第26話采夏は後宮を出る

 采夏は軒車(けんしゃ)という屋根と覆いのついた馬車に乗って揺られていた。

 着慣れない藍色の男物の衣を物珍しそうにして見ていると、采夏に向かい合うようにして座る男が背もたれに背中を預けて不満そうに話しかけてきた。


「で、なんでお前がここにいるんだ? 采夏妃」

 不満の色がありありと顔に浮かんでいるこの男は、輝くような濃紫の絹に金糸で龍を彩られた豪華な衣装を纏っていた。

 この国で龍が刺繍された衣を着られる人物といえばただ一人、皇帝の黒瑛である。


「皇太后様に頼まれたのです」

 采夏が顔を上げてそう答えると、黒瑛は嘆くように顔を上げて小さく「くそ……」と天に不満を投げた。

 どうやら黒瑛自身は采夏がついてくることは知らなかったらしい。


「突然、専属の小姓を紹介するって言われたと思ったらこういうことか。いまから青禁城に戻るには進み過ぎた。それを狙って今引き合わせたな? 礫(れき)」

 黒瑛はぎろりと獣のようなまなざしを采夏の隣の細身の男に流す。


 礫(れき)と呼ばれた男は身をよじらせた。


「やだぁ。そんなに睨まれると、アタシ興奮しちゃう」

「興奮してんじゃねえよ」

 がっくりと肩を下げて、黒瑛は嘆く。


「そんなに怒ったって、アタシが喜ぶだけなの知ってるでしょ? 陛下。それより見て見て、采夏妃の可愛らしいこと。男の衣で覆っても、女性的な魅力が染み出てきて……ううん、このグッとそそる中性的な美しさ、最高ね! まるで甘くやわらかな果肉を硬い皮で覆い隠すライチのようだわ。陛下もそう思うでしょう?」

 礫は、黒瑛に見せるように采夏の肩をガシっと掴んだ。


 思わず采夏の姿勢がスッと伸びる。

 そして黒瑛と目が合った。


 采夏は、永の頼みで北州に向かう黒瑛の一行に勝手に紛れ込んできた。

 その手引きを皇太后から任されたという礫が、周りの者に怪しまれないようにと、采夏の長い髪を一つにまとめ、化粧を施し男用の衣装を用意して小姓に変装をさせている。

 おかげでなんとか成人前の小柄な少年に見える程度には化けることができた。

 

(なんだか少し、恥ずかしくなってきた。陛下は、私がついてくることを知らなかったみたいだし。ご迷惑にも押しかけてきてしまったみたい……)


 まじまじと見詰めてくる黒瑛の視線に耐えかねて、采夏は顔を伏せた。


「すみません陛下。陛下は私が同行することをご存知だとばかり思ってました。もしご不満でしたら一人で戻ります」

「いや、戻るな」

 即答だった。

 しかも、即答した黒瑛自身が自分の言葉に戸惑ったように目を見開いている。

 そしてきまり悪そうに視線を逸らして、首の後ろを掻いた。


「今さら戻ったって、危ないだろ。ここまで来たんならしょうがない。むしろ、悪いな。巻き込んだみたいで……。というか、母上はなんでお前を寄越したんだ?」

「陛下にお茶を淹れて欲しいと言われました」

「お茶を……?」

「はい、それに……後宮の中は危険だと」

 采夏がそう言うと、黒瑛は納得したように小さく何度か頷いた。


「なるほどな。後宮よりはこっちにいた方が安全ってことか……」

「陛下のご迷惑も考えずに、すみません」

「あ、いや、別に迷惑ってほど迷惑してるわけじゃぁ……」

「そうよ、大丈夫。陛下ああ見えてめちゃめちゃ嬉しそうだもの。ライチみたいで食べちゃいたい貴方の魅力にまいってるのよ。貴方と旅ができてウキウキが止まらないって感じ、アタシビシビシ感じてるわよ」

