蒼空の風と嵐2

背中の翼と、顔の嘴。

それが、俺を異様な人間にしている最大の理由だった。

水色の毛髪が生まれつきであるのとは異なり、これらは去年の6月頃に現れた物である。






前日まで見えていた鼻と唇が嘴によって隠されていた上、背中には翼まで生えていた。

そんな摩訶不思議な現象が自分に降りかかった衝撃は、今も鮮明に残っている。

せめて休日ならまだ救いもあったが、如何せんありふれた平日の朝の出来事。奇天烈な格好を誤魔化そうにも、翼を制服の中に詰め込むだけが精一杯で、嘴の方は隠しようもなく、そのまま登校するしかなかった。

「うわ、何だよそのカッコ!」

「こいつ、マジでキモチ悪いわー!」

「ハロウィンじゃねーのに、仮装でもしてんのかよ!」

教室では好奇の眼差しと嘲笑の集中砲火を浴びたが、不愉快な一方、何かと予想の域を出ない奴等だと冷めてもいた。

水色の髪ひとつ取っても延々と騒ぎ立てる連中が、嘴のある人間を目にしながら大人しくしている光景など、間違っても思い浮かばなかったから。

だが、背後から忍び寄って来た男子生徒が嘴を思い切り引っ張った直後、空気は一変した。






誰もが作り物と信じた嘴は外れてはおらず、痛がる俺の顔面に付着したままだった。






呆然と固まっていた下手人を殴り付けた頃、一時静まり返っていた傍観者達の間から、震えた声がする。






「…まさか…あれ、本物か…!?」






途端に、最初とは種類の全く異なる喧噪が場を支配した。

小学校時代からの友人や、それなりの頻度で他愛ない会話を交わす学級委員の男子生徒、そして友人とよく語らっている図書委員の女子生徒は、こちらを気に掛けながらもどんな言葉を口にしたものかと惑っているのが表情から窺えたが、その3名以外はお世辞にも気分の良い反応をしてはいない。

嫌悪や恐怖に満ちた悲鳴を上げる者もあれば、吐き気を堪える者もいる始末だった。






その後は担任教師共々、職員室に呼び出されて尋問を喰らう。

厳しくも温厚にクラスを受け持つ我が恩師にこそ、抗う術もない何らかの理不尽があったのだろうと一目で理解されたが、生活指導担当で嫌味な中年の男性教諭には、やはり強引に嘴を引っ張られる破目に遭った。

お陰で悪ふざけをしているのではないと証明できたが、周囲の目線が低劣な揶揄から強い忌避へと変わるのは、逃れるべくもない。

そんな居心地の悪い日常は、じきに1年が経とうとしている今もなお、続いている。











人目を避けつつ空を飛んだ甲斐あって、コンビニへの寄り道を加えても、定刻には問題なく間に合った。

荷物の整理を終えると、ホームルームが始まるまでの時間潰しに、『突然変異の歴史』と題された本を取り出す。

要約すれば、他の人間にない形質や能力を持った人間は遥か昔から少数ながら存在したとの記録があり、彼らの中には先天的に風変わりな者もいれば、後天的に他者とかけ離れていった者もいたとの内容だった。

