廻り出す世界3

9匹の小鬼の内、最初の標的にしたのは、先頭にいた女だった。






「キャっ!」






右手の拳でその顔面を殴り付け、打ち倒す。






さらに、その真後ろにいた別の女の首を左手で掴み、少し高くに浮上した。






「ウっ、アあっ…!」






取り押さえられたまま悶える女を真っ直ぐ投げ飛ばし、広場の隅にできていた最も深い窪みへと叩き落とす。






着地ついでに様子を窺うが、穴に沈んだ女は復帰して来なかった。






安堵した途端、前方ばかりに注意を向けていたのは失敗だったと思い知る。






「グ…くたバレー!!!!」






気後れを振り払うように叫び、背後から襲い掛かって来た男の蹴りを、まともに受けてしまった。






「ぐっ…この野郎!!!」






痛みに立腹し、すぐさま振り向くと、返礼に右手でのアッパーを見舞い。






「ガは…。」






更に、宙に浮いた男の腹部を、左手の拳で打擲ちょうちゃくする。






奴の身体は軽く吹き飛び、広場の周囲を飾り立てる木々の間へと消えて行った。






「えエ、ちょッと…!?何なノ、このコ…!?」






「ドウ見てモ、拳法とかやっテル動きジャねえノニ…!」






「何デ、みんナ一撃でブッ飛ばサレるンダ…!?」






残った6匹の内の3匹が、震えた声で驚愕を示した。






理解が至らず棒立ちになっている小鬼共は、絵に描いたような無防備ぶり。






全てを同時に吹き飛ばすのには、右手を開いて烈風を巻き起こすだけで、事足りた。






「くソ…この、ガきガ!!」






「調子に乗ッテんジャネえ!!」






正面へ強風を起こしていると、左右から2匹の小鬼がナイフを掲げて迫って来た。






他の敵に意識を取られている場面を挟み撃ちにすれば、勝機があると見立てたか。






しかし奴等の判断は、墓穴を掘っただけだった。






両側に向けて双腕を突き出し、2つの手掌から勢い良く突風を放つ。






「ぐ…ああアアアーーーーー…!!」






「うわアアアアーーーーー…!!」






2匹の小鬼はあえなく、広場の外へと放り出されて行った。






「ふん…。」

接近して来た2匹の戦線離脱を確認すると、ひとまず両手を下ろした。

10匹いた小鬼の集団も、残りは1匹。しかも最後の小柄な男は、腰を抜かして小刻みに震えている。

形勢を逆転される可能性は、全くなかった。

(『塞翁が馬』とは、昔の人間は上手い事言ったもんだ…。)

自らが最も疎む立場のお陰で、他でもない自分が救われたとあっては、そんな感心を抱くしかなかった。






小鬼の一団にも看破された通り、俺に武道の心得はない。

それにもかかわらず、凶器まで携えた小鬼達を簡単に打ち倒せたのは、種を明かせば単純な話。






我が身に、風を自在に操る力が備わっているからだった。






日常生活においては扇風機の代用位にしか役立たない能力だが、かような荒事においては、非常に頼もしい武器となる。

風を帯びた拳を繰り出せば標的を遥か彼方へ弾き飛ばすのも容易く、集中した力の強度によっては、遠距離を切り裂く事も可能だ。

もっとも、この力も凡庸な人間に軽々しく披露できる物ではないゆえ、普段は扱わないようにしている。

そのために、苦も無く圧勝できるはずの諍いで、何度も苦汁を嘗める羽目に遭った。






ただし、事を構えるのが変異種同士であれば、何の変哲も無い人間には『異常』と映る現象も、大抵『平凡』として片付けられる。

顔に嘴、背中に翼を持った男が意のままに風を吹かせても、後の展開を憂う必要もない。

さながら格闘ゲームをプレイする様に、自由に暴れていられた。






「…さて、残りはてめぇだけだな。」

座り込んだままの小柄な男に、風を宿した右手の拳を誇示する。

「…ぐ…ウグう…。」

怯えながらも、奴の双眸は俺ではなく、明後日の方向に釘付けとなっている。

その視線を追うと、登山道があった。






「ウわアアアーーーーーーー!!!!!」






こちらの注意が逸れたと踏むや、小柄な男は唐突に駆け出した。






「逃がすか!!!」






すぐさま翼を広げ、低空飛行で小柄な男を追い掛ける。






「ぐハっ!」






敵の行く手に先回りすると共に、その首を左手で掴んで、動きを封じた。






「ウぐ、グっ…タ、のむ…!タす…けテ、くレ…!」






「…とことんふざけた野郎め!縁もゆかりもねぇ人間斬りまくってヘラヘラ笑ってやがったくせに、自分がやばくなったら命乞いかよ!!しかも連れまで見捨てやがって、いっそ表彰物だな…!!!」






