樹王の下で2

「ぐあ…!」

「風刃!」

激昂して立ち上がった赤鬼の金棒を、左腕に受けてしまった。

「こノ、ウジムシが…!!許さン…絶対ニ許さんゾ!!!」

しつこい野郎だと腹を立てる一方、敵の様子も確認せずに駄弁っていたのが油断だったと後悔した。

骨折は免れたらしく、右手で患部を押さえると多少痛みが和らぐが、それでも無視できる軽傷では到底ない。

「チッ、狙いが甘かッたようジャの。…じゃが、次は間違いナく叩き潰してくレル!!!」

大量の腫れと切り傷をこさえた赤鬼は、普段から鋭利であった瞳を一層きつく細めている。

まさしく、怒り心頭となっていた。

「ぐ…。」

左腕で騒ぐ痛覚神経に気を取られ、立ち位置も変えずに、うずくまったままでいた。

当然、振り下ろされた金属の塊に頭を―











「ガアアアアアアアア…!!!」











―砕かれる、はずだった。






「ん…!?」






しかし、確かに迫って来ていたはずの鈍器は、使い手と一緒に吹き飛ばされた。






徐に右隣を見やると、開いた右手を真っ直ぐ伸ばす兄の姿がある。






あんたが風を起こしたんだなとは、確かめるまでもなかった。






「いい加減にしろよ、お前!!!探し物ってやつに何の関係もなかった人達を散々いたぶって、この上まだ暴れる気か!!!」






尻餅を突いた赤鬼に歩み寄ってその胸ぐらを掴み、怒声を放つ兄。






普段の余裕に溢れた立ち振る舞いからは想像も付かない、激しい口調だった。






「むウ…余計な真似ヲ…!!貴様かラ先に消してヤル!!!」






急ぎ起立した赤鬼が、兄の脳天を目掛けて、金棒を振り下ろした。






対する兄は、風を纏わせた右手の拳を掲げ、受け止めようとする。






「馬鹿、何突っ立ってんだ!避けろ!!」






しかし俺の忠告は、杞憂に過ぎなかった。











両者が競り合った直後、粉々に砕かれていたのは、赤鬼の金棒だった。






「ナ…バカな…!!」






赤鬼は動揺を抑え切れず、口を大きく開けたまま、立ち尽くしていた。






「大人しくそこの穴にでも埋まってろ!!!」






兄は軽く跳び上がると、風を付与した両手で赤鬼の頭を思い切り殴打した。






「ガアアアアアア…!!!!!」






赤鬼は絶叫を上げながら、再び自身が作った陥没へと沈む。






着地した兄が右足で突いてみても、時折僅かな痙攣を見せるだけで、襲い掛かって来る様子はない。






兄は両目を閉じて空を仰ぎ、大きく息を吐いた。

「まったく、悪あがきだけは立派なもんだな…風刃、左腕大丈夫か?」

「…まあな…。」

顔を顰めたまま、ぶっきらぼうに返答した。

「まあなって、何だよ。見た目より痛むとか?…もしかして、骨でも折られたのか!?」

「多分、大丈夫。手で押さえてりゃそんなに痛まねぇし、折れちゃいねぇだろうさ。」

努めて淡々とした態度を装ったが、己への憤りは禁じ得なかった。

赤鬼を倒し切れなかった上に反撃も喰らい、挙句に兄の手を煩わせたとは、何という醜態だろう。

仮に1対1であれば、こちらが殺されていた可能性さえあった訳か。

「そうか…いや、そんなに酷くないならいいんだけどね。場合によっちゃ、こいつを念入りにボコボコにしなきゃならんからな。」

兄は俺の心境を気に掛ける節も無く、赤鬼の背中を二三、踏み付けていた。

「こらこら。それ以上やったらそいつ死んじまうぞ。…まあ、こんな野朗なら粉微塵にした方がいい気もするけど…。」

「そんな真似したら、こっちも悪者だもんな。…ああ、こいつはこのまま放っとこうか。そのうち警察が見つけるなり、誰かが通報するなりで、捕まるだろうし。」

「そうだな。」

兄に、すぐさま頷いた。

この世の中、警察機構もまた、変異種への対応は冷淡極まりない。

普通の人間でさえ、事件の第一発見者ともなれば、あらぬ疑念を持たれるもの。

ましてや変異種が通り魔を実力行使でねじ伏せ、さらに手ずから交番や警察署に突き出しになど行けば、さんざっぱら不毛な詰問をされるのは確実だ。

現場保全の為にも、これ以上民間人が手を出すべきではあるまい。






「…ふう。お前は怪我こさえたし、麓の騒ぎも大きくなってるしで、呑気に木の実の採集する気分じゃなくなったな…。」

「え!?せっかく来たのに、手ぶらで帰るのか!?」

予想だにしない中止宣言に、思わず大声を出してしまう。

「しょうがないだろ、こんな状態じゃ。また今度来れば良いさ。」

「今度っていつだよ!」

「そうだな…お前の左腕が完全に治った頃かな。」

「何でこんな掠り傷でそこまで待たなきゃいけねぇんだ!今すぐ採りに行けばいいだろ!」

「馬鹿。無理して実採りに行って余計に左腕痛めたら、晩飯は誰が作るんだよ。」

「何でいつも俺が作るの前提なんだよ!たまには自分で作らんかい!」

「嫌だ、めんどい。」

「毎回同じことばっかり言いやがって…!せめて断る時の台詞くらい変えろ!」

「じゃ、断る。」

「ならばよし。」

「良いのかよ!」

落ちの不出来な緩い口論を繰り広げた末、結局先送りを受け入れた。






「…しかし本当に、晩飯どうしようかな。」

「自分で作りたくねぇなら、『あったか弁当』でも買えば良いだろ。」

「あた弁か…美味いけど地味に値段張るし、勿体ないな…。」

「ああ、もう!じゃあどうするんだよ!」

「…よし、氷華君に頼むか!」

「人様をこき使うんじゃねぇよ!しかも何でわざわざあのド下手を呼びつけるんだ!!」

「その方が面白いだろ。」

「貴様!!少しは真面目に考えんかい!!」

兄と平和に言い争いながら翼を広げると、地上の人目を警戒しつつ空を渡り、自宅へと向かった。

帰宅後の食事はどうしようかと、精々数時間しか後回しにできない問題に頭を悩ませながら。
















陽光が仄かに赤みを帯び始めた頃には、小鬼の集団も赤鬼も、それらから暴行を受けた被害者達も、全て運び出されていた。






誰の姿もなくなった山の頂、そこに根差す巨木の陰に。






完全に気配を殺して、彼は潜んでいた。











―もしかしたら、奴等かもしれない。











唇の端に微かな笑みを浮かべた彼は次の瞬間、空気に溶けるようにして、音もなくその姿を消す。











その場には足跡一つも残らず、少し涼しげな夕刻の風だけが流れていた。

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