりに片思いしているからだ。
初めて見たときから好きだった。
誰よりも小さくて弱くて、守ってあげなきゃ死んでしまいそうな生き物。
オレが守ってやるんだって思った。
なのに、いおりはオレの手をすり抜けていく。
自分一人じゃ何もできないグズのくせに、一人を好むんだ。
オレがそばにいてやらなきゃすぐ何かやらかすくせに、一人で突っ走っていこうとする。
バカな奴だ。弱いくせに、オレがいなきゃ生きていけないくせに。
「拓海」
ってオレを呼ぶ少し高い声が好きだった。
「拓海」
ってオレに向けるヘラヘラと締まらない笑顔が好きだった。
「拓海」
ってオレを見つめる真っ直ぐな目が好きだった。
人と関わることを避けるビビりないおりは、オレがいないと何もできない。
だって、オレがそうやって仕組んだんだから。
何でもいおりより先回りして世話を焼いてきた。
そのためなら努力も惜しまなかった。
家事も母親に習った。
いおりは母親に似てズボラな性格をしているから、オレができるようにならないと。
勉強ができる頭でよかった、と安心したものだ。
いおりは要領が悪いから、コツさえ教えなければいつまでも同じところでつまずく。
ただし、一度コツをつかめばどんどん伸びていく。
黙々と進める作業が苦ではない性格だから、勉強がゲームのようにハマればぐんぐん成績が伸びるだろう。
でも、それだけはダメだ。
そうしたら、いおりに勉強を教えるオレという存在がいらなくなってしまう。
いおりに必要とされないオレなんて生きている価値がない。
幸いなことにいおりに勉強がハマることはなく、赤点を攻めるような成績だったので胸を撫で下ろしたものだ。
家事もダメダメで、勉強もダメダメで、運動神経は悪くないけど球技がダメだからダメダメなように見えて。
いおりができない奴でよかった、と心底思う。
オレの存在意義がなくなってしまうところだった。
中学に上がったころ、クラスの男子からからかわれるようになった。
「お前ら夫婦じゃん」
そう言ってゲラゲラと笑う男どもはどうでもよかったが、いおりの反応が気になった。
恥ずかしがったりしないだろうか。
今まで男女という関係ではなかった。
家族のように仲のいい幼なじみという関係。
けれど、もし、もしも変われるのなら――。
「なに言ってるの、違うよ」
いおりは、笑っていた。
まったく気にしていない様子で、オレと男女の関係をからかわれることにカケラも興味を示していないようだった。
いおりにとってオレは、そんな存在だったのか。
決して男女の仲にはなれないのだと、見せつけられた気がした。
いおりは幼なじみという関係にこだわっている。
告白でもしようものなら、気まずくなって今までのようにそばにいることすらできなくなってしまうかもしれない。
そんなのは嫌だ。
いおりのそばにいられないなんて。
苦しくて息もできなくなってしまう。
けど、同時に思った。
いおりに意識されないのなら、そばにいても苦しいだけなら、いっそ離れてしまったほうがいいのではないかと。
押してダメなら引いてみる作戦だ。
問題はオレがいおりから離れて正気を保てるかどうかなんだけど。
でも、離れて気づくこともあるかもしれない。
それでいおりがオレを意識してくれるようになったら……そんな淡い期待を胸に抱いて、オレはいおりから離れることを決めた。
いおりは戸惑っているようだった。
今までのように話しかけても反応しないオレに困惑している様子だった。
しかし、続けていけばいおりは段々オレに話しかけなくなった。
話しかけても反応しないオレに無理に話しかけて傷つくことがイヤみたいだ。
いおりの傷ついた顔を見るのはつらかったけど、同時にオレのせいでそんな顔をしているんだという歪んだ感情にも囚われた。
今までただの幼なじみとしか見てくれなかったのに。
初めていおりがオレを見てくれたような気がした。
「最近藍月さん、拓海にひっつかねぇな」
「確かに。親離れ?」
ゲラゲラと笑う友人を横目に、オレは自然といおりの姿を探していた。
教室でオレという友人から離れたいおりは一人ぼっちだった。
隅っこで大人しく本を読んでいる。
可哀想に、きっと寂しいだろう。
体育の授業も組む相手がいないから先生と組んでいて、クラスメイトからクスクスと小さく笑われていた。
小さく頼りない肩をさらに縮めているいおりを見るのは不思議と楽しかった。