苦し気にもがきながら許しを請う小柄な男に、怒りが頂点を超えた。






最大限の風を付与した右手の拳で、思い切り顎を殴打する。






「グあアアーーーーー!!!」






小柄な男の身体は陸地を離れ、空へと打ち上げられた。






墜落を免れようと必死に身体を動かすが、翼を持たぬ者が空中で体勢を整えられる筈もない。






水場で溺れているような形で、両手と両足を暴れさせるだけだった。






「てめぇみてぇな奴は一番勘弁ならねぇ!!他の9匹の10倍苦しんで、消え失せろ!!!」






勢い良く地を蹴って追い付くと、風を纏った両手で、小柄な男の全身を叩き続ける。






最後に2つの手を組み合わせ、とどめの打撃を腹部に叩き込んだ。






「ギャああアアアーーーーー!!!!!!!!!!」






小柄な男は、絶叫を上げながら急降下して行った。











「ぐギャあッ…!!」











「…ん?」

不可思議な現象を目撃した。

地上から少々離れた地点で、仰向けの格好になった小柄な男が静止している。

つまり、空を飛べないはずの者が、何故か浮遊していた。

「…どうなってんだ?」

首を傾げながら地上に降り立つと、疑問は氷解した。






兄が、小柄な男の背中に突き刺さる形で、右手の拳を突き上げていたのだった。

「…高みの見物してたかと思えば、最後の最後に良い所持って行きやがって…つくづく嫌な野朗だな…。」

「何言ってんだ。あんな高さから叩き落としたら、無事じゃ済まんだろ。」

兄の反論は、至極真剣だった。

「幾らこいつらが人斬りやったからって、殺したりしたらこっちもタダじゃ済まないんだからな。」

憤りの余り、小鬼達の同類、あるいはそれ以上の罪人になるところだったのを失念していたと気付かせられる。

「…お気遣いどうも。」

「どういたしまして。」

兄は拳を引き抜くと、落下して来た男に、風を宿した右足での強烈な蹴りを喰らわせた。






我等兄弟は変異種同士にして、風を起こす能力を有する者同士。






しかも兄の力は、俺よりも更に強力である。






そんな一撃を受けた小柄な男は、サッカーボールの如くに吹き飛び、密集した樹木の間に挟まった。






「ふっ、決まった。完璧に。…見たかな、風刃君。この兄上様のシュート、芸術的だったろ?」

長い水色の髪をかき上げて自画自賛に浸る兄に鬱陶しさを覚えつつ、押し黙った。

こんな男に、犯罪者を目にして怒っても冷静さは失わないとは立派だなどと評した自分が、少々恥ずかしくも憎らしくもなる。

「…とにかく、これで片は付いたかな?」

「ああ。痛めつけられた人達も、少しは喜んでくれると思うよ。…変異種に助けられたなんて知ったら、感謝はしちゃくれないだろうけど。」

「あ、そう言えば…倒れてる連中の中に、死人とかいたりしないよな?」

「どうだろうな…まあ、どの道こんな状況だし、救急車は呼ばないと。」

「だよな…。」

改めて、憩いの広場を見渡した。

小鬼の集団を倒しても、奴等の蛮行の痕跡は消え去らない。

斬りつけられた人間達が、血溜まりに倒れ伏して動かないのも。

彼らから漂って来る、鉄分のような臭気も。

芝生が切り刻まれた挙句、月面のクレーターのような窪みを数々刻み込まれた地面も。

信じ難く、また信じたくもない光景が、冷酷な現実として居座っていた。






「…!?」

突然、兄が目を見開き、声にならない声を上げた。

「ん?どうした?」

「…何で、あんな窪みができたんだ?」

「え…何でって、さっきの連中がやったんだろ。」

「あいつらナイフしか持ってなかったし、異能も使えなかっただろ…!」

「あ…!」

ようやく、兄と同じ疑惑を抱いた。

広場の窪みは、何か大きな武器で叩き付けた様な傷跡だ。

得物も小さく、特筆すべき力もなかった小鬼達では、かように地面をへこませられはしない。

「…別の誰かがやりやがったのか。」

「そうじゃなきゃ、説明付かないぞ…。」

山で乱暴狼藉を働いた下手人が、まだ残っている。

通常なら捜索も逮捕も警察に委ねるところだが、変異種が関わっていた場合、同類でなければ取り押さえられまい。

仮に相手が普通の人間だとしても、小鬼の一団の騒動で山内の客は退散している。

目撃情報を提供できるのが俺達しかいない以上、ここで手を引くのも決まりが悪かった。

「…樹王の実、後回しにした方が良いな。」

「だな…風刃。先に行って、怪しい奴を捜してくれ。兄ちゃんは救急車呼んでから行く。」

「分かった。こっちは任せたぞ!」

携帯電話を取り出した兄を背にすると、翼を広げて樹王山全体を飛び回り始めた。

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