第一章

 あの番組に出ていなければ、事態はそこまで大きくならなかっただろう。いやそもそも新人賞を受賞し、作家デビューなどしていなければ良かったのかもしれない。藤子はそこまで思いを巡らせた。

 二〇二一年九月の発表で雑誌に掲載された受賞作が、純文学界で唯一と言って良い、世間に名をとどろかせる芥山賞という大きな勲章の候補に挙がった。それだけでもにわかには信じがたかった。

 候補作は十二月中旬に公表される。ノミネートされた作家にはその一カ月前、出版社を通じて連絡が入ると何となく知っていた。中には辞退する人がいるので、念の為の打診の意味もあるという。しかし実態は、水面下で行われる準備期間が必要だったからだ。

 中川から候補作に入ったと実際電話を受けた時、藤子は耳を疑った。もちろん当時はまだ、受賞するなんて微塵みじんも考えていなかった。

 けれど中川や編集部は、そう思っていなかったという。もしかして大型新人を発掘したかもしれないと、大騒ぎしていたらしい。少ないとはいえ、そうした前例がこれまでにあった。よって確率はゼロで無かったからだ。

 ただでさえ出版業界は、近年不況で伸び悩んでいる。その中でもエンタメ作品と比較すれば、純文学作品が大ヒットする可能性は低い。しかし芥山賞受賞作品となれば話は別だ。特に最近の傾向として売れる本とそうでない本との差は大きく、二極化が進んでいた。話題性があれば爆発的にヒットし、何十万部も発行される。その一方で、数百冊程度しか売れず絶版される作品は多数あった。

 そういう世界だとは漠然ばくぜんと理解しながら、藤子は大した覚悟も無いまま悶々もんもんと抱える世の中に対する不満を小説にぶつけてきた。そうすることで長年積み重ねてきたストレスを解消し、またその作品が世間の人達にどう評価されるか試そうと、この五年間でいくつかの新人賞に応募し続けて来たのだ。ただそれだけの事だった。

 なのに突然デビューが決まった途端、周りが異常に騒ぎ始めてしまった。こんなつもりでは無かったと思いながらも、勢いに流されここまで来たのだ。特に芥山受賞作家となったその日から、世の中が急変した。

テレビにまで出させられたのもその一環であり、藤子の本意ではない。けれどあの時発したのは、間違いなく自らの頭で考えた言葉だ。それが後にあれ程の騒動に発展するとは、誰も予期できなかっただろう。

 藤子は問題の番組に出た後、引き続き雑誌の取材や他のテレビ出演等で慌ただしかった。そうしてあの日から三日経った時、兄の慎一郎しんいちろうの妻、美奈代みなよからスマホに何度も連絡が入っていると気付いた。

 留守電やメールで何度もメッセージが入っていたけれど、藤子は放っておいた。というのも兄夫婦とは、これまで年に一度声を聞くかどうかという程度の間柄だったからだ。特に現在五十六歳で大手総合商社に勤める兄は、三年前からシンガポール支店に単身赴任中である。その少し前から会社で問題が生じ、巻き添えを食ったと耳にしていた。

 当時兄夫婦の息子と娘は、二十五歳と二十二歳でとっくに手が離れている年齢だった。よって本来なら兄と一緒に美奈代もついて行くものだと思っていたけれど、彼女はそうしなかった。

 もちろんそれ相応の家庭事情があったと聞いている。それでも彼女には良い感情を持っていなかった。何故なら藤子が新人賞を獲り、小説家デビューすると決まった後の対応も、かなり酷かったからだ。

 最初は誰にも言わず黙っていた。しかし自分と同じく本好きだった雄太が、小説雑誌に小さく載っていた顔写真を見て気付いたらしい。その上掲載された作品も読んだという。その五年前に、藤子は二十一年余り勤めあげた保険会社を訳あって退職し無職になっていた。その為、新たな人生の道を見つけ歩きだしたようだねと喜んでくれたのだ。

 彼とはシンガポールへ立つ兄を見送った際、少し会話を交わした程度だった。それ以来だったが、電話の声は弾んでいた。

「姉さん、おめでとう。良かったね」

 心の底から藤子を理解し祝ってくれていると分かり、胸が熱くなった記憶がある。その後雄太はわざわざ国際電話をかけ、兄にも連絡したらしい。

よって慎一郎からも、短いながら喜びとねぎらいの言葉を貰った。無職の引きこもり状態を脱し、体面が保たれたと思ったのだろう。雄太とは全く違った反応だったが、それでも藤子は嬉しいと感じた。

 しかし問題は美奈代だった。兄から聞いたらしく、彼女からも電話があった。けれど決して祝福ではなかった。それどころかさげすみの言葉を吐かれたのだ。

「小説なんかで食べていけるの。賞金もたったの五十万円だってね。しかも純文学らしいじゃない。読者だってごく限られるジャンルでしょ。本がどんどん売れなくなった今の時代、芥山賞作家でも食べていける人はごくわずかだと聞いたけど。まあ五十間近なのに独身で無職のまま、引き籠りを続けられるよりはマシかしら」