「変なことい言うんじゃねえよ」

 礫の軽口に、再び黒瑛が突っ込む。

 なかなか気軽な間柄のように見える二人を采夏は不思議な気持ちで見つめた。


(陛下はとても気安い方ではあるけれど、礫様とはまた特別な感じがする。確か、お味方が少ないというような話をしていた。礫様は陛下の数少ない味方なのかしら。宦官の服を着ているけれど……)


 采夏は礫を見た。

 年恰好が黒瑛に似ていて背が高く、縛らずにそのまま背中に流している長い髪は彼の性格を表すかのように少し明るい。

 顔の作りに派手さはないがよく整っている。


「あのお二人は、どのようなご関係なのでしょうか?」

「あら、気になる? 大丈夫よ。特別な仲であることは間違いないけど、アタシ達まだ肉体的な関係は持ってないの。まあこれから先はわからないけど」

「心身ともに無関係だし、これからもねぇよ」

「やだひどい! 采夏妃、こんな男やめときなさい。鬼畜よ鬼畜」

「礫、お前、ほんと、いい加減にしろよ……」

 げんなりする黒瑛を見て、満足したらしい礫は改めて采夏を見た。


「それじゃあ、本題に戻すとして、アタシのことが気になるのよね? アタシは、功礫(こうれき)。礫(れき)って呼んでちょうだい。

 外で馬に乗ってる弟の坦(たん)と一緒で、陛下の……うーん、護衛かしら?」


「護衛……? お化粧がお上手だったので、てっきり皇太后様付きの化粧師なのかと」

 采夏がそう言うと、礫は少し采夏に顔を近づけ、内緒話をするように口に手を置いた。


「でしょ? こちらの皇帝陛下と自分と弟の変装用に勉強したのよ。アタシも弟も秦漱石に生きてるってバレたら、やばいから」

「そうなんですか?」

「そう。でも、今じゃお化粧はアタシの趣味みたいなものだけど。お化粧の話題で皇太后さまと盛り上がるし」

「正直俺より、こいつといる時の方が母上は楽しそうにしてる」

 采夏と礫が話していると、肘を突いて手の甲に顔を預けてけだるそうにしていた黒瑛がそう嘆いた。


「ま、友達みたいなものね。それでこの前ちょっと皇太后さまに呼ばれて采夏妃のこと任されたってわけ」

 礫がカラッとした笑顔とともに采夏にそう話を振る側で、黒瑛は溜息を吐く。


「お前は、俺の部下だろ。なんで俺の知らねえところで母上に使われてるんだよ」

「やだ、独占欲丸出しなんて。男の嫉妬はみっともないわよ」

「そういうんじゃねぇ……お前と話すと疲れる」

 二人の会話に采夏は思わず笑みを浮かべる。


(陛下、なんだかいきいきしてるわ。皇太后さまからは支えてくれる人が必要だって言われたけれど、必要なかったのかも。でも……)


 永から黒瑛と共にいて欲しいと打診された時、躊躇した。

 確かにお茶を淹れることはできるが、陛下を支えるという大役を務められる気がしなかったからだ。

 しかし、黒瑛の向かう先が北洲の龍弦村(りゅうげんむら)だと聞いた采夏は、

 それまでの戸惑いなど嘘のように請け負った。


 龍弦村といえば、何を隠そう茶の名産地。

 清明節(せいめいせつ)前に摘んだ茶葉から龍弦村独自の殺青(さっせい)で作られた茶は、あの皇帝献上茶に選ばれし龍井茶なのである。


 その製法を秘匿するため、部外者は立ち入り禁止にするという徹底ぶりで、茶狂いの采夏でさえ足を踏めなかった地だ。


(あの龍弦村に行けるなんて……! この機会を逃したらもう一生行けない)


 采夏の旅の目的は、皇帝陛下に茶を淹れる、だけではなかった。

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