第9話 中の人などいない!

「──ワタクシはツェツィ。勇者の娘、ツェツィーリエ=フォン=ノイエンドルフ」

 

 鏡を見て、自分の立場と名を思い出す。

 まるで遥か昔の記憶を手繰り寄せたかのように。

 

「うん、そうそう。じゃあ今がいつで、ここがどこかわかるかい?」


 宙に浮く子供の姿のエンジェルに再び問われ辺りを見回す。


 床には紅い絨毯、天井には蝋燭の立ち並ぶシャンデリア。

 紅と金を基調に設えられた豪奢な調度品の数々。

 だがその貴族然とした内装に似つかわしくなく部屋は手狭だった。


「フリーデンハイム学園紅玉寮の自室ですわ。今がいつかは思い出せませんわね」

「うん、それだけ見当識が保たれていれば十分だ。あとは時間が解決してくれる」

「あぁ、よかった。……本当に」


 エンジェルの言葉を聞き、ベッドの傍に立つメイドが安堵の息を漏らす。


「ええ、ジゼル、心配をかけたわね、ありがとう」


 必死に看病してくれたであろうメイドに労いの言葉を掛ける。


「それと、ありがとうございます、ラファエル先生、どうやら助けて頂いたようで」

 

 そして続けざまに治療してくれたと思しき校医のエンジェルに感謝を伝えた。


「ツェ、ツェツィ?」「ツェ、ツェツィ様!?」

 

 するとジゼルとラファエル先生は同時に目を見開いて驚愕の表情を浮かべる。


「先生、本当に悪いところはなかったんですか?」

「うん、何度も魔法で精査したけど呪いも器質的疾患もない。このボクが保証する」

「え? 今ワタクシそんなにおかしなことを口走りまして?」


 明らかに二人とも動揺している。

 自分の落ち度が分からず、答えをジゼルに求める。


「い、いえ、至極真っ当な労りのお言葉を賜りました。それはそうなんですが……」


 ジゼルは慌てて言葉を濁すばかりだ。続いてラファエル先生に視線を移す。


「い、いやぁ、ボクもキミとは生まれた時からの付き合いだけどさ……。最後にキミの感謝の言葉を聞いたのはいつだったかなと思ってビックリしてね……」


 え? 


 予想もしない二人の驚愕の理由に、今度は自分が絶句する。


「……つまり二人とも、ワタクシがお礼を述べただけでそんなに驚いていますの?」

「あぁ、申し訳ありません、ツェツィ様! どうかお気を悪くなさらず、久しぶりの感謝の言葉に、嬉しさのあまりジゼルが勝手に動揺してしまっただけでございます」


 メイドが大慌てでワタクシをフォローしようとする。


「それが、呪いや病気を疑う程のことだったと?」

「ご、ごめんよ。キミもお礼くらい言うよね。ボクらが大袈裟だった、ハハッ……」


 天使も苦笑いを浮かべて形だけ謝った。


 おそらく最も親しい間柄の者からこの評価。

 一体自分はどんな人物だったのだろう。記憶が曖昧だ。


 そうだ、今自分がすべきは──。


「ごめんなさい、やっぱりワタクシまだ混乱しているようですわ。心配をかけておいて悪いのだけれど、少し一人になる時間を頂けないかしら……」


「あ、ああ。昏睡から目覚めて記憶が混乱しているんだろう。ボクらは席を外すよ」

「ではツェツィ様、何か温かいものを用意して参ります。お体に変調がございましたらそちらを鳴らしてください。すぐにジゼルが参ります」


 ジゼルが枕元の金色のベルを指し、二人は出口へと向かっていく。


「ありがとう、二人とも」


 その言葉を聞き二人がゾワッと総毛立つ。


 お礼を言う度に何故か心が傷ついていく。


 メイドと天使がドアの向こうに消える。石造りの廊下にジゼルの足音が響く。

 足音が完全に聞こえなくなったことをしっかり確認して、今の自分の感想を力の限り吐き出した。


「なんですの! コレは!」


 自分の口から出たとは思えない可憐な萌えボイスが室内に反響する。


「アレは……夢?」


 美咲の笑顔と泣き顔、楢久保蔵人の繰り返す罵倒とその裏に隠されていた期待。

 真実の愛と理想の日常を描くことを追い求め、実現できず過ごした失意の日々。

 そして、トラックに轢かれた生々しい感触、迫りくる死の気配。


 その全てが夢と切り捨てるにはあまりに鮮烈に記憶に焼き付いていた。


 周りを再び見渡すが、ここは救急車の中でも病院でもない。

 間違いなく紅玉寮の自室だ。


 思い出してきた、蒼玉との合同魔術実習でパメラと魔法を打ち合って、二人とも吹き飛んで壁に頭を打ったんだ。


 そう思うと頭がズキズキ痛いことに漸く気が付いた。


 頭を手で押さえ再び鏡を見る。

 やはり、漆黒の長髪をした紅い瞳の美少女が映っている。

 何度瞬きをしても、頬を引っ張っても、どう体を動かしても。


 ここに至って確信する。


「異世界……転生?」


 そう、異世界転生だ。

 エロゲ作家の自分の記憶の中にある、現代日本の創作界隈で隆盛を極めた一大ジャンル。物書きの端くれとして知ってはいたが、ちっぽけなプライドが邪魔して終ぞ自分が書くことは無かった題材だ。


