第12話 作戦変更

 勉強が苦手だった。

 本を読んでいるおかげか国語はそこまで苦手意識はないけど、数学や理科、英語なんかはてんでダメだ。

 数字を見ているとお腹が痛くなってくるのだから相当だ。

 そんな調子だから当然のように理数系は赤点ギリギリ。たまに赤点も取る始末。

 しかし、それではダメなんだと気づいた。

 一度目は拓海のほうから離れていった。

 だから、二度目は私から離れよう。

「志望校を変えるって聞いたときはビックリしたよ」

「ごめんなさい、急に」

「いや、俺はいいけどさ。いおりちゃんはこれから大変だと思うよ? 志望校のランク上げるなら」

「うん、頑張るって決めたんだ」

「……そっか、じゃあ俺も頑張らないとね」

 陸兄さんは急に志望校を変えた私を怒るわけでも無理だと呆れるわけでもなく、穏やかに笑ってくれた。

 私が幼いころから陸兄さんは私に甘かった。

 お母さんにナイショでお菓子をくれたり、一緒に遊んでくれたりと優しい従兄だ。

 美人さんなので一緒に出かけると視線がものすごく集まる。

「志望校変えること、おばさんに言ったの?」

「まだ……」

「どうして。怒ったりはしないでしょ?」

「拓海くんに言われるとマズい……」

 そう、問題はそこだ。

 お母さんに志望校を変えたことを伝えると、当然のように拓海に漏らしてしまうだろう。

 拓海も私と同じ高校に変えるなんて言い出したら大変だ。志望校を変えた意味がなくなってしまうし、拓海ぐらいの成績なら入ることも可能だろう。

 わざわざ私の成績では無理だろうと思われる高校にしたのだから。

 私の言葉に陸兄さんは首をかしげた。

「幼なじみなんでしょ?」

「だからだよ! 私は拓海くんから自立しないといけないの!」

 バンッと机を手で叩いて言い切る。

 そう、これもすべては拓海から離れるためだ。

 机を叩いた手のひらがじんじんと痛むが、そんなこと構っていられない。

 私は今後の人生に響く重大な決断をしたのだ。応援してもらわなくては。

 しかし、陸兄さんも陸兄さんで問題なんだよなぁ……なにせ、死にかけてる私を見て「俺も一緒に死ぬよ」なんて笑顔で言い放つ人だぞ?   

 どうかしてるとしか思えない。

「そっかぁ。まぁ、頑張ろうね」

「もちろん!」

 ぐっと拳を握り、私は天井を睨みつける。

 特になんの夢も行きたい大学もないぼけっと生きてる地元の中学生なら大体は受けるであろう丘ノ高校ではなく、それなりの大学を目指す人が入るだろう白鳶高校。

 目指せ! 幼なじみ離れ!

 受験まであと約一年。頑張れ私!

 

「よ、奇遇だなぁ」

「なん、なんで……!?」

 私が受験会場で隣の席になったのは、今日だけは世界で一番会いたくない相手ナンバーワンの拓海だった。

 シャーペンをくるくると器用に指先で回しながら余裕の表情だ。

 私はこれから始まる受験を思って胃を痛めているというのに、なんて奴だ。

 でも、なんで、どこから漏れた!?

 お母さんにはギリギリまで言わなかったし、拓海くんにも言わないでって釘刺しておいた。

 紗妃ちゃんにも伝えてあったけど拓海に言うような子じゃないのはわかっている。

 陸兄さんや湊くんが言うわけもないし……。

「いやー、やっぱ勉強頑張ろっかなって」

「……絶対嘘」

「ウソじゃねーよ。それに、いおりが言ったんじゃん? もっと上狙えるのにーって」

 ニヤニヤと意地悪い笑みを浮かべている拓海は、混乱している私を面白そうに見ている。

 思いもしない展開に心臓がバクバクと激しく脈打つ。

 こんな状態で受験ができるのかと思うけど、拓海を避けるために白鳶高校しか受けないと決めたので、落ちるわけにもいかない。

「ま、お互いがんばろーぜ」

 よく言えるものだ。

 私が動揺してるの、絶対わかってる……!

 なんとか深呼吸を繰り返し心臓を落ち着かせる。

 落ちたらお母さんの雷が落ちる。それだけは避けたい。

 でも、このまま受かっても待っているのは拓海との高校生活だ。

 うわー! どっちもイヤだ!

