第5話 領都オルデンシュタイン


「ねえ、アリューシャ。他に僕が使えそうな魔法はないの?」

「伊織なら魔力量もこれからどんどん伸びるはずだし、使おうと思えば大抵は使えるようになるわよ」


 そう言って、アリューシャは自身の3倍程の大きさがある本をどこからか取り出し僕に差し出す。


「これは?」

「魔導書よ。基本的な魔法はこれに載ってるわ。あげるから勉強しなさい」

「うわぁぁ……ありがとう!」

「べ、別にいいわよ。でも、魔法だけじゃなくて体も鍛えないとだめだからね」


 こんなやり取りがあって僕は魔導書を手に入れ、寝る前に必ず読書するようにした。幸いアリューシャの加護の力で、僕はこの世界の言葉は話せるし文字も読み書きできる。そのため魔導書からたくさんの知識を学び、いくつかの基礎的な魔法が使えるようになった。


「魔物や動物を解体する手際がいいけど、伊織は料理も上手なのかしら」

「祖父母が亡くなってから、独り暮らしが長かったからね」


 僕の両親は僕が小学2年生の時に家に押し入った強盗に殺された。そのため、母方の祖父母に育てられることになった。しかし、僕が中学1年生の時に祖父が亡くなり、後を追うように祖母も亡くなった。そのため僕は施設に入るのを断り、祖父母の家で独り暮らしを続けていたのだ。


「……ごめんなさい」

「気にしなくていいよ。それに料理といってもここじゃあ簡単なことしかできないよ。ここには調理器具も調味料もないし。でも、魔法があるから火を起こすのは楽でいいね」


 シャルウッド樹海での生活はすでに3週間ほど過ぎた。もうすぐ森を抜ける所まで進んでいるらしい。


「これでどうだ! ≪ファイアアロー(炎矢)≫」

「グオォォォ!」


 炎でつくられた矢が3本、オークの頭部に突き刺さる。オークは頭を抱えながら地面に両膝をついた。


「とどめ!」


 ≪ストレージ≫を唱えて慈愛のナイフを取り出し、オークの心臓に突き立てる。オークはそのまま前のめりに倒れて命を散らした。返り血で僕の着ているパーカーやデニムパンツが汚れてしまった。


「うわぁ、血でべとべとだ……≪クリーン(洗浄)≫」


 ≪クリーン≫は水と風の力で身体や衣類などの汚れを落とす魔法だ。あっというまに僕の身体やナイフは洗浄されてきれいになった。


 樹海では積極的に魔法を使うようにした。“魔力切れ”に注意しながら、少しずつ練習を重ねて技量を高めている所だ。ちなみに体内の魔力が枯渇すると、意識を失ったり、最悪の場合は死に至るということだった。


 魔法の得手不得手は加護の影響が大きいらしい。魔法は詠唱を行って精霊と契約を結び、自分のイメージと精霊の力を融合して発動するものである。そのため、風の精霊の加護があれば風を用いた魔法が得意になる。逆に加護がなければ、精霊との契約に多くの魔力が必要となり、威力も加護持ちと比べて小さくなる。


「でも、伊織の場合は精霊と“契約”する必要はないの。女神の加護があるから“命令”になるのよ。もちろん魔力は消費するけれど、威力に反してその消費量は少ないし、契約のための詠唱も省略できるから無詠唱になるのよ。普通は無詠唱を実現しようと思ったら、たゆまぬ魔法の鍛錬と精霊との特別な関係が必要なんだから」


 つまり精霊の加護は魔法詠唱の強力な援助となり、女神の加護はもはやチートになるということだ。


 さて、死の樹海での生活は、その多くが魔物との戦いだった。戦闘の合間に木の実や魔物の肉を食べ、夜はアリューシャが簡易結界を張ってくれるので、その中で安全に休むことができた。