 藤子が会社を辞めた際、彼女にとっての一番の心配事は、生活で困り兄を頼ったりしないかどうかだった。退職金や両親からの遺産だってまだあるだろうし、これまでの預貯金を削って年金が貰えるようになるまで、何とか自立して貰わないと困る。生活保護を受ける真似だけは絶対しないように、と釘を刺されたくらいだ。

 彼女が最も大切にしていたのは、世間体でありプライドだった。一流大学を卒業し、大手商社の部長を夫に持つセレブ妻という立場を絶対に守りたかったのだろう。兄よりは劣るが、有名大学を卒業して保険業界では中堅の上場企業に勤務していた頃の藤子は、彼女にとってまだ許容範囲だったのかもしれない。

 しかし弟の雄太は高卒で、しかも大手銀行に勤めていた父、太一たいちのコネにより就職した経緯がある。さらに三年後、その会社がバブル崩壊のあおりを受け倒産した。幸い三か月後には別の会社へ就職できたが、当時彼女はそうした義弟の存在自体、恥だと思っていた節がある。

 彼女が兄と結婚したのはその二年前で、当初から雄太の学歴を聞き、偏見を持ち陰口を叩いていたのは確かだ。

「お義父様も立派な会社にお勤めで、慎一郎さん達も良い大学を卒業しているというのに、どうして一人だけ高卒なのかしら。もしかすると、お義母様に似たのかもしれないわね」

 母は確かに高卒だった。彼女の両親は兄と同じ大学出身者で、二人共大手上場企業に勤めていたようだ。美奈代自身も都内の有名お嬢様学校を卒業し、兄と同じ会社に勤めていたからだろう。そういう言葉が、自然と口から出るような人だった。

 けれど彼女の場合は事務職で三年も働いておらず、腰かけだったことは明らかだ。しかも父親のコネ入社だろうと思われる。その点だけを言えば雄太と同じなのに、自分は違うと言いたいが為なのか、敢えて上から目線で人を軽んじていた。

 三つ年上のそんな彼女を、昔から忌々いまいましく感じていた。しかし藤子が会社勤めをしている間は深く付き合っていなかった事情もあり、険悪な関係までは至らずに済んでいたのである。

 しかし退職した後の態度が激変した為、嫌悪するようになった。そんな彼女だからこそ、藤子が芥山賞を受賞したと知るや否や、態度は百八十度変わった。メディアが大きく扱った為、彼女にとって身内が有名人になったという新たなステイタスが加わったと考えたのかもしれない。自分の手柄でもないのに友人等へ吹聴し、自慢しまくっていたようだ。

 しかも一部の人に、無断で藤子の連絡先を教える行為さえし始めた。おかげで仕事用に二台目の携帯を所持し番号を変えるまでは、見知らぬ人からの電話が後を絶たなかった。中には親戚や友人と名乗る者もいたが、明らかにほぼ他人で知人とさえ呼べないやからが多数湧くように現れたのだ。

 そうした経緯もあり、受賞後における美奈代からの電話は、身内とはいえまず出ないよう心掛けていた。下手に話を聞いてしまうとサインを何枚書いて欲しい等という、くだらない依頼もあったからだ。

 元々頻繁ひんぱんにやり取りする程親しい関係では無い。よって今度だって大した用事では無いだろうと、勝手に解釈していた。ついでに他からも入っていたようだが、同じく放置していたのである。

 しかし今回ばかりは違った。なかなか通じなかったからだろう。彼女はわざわざ出版社にまでかけてきた。その趣旨しゅしは雄太の件で警察が連絡してきたから、至急折り返し電話して欲しいとの伝言だった為に藤子は驚いた。

 それを中川から聞き、慌てて美奈代に電話をかけた。

「何度も留守電に伝言を入れてメールも送ったのに、どうして早く返事をくれないの」

 開口一番怒鳴られたが、それ以上の小言は聞かずに済んだ。伝えたい内容が、それどころでは無かったからだろう。

 美奈代の説明では、雄太と思われる人物がマンションから落ちて死亡した為、念の為遺体を確認して欲しいとの依頼だった。警察はまず兄の慎一郎の連絡先を調べ、彼女の家へかけて来たという。

 この時、死んだのは雄太でまず間違いないと聞いた衝撃と哀しみで、藤子は頭が混乱していた。彼女はあくまで義理の姉で、兄はまだ海外赴任中だ。その為身元確認は、できれば藤子が好ましいと警察に言われたらしい。

 ただ美奈代も、近しい身内として呼ばれたという。だから一緒に確かめようとの申し出を了承し、教えて貰った警察署で落ち合うと決めたのだ。藤子はタクシーを呼び、その間中川にも状況を説明して目的地へと向かった。