 頭を抱えたくなるけど、すぐに開始時間になる。

 ぐぎぎ、と歯をギリギリさせながら拓海を睨みつけるのが精一杯だった。これも効いてないんだろうけど。


「どうだった?」

「……今は、話したくない」

「ふーん。ま、いいけどね」 

 珍しく拓海にしてはアッサリ引き下がった。

「まぁ、楽しい高校生活が待ってるからさ」

 ヒラヒラと片手を振って行ってしまった。

 くそう、どこまでも余裕で腹立つな……でも、こういうときに余裕だからこそ拓海って感じするんだよね。

 合格発表までの間、家の近くで拓海と顔を合わせるのもイヤだった。

 そしてやってきた合格発表の日。

 その日は雪が降っていた。滑らないよう足元に気をつけながら歩く。

 ザクザクと積もった雪を踏みしめる感触が面白い。

「よー、いおり」

「……拓海くん」

「オレ、番号あったわ。いおりは?」

「私、まだ見てない」

「んじゃ一緒に見に行こうぜ」

 なんというか、拓海の精神は鋼で出来ているんだろうか。

 ここまであからさまに離れようとしているのに、そのことに触れることもなくいままでどおりの接し方をしてくる。

「昨日の歌番見た?」

「……ねぇ、拓海くんはなにがしたいの?」

「なにが?」

 ニコニコと不気味なほど笑顔の拓海に問いかける。

「拓海くんは私に執着してる。どうしてなのか、私にはわからない」

 口角を上げたまま、拓海はピタリと動きを止めた。

 口元は貼り付けたような笑みを浮かべ、しかしその目は笑っていなかった。

 私を射抜くように見つめる。

「私は誇れるところがゲーム上手いぐらいしかない、どこにでもいる普通の人間だよ。拓海くんは、ただの幼なじみになんで執着するの?」

 ただの幼なじみでないことぐらい、とっくにわかっている。

 でも、ただの幼なじみでいたかった。

 私は、おやつを食べながら家で一緒にゲームをするあの時間が、あの時間こそが大事だったのに。

 拓海が私をただの幼なじみではなく、好きな異性として見てくるから、その関係が壊れてしまった。

 あのときは聞けなかった。

 拓海くんは、私のことが好きなの? と。

「……いおりはさ、オレがいおりのこと、異性として好きだって言ったら離れるだろ? お前が求めてるのは、そういうのじゃないもんな」

 拓海の目は、深い愛情を向けるように温かく、同時に殺意を感じるほど冷たかった。

 初めて向けられたその目に、ゾクリと背筋が震えた。

 受験番号を手に通り過ぎていく人たちの中で、私と拓海は浮いていた。

 チラリ、と向けられる訝しげな視線を受けても反応できないほど、私はショックを受けていた。

 拓海は、私に対して好意と憎しみを抱いている。

 それは私が拓海に対して気持ちを返せないから。拓海に異性としての役割を求めていないから。

 拓海が好きだと言いたくても言えない関係を、作ってしまったから。

 私にとって拓海は頼れる兄のような存在で、同時に憎たらしい弟でもあった。

 軽口を叩き合ってじゃれあう、そんな関係が心地よかった。

 抜け出したくなかった。ずっと浸かっていたいと思っていた。

 でも、拓海は違った。

 ずっと変わりたかったんだろう。私がそれを、許さなかっただけで。

「だから絶対言わねぇ。いおりのこと好きだなんて、言ってやんねーから」

 拓海は、笑った。

 悲しそうに、泣きそうな顔で、くしゃりと顔を歪めて笑った。

 拓海を歪めてしまったのは、私だった。

 どうして? そんな自答を繰り返していた。

 なにを間違えた? どこがいけなかった?

 私はただ、拓海と一緒にいたかっただけなのに。

 その考え自体が、拓海を歪めてしまったのだ。

「……わた、し……」

「お、いおりの番号あんじゃん。やったな」

 何を言えばいいのか、わからなかった。

 しかし、拓海は私になにも言わせるつもりはないようで、私が手に持っていた受験番号を指差し笑った。

 何事もなかったかのような笑顔に、却ってゾッとした。

 私がどれだけ拓海のことを傷つけていたのか、よくわかった。 

 だから、閉じ込めるしかなかったの? 私を鎖で繋いで、ようやく安心できたの?

「これで春から高校生だな! これからもよろしく」

 拓海に似合わない爽やかな笑顔だった。

 ずっと、隠してたんだ。

 私が嫌うから好きだと言えず、苦しいから自分から離れていったんだね。

 でも、ずっと忘れなかったんだ。

 別の高校に行った拓海は今まで以上に勉強をしたとおばさんは言っていて、地元では有名な大学に入った。

 県外の大企業に就職したのも、広いマンションを借りたのも、すべて私を閉じ込めるためだった。

 閉じ込めてもバレない外堀を何年をかけて作った。

 だから、私を閉じ込めた夜に拓海は私を抱いたんだ。

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