 ≪クリーン≫があるので、身体を清潔に保つことができたのは本当に助かった。本当は毎日お風呂に入りたいけれど、生きるか死ぬかの毎日の中でそれは贅沢というものだろう。


 そして、ついに僕らは死の樹海の出口にたどり着くことができた。身体的・精神的にかなり疲労している。


「ようやく着いたね」

「ここまでよく頑張ったわね。収納箱の中、結構な数の魔物を保管できているんじゃないの?」

「ちょっと確認してみるね……」


 ≪ストレージ≫の魔法を唱えると宝箱が出現した。早速、側面に刻まれた管理表を拡大してみる。


 レッドムーンベア×2

 ゴブリン×29

 ブラッドバット×40

 オーク×18

 ジャイアントラット×34


 その他には採集した木の実や果実、捕まえた小型の動物が表示されていた。異世界に来てまだ3週間ということを考えれば、なかなかの戦果といえるのではないだろうか。


「それじゃあ、街へ向かうわよ」

「街の途中に村はないの?」

「その可能性は低いわね。私もこの辺りについて隅々まで知っているわけではないけど……」


 アリューシャの記憶では、シャルウッド樹海は“グロースエールデン王国”の最北端あるようだ。


 そして、死の樹海から南一帯を支配しているのがオルトヴァルド辺境伯である。“最前線”を差配する辺境伯は、グロースエールデン王国でも有数の実力者のようだ。


「残念だけど、私が知っているのはこの程度よ」

「街まで村がない理由は?」

「死の樹海には多数の魔物が住んでいる。生半可な防衛施設だと襲われて村は全滅よ」

「なるほど。城壁を備えた都市でなければ、死の樹海の近くでの生活は不可能ということだね」

「そういうことよ。ただ、魔物は素材として貴重だから、死の樹海の恩恵は大きいわ」


 アリューシャの予想通り、街にたどりつくまでに村を一つも発見することができなかった。ただ、いくつかの冒険者パーティーの姿を遠目に見かけることはあった。


 かなりの距離を歩いて、ようやく僕の眼前に城壁を備えた巨大な都市が見えてきた。城壁の前には堀があり、城門に跳ね橋が掛けられている。城壁の上には望楼があり、見張りの兵士の姿も確認できた。


 現在、僕たちがいるのは北門のようで、多くの冒険者たちが門に向かって並んでいる。僕らも最後尾に並び、手続きの順番を待つことにした。アリューシャは「しばらく姿を消してるわ」と言って透明化している。僕の順番が来るまで30分ほど時間がかかった。


「おっと、初めて見る顔だな。まだ若いのに、冒険者かい?」

「ええ、そうです。田舎から出てきたばかりでまだまだ初心者ですが」

「オルトヴァルド辺境伯領の領都“オルデンシュタイン”へようこそ。ここは通称“冒険者の街”だ」


 門番は人柄の良さそうな初老の男性だった。「大したもんだ…」と言いながら、男性は僕に直径10cm程の水晶を差し出してきた。


「これは?」

「すまないな。初見の者はこの水晶で犯罪歴を確認させてもらってるんだ。手をかざしてくれ」


 なぜか少しドキドキしながら水晶に手をかざすと、水晶は青く光り輝いた。


「よし、大丈夫だな。では、名前を教えてくれるかい?」

「伊織です」

「イオリだな……よし、登録完了。次回からここを通るときは、銅貨1枚が通行税として必要になるから覚えておいてくれ。冒険者ギルドはここから南にまっすぐ500mほど進んだところだ」


 銅貨1枚がどの程度の価値なのか分からない。僕はあいまいに頷いて街の中に入ったのだった。


 街の中はさすがに領都だけあって、たくさんの人であふれかえっていた。様々な店が立ち並び、活気のある声が周囲から聞こえる。ただ、大通りを除いては舗装されていない道も多く、薄汚れた服を着ている人もよく見かける。貧しそうな子どもたちが物乞いをする姿も何度か目にした。


「あれは……」


 檻に入れられた男女数名が馬に引かれて運ばれている。首輪や腕輪を付けられていることから、奴隷か犯罪者と想像できた。治安当局または奴隷商の下へ運ばれているのだろうか。


 大通りを南に30mほど進んだところに大きな石碑があり、数十名の名前や年齢が刻んである。初めて目にした僕には意味はよく分からないが、周りには献花がたくさんあった。おそらく何らかの理由で亡くなった人たちの名前なのだろう。


「さあ、冒険者ギルドに向かうわよ」


 いつの間にかアリューシャが姿をあらわしていた。少し心細かったのでホッとする。


「どうしたの? 寂しかった?」

「……うん、寂しかったよ」

「なっ……その反応は予想してなかったわ……」


 アリューシャが顔を赤くしているが、かまわず僕は冒険者ギルドに向けて歩き始めた。通り沿いの屋台からおいしそうな匂いがするが、ここは我慢である(そもそもお金がない)。


 ゆっくりと大通りを10分ほど歩くと、大きくて立派な建物が見えてきた。どうやらここが冒険者ギルドらしい。


 ここでどんな出会いが待っているのか……僕は意を決して木製の大きなドアを開け、建物の中に入っていった。

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