第2話 残された剣闘人形と少女-1
喪服を着た少女、テア・ガラノンは手すりに縋り付きながら階段を1段1段登っていく。
ただ自宅の2階に上がろうとしているだけなのに、その足取りはこれから処刑台にでも向かうかのように重かった。
それでもテアは階段を昇りきった彼女は、ゆっくりとドアノブを回して扉を開く。
そこは今朝までは母が亡くなってからは一度も訪れることの無かった父の工房だった。
「やっぱり似てる。父さん、本当に狂ってたんだ」
工房に入り、人型の
「こんな物だけ残して後の事は全部私に押し付けて死ぬなんてほんと最低」
それは今朝の事だった。
出先で倒れ、そのまま帰らぬ人となった父の葬式が終わり、親戚がいないせいで喪主としての仕事に追われ疲れ果てたテアは喪服のまま着替えもせずにベッドで眠っていた。
だが、夢すら見ることの無い程の深いテアの眠りはドアを激しく叩く音で妨げられ、彼女の意識は覚醒した。
疲れが取れずに重い体を引きずってドアを開くと大柄の男たちを従えたシンプルなシルエットながらも血のように赤い色でスタイルが良くなければ似合わないドレスを来た女、ジェシカ・モンテーロが立っていた。
「貴女、マリオンの娘さんね。この度はお悔やみを申し上げるわ」
「ありがとう、ございます」
この街で住んでいたら、ジェシカが何故部下たちを引き連れて訪ねて来たのかは何となく察しがつく。
「こんな時に申し訳ないのだけど、今日は貴女のお父様の借金ついてお話があって来たの」
「……とにかく中にどうぞ」
「ありがとう。貴方たちは外で待っていて」
家の中に通したジェシカに椅子を勧めたテアは、お茶を入れる為にキッチンに行こうとしたがジェシカに止められてしまう。
「ごめんなさいね。あまり時間が無いから早く本題に入りたいの」
無言で頷きジェシカの正面に座ったテアが聞かされた話は、彼女が思っていた通りの内容だった。
ジェシカが率いるモンテーロ商会は表向きは健全な輸入商を装ってはいるが、裏では非合法な風俗店や賭博場の経営や金貸しなどを営んでおり、借金を返せなくなった者が彼女の屈強な部下たちによって家から追い出されたり、下着を残して身ぐるみを全て剥がれたりされているのはこの街ではよく見る光景だ。
ジェシカによると、テアの父は人形制作の為に剣闘士として現役時代にコロシアムで行われる試合に出場して稼いだ私財のほとんど使い果たしても尚、人形は完成に至らず資金不足に陥った。
そこで追加の資金を得る為に大金を簡単に貸すモンテーロ商会を頼り、自分に返済能力が無くなったと商会が判断した場合は自分の持つすべての資産を商会に引き渡す契約と引き換えに多額の借金をしたのだ。
「借金をした本人が亡くなってしまった今、私共商会としても一人残された貴女にこんなことを言うのは心苦しいのだけど、返済不可と判断して契約に基づいて資産を接収させて頂きます」
「あの……私はこの先どうなるんですか」
父の所有物である物全てを契約のせいで商会に持っていかれる。
つまりお金だけでは無く宝飾品はもちろん家具や服、家も全て取られ文字通り裸一貫で通りに放り出されるということだ。
頼れる親戚も友人もいない引っ込み思案の15歳の少女にとってそれは死刑宣告と同義であった。
「……そうね。こんな言い方をすれば旧王国時代みたいで私も嫌なのだけど、資産には貴女も含まれているわ。貴女のお父様がウチから借りた金額はそれだけ大きいということよ」
旧王国時代にあった奴隷制度は廃止されているので、奴隷商に売り飛ばされるという訳ではない。
しかし結局は商会が経営する裏の仕事で不足分の借金の返済が終わるまで働かされるのだからある意味商会の奴隷にされるということと変わりはない。
「最低限どの仕事に就きたいかくらいは聞いてあげられるけど、貴女じゃ力仕事という訳にもいかないし、男性相手の仕事しかないわね」
今まで男性と関係を持つどころか片思いすらしたことの無い生娘のテアにとってはまだ裸一貫で放り出される方がまだマシというものだろう。
誰かに助けを求めようにも求められる相手がいないうえに、契約書がある以上はどう抵抗しても商会に勝つことなど不可能なのはテアもよく知っている。
革命によって王家が転覆してからまだ10年。
王国時代の法は王家や貴族、それに仕える者にのみ有利に働くように出来ており、革命後は最低限社会制度を維持するために必要な法以外は全て廃止された。
しかしそのせいで新政府は法を一から整備することになり、法を施行しては穴が見つかり修正を加える、というのをずっと繰り返している。
おかげで未だ法には穴や抜け道が数多く存在し、ジェシカのような裏家業を生業とする人間に食い物にされる弱者は多い。
「とりあえず今日は家の物全部持って行かせて貰うわね」
ジェシカはそう言いながら椅子から立ち上がり、家のドアを開けて部下たちを招き入れると、部下たちは椅子やタンス、テーブルなどの重い家具から外に置いてある荷車に慣れた様子で積み込んでいく。
ただその様子を見守ることしか出来ないテアの目が、貴重品を探すために入ったテアの部屋から出てきたジェシカの手にある宝石箱を捉えた。
「あ、あの、それ!」
咄嗟に出た声は出した本人のテア自身が驚くらい大きく、ジェシカを含む家の中にいる人間全員の動きが止まり、皆一様にテアを見た。
「急にどうしたの?これに何かあるの?」
普段なら問答無用で差し押さえるジェシカも、大人しそうなテアの大声に調子を狂わされたのか、少し取り乱しながらテアに近づいて宝石箱を差し出す。
「そ、その、中に入ってる、イ、イヤリングだけは持っていかないでくれませんか。母の形見なんです」
服の裾を握り、振り絞るような声で瞳に涙を浮かべながら呟いたテアにジェシカは首を横に振る。
「ごめんなさい、契約上そういう訳にはいかないわ」
「そう、ですか……」
顔を伏せ声を震わせながらもそれ以上何も言わない少女に、今まで縋り付いてでも契約の執行を妨害しようとする債務者から取り立ててきたジェシカと部下たちも何か思うところがあったのか、皆無言になって作業を進めていく。
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