秋、空高く…。あの日の君を忘れない

もってぃ

あのとき、わたしは怒っていた。

〇一、


 その年の夏もやはり猛暑で、十月も半ばにかかろうかという段になって、ようやく秋風が吹いて涼しくなってくれた。

 それからの一ヶ月は駆け足で、季節は日に日に深まっていき、気付けば道端の秋桜コスモスに心引かれるようになった頃……。


 そう、この記憶ものがたりは秋のお話…──。



 放課後の報道倶楽部の部室。

 A県の中核都市に隣接する小さなベッドタウンに在所する私立星南学園。

 高等部の二年生の奥村おくむら鈴華りかは、苦心して完成させたロケ台本を手に、先週末に事前準備でスマホ撮影した〝明治村〟の画像を確認している。

 気付いたことがあれば、その都度、余白に書き込んだりしながら。


 そんな鈴華の手が止まった。

 明治モダン溢れる瀟洒しょうしゃな建物を巡って撮った画像の終わりに、黒髪の流れる肩越しに勝気そうな黒い瞳を向けて〝赤レンガ通り〟を行く──屋外ということでマスクを外した──女子高生がいた。


 ──あいつ……っ‼


 理由わけもなくカッとなり頬の辺りを熱くした鈴華は、思わず出そうになった声を何とか飲み込んだ。

 慌てて削除のアイコンに指を走らせかけて……結局それはせずに、その一枚だけを別フォルダに移した。

 それから右の手の人差し指の腹に目線を落として、そこにうっすらと残る白い傷の痕を見る。

 知らず、小さく溜息が漏れた。


 その一枚に写った黒い髪の女子高生とは、鈴華りかだった……。


   ◆  ◇  ◆


 折からの世界的な感染症の流行を受けて修学旅行が翌年に延期と決まったのは、夏場の〝まさかの〟蔓延拡大の最中だった。二年生最大の学校行事が、取り止めとなったわけである。

 その後、鈴華たちの高校生活せいしゅんを一変させ続けるこの新型感染症は、八月の中頃には新規陽性者が減少し始め、十月に入ってからは小康を保っている。


 そうした中で学園も、次々と中止や延期となっていった学校行事の替わりにと、遠足を考えてくれた。選ばれたのは〝明治村〟。──明治時代の建造物等を移築して公開し、社会文化の向上に寄与することを目的としたこの野外博物館は、やはり県内の定番だ。

 それでその一日を、報道倶楽部が動画で紹介する、ということになったのだった。


 それは、八月に新部長になった鈴華が、自ら発案した企画だった。

 報道倶楽部は、伝統ある新聞部が発展的解消という体裁で放送部に吸収される形で本年度の二学期から発足した新しい部で、なぜか新聞部から参加した鈴華が初代の部長になった。

 情報バラエティのような体裁が苦手な鈴華は、某国営放送の人気番組を模した定点観測型ドキュメンタリーの体裁を提案し、その企画を〝がんばって半ば強引に〟通したのだ。

 奥村鈴華は、硬派な報道女子に憧れている。


 そういう次第だったから、本番──遠足の当日──には絶対に失敗はできないと有志部員を募り、事前の下見に明治村に行って写真を撮ってきたのだったが…──。

 この写真を撮ったのは、同じクラスの男子で写真部にも籍を置いていた、みさき悠人ゆうとである。


   ◆  ◆  ◇


 すでに課外活動の時間は大分過ぎていて、大半の部員はもう下校している。明日が遠足の当日ということで、二年生には放課後は直ぐに下校するよう〝お達し指示〟が出ているのだ。


 西向きに開いた窓から見える秋の陽はそろそろ赤味を帯びようとしていて、遠く棚引く雲が薄く輝いているのが見える。

 校庭からの運動部の掛け声もすでに聞こえてこなくなっていた。

 人気のけた部室にいるのは、もう〝腹心の友しんゆう〟の小泉こいずみ和子わこだけだ。


「──…そろそろ帰ろ」

 その和子わこの言葉で、鈴華は我に返った。

「え……?」

 長机の斜向いからの和子わこの視線に、何か誤解が含まれているように感じている自分がいた。

 鈴華は、内心で一オクターブ程高くなった自分の声に幻滅しつつ、意味の無い笑顔になって訊き返す。

「…──なに?」

 和子は大きく頷いてみせると、やれやれと、もう一度訊き返してくれた。

「そろそろ帰らん? 明日、早いよ?」

「んー──」

 鈴華が口を開こうとしたのと部室の引戸から長身の人影が入ってくるのが同時だった。


「まーだ居たのか、おぬしら…──」

 黒のマスクの下から発せられるアルトのハスキーボイスで古風な口調。長い黒髪のグラマラス美人は原國はらぐに香織かおりだった。報道倶楽部の顧問で二人のクラス担任でもある。

