第39話采夏は父と再会する

 貞がお縄に掛けられ、連れ去られて行くところを呆然と采夏は見ていた。

 采夏にとっても突然の出来事で、上手く状況が飲み込めない。


 そしてこの状況を運んできた男が目の前にやってきた。

「陛下……」

 呆然とそう名を呼ぶと、皇帝、黒瑛は苦く笑った。


「驚かせたな。何故だか貞花妃がここにいたもんで。巻き込むつもりはなかったんだが」

 先ほど、貞を前にした時の黒瑛とは違う柔らかな口調だった。

 そこでやっと采夏は、ゆっくりと状況を理解した。


「成功、したのですね」

 秦漱石を排除し皇帝である黒瑛が実権を握るという革命に成功したのだ。

 茶にしか興味がない采夏ではあったが、黒瑛が秦漱石を討とうとしていることはもちろん知っていた。


 だが、こんなに早く動くとは思わなかった。


「ああ、お前のおかげでな」

「私の……?」

 采夏がそう尋ねると……。


「さ、采夏!!!」


 黒瑛の肩越しに聞きなれた、しかし懐かしい声が聞こえて顔を上げる。


「おお、おお、采夏、無事か!? 本当に後宮にいたとは! ……辛いことはなかったか?

 いじめられなかったか?」


 大きな黒い口髭を涙で濡らした大男が、そう言って采夏を抱きしめた。

 その懐かしい姿を見て、采夏は抱かれながら首を傾げる。


「お父様?」

「おお、そうだそうだ、お前のお父様だよ!

 お見合いさせるなんて言わないから、もう勝手に家出するのだけはやめてくれー!」


 大きな図体からは想像がつかないぐらいに情けない声で、そう懇願するこの男こそ、采夏の父親だ。

 茶栄泉(チャエイセン)と言う。



「別に家出したわけじゃなくて、ちょっとしたはずみで後宮に入ってしまったというか……」

「はずみで後宮になんぞ入りおってー! 本当にお転婆が過ぎるぞー! しかしそこが可愛いのが罪深い!」

「もう、お父様ったらそんなに泣かないで。私は元気にしているってわかったのだから、良いでしょう?」

「良いでしょう? ってお前そんな、軽い! 軽過ぎる! お父様がどれほど心配したと思っているのだ! しかしそんなところも可愛いとは恐ろしい!!」

「お父様っていつも大げさなんだから」

 泣きじゃくる自分の父親の背中を宥めるようにさすりつつため息をつく采夏の頭にポンと温かい手が置かれた。


「大げさっていうか、采夏妃、お前な……」

 呆れたようにそう言う声が続く。

 采夏が上を見ると、黒瑛だった。


「陛下……」

 黒瑛の登場に、采夏をひしりと抱きしめていた栄泉が拱手して跪く。


「陛下。この度は、本当にありがとうございました。このように無事父子の再会が果たせましたのも、陛下のおかげにございます」

「いや、助けられたのはこちらだ。感謝する」

「もったいなき、お言葉でございます。……そして采夏の件ですが」

 そう言って、栄泉はちらりと采夏を見た。


「ああ、分かっている。悪いようにはしない。安心してくれ」

「誠に陛下は素晴らしい御仁! 重ねて、御礼申し上げます!」

 再び頭を垂れて一礼した。

 丁度、兵から「茶将軍、少しお話が」と名を呼ぶ声が聞こえて、栄泉は黒瑛に断りを入れると改めて一礼してその場を去った。

 栄泉は、今後宮に入っている軍の総指揮官に当たるため、何かと忙しい。


「お父様と、何か私の件でお約束をされたのですか?」

 一部始終を見守っていた采夏が黒瑛にそう尋ねると、黒瑛は淡く笑みを浮かべ、「まあな」と答えるのみだった。


(なんだろう。前、陛下は政権を取り戻したら、私に良い見合い相手を選んでくださると言っていたけれど……もしかしてそのこと?)


 采夏があの時のことを思い出す。

(茶師を続けられる良縁……)


 もし、それが可能だとしたら、それは願ってもないことなのに……何とも言えない気持ちが心の内にある。

 複雑な気持ちでいると、

「西州を治める士族の息女だったのなら、もっと早くに言わねぇか」

 と黒瑛の呆れたような優し気な声が下りてきた。


「西州が所持する軍の数は、他の士族の中でも特別多いんだぞ。西州の協力を仰げると分かっていたら、ぎりぎりかもしれねぇ……とか言ったりしなくてよかったんだからな」

「でも、聞かれませんでしたし、私別に隠してるつもりもないですよ? 後宮に入る時ちゃんと名乗ったつもりなのですが……」

「だろうな。受けた者が、茶家の名を聞いて勘違いして茶農家だと思ったらしいからな。だが、途中で、勘違いされてることには気づけただろう?」

「正直、茶農家と言われて、良い気分だったので……つい……」

 と采夏が答えると、黒瑛は仕方ないな、と言いたげな笑みを浮かべた。

「まあいい。うまくいったんだしな」

「そうですよ、陛下。あまり采夏妃を責めるものではありません」

 そう朗らかに横から声をかけたのは、陸翔だった。

 武術はからきしなのだろう。周りは武装しているが、陸翔だけは文官風のスラッとした袍服を着ている。


「だがな、分かっていればもっと早くに解決してたかもしれないんだぞ」

「大体気づかれない陛下も悪いのですよ。西州の采夏と言えば、茶狂いで有名なのですから」

「そんなこと言ったって、秦漱石に奴のせいで引きこもってた俺に、地方の情報なんて回って来るわけないだろ……。大体茶狂いで有名って言うのは、茶好きの奴らの中での話だろ?」

 と、やれやれと肩を竦めため息を吐きだし嘆いてみせるが、顔はどこか晴れやかだ。

 それもそのはず、今日は、黒瑛の長年の目的が果たされたのだから。


(陛下は目的を遂げられた。私は……)

 複雑な思いを抱えながら、采夏が黒瑛を見ると、彼は顔を横に向けたところだった。

 視線の先には、縄に縛られて引き立てられていく宦官達の行列。

 采夏も一緒にそれを見て首を傾げる。


「彼らは……?」

「秦漱石と結託していた宦官達だ。今回、秦漱石を捕らえて処罰するのに合わせて、奴に手を貸した者達も一斉に罰することにした。今回、結構な強硬手段を使って朝廷を制圧したんでな。今後の親政の憂いを断つ為にも徹底的に奴に与した者達は罰する」

 そう言った黒瑛は為政者の顔をしていた。


「それは、つまり、先ほど貞花妃様が連れて行かれたのも、同じ理由ですか?」

「そうだ。秦漱石に与する者は全員、始末する」

 そう答えた黒瑛の声は冷たかった。


 思わず采夏は顔を曇らせる。


(貞花妃様……)


 貞花妃には玉芳を池に沈められ、采夏自身も平伏を強いられたことがある。

 確かに彼女には手痛い目に遭った。


 だけど……。


 采夏の中で色々な思いが渦巻く。

 黒瑛が晴れやかな顔をしているのは、自分のことのように嬉しいのに、素直に喜べないのは何故だろうか。


 采夏はそのことをずっと考えていた。


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