 その車中でもまだ信じられなかった為、雄太の携帯に何度か連絡したが全く繋がらない。彼は固定電話を引いていなかったし、職場の電話番号も知らなかった。よって早く着かないかとやきもきし続けていたのだ。

 ようやく警察署に到着すると、既に美奈代が入り口で待っていた。そこで一緒に受付らしき窓口へ用件を告げたところ、担当者だという警察官がきて霊安室に案内された。二人は初めて入る部屋に戸惑い震えながら、白いシーツをかけられベッドに横たわっている人物の顔を見るよう、そこで促された。

「死後三日経過しているため、先程まで冷蔵室に入っていました。お二人が確認しやすいようにこの部屋へ移動しましたが、確認できましたら腐敗が進まないよう再び戻されます」

 余りに生々しい説明を受け、藤子は悪寒が走った。死者の顔を見るのは、祖父母や両親が亡くなった際に経験していたから初めてではない。親戚等の葬式にも何度か出席しており、比較的慣れていると言っていいだろう。

 だが目の前の動かない物体が雄太だと言われても実感は湧かず、足が前に進まなかった。美奈代も同様だったのか、同じくその場に立ったまま固まっている。

 なかなか踏ん切りがつかない二人に業を煮やしたのか、警察官が顔にかけられた布をさっと取り去った。その瞬間少し遠目だったが、明らかに弟の雄太の顔だと分かった。マンションから落ちたと聞いていた為、もっと損傷が激しいのかと想像していた。しかし思っていたよりもきれいでほっとする。

 その点を質問すると答えてくれた。どうやら彼は後ろ向きで地面に衝突したらしく、後頭部の状態は相当酷かったらしい。だが運よく顔はそれ程でもなかったようだ。

 そう言われてみると確かに頭の部分には厚く包帯が巻かれ、見えないようにされていた。遺体と対面する遺族への配慮だろう。場違いで不謹慎かもしれないが、おかげで何となく胸を撫で下ろした。

 そこでようやく藤子は、付き添っていた警察官に告げた。

「弟の雄太で間違いないと思います」

同じく横にいた美奈代も頷く。それで彼らも納得したのだろう。ご愁傷しゅうしょう様です、と声をかけられ再度顔に布をかけた。

 その時になり、ようやく彼の死を脳が受け入れたのだろう。強張こわばっていた体の力が急に抜け、しゃがみ込んでしまった。藤子はそのまま座り込み、涙が止まらなくなった。

 しかしそんな感傷に浸っている時間など、余り与えられなかった。対照的に美奈代は遺体から顔をそむけ、早くここから立ち去りたいとでもいうように、そわそわとしながら尋ねたのだ。

「一体、どういう事なんですか」

 それを聞いた彼は、その言葉を待っていたらしい。

「その点は、あちらの別室でご説明したいと思います」

そのまま二人は会議室のような場所へ連れていかれ、雄太が亡くなった経緯説明の前に、事情聴取を受けたのである。

 先程までいた制服姿の警察官とは明らかに違う、人相の悪いスーツを着た二人の中年男性が現れ、捜査一課の刑事だと名乗った。目の前に座った彼らの内の一人が、いきなり質問してきた。

「弟さんと最後に連絡を取ったのはいつですか。最後に会った時の様子も教えて下さい」

 何故そんなことをわざわざ聞くのだろうといぶかしく思いながら、頭の中で記憶を辿る。そこでここ最近は、電話でしか全く話していなかったと気付く。そう告げたところ、横にいた美奈代も同じく頷いて言った。

「三年前に私の夫の慎一郎が海外に赴任する際、藤子さんと雄太さんが空港まで見送りに来ました。顔を見たのは多分それが最後だったと思います。年賀状のやり取りはしていましたが、その程度の付き合いでした」

恥ずかしながら、藤子もその言葉に同意した。身内とはいえ互いにいい歳をした大人であり、それぞれの生活がある。また祖父母や両親は既に他界していたからだろう。顔を会わせる機会など、ほとんど無くなっていた。

 いや違う。正確に言えば、あってもなるべく避けてきたというのが本音だ。実際昨年の五月、兄達の長男の秀人ひでとが二十七歳で結婚したけれど、その式に出席しなかった。

 当然藤子と雄太にも、招待状は届いていた。まだコロナが完全には落ち着いておらず、ワクチン接種も始まったばかりの時期だった。その為ごく限られた人達しか招待しない、と説明を受けた。だが当時は藤子だけでなく、雄太も三月に前の会社を辞めていた為無職だった。よって二人共祝儀を送っただけで欠席したのだ。