絵空事としか感じられない話だが、唐突に翼や嘴を持った身にとっては非常識な情報こそ注意を払うべき物。軽視するなど、以ての外である。






世間でもここ数年間で、人間にありながら人間離れした特徴を持つ者が、続々と発見されるようになっていた。

テレビなどの報道が元でいつしか変異種へんいしゅと呼ばれるようになった俺達には、3つの類型を見出せる。

人間の身体にある筈のない部位が確認できる者。

外見に奇妙な点はないが他人には扱えない力を操れる者。

特異な容姿をしている上に不可思議な能力も有する者。

ただしいずれの変異種も、そのような変哲を抱えるに至った経緯は全くの謎だ。






そして、該当する類型を問わなければ、世界中に手を広げて探すまでもない。






この海園中学校の生徒だけに絞っても、把握できない位の人数はあった。






もっとも、波風なく平穏に人付き合いをしている変異種より、偏見や差別に四苦八苦している変異種の方が遥かに多いのは、論をたない。

一時期は連日ニュースとなった話として、経営が順調な大手企業に勤めていた営業マンは突然に頭からサイのような角が生えたかどで即刻解雇にされた、仲睦まじかったカップルの片割れは結婚式を間近に控えた所で犬のような尻尾をこさえたために婚約破棄を言い渡された、というものがある。

こうした案件に憤って訴えを起こす変異種も間々いるが、ほとんどは早々に棄却されるばかり。稀に訴訟が行われても、被告である普通の人間がお咎めなしで幕引きとなるのがお約束だ。

先日などは、原告であった変異種の方が、普通の人間を貶めるために事実無根の被害をでっち上げたと断じられ、虚偽告訴罪を言い渡された裁判さえあった。

変異種になってしまえば最後、基本的人権すら蹂躙されると言っても差し支えない。

勿論、政治家達にも差別撤廃の要望は繰り返し寄せられているが、権力にしがみ付いて税金を盗む事しか能の無い愚物共が人権問題に向き合う筈もなく、見て見ぬ振りされていた。






それでも、ほんの少しは変異種になったからこその利点もある。

例えば俺なら、背中の翼だ。他人に目撃されない状況でしか利用できないが、我が身一つで空を飛べるのは爽快の極みであり、今朝の様な急ぎの際にも頼もしい最終手段となってくれる。






ただし、その有難みが霞む程度には、余計な害を被っているのも事実だった。

これも我が身の場合だが、嘴が気持ち悪いとの理屈で因縁を付けられては無様に打ちのめされたり、気まぐれで散歩に出掛ければ周囲の人間に珍獣が現れたと大騒ぎされるなど、碌な目に遭わない。






ゆえに去年から、唐突に変異種になる現象―捻りもなく突然変異と名付けられている―の原因と解決策を探求していた。

無論、既に数多の医者や生物学者達が匙を投げた難題ゆえ、知識人でも何でもない自分が解明できるなどと自惚れるつもりはない。

それでも、生来水色の髪を除けば凡庸な人間であった身。それが理由も分からないまま奇妙な姿に変貌した挙句、余生元には戻れずじまいなど、真っ平御免である。

微かな望みが実るも潰えるも、情報収集の成果次第。

図書室で見つけた怪しげな書籍に手を伸ばしたのも当然、そう考えての行為だったのだが…
















太陽が存在感を小さくしつつある16時30分。

「ふう…。」

自宅を視界に捉えると同時に、小さな溜息が出た。

返却期限に間に合うよう必死で読んだのも無駄骨だったと脳裏をよぎる度、やり場のない不満が膨らんでしまう。

収穫が無いと最初から分かっていたなら、駄文を読破する時間をゲームに使っていたのに。

(これで氷華ひょうかに先に『スターザの迷宮』100%クリアされたりしたら、あの本燃やしてやらねぇと気が済まねぇな…。)

