第77話 秋麗のお茶

「秋麗風妃の淹れてくれたお茶のおかげで、西方の大使を十分に満足させることができた」

 皇帝黒瑛は機嫌が良さそうにそう言うと、座椅子に腰掛ける秋麗に微笑みを向けた。

「ご満足いただけたのでしたら、何よりですわ」

 美しいその顔に、秋麗は完璧な笑顔を貼り付ける。

 今日は特別に、采夏と黒瑛、そして秋麗という珍しい組み合わせでお茶会を開いていた。

 これは、先日まで訪れていた西方の大使のもてなしに対するお礼のお茶会だ。

 同席した采夏はお茶を一口飲んでから、嬉しそうに口を開く。

「私としたことが、勘違いをしていました。大使様のお話を聞いて、てっきり『幻の白茶』のお話だとばかり……。恥ずかしいですわ。よくよく考えれば、大使様の祖父のお年を考えると、ちょうど前王朝の時代。であれば大使様がおっしゃっていたお茶が、泡立てて淹れたお茶、闘茶であることは明らかでしたのに」

 西方の大使が長年欲していた白いお茶。それは、白化した茶木で作る幻の白茶、ではなく、お茶を泡立てて作る闘茶だったのだ。

 西方の大使が言っていたお茶の特徴は、お茶の色は真っ白で、口当たりが雲のようにふわふわとしている。まさしく泡立てて作る闘茶そのものだった。

 秋麗に点ててもらったお茶を飲んでそのことに気づいた采夏は、秋麗に西方の大使のためにお茶を点ててもらいたいと願い出たのだった。

 結果、大使は『求めていたお茶はこれデース』と言って大いに喜んだ。

 青国を去る時も、仕切りに感謝を口にし、大変素晴らしい歓待を受けたと祖国に報告するとまで言った。

 良い関係を築いていきたいと思っている西方の国の大使を満足させたことは、青国の皇帝である黒瑛にとってはとても喜ばしいことだ。

 采夏も、不完全燃焼だった部分がスッキリしてとても晴れやかな心持ちになれた。

「本当に、秋麗風妃には私からも感謝申し上げますわ。私では、十分に泡立つ前に、腕が疲れ果ててしまいます。あれほどの泡を点てることはできません」

 少し悲しそうに、采夏がそうこぼす。

 その様を秋麗はお茶を飲みながら、横目でこっそり伺い見た。

 今日の皇后の装いは桃色の衣を羽織った可愛らしいもので、采夏に言われて秋麗が初めて闘茶を淹れた時の装いと似ていた。

 その桃色の衣につられてあの時の記憶が脳裏に過ぎる。

 あの時、何を思ったか、秋麗はなんとも言えないむず痒い気持ちを頂き、あろうことが宿敵である采夏の言いなりの奴隷のように成り果てていた。

(あの時の私はどうかしていたわ。皇后の言葉に浮かれ果てて、自分の立場も忘れて……ああ、思い出すだけで、どきどき……違う、イライラする)

 采夏に、またお茶を点てて欲しいと言われて素直に頷いた自分を思い出して思わず奥歯を噛み締める。

「秋麗風妃、何か褒美を取らそうと思う。何か欲しいものはあるか」

 黒瑛にそう言われた秋麗は、とうとうきたかと思いながら手に持っていた蓋碗を卓に置いた。

「褒美、ですか。陛下の妃として当然のことをしたまででございますが、陛下のお気持ちを無碍にもできませんわね」

 さて、何にしようか。秋麗は頭の中を回転させながら、ゆったりとした口調で応じる。

 何か褒賞がもらえる予感はしていた。だから何を求めるべきかずっと考えてもいた。

(美しい装飾品も良いけれど、それは別に今でなくとも手に入れようと思えば手に入る。もっと、今この時でないと手に入らないものがいいわね……。そう例えば、妃としての位を上げてもらうのも良いかもしれない。冬梅花妃より下に置かれるのは我慢ならないわ。ああ、でも、しばらくの期間、陛下を独占するのはどうかしら。今まではうまくいかなかったけれど、時間さえあれば私の虜になるはず……。陛下の寵愛さえ得られれば、妃としての位も上がる)

 秋麗は、これからの未来を夢想した。

 今まで秋麗を歯牙にもかけてこなかった皇帝が自分に溺れていく様。皇帝の寵愛を得て、あの生意気な冬梅が自分に頭を下げて媚を売る様。我関せずと言った様子で、妃達の動向をにまにまと気持ちの悪い笑みを浮かべて観察する燕春が自分にへりくだる様。