 それでも雄太はその後、大手IT企業の関連子会社へ就職が決まったと聞いている。刑事によれば、亡くなった時もその会社に在職していたらしい。あの時でも雄太が前の会社を辞めた件は藤子が招待状を欠席で出した際、兄からの電話で知らされたのだ。

「お前はともかく、あいつも出られないと言ってきたよ。会社を変わるのはもう七回目だから珍しくないが、このタイミングで無職になるとはな」

 そう言いながら、むしろ出席しない事を喜んでいるように聞こえた。渡航制限が緩和されたおかげで、ようやく海外から一時帰国できるようになった兄と二年振りに会える。だから顔を出そうか一瞬でも迷った自分が愚かだった、と思った記憶が蘇った。

 招待状を受け取ったのは、三月末に文潮堂賞と白樺しらかば新人賞の二つの締め切りが丁度あり、執筆作業で忙しい時だった。けれど体調は安定しつつあった為、五月なら時間的にも精神的にも正直余裕があった。

 しかし兄はまだしも、美奈代がいい顔をするはずなどない。招待状も義理で出しただけだろう。本心は欠席で返信されると期待していたはずだ。兄の口調でそうした予想が確信に変わった。それに六月や八月にも応募したい賞があった。

 だから兄や雄太の顔を見て近況を聞き、おいの秀人の嫁がどういう人か見てみたい気はしたけれど、結局断念したのだ。

 しかし雄太まで欠席するとは藤子も思っていなかった。確かに兄が言う通り、社会人になってから昨年までの二十八年の間、彼は転職を繰り返してきた。しかも最初に勤めた会社が倒産したのは災難だった。

 けれど高校を卒業し、システム関連の職業に就いたのが良かったのだろう。当時まだ普及し始めたばかりだったIT市場は、その後急速に広がった。よって雄太のような技術者は、どこでも重宝されたからだ。

 彼が転職を重ねていたのは、藤子のように決して会社と馴染めなかったからでなく、ステップアップの為だったと聞いている。

 とはいっても学歴は高卒だったからか、それ程給与は高くないとぼやいていた。だからこそより良い職場環境を選ぼうと一か所平均四年前後で転職し続け、八つの会社を渡り歩く結果になったのだろう。

 母が七年前に他界してからは、お互い年賀状と誕生日におめでとうメールを送り合う程度の付き合いとなった。他は雄太が会社を変わった時など、たまに連絡があったくらいだ。父が交通事故で二十二年前に亡くなった後、一人になった母の様子を伺う名目で年末年始またはお盆休み頃に、実家へ帰ってはいた。その頃既に祖父母も他界していたからである。

 といっても全員集まる機会は少なく、それぞれ都合の良い日を選んで訪ねていたのが実情だ。それより前に遡っても一家団らんの時を過ごしたのは、藤子が小学校を卒業して全寮制の中高一貫校に入学する前までだったかもしれない。

 当時四十七歳で管理職だった為に忙しかった父の帰りは、いつも遅かった。土日も接待やなにやらで、遊んでもらった記憶などほとんどない。兄も高校生で受験に励んでいたからかそれこそ盆と正月だけ、全員が集合できた程度だった。

 その後兄は、大学に合格すると同時に家を出た。藤子も大学に入学した際は寮を出て、そのまま一人暮らしを始めた。その為実家に残った子供は、雄太だけとなったのだ。

 しかし彼が二十二歳の時、就職先が倒産して別の会社に転職が決まった際、ようやく一人暮らしを始めた。その頃兄や藤子も忙しくしていた為、滅多に顔を会わす機会など無かったと思う。

 その後ゆっくり長い間顔を合わせたのは、事故死した父の葬式前後が久しぶりだったかもしれない。その前にも何度か会ってはいる。雄太が高校を卒業して就職が決まった時や、兄が美奈代との結婚式を挙げた日などだ。

 または祖母の葬式があった年に藤子は大学を卒業後就職し、美奈代が秀人を出産した時にも顔は見ていた。けれども大した話をした記憶が無い。

 刑事に説明しながら過去を振り返る内、藤子達はいつの日からかそうした浅い関係になっていたと気付かされた。

 そこでさらに質問された。

「それなら直近で話をしたのはいつですか」

 美奈代は昨年の九月に兄を通じて、雄太から電話があったと告げていた。しかしその際、直接は話していないという。つまり三年前に空港で会って以来、顔はもちろん彼の声すら聞いていないらしい。

 藤子は九月に直接会話し、その後年が明けた一月に芥山賞を受賞して記者会見でテレビに出た際、また雄太から電話があったと告げた。本が売れて話題となった先月にも一度、お祝いの言葉を貰った気がする。ただそれ以降は全く連絡を取っていないと説明した。

 美奈代は九月以降、藤子とは話したが雄太から連絡はなかったと答えていた。兄は今年の正月、一度帰国している。だがその際、雄太や藤子とも会っていない。つまり兄でさえ、昨年の九月以降は雄太と話をしていないようだ。

