手柄の行方1
「あら?あなたたち、旅の人かしら?」
レジリス村に到着するや、入り口近くにいた老婆が話し掛けて来た。
一面真っ白の短い髪とくすんだ紅色の防寒着は高齢者に似つかわしい風情だが、声は不釣り合いに瑞々しく、背筋も真っ直ぐ伸びている。
「ここに来るってことは、やっぱり霊峰レジリスにご用事?だったら、もっと温かい格好をしなくちゃ危ないわよ。あの山の寒さは、この辺とは比べ物になりませんからね。」
「い、いえ…ボクたち、この村に人さがしに来たんです…お、おばあさん、この2人を見かけてませんか…?」
震える手で2枚の写真を渡すと、氷華君は必死で自分の身体を擦る。
「あら、これは…。」
「ファラーム城の王子と、王子を誘拐したッて女なンだが…。」
駆君の説明に、老婆の朗らかだった笑顔は挑戦的なものへと変化した。
「―そっか。あなたたちなんだね。」
あどけない口調になったと思うと、小さな黒い球体を足元に投げつける。
球の中からは目に沁みる煙が噴き出し、僕達を咳き込ませた。
視界が晴れた時には、老婆はいなかった。
代わりに茶髪をポニーテールにまとめ、赤い忍び装束を着たうら若い少女が立っていた。
「テメエ…!」
「はーい、初めましてー。ファラームのアルス王子さまを連れ出した、ユナ=ゾールでーす☆よろしくねー♡」
ユナは敬礼とウインクを添え、ふざけているとしか思えないほど陽気に挨拶した。
「ふふ…私の変装、どうだった?こうやって自分からバラさなかったら、本当にただのおばあちゃんにしか見えなかったでしょ?」
「…いや、そいつはどうだろう。」
自慢気に豊かな胸を張るユナを前にして、半分ほど真面目に悩んだ。
確かに外見だけなら中々の偽装だったが、声を変えていなかったので結局は話している内にボロを出したのではないか。
「変装はともかく、さっさと王子様を返す気はねえかい?そしたら、せめて手荒な真似ナシでしょっ引いてやるぜ?基本、バカ妹以外の女子には優しくしときてえし。」
「うーん…最後のお情けありがとうって言わなきゃかもだけど、ごめんなさい。ちょっとワケありでね。すっごく強い人にしか、アルスく…王子さまは返せないの。」
「その理由とは何でしょうか…と伺っても、答えては下さらないのでしょうね。」
「…はい。残念ながら。」
「ちっ…要らん手間掛けさせやがって。」
風刃が苛立ちを露わに舌打ちし、木刀を握る。
「そんなに痛い目に遭いてぇなら、望み通りにしてやる!さっさと王子を解放すれば良かったって、後悔しやがれ!」
まばたき一つせずに立ち尽くしているユナに突進し、風を纏った斬撃を叩き込んだ。
だが、巻き上がる砂埃が去った後にユナの姿はなく、薄汚れた丸太が残っているだけだった。
「あっ、変わり身!?」
「忍者かぶれも、いよいよ度が過ぎて来やがッたな…。」
「…あの子…どこに…?」
予想外の技に誰もが視線を彷徨わせたが、ユナは見つからない。
気配で勘付かれないよう魄力も抑えているので、目と耳で直接探るしかなかった。
「…ん?」
ふと、風刃が足元を見やる。
少しずつ、だが確実に、影が大きくなっていた。
「
空中から現れたユナが、脇差で斬りかかる。
風刃は悠然と後ろに下がって事無きを得たが、取り立てて特徴の無い得物での一撃は、土砂を軽々と捲り上げてみせた。
「あらま。結構やるんでねえの?」
「…うん…直撃…くらったら…危ないね…。」
「…ふん。見た目よりは力があるらしいな。」
「そんな筋肉バカみたいな言い方、心外だなー。魄力を使ったおかげでやっとこんな威力ってだけだよ?私、本当は見た目通りのひ弱な女なんだから。」
「そうかよ。だったら、無駄な怪我しねぇ内に王子を返したらどうだ。」
「あれ?誘拐犯に、情けをかけてくれてるの?」
「馬鹿言え。勝つのが分かり切った戦いをダラダラやるのは苦痛ってだけだ。雑魚をいびって喜ぶ趣味はねぇんでな。」
「そうはいかないよ。前言撤回なんてナシ。王子さまを返すのは、あなたがすっごく強い人だって証明してもらってからじゃないとね。」
「はあ…つくづく鬱陶しい野郎だ!」
短い溜息を吐いて一層忌々し気に顔を顰めると、風刃は木刀を肩の高さに構え、力を込めた突きを繰り出した。
「
切っ先から、威力と速度を兼ね備えた風の弾丸が飛び出した。
無防備のまま突っ立っていたユナは腹部を撃たれ、仰向けに倒れる。
「…ちっ、またか!」
だがユナに見えたそれは、地面に沈むと丸太に姿を変えた。
「ちまちまと目障りな真似しやがって…!」
「落ち着け。冷静にやらないと、勝てる勝負も取りこぼすぞ。」
