第8話丸太小屋
牢から放逐されたアルフは、兵士たちから逃げるために、一晩中歩き回った末、明け方になって、壊れかけた小さな丸太小屋を見つけた。
庭には、畑もあり、鶏が放し飼いになっていたので、食べ物が手に入るのではないかと、忍び込もうとしていた。
彼が小屋の周りを囲んでいる垣の隅を破って、こっそりと足を踏み入れたとたん、けたたましい声で鶏たちが、警戒の鳴き声を上げた。
後から考えれば当然のことだったが、疲労と空腹で、細かいことには気が回らなくなっていたのだ。
家人が起きてきてしまってはまずい、アルフはあわてて逃げようとしたが、焦ったためか、足がもつれて転んでしまった。
「おや、まあまあ」
小屋の横から、小さな人影が現れて、呆れたような声が聞こえてきた。
東の空がだいぶ明らんできて、痩せて小柄な老婆の姿が見えた。
「珍しいね、こんな早くからお客さんかい」
こんな弱々しい婆さんなら、気を失わせるのは簡単だろう。イザとなったら、倒してででも逃げられる。
アルフは老婆がどう出てくるか、ようすをうかがいながら、近づいてくるのを見ていた。
老婆は、くすんだ灰色のスカートに、古ぼけたブラウス。色落ちした青いエプロンで手を拭きながら、彼の目に前に立った。
「ははあ、お前さん、昼に領主の兵が探してた男だね。こんな荒れ地に来るヤツなんて、ろくな者じゃない」
老婆は、アルフを無遠慮に眺め回しながら言った。
「ほら、立ちな。何もしないよ。こんな婆に、あんたみたいな大男、どうするもできないさ」
アルフが戸惑っていると、老婆は声を強めた。
「ほら、さっさと立つ。ついておいで。パンとスープくらいはあるんだ。食べたいだろ」
アルフはうなずいて、のろのろ立ち上がった。腹が空きすぎて、軽く立ちくらみした。
老婆は、アルフのようすを黙ってみていたが、小屋の方へ歩いて行った。
イザとなれば殺してでも逃げる。アルフは、覚悟を決めて後に続いた。
小屋の中は狭かったが、外から見たよりも清潔だった。
古ぼけたテーブルと、椅子が二客。壁際には戸棚が一つ置いてあった。
アルフが、椅子のひとつに腰掛けると、老婆が湯の入ったカップを持って来た。乾燥した草のようなものが一つまみ浮いていた。
「ひとまず、スープが温まるまで、それを飲んでおいで、薬草茶だ」
アルフは、無言で受け取り、おそるおそる口に運んだ。お茶は少しぬるかったが、口に入れるとハッカのような爽やかな香りがした。
水分を口にしてみると、かなり乾いていたことに気づかされた。彼はカップを大事そうに両手で持つと、一気に喉に流し込んで、むせた。
あわててカップをテーブルに置き、咳き込むアルフを、老婆は呆れたように見て、笑った。
「慌てなくとも、お代わりもあるよ。ゆっくり飲みな」
老婆はお茶のお代わりと、スープとパンを持ってくると、アルフの前に並べ、食べるように促した。
「ガツガツするんじゃないよ。一気に食ったら気分が悪くなる。少しずつゆっくり食べな」
そう言うと、体を洗うための湯を沸かしてくると告げて、裏口のドアを出て行った。
アルフは、老婆に言われた通り、パンをちぎってはスープに浸しながら食べた。久しぶりに食べ物が入ったためか、腹の中でグーッと奇妙な音がした。
ほとんど具の入っていないスープは、あらかた飲めたが、こぶし大ほどのパンは半分も入らなかった。
それでも、温かい食べ物が腹に入ったので、久しぶりに熱がもどってきて、体がぽかぽか温まってきた。
しばらくすると、老婆がもどってきて、裏庭の井戸で体を洗うように言った。
井戸の横には、湯気を立てている湯が、手桶に入っていた。その横には体を洗うためだろう、切れ端のような小さな布と、もう少し大きな布が添えられており、少し離れた草の上には、老婆の死んだ夫のものだという服もおかれていた。
老婆に他意は感じられなかった。見ず知らずの、それも罪人に、これほどまでに施しを与えてくれるのはなぜなのか、アルフは不思議に思った。
だが、今は、それを考えるよりも、生き延びたいという気持ちが強かった。なんとか体力を回復させて、領主から逃れるために、領の境界を越えなければならない。
アルフが体を洗って小屋に戻ると、老婆は、台所の隅にあった敷物を横にずらした。
「地下に寝床を作っておいた。追っ手が来ても、そこなら隠れられる。一眠りしてくるといい」
老婆が、地下と示した穴は、人ひとりがようやく入れるくらいの狭い穴で、縄ばしごがたらされていた。
アルフはのぞき込んでから、老婆を見た。
なぜ、匿ってくれるのか、聞いてみようかと口を開きかけて、思いなおしてやめた。
「ほれ、早く行け。なにか聞きたいことがあったら、起きてからだ」
老婆が追い立てるように言うので、アルフはうなずいて、縄ばしごを下りて行った。
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