 そこでまた尋ねられた。

「年賀状のやり取り等はされていたようですが、その住所は分かりますか。また家を訪ねた事はありますか」

 スマホに登録していた雄太の連絡先を呼び出して知っていると答えたが、一度も行った事が無いとそこで初めて気づいた。もちろん美奈代も同じで、兄さえそうだったはずだと説明していた。

 そういえば弟が実家を出て独り暮らしを始めた後、一度だけ転居案内を貰った覚えがある。確か父が亡くなり、遺産分割が済んでしばらく経った頃だ。一戸建ての借家に引っ越した、と書いていた。その後何度か転職したにもかかわらず、二十一年間住み続けたらしいその住所に、藤子達は毎年年賀状を送っていた。

 余程気に入っているのだろう、一度どんな場所か訪ねて見ようかと思った記憶はある。だが結局行くきっかけを逃したまま今日に至っていた。

 ちなみに雄太が転居する二年前に兄がマンションを購入した時、一度だけ招かれている。しかし当時藤子は大阪への転勤が決まり、それどころではなかった為断ったのだ。それ以降、一度も兄の家を訪ねる機会は無かった。雄太も藤子が一緒じゃないのなら、と辞退したらしい。

 それから藤子は仙台から京都、大宮と異動し社宅を転々としていた事情もあり、彼らが訪ねて来たことはなかった。東京から近い大宮でさえそうだったのだ。

 よって互いの家の住所は把握していたものの、敷居をまたいだ経験がない。プライベートな空間には立ち入らないといった暗黙の了解が、いつの間にか生じていたように思う。

 何故そんなことを聞くのか尋ねた所、刑事は耳を疑う話をし始めたのだ。

「転落死された五階建てマンションの一室に、弟さんは住んでいました。しかし彼は渡部わたべりょうという名義で借りていただけでなく、その名前を名乗って生活していたのです。もちろん会社にも、渡部亮として通い働いていました」

 ワタベリョウという名の響きを、どこかで聞いた覚えがあると思いつつ、藤子は尋ねた。

「どういう意味ですか。もしかすると死んだのは雄太ではなく、違う人だと言うのですか」

 しかし刑事は、首を横に振って言った。

「いいえ。先程お顔を確認して頂いたように、あの方はあなたの弟さんの保曽井雄太さんで間違いないと思われます。渡部亮という名は、ホームレス等から戸籍を購入したものでしょう。本名が分かったのは、彼に補導歴があったからです。当時取った指紋と照合したところ一致しました」

 思い出した。雄太は高校二年の時、学校で暴行事件を起こし警察に連れて行かれた事がある。正確には、学校でも有名なヤンチャ集団の喧嘩に巻き込まれたというのが本当の所だ。しかし騒ぎを止めようと仲介に入った際、誤って教師を殴ってしまったらしい。その為関わった生徒は、全員傷害の疑いで警察に補導されたのである。

 一部の生徒は逮捕され少年院へ入ったりしたが、幸いにも雄太は情状酌量で釈放された。学校も一ヶ月の停学処分で済み、何とか無事卒業出来たのだ。

 その際に取られた指紋が今でも残っていたらしい。そこで別人だと判明し驚いた警察は、改めて彼の部屋を徹底的に家宅捜査したという。そうして保曽井雄太の名で住んでいる、別の家を突き止めたそうだ。そこは中古だが、立派な一戸建ての家らしい。しかも借家ではなく、雄太名義の土地と建物だと知ったのである。

 更に警察では、二十一年前に一括払いで購入していた事実まで突き止めていた。恐らくタイミングからすれば、父の死によって相続したお金を充てたのだろう。つまりこれまで藤子達が年賀状を送っていた住所は、借家で無く彼の持ち家の場所だったのだ。

 そこで家宅捜索の際に発見した藤子達の年賀状等を元に、長男の慎一郎、次に藤子へ連絡を入れたという。美奈代からの着信を無視した際、同じく放置していたのが彼らからの電話だったと思われる。

「どうしてそんな二重生活を、雄太はしていたのでしょうか」

 当然湧いた疑問を口にしたが、そこまでまだ捜査は進んでいないと言われた。その為さらに質問した。

「雄太はどうして、マンションの屋上から落下したのですか」

 これも現在、事故か自殺か事件かで調べている最中だという。雄太が別名義で住んでいたマンションの屋上に上がる扉は、通常鍵がかかっていて立ち入り禁止だったらしい。

 しかし一カ月ほど前から、何者かに鍵が壊されていたようだ。その為、時折煙草を吸う住民等が出入りしていた形跡があったという。実際鑑識によって複数の足跡が発見され、吸い殻なども見つかったと告げられた。