叱るでもからかうでもなく淡々と諭すと、風刃は素直に深呼吸を始めた。
「えーい!」
その時を狙っていたかのように、ユナが背後から脇差を振るう。
しかし風刃は難なく避け、ユナの背中に木刀の一撃を浴びせた。
「あうっ!」
うつ伏せになったユナは更に、風刃の右足で後頭部を踏み付けられた。
「いやーっ、痛い痛い!人の頭、踏みつけないでよー!!」
「そんな科白抜かす位なら、さっさと王子の居場所を吐け。言わなきゃ、幾らでも踏み続けるぞ。」
眼下の悲鳴に眉一つ動かさず、風刃はユナの頭を踏みにじる。
「だから、言ってるでしょ…それは、あなたがすっごく強いって証明してくれないと、ダメなの…!」
ユナは腰に付けた袋から小さな黒い球体を取り出すと、勢いよく地面にぶつけた。
たちまち大量の煙が吹き上がり、再び僕達を咳き込ませる。
「くっ…また煙玉か…。」
風刃が木刀を振るって煙を払うと、ユナはその眼前にいた。
「あっ、また変わり身になってる!」
だが、不気味な程に動きを見せない点から、皆が一目で偽物だと察する。
「本物は…ああ、あそこだな~。」
村の奥のロッジを見やると、屋根の上には印を結んで精神集中をしているユナがいた。
「…悔しいけど、幻鏡斬じゃ通じないみたいだね…でも今度は、さっきみたいにはいかないよ!秘術・
ユナの身体が仄かに白く光ったと思った矢先、その姿が5つに増えた。
「…わっ…分身の術…!?」
「しかも、全員から魄力を感じます…!」
どうやら新たに現れた4人は幻覚や目くらましなどではなく、元祖ユナを忠実に複製した代物のようだ。
「はは。お前、迷惑な奴だけど色々面白い技持ってるな。見世物小屋なら売れっ子になれそうだぞ。」
「ちょっと、お兄さん。見世物呼ばわりなんて遠慮してほしいな。苦労してできるようになった、自慢の技なんだから。」
「…下らねぇ。馬鹿げた大道芸に付き合ってやる程、暇じゃねぇんだ。ぶちのめしてやるから、とっとと掛かって来い!」
「そう?それじゃ、遠慮なく♪」
5人のユナが無邪気な笑顔のまま、脇差や拳や蹴りを見舞おうと風刃に迫る。
対する風刃はまるで動じず、真っ先に肉薄して来た分身の2人を右薙ぎで払いのけ。
次いで、後ろから襲い掛かろうとした2人は左手の裏拳で沈め。
最後に、死角から脇差で斬りかかって来た元祖ユナの額を右肘で打った。
「いたっ!」
元祖ユナが仰向けに倒れると、4つの分身も跡形無く消え去った。
「いたたた…どうして、こんな…。」
「どうしても何もあるか。0に何回0を足したって、1にはならねぇってだけの話だ。」
涙目で患部を押さえて悔しがるユナに、腕組みをした風刃が冷然と言い放つ。
「霞の修行受けてなかったら、間違っても言えない台詞だったな。」
「放っとけ!」
「それで、誘拐犯さん。まだ王子様の居場所を教える気はないのかな?返事次第じゃ、もっときつーい取り調べしちゃうよ?」
「…私の負けだね。全部お話ししますよ。」
満面の笑みで拳を握ってみせる氷華君にユナは力なく溜息をこぼしたが、すぐに真剣な面持ちになり、僕達を見据えた。
「その代わり…私が言うのも変だけど、王子さまをしっかり守ってよね。」
「…本当に誘拐犯の抜かすセリフじゃねエな。テメエ、自分の立場分かってやがるのか?」
「言ったでしょ。これにも色々とワケが―」
―そのワケとやらは、あたしがじっくり聞いてやるよ!
ユナの告白は突然の声と、僕達の後ろから地を裂きつつ迫る衝撃波で遮られた。
「どわ~!」
「きゃああああああ!?」
僕達は全員無事に回避したが、唯一直撃を受けたユナは大きく上空に投げ出される。
そこに純白の鎧で身を包んだ女戦士が飛び込み、ユナを左手一つで捕獲した。
「メイル!」
「やあ。御苦労だったね、団体さん。」
手近なロッジの屋根に立ったメイルが、不敵に笑う。
「この人数の差じゃ、小娘を見つけ出すもとっちめるもあんた達に先を越されるのが分かり切ってたんでね。今まで様子見させてもらってたよ。」
「てめぇ!後からしゃしゃり出て、良いとこだけ持って行く気か!」
「そういうこと。ファラーム城でも言ったけど、先立つ物が要る身なんだ。ズルは十分承知の上だから、いくら恨んでくれても構わないよ。」
メイルはロッジを屋根伝いに跳び、レジリス村の外へ向かう。
軽装ではないにもかかわらず、実に身軽な動きだった。
「待て、この野郎!!!」
その後を真っ先に追い掛けたのは、怒りに燃える風刃であった。
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