著者や出版社にしてみれば傍迷惑極まる悪態を胸中にこぼしつつ、玄関を通過した。

「ただいま…。」

「おお、お帰り。」

疲弊した挨拶に、食卓で読書中の兄が応じる。

「げ、戻ってたのか…てっきり、また遅くなると思ってたぜ。」

「何だ、その反応。晩飯の準備が面倒とか言いたいのか?」

「はい。」

右脚で繰り出された蹴りを、左手の甲で受け止める。

「ったく、失礼な奴だな。折角この兄上様が面白い話を見つけて来たのに。」

「面白い話?」

「ああいや、何でもない。学校とテレビゲームで兄貴に飯作る暇もない弟には、くだらん話かもしれんし。」

「てめぇ…。」

露骨な意趣返しに歯噛みしながら、それを招いた己の迂闊な一言も悔やむ。

「…せめて、妖霊武闘譚ようれいぶとうたんが終わるまで待つ気は?」

「ない。今もう腹減ってるのに、この上5時から30分とか待ってられんわ。大体、8時に再放送あるんだから、それ見れば良いだろ?」

「ちっ…学校終わりの夕方に見るのが、風情あって良いのによ…。」

「アニメ見るのに、風情も何もないと思うけど…。」

「ええい、やかましい!それより、本当に面白い話なんだろうな!」

「ああ。絶対、つまらなくはないぞ。」

真剣な笑みに信を置き、娯楽を後回しにして、制服姿のまま調理場に立った。











「…結局、こいつも外れじゃねぇか…。」

早い夕食と食器の片付けが済むなり兄に話を促したが、期待し過ぎだったかと沈んだ。

彼が図書館で借りた『知られざる神秘』なる本には、先天的にせよ後天的にせよ不可思議な形質や力を持った人間がそれらを失った例もあるとの記述が見られたが、具体的な方法については一切書かれていない。

「どうせ本なんか書くなら、本気で伝えて貰いたいもんだよな…普通の人間に戻る方法とか、嘴やら羽やらなくす方法とか、ドラゴンウォーズの新作ゲームが出る日とか…。」

「どっちも意味同じだし、ドラゴンウォーズは全然関係ないだろ!」

丁寧な突っ込みには、苦笑いを返すのがやっとだった。

「…まあとにかく、こっちも読んでみろよ。」

兄がまた別の本を差し出して来る。

こちらは、『現代に残る異能の影』との題名だった。

「へえ、異能か…変異種の力の事、こんな風に呼ぶ奴もいるんだな…。」

独り言ちながら栞が挟まれたページを開いた途端、文章から目を離せなくなった。






『言い伝えだが、空高くそびえる大木の実を食べると異能が失われるとされる。』






「兄ちゃん、これって…!」

ほとんど叫ぶように呼び掛けると、兄も光を掴んだ面持ちで微笑んでいた。

「怪しい話だけど、気になるだろ。土曜日、樹王山じゅおうざんに行ってみないか?」

「ああ!」

兄の言う樹王山とは、この白砂町しらすなちょうの外れに位置する山だった。

別段標高が高い訳ではないが、町の話題になればほぼ例外なく同時に言及されたり、ガイドブックにも必ず掲載されるなど、扱いは観光地そのもの。

左様な存在感を得ているのは、頂上から巨木が伸びている特徴的な姿のためだ。

樹王じゅおうと名付けられたそれの高さは正に桁外れで、白砂町や近隣の町から樹王山を眺めれば、嫌でも視界に映る程である。

世界広しと間々言われるが、空高くそびえる大木など、樹王以外にありはしまい。

「いやー…まさかこんな身近に手掛かりがあったなんてな!もうこの際、学校サボって明日行っちまうか!」

「馬鹿野郎!学校はちゃんと行って来い!」

「えー。折角普通の人間に戻れるかもしれねぇのに、わざわざもう2日迫害されて来いってのか?」

「アホに絡まれるのは、変異種になる前も同じだったろ。大体、難癖付ける奴は普通の人間にだって因縁売るし、何処にでも出て来るもんなんだから。そんな連中のためにああだこうだ言ってサボってちゃ、キリないぞ。」

「…ちっ。」

逸る意志に加えて、変異種の身分とおさらばすれば静かな生活が手に入るとの期待をも冷却され、舌打ちする。

「むしろ、土曜日を楽しみにあと2日頑張るって考えろよ。そしたら、嫌な学校も少しはマシだろ。」

「はいはい。分かったよ…。」

「はいは1回!」

「はい、分かりました…。」

小学生が受ける様な説教にうんざりしながら立ち上がると、入浴の準備に取り掛かった。

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