 そう説明されたが、違和感を持った藤子は首を傾げた。

「でも雄太は、確か煙草を吸わなかったはずです。ただ私が知らなかっただけでしょうか」

その辺りは曖昧あいまいだ。喫煙しない兄や藤子の前では遠慮していた可能性もある。また最近になって吸い始めたのかもしれない。

 だが刑事は首を振った。

「弟さんの部屋や持ち物から、喫煙者だった形跡は見つかっていません。しかし他の住民達の証言では、気分転換の為などでふらっと立ち寄る方も何人かいたようです。どうやらそうした内の一人だったと思われます」

 屋上は手すり等が無い為、危ないから早く鍵を直した方が良いと、他の住民が管理会社に伝えていたらしい。もし子供が上がり遊んだりして落ちたらどうするつもりだと、皆心配していたようだ。

 しかし古い物件の為、他にも修繕する箇所があったからか後回しにされていたという。そのせいで事件が起こり、それ見たことかと住民達からは抗議の声が上がっていると聞かされた。

 それにマンションやその周辺には、防犯カメラが設置されていない。また遺書も残されていない為、落下した原因は良く分からないと告げられたのだ。逆に何か心当たりはないかと質問されたが、先程説明したように彼とは接点が余りにも少なかった。 

 悩んでいたかどうか、誰かと揉めていたかなど藤子には全く分からないし、心当たりもあるはずが無い。

 答えていると雄太について何も知らなかったのだと改めて気づかされ、恥ずかしい思いをした。五つ年上の兄より二つ年下の雄太の方が年齢も近かった為、幼い頃はよく遊んだ記憶がある。

 例えば父が忙しい為、夏休みになっても海やプールなどへ連れて行って貰えなかった。そこで藤子と雄太は母の監視の元、お風呂場に水を溜めて泳いだり、水遊びをしたりしたのだ。互いにまだ幼かった為、下着だけ履いて上半身は裸のままだったと思う。

 けれどそんな時期は小学生の低学年までだった。その後は有名中学へ入る為に、藤子は勉強で忙しくなったからだ。そうして兄も含め、どんどんと関係は薄くなっていった。

 それでも腑に落ちない点がまだある。そこで尋ねた。

「雄太が煙草を吸わないのなら、何故屋上になんか上がっていたのでしょう。落ちたのは何時頃ですか」

「時間は金曜の朝の八時頃です。その日、雄太さんは有給休暇を取って会社を休んでいました。屋上にいた理由は良く分かっていませんが、度々たびたび目撃されていたと聞いています。ですから他の住民にもいたようですが、気分転換でもしていたのかもしれません」

 そう聞いて余計に首を傾げざるを得なかった。この三月上旬の東京だと、その時間ならまだ気温は一桁台で寒かったはずだ。確か三日前の金曜日は晴れていたと思うが、それでも仕事を休んだその朝に、そんなところで何をしていたというのか。

そこで藤子は肝心な点についての記憶が蘇り、恐る恐る聞いた。

「三日前の朝にマンションから落下して、同じマンションの住民の女性を巻き込んだというニュースを聞きましたが、もしかしてそれが雄太だったのですか。あの時確か続報で、死亡した人の名がワタベとか言っていたと思いますが別件ですか」

 すると刑事はあっさりと答えた。

「いえ同じです。ご存知でしたか。現在その女性は骨折で入院していますが、幸い命に別状はありません。もしお見舞いに行かれるのなら、先方の了承を得た上でお教えする事が出来ると思います。どうされますか」

 藤子は美奈代と顔を見合わせた。彼女は眉間に皺を寄せ、止めた方が良いと軽く首を振った。しかし怪我を負わせてしまった身内としては、知らない顔をする訳にもいかない。

 といって今回の件では誰かに突き落とされた場合を除けば、雄太の過失傷害または下手をすると殺人未遂になってもおかしくないだろう。そう気づいて刑事に尋ねると、彼は案の定頷いた。

 事故または自殺の場合、本人は死んでいる為に被疑者死亡で書類送検されるだけだ。といっても被害者に対し、賠償責任が発生する可能性は高いという。

 雄太にどれだけの預貯金があるかは知らないけれど、少なくとも一戸建ての家と土地があるらしい。よってそれを処分すれば、治療費や慰謝料は十分払えるはずだ。そこでハッとした。

 藤子が知る限り、彼には妻も子供もいない。両親も他界している為、相続人は兄と藤子の二人になる。つまりそうした事態も含め、事後処理の責任が発生するだろう。 しかし兄は海外だ。そうなると藤子がするしかない。

 そうぼんやり考えていた時、刑事が尋ねて来た。

「ところで三日前の八時前後ですが、あなたはどちらにいらっしゃいましたか」

 一瞬にして脳に刺激が走った。これまで様々な小説を数千冊読み、ドラマや映画等も相当数観てきた藤子に対し、まさかこの定型文言が現実世界で投げかけられるとは予期していなかったからだ。そう言えば彼らの所属は捜査一課だと言っていたと思い出す。