 そんなオレが事故死し、この異世界の美少女に転生を果たしていたのだ。


 その三十年分の人生が一気に雪崩込んできて、口調や一人称をどう統一していいかわからない。ワタクシとオレの境界が自分の中でまだ曖昧だ。


「ワタクシが……オレ?」


 異世界転生にも色々なパターンがある。

 記憶を引き継いだまま赤ん坊から始めるパターンや、途中から人格が入れ替わるパターンなどなど。

 

 自分の場合は頭を打った拍子に前世の記憶を思い出したパターンに分類されるのだろう。


 エロゲ作家の三十年。勇者の娘の十五年。

 どちらの記憶も確かに自分の中にあるのだから。


「信じられない!」


 再び感情が零れる。


 それは売れない物書きで負け組だったオレがこんな勝ち組美少女に転生するなんてという歓喜──などでは決してなく、人類の至宝のワタクシの前世があんなくたびれたオッサンだったなんて! という悲哀の叫びだ。


 さっきは寝起きの混乱で、自分がオッサンであるかのような錯覚に陥っていたが、とんでもない!


 頭を打ったワタクシが、ただ思い出したんだ、前世の三十年分の記憶を!


「ワタクシは断じてオッサンじゃありませんわ!」


 美咲を置いて来たこと、世に代表作を残せなかったこと、オッサンの心残りも確かに記憶にある。


 だが前世は前世だ。

 

 記憶が蘇ろうとも、ワタクシがオッサンになるハズがない! 


 ……だが、記憶だけとはいえ、体感時間における人生の比率は三十年対十五年。

 今や脳内はオッサンが三分の二を占めている。


 ──つまり、ワタクシは最早オッサンなのでは?


「い、いえ! 頭を打っただけでオッサンになったらたまりませんわ!」


 叫びながら鏡を見る。

 映るのはいつもの自分、漆黒の長髪をした紅い瞳の完璧美少女だ。



「ワタクシはワタクシですわ!」



 その事実を確かなものとするため、まずはワタクシが何者なのかを再確認しよう。


「ワタクシはツェツィーリエ=フォン=ノイエンドルフ。人間の勇者の一人娘で公爵令嬢。エルフの魔法使いの直弟子。王室剣術免許皆伝。フリーデンハイム学園紅玉クラス代表。人類の範を示し、平和を築き、大魔王の楔となる者。ジゼルの主で、パメラの友──」


 そこまで言葉にした瞬間、脳裏にパメラの顔がチラついた。


『リオは最高の友達だよ』


 パメラの言葉が頭の中で反響する。


 そして、今日パメラに自分がした仕打ちを思い出す。

 ジゼルに水を零させて、パメラの最高の友達の夢を汚した。


「そうね、これでどの口が友達を名乗れるのかしらね……」


 どんなバカげた夢でもそれを笑うことなど、前世の自分が最も嫌悪することに他ならなかった。


 思い返せば今日の事だけではない。

 パメラにはこれまで幾度となく嫌がらせをしてきた。


 ワタクシは公爵位を与えられた直後の勇者の娘として生まれ、戦後平和の反動で、蝶よ花よと愛でられた。


 加えて母譲りの美貌に父譲りの才能。


 天才だ、人類の至宝だとおだてられ、培われた性格はまさに傲岸不遜。自らの非を少しも疑わず、省みず、全ての他者は自分の飾り程度にしか思っていなかった。


 そして、年々その傾向は輪をかけて酷くなった。


 それは『安寧を欲さば、まず力を求めよ』という師の教えに心酔した時からか。

 それとも五年前のあの日、ワタクシが大怪我をしてパメラが本気を出さなくなった時からか。


「ワタクシ、ツンデレでしたのね……」


 前世の記憶を利用した自己評価が思わず口を突いて出る。


 有象無象の中で唯一自分と比肩すると認めていたパメラに自分は自覚無く執着していたのだ。


 彼女が塞ぎこんだことに責任を感じて。

 最高の友達が離れることに寂しさを感じて。


 嫌がらせをしたのも、フラウ・エルネストにいたずらしたのも、全てはもう一度パメラに振り向いて欲しかったから……。


「ああああああああああ! バカバカ! ワタクシのバカ!」


 自分の深層心理に気づいて赤面し、叫びながらシーツをぐしゃぐしゃにする。


 あ、辛れぇですわ、コレ。


 突如自分の中に現れた三十路のオッサンが、リアルタイムで黒歴史を増産中の自惚れた十五歳の小娘を客観視してくる。


 そして思い出すあまりに自己中で非生産的な悪行の数々。


 ジゼルに押し付けてきた理不尽な命令、ラファエル先生を顎で使う、舐めきったフリーデンハイム学園新入生代表挨拶、魔族への数々の差別発言、魔術学で先生の講義を横取り、ルーヴェンブルン王にタメ口、御前試合で剣を片手持ち、無害なドラゴンをわざわざ挑発、商都の服屋で棚ごと購入、冒険者組合主催のミスコンテストをドタキャンetc……。


 ジゼルたちがお礼程度で驚くのもさもありなん。過去の所業の全てが、一斉に羞恥心に放火を始めた。

 特大の精神ダメージを受け、ワタクシはベッド上をのたうち回る。


「ま、まずはジゼルとパメラとフラウ・エルネストに謝りませんと……」


 ひとしきりベッドの毛玉取りの真似をし終えてワタクシは我に返る。


 父に言われるがままに入学したこの学園でも、散々魔族いじめをしてきたし、教師陣にも舐めた態度をとってきた。

 つまり、今の自分はまさに学園の悪役令嬢といったところか。


 オッサンの常識を得たワタクシは今までの驕り高ぶった自分を反省し、過去を清算して分別ある淑女になろうと決心したのだった。

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