オレがそばにいないだけでこんなに寂しそうなのかと実感できた。
いつもオレに見せていたはじけるような笑顔は消えてしまった。
高校は別の場所を選んだ。
もっとオレを求めてくれたらいい。そう思った。
でも、オレとは違う高校に進んだいおりには友達ができた。
楽しそうに友達と話をしながら家に入っていく変わってしまった幼なじみの姿に、オレは気が狂いそうだった。
なんでオレがそばにいないのに楽しそうなんだよ。
おかしいだろ、オレがいなきゃ何もできなかったくせに。
いおり、いおり、いおり。オレだけのいおり。
……違う。本当はわかってる。そばにいなきゃ生きていけないのは、ダメになってしまうのは、いおりじゃなくてオレのほうなんだってこと。
ギリギリと歯を噛みしめる。爪を皮膚に突き立ててガリガリと掻きむしる。
おかしい、こんなのはおかしい。
オレから離れたのに、いおりがオレから離れていった気になった。
許さない。オレから離れていくなんて、絶対に許さない。
いおりのことが好きなはずだった。最初にあったのは純粋な好意だ。
けれど、年を重ねても変わらない関係に、いおりへの好きがどす黒く染まっていく。
好きだ。でも憎い。好きなんだ。でも応えてくれない。どうしようもなく好きでたまらない。オレをおかしくしたのはいおりだろ?
プツンとなにかが切れる音が聞こえた。
そうだ、いおりがオレから離れていくのなら、離れていけないように閉じ込めてしまおう。
そのためには金がいる。就職をしよう。得意な勉強を伸ばして大企業に就職しよう。
いおりを閉じ込めておけるだけの金がいる。地位がいる。
いおりのはじけるような笑顔が消えたら、高らかに笑う声が潰れたら、自由に動き回る手足が千切れたら、オレがいなきゃ何もできないグズのいおりに戻ったら、今度こそ純粋に好きだと言える。
「いおり、愛してる」
オレの愛は本物だ。
いおりが好きで好きで気が狂いそうなほど好きで、同時にこの手で首を折ってしまいたいほど憎いこの感情は、オレだけのものだ。
それから勉強に集中した。
家が隣同士、部屋も隣同士だから自室で勉強しているといおりの笑い声が耳に入ってくる。
気が散るからイヤホンをつけるようになった。
大好きないおりの声を聞かないために、特に興味もない音楽を流すようになった。
不快だ。オレ以外の人間の前であのまぶしい笑顔を見せているのかと想像するだけで吐き気がする。
ガリガリと皮膚に爪を立てる。
イライラしたときはこうして気を紛らわしている。
ノートにペンを走らせ、問題を解いていく。
母親はいおりと関わらなくなったオレを気遣っている様子だった。
大丈夫だよ、もうすぐオレはいおりと一緒に暮らすんだから。
大学生活はよく覚えていない。就職する企業を決めてそこに向けてひたすら努力していたような気がする。
小、中と部屋に引きこもりがちだったいおりは付き合っている友達の影響か、休みの日によく出かけるようになった。
夜遅くまで真っ暗ないおりの部屋を横目に勉強をする。
目標としていた企業への就職が決まった。
いおりと一緒に暮らすためのマンションも借りた。
準備はできた。完璧だ。
あとはいおりを、部屋に連れて行くだけだ。
「いおり、飯でも行こーぜ」
何年かぶりにいおりと会話した。
心臓が口から出るかと思うほどバクバクと激しく脈打ち、相変わらずドジないおりに気が緩む。
いおりは変わらずヘラヘラと締まりのない笑顔を見せた。
「オレさ、いおりが好きだよ」
キョトンとした顔でオレを見るいおりに、想像どおりの反応だな、と小さく苦笑いする。
「……冗談?」
「まさか。好きなんだ、異性として。ずっとだよ、小学校のころから、ずっと」
いおりは、なにも言わなかった。
ただ戸惑っているように見える。
別にどうでもよかった。オレは、いおりからの返事なんて最初から期待していない。
「でもさ、いおりは違うだろ? オレにそんな役割を求めていない。だからさ、考えたんだ……これが、最善なんだって」
ポケットから出したスタンガンを、素早くいおりの体に押し当てる。
一瞬目を見開き、意識を失ったいおりを抱きとめる。
これでいい。これでよかった。
「ああ、これで安心できる」
ようやく手に入れた。
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