 反射的に強い口調で言葉が出た。

「それはアリバイ確認ですよね。どういう意味ですか」

 しかし刑事は慣れた調子で、これまたお決まりの台詞を口にした。

「他意はありません。関係者の皆様にお聞きしております」

 美奈代も意味を理解したらしく、食ってかかった。

「私達が雄太さんを突き落として、殺したとでも言うんですか。私達は遺族ですよ」

 だが刑事はここぞとばかりに反論した。

「弟さんの死は不幸な事ですが、人一人を殺しかねなかった犯罪者かもしれないのです。もし自ら落ちた、または過失により落下したのではなく、誰かに突き落とされたとしたら被害者になるでしょう。それでも名前を偽り、二重生活していたという事実が残っています。これは文書偽造の罪に問われる案件です。つまりあなた達は今現在、犯罪者遺族でもある点を忘れないで頂きたい」

 彼女はショックを受けたのだろう。真っ赤な顔をしたまま黙って下を向いた。プライドの高い人だから、身内に犯罪者が出たと分かり恥じたのだろう。または怒りで言葉を失ったのかもしれない。

 刑事はさらに続けた。

「それに彼の戸籍を取り寄せ確認したところ、ご両親は既に他界していて妻も子もいない。そうですね。今のところ借金を抱えてトラブルになった形跡、または内縁の妻や子供がいる証拠も見つかっていません。そうなると、預貯金だけでなく彼の名義になっている土地や建物を相続するのは、あなたの旦那さんと藤子さんのお二人です。建物は古いですが、葛飾区にある土地は結構な価格になるでしょう」

 そこで言葉を切ったが、あんに相続財産を狙った殺人の可能性を疑っていると伝えたかったのかもしれない。藤子は馬鹿馬鹿しいと腹が立った。無職だった半年前でさえ、経済的に困る状況まで落ちぶれてはいなかったからだ。

 預貯金を取り崩す暮らしをしていたのは間違いない。しかし両親の遺産と自らが二十一年余り心身共に削って蓄えた資産を併せれば、贅沢をせず無理しない程度の暮らしなら二十年は生きていけるだけのライフプランを設計、維持してきたのだ。

 六十五歳になれば、公的年金や在職時に支払っていた厚生年金が支給される。よって余程の浪費や想定外の事態が起こらない限り、例え作家になれなくても人に迷惑をかけない範囲で生活できる予定だった。

 それがここ半年で急激に環境が変わり、経済的に相当な余裕もでき社会的地位さえ向上した。そんな状態で遺産目当てに弟を殺す動機などある訳が無い。

 しかし怒りで頭に血が上り、怒鳴りたくなる気持ちを懸命に抑えていた藤子の隣では、全く異なる感情を持った美奈代が口を開いた。

「その時間、私は娘の代わりに孫を幼稚園に送り届けていた頃です。先生達と立ち話をしていましたし、他の園児の保護者達ともしばらく会話を交わしました。あの辺りは防犯カメラがあるので、確認して頂ければしっかり映っているはずです。事故現場からそれなりに距離がありますから、アリバイは証明できるでしょう。もちろん夫は海外赴任中ですし、同居している娘や共働きをしている息子夫婦も、その時間なら会社に向かっている最中だったと思います。調べて頂ければ分かるはずです」

 家族は皆、雄太の死に関わっていないと強く主張し出した彼女に奇妙な感じを抱いたが、次の言葉でその理由が頷けた。

「ところで雄太さんはどれだけ預貯金を持っていたのですか。土地の資産価値も、今だといくら位になるか警察は調べたのですよね。だから私達を疑ったのでしょう。教えてください。彼はどれだけの資産を持っていたのですか」

 どうやら彼女は、いずれ入って来るだろう遺産に興味が移ったようだ。その為相続そうぞく欠格けっかく事由じゆうに当たらないと、力説したかったらしい。

 前のめりで迫る彼女に押されたのか、刑事は説明し始めた。

「いずれお分かりになるでしょうからお伝えしますが、こちらで把握しているのは最低でも二億円以上あると言う点だけです。正確な数字をお知りになりたければ、弁護士等に調査を依頼した方が良いでしょう」

 これにはさすがの美奈代も目を丸くしていた。想像以上の額に驚いたのだろう。だが藤子は堅実だった彼なら、それ位は持っていてもおかしく無いと思っていたので平然としていた。

 二人の対照的な表情を見て、彼は説明を続けた。

「土地だけでもあの辺りは購入された頃より高騰していますから、一億近くするでしょう。加えて預貯金が一億円以上ありました。ただしこれが、何らかの犯罪で得た収入であれば問題になります」

