第7話 ウォータースライダー

1996年8月5日(月)


子供たちが元気よく駆けていく。

目指している場所は皆一緒だ。



ウォータースライダー。



雄大にそびえ立つ大きな滑り台を楽しみにしているようだ。


「走っちゃだめよ。転んじゃうから」

清水さんは子供たちに注意をしている。

ホント、真面目だなぁと思う。

根っからの委員長気質なんだと思う。


そんな中、

清水さんの注意を守らず、

実際に転んで、ぐずってる子があらわれた。

こんな濡れた場所で走るから……。


「大丈夫? 怪我してない」

そんな子供に対して彼女は面倒見よく対応していた。

しゃがみ込みながら転んだ子供の様子を見る。

釣られて自分もしゃがみならが子供の様子を見た。


「擦り傷とかは無いみたいだな」

とりあえず血は出ていない。

打ち身ぐらいかな?


「こんなの大丈夫だよ」

涙目になりながらの強気な発言。

このガキんちょは……。


「それに。"あのおねーちゃん"も走ってるし」

"あのおねーちゃん"とはアカリの事である。

子供たちに交じって我先を急いでウォータースラーダーの頂点を目指していた。


あいつ……。

あれじゃ。でっかい子供だぞ。

身体は大人、頭脳は子供、その名はアカリ。

アカリの毒舌や平手打ちから世の男性諸君を守る為にも

メガネをかけた小さな名探偵に捕えてもらった方が良いかもしれない……。


転んだ子供が立ち上がっていた。

清水さんは痛いの痛いの飛んでけーとか言ってる。


うむ。大変、微笑ましい!


「ありがとう。おねーちゃん」

おい。おい。おにーちゃん。が抜けてるぞ。

そのガキはそう言って。また駆けだしていった。


「走っちゃダメよ!」

清水さんが声を掛ける。

その言葉が聞こえたのか、少しだけ走る速さを緩め

そして、その子供は行ってしまった。


清水さんはどうやら子供好きのようだ。

教師を目指しているのもそれが理由の一つかもしれない。


「子供、好きなの?」

思い切って清水さんに聞いてみた。


「うん。可愛いなって……。鬼塚君は?」


「うーん。可愛い子もいるけど。

さっきみたいな元気が有りあまってるのもいるしなー」

というより生意気である。


「それはそれで可愛いと思うけど。

それに目線を合わせるとちゃんと答えてくれるよ」

そういうもんだろうか?

でも、確かに清水さんはしゃがみ込み、

子供と目線を合わせて話していた。


「そういうのって大事だよなー」

多分。そういうことも意図的に

身に着けたんだと思う。清水さんは。


「うん。そうなんですよ」

そう言って清水さんは俺とも目線を合わせてくれた。



あぁ。可愛い。いや。さっきの子供じゃなくて

清水さんがだけと。

こう。何気なく合わせてくれるところが……。



……さて。さっきの子供ほどではないが

もう少し歩みを速めて欲しい奴がいた。



遠藤である。



高宮と手をつないでウォータースライダーを目指して歩いている。

はた目には仲睦まじいカップルに見えている。

羨ましいことこの上ない。のだが……。


よく見ると遠藤の膝が笑っている。

遠藤の顔も笑っ……あ、いや。あれは引き攣ってるって表情だな。

ウォータースライダーに近づけば近づくほど

歩みが遅くなっている。



そのデカさが近づけば近づくほど分かるからね。



ホント。行きたくねぇんだろうな……。あいつ。

こればっかりは助け舟を出せるもんじゃないと諦めていた。




俺と清水さんがウォータースライダーを滑り終えて

プールに着水した後、

はるか上方から男性と思しき短い悲鳴が聞こえ、

そしてその後に遠藤と高宮が着水した。




……。遠藤は直ぐに浮かんでこなかった。




慌てる高宮を尻目に

プールの底から浮かんでこない遠藤に救いの手を差し伸べつつ、

俺は"成田離婚"が始まらない事だけを切に願った。


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成田離婚……

結婚したての男女が新婚旅行を機に離婚することをいう。

1990年代に使われた言葉で、そのタイトル通りのドラマも制作された。

現在でいう「スピード離婚」の1つで、

当時多くの国際便が発着していた成田国際空港の名をとってそう呼ばれる。

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