「熱心なのは感心するが、今日は居残りざんぎょうは許可できんぞ」

「はーい!」

 片手をあげて和子が応じる。


 明日の遠足を撮影して回らねばならない報道倶楽部と言えど、やはり例外は認められない。

 対象の二年生は、もう下校しなければならない時間だった。


「いま帰ろーと思ってたとこでーす」

 和子のその言で鈴華も切り上げることにして、机の上の資料とスマホ、ノートの類をまとめてスクールバッグに放り込んだ。あごに下がったマスクを引き上げるのを忘れない。

 原國は頷いて返すと先に廊下に出、二人が消灯して戸に鍵を掛けるのを待つ。

 鈴華と和子が戸締りを確認すると、三人は並んで廊下を歩き出した。部室の鍵の授受は職員室で、と決まっていた。


「奥村は今回、作業しごとが増えてたいへんじゃったな」

 歩き始めると鈴華は、原國からねぎらいの言葉を掛けられた。

「急に岬がいなくなったしわ寄せをよくカバーしてくれたな」

「まったく、ですよ」

 敬愛する〝女傑〟先生から直々に労いの言葉を頂いた鈴華は、思わず気の置けぬ口調になって、事の原因である岬悠人への愚痴を言葉にしてしまった。

「あいつ、何の引き継ぎもしないでいなくなって、ほんと迷惑……」

 口を尖らせてそう言う鈴華は廊下を真っ直ぐに見ており、そんな彼女を原國が可笑しそうに見やるのに気付かなかった。それから原國は和子と目が合って、互いに崩した相好で頷き合う。


 と、鈴華の顔がばね仕掛けのように跳ね上がって訊いてきた。

「──これって〝敵前逃亡〟ですよね?」

 わりと本気で怒っているかんの鈴華に、原國は生真面目に応じた。

「まあ、そうじゃな。……じゃが岬にも事情があるのじゃ」

「どんな、です?」

 鈴華のそれは、訊いても無駄なことをわかった上での敢えての質問だ。

「それはあたしの口から云うわけにはいかぬであろー……教師じゃからな。わかっておろう?」

 最後は優しく笑みでそう言われ、鈴華は素直に頷いた。

 その時にはもう職員室はあと少し、というところで、後は明日の明治村での段取りを確認しているうちに辿り着くことになった。


 職員室の入口の端で部室の鍵を返却すると、鈴華は和子と並んで室内に向き直り、元気に一礼した。

 そして先生たちの「はい、気を付けてな」の声と、それに続く、いたって普通な口調の原國の同僚とのやり取りの声を背に、二人は廊下に出た。




 職員室のある本館から自転車置き場に出るには、本館と西棟を結ぶ渡り廊下の下の中庭を突っ切っていくのが最短経路ちかみちだった。二人は急ぐでもなく中庭に出た。

 夏休みが明けて〝やっと〟再開した部活動も、多くの三年生が引退していて、二年生も明日の遠足に備えて早く帰されていたため、今日の中庭には人影はなかった。


「…──ね、岬のこと、ほんとに何も聞いてないの?」

 多分、訊いてくるな、とは思っていたが、やはり和子は訊いてきた。


 ……ああー……ったく、めんどくさい!


 鈴華は溜息をこらえると、

「なんにも聞いてない。……なんで?」

 何でもないことのように聞こえるようにして訊き返した。

「ふーん……」 和子の方はちょっとだけ言継ぐタイミングを計りはしたが、相変らずの〝ゴーイングマイウェイ〟……。「ちょっと腑に落ちんなぁ」

「…………」

 鈴華は曇りがちになる表情かおを覚られぬように、唯ひたすら前を向いて歩く。

 そんな鈴華に気付いたふうもなく和子は続けた。

「あたしらは兎も角ともかく、鈴華にも一言もなしなんて、どーしちゃったんだろ? って…──」


「──何でわたしには一言がなくちゃならんの?」

 このときになってようやく鈴華の声に不穏なものを感じ取った和子は、両の手を胸元に掲げ、言い訳をするように笑顔を作って言う。

「あ……、ほら、岬が報道倶楽部あたしらに係わるようになったのって、鈴華との繋がりだったじゃん。それに見かけによらず仕事はきっちりするヤツだったから、何にも言わずにいなくなっちゃうって、らしくないというか……」

 鈴華は、そんな〝腹心の友しんゆう〟の言を一顧だにしないで応えた。

「知らないよ。それなら〝できなかった〟理由わけがあったんでしょ」



 もうそれ以上、この件では取りつく島は与えないとばかりに、鈴華は和子を置き去りに歩調を速めた。

 わたし、怒ってるかな? そんなふうな思いは振り払った。




 十一月二週の火曜日。

 修学旅行の替わりの遠足を翌日に控えた高校二年生の秋の放課後。

 夕の空が終わろうとしていた。

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