 誰も彼もが秋麗に逆らえない。

 そして、皇后の采夏だ。あの汚れを知らなそうな可憐な皇后をどうしたものか。

 我ながら性格が悪いと分かってはいても、妄想が止まらない。

 秋麗の心のうちにはいつもドロドロとした毒がある。

 それはきっと幼い頃から誰かと比べられ、周りの者達から泥みたいに汚い言葉を吐かれてきたからなのかもしれない。

 皇帝に求める褒美について方針が決まった秋麗は蓋碗に手を伸ばしてお茶を一口飲んだ。言葉を発する前に、喉を潤したくなったのだ。

 そして一口茶を飲んだその時、爽やかなお茶の香りのせいだろうか、とある言葉が浮かんだ。

『秀麗様はもっと誇るべきです。美しさを維持するために自らを戒め、努力していくそのひたむきな心根がどれほど美しく素晴らしいことか」

 そう言ったのは、皇后の采夏。

 秋麗は思わずハッとした。

 自身の心の汚さは、誰よりも自分自身が分かっている。だと言うのに、采夏はあろうことか秋麗の心根が美しいと言った。言ってくれた。

「そうだわ。秋麗風妃、良ければ私からもお礼を差し上げたいわ。何か欲しいものはありますか?」

 ふと話しかけられて、秋麗は顔を上げた。

 皇帝の隣に並ぶ采夏がにこにことひだまりのような笑顔でこちらを見ていた。

 これから秋麗に皇后の座を追い落とされることなど想像もしていなさそうに、暢気に笑っている。

 皇后からの施しなどいらない。強いて言うなら、その座を奪った後に恨まないで欲しいとでも言っておこうか。

 暗い考えが頭によぎりながら秋麗は口を開く。

「陛下も皇后様も、ありがとうございます。でしたら、その、皇后様と二人きりで過ごす時間が欲しいですわ」

 気づけば、秋麗はそう口にしていた。

 言い終わった後に、自分が言った言葉が信じられず、思わずえっと呟いて、眉根を寄せた。

 同じように訝しげに皇帝もえって感じで眉根を寄せた。

「皇后との二人の時間が、欲しいのか?」

 聞き間違いと思ったのか、黒瑛がそう尋ね返す。

 秋麗は慌てて口を開いた。

「あ! 違いますわ! 二人きりというのは……ほら、私の点てたお茶を皇后様にはまた飲んでいただきたいということで……それだけで……」

 違うと訂正の言葉が出たのに、訂正したい箇所が訂正できていない。

 思わず秋麗は口元を指で抑えた。

(な、な、な、違うでしょ!? 二人きりの時間が欲しいのは、皇帝でしょ!? なんで、皇后……!?)

 戸惑う秋麗が、皇后の方に視線を向けると、皇后が感動したふうに瞳を濡らしていた。

「まあ! 秋麗風妃、それはとても嬉しい申し入れですわ! ですがそれでは、私への褒美になってしまいます! まあ、どうしましょう!」

 すっかり浮かれて喜んでいる采夏に秋麗は目を奪われる。

(あんなに子供みたいにはしゃいで本当に可愛い……違う、皇后は幼すぎますわ! こんなのが、皇后だなんて、国に仕える妃として先が思いやられるというものよ。そう、だから皇后様との二人の時間を求めるのは、皇后様を教育しなくてはならないという私の義務感からきているものよね……!?)

 自分の考えとは違うことを口走ってしまうことに、秋麗はそれらしい理由をつけた。

 お茶のことばかりの皇后を教育するのだという大きな任務を自分に課せる。

「……秋麗風妃がそれでいいなら、それでいいが……」

 訝しげにそういう黒瑛の視線を受けてなんとなく秋麗は居た堪れなく感じて視線を逸らした。

 そしてきを取り直して、采夏に話しかける。

「皇后様、いかがします? 早速、お茶、飲みます?」

 何の気なしに、別に采夏とお茶を飲みたくてうずうずしている、なんてことが悟られぬように、必死でニヤつきそうな顔を抑えて秋麗が誘うと、采夏は嬉しそうに声を上げた。


 その二人のやりとりを見た黒瑛は、小さくため息を吐き出す。

「采夏が、またひとり人をたらし込んだ気がする……」

 疲れた顔でつぶやいた黒瑛の言葉は、楽しそうに微笑み合う二人の耳には届かなかった。

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