「そうなんですか」

 急に不安げな顔をした美奈代の問いに、刑事は淡々と答えた。

「まだ今の時点でそう言った事実を裏付ける証拠はありません。それでも偽名を使っていたのですから、何か後ろめたい行為をしていた可能性はありますからね」

 だが藤子は冷静だった。あの雄太が不法にお金を得る真似などするはずない。保曽井家の血筋から考えても、それはあり得ないと信じていたからだ。確かに他人名義を取得していたのは犯罪だろう。それでも何かしら止むを得ない事情を抱えていたに違いない。

 それに土地や建物の購入代金は、父の遺産で払ったと考えれば納得できる。しかもその後、彼は母親が病死した際さらに多くの遺産を受け取っていた。

 その上独身であり、高校を卒業してから三十年近くも働いて来たのだ。最初の頃は実家住まいだったから出費も抑えられていただろうし、転職を重ねてそれなりの給与も得ていたと思われる。

 購入した家と別でマンションを借りていた為、二重生活による出費はそれなりにあったかもしれない。だが贅沢していなければ、一億以上の預貯金を蓄えていても不思議ではなかった。

 保険会社に勤務していた藤子はファイナンシャルプランナー、通称FPの資格を持っている。よってライフプランニング等の知識がある為、そう予測を立てることは比較的容易だった。

 他にも保険とリスクは当然ながら、相続や事業継承、不動産または金融資産の運用、リタイアメントプランの設計も得意としている。だから退職後、自分はどう暮らせばいいのか、経済面においてだけは十分理解していたつもりだ。

 しかし人としてどう生きれば良いのかをずっと悩み続けていた。そうしたストレスが影響し、心と体が病んでしまったのだろう。その苦しみから解放される為に会社を辞め、抱いていたコンプレックスを解消した上で、リハビリとして始めた読書にのめり込んだ。そこから物語をつむぎだし、自分は生き甲斐を探していたのだと後になって気付いた。

 しかも大嫌いだったかつての本名とは別に、小説なら好きな筆名を名乗れる。新たな名を手に入れ、その世界でなら本当の自分を取り戻せる気がしていた面も否めない。その結果、単なる小説家ではなく芥山賞作家として、今こうして生きているのだ。

 しかしそれが本当に望んでいたものかは自分でも分からない。ただ気付いてみればそうなっていた、というのが正直なところだ。また雄太が別名を名乗っていたと聞き、何となく理解できる点もあった。もしかすると、彼も忌まわしい保曽井家の呪縛じゅばくから逃れる為に、藤子と似た想いを持っていたのかもしれない。

 恐らくぼんやりしていたのだろう。目を覚まさせるかのように、刑事は藤子に向かって同じ質問を繰り返した。

「あなたはどうですか。三日前の八時前後はどうされていましたか」

「わ、私はテレビ局にいました。生放送の番組に出演する予定で七時半からずっと楽屋にいましたから、調べて頂ければ分かると思います」

 慌てて答えた所で、嫌な事を思い起こした。あの時、突然入って来た速報についてコメントさせられたが、あれは雄太だったのだ。予定に無かった為、そんな事情も知らないで台本に書かれていない何かを口にしたはずだ。その咄嗟の対応を褒められた覚えがあるから、表面上は落ち着いているように見せられたと思う。

 しかし内心は、心臓が飛びださんばかりに激しく動揺していた。病気が悪化したのではと思うほど動悸も酷く、頭痛さえした位だ。あの時何と言ったのか記憶が定かでない。ただ自分の作品になぞらえて答えた為、後で編集部の面々は良い宣伝になったと騒いでいたはずだ。

 それからも刑事によるいくつかの質問に答えた藤子は、美奈代と警察署の前で別れ自宅へと戻った。その後事態は新たな局面を迎えたのである。

 事情聴取を受けた二日後に警察から連絡があり、雄太の件は事故として処理される、と教えられた。その理由の一つとして、事故に巻き込まれた被害者の他に、偶然居合わせた住民の目撃証言があったからだという。

 その人は屋上に人がいると気付き、危ないと様子を見ていたらしい。すると何かに気を取られてバランスを崩し、足を滑らせて落ちたと供述したそうだ。またその内容が、被害女性の語った内容とほぼ一致したのである。

 さらに警察の捜査でも、自殺や殺人と決定づけられるものは発見できなかったと告げられた時、愕然がくぜんとした。まずそんな証言があれば、最初から事故だと発表できたではないか。それなのにどうして事故か自殺か事件かで調べているという、思わせぶりな態度を取っていたのかと苛立った。

 また別名義を所持していた件さえ、犯罪に関わっていた証拠がないので書類送検も敢えてしないと告げられた。その点については納得いかなかったが、渋々警察の決定を素直に受け入れようと決めたのだ。

 どうして別人に成りすます必要があったのか、本音ではその理由を知りたかった。しかしこれ以上騒げば、雄太は犯罪者として亡くなったとの事実が間違いなく残る。それならば不運な事故だったと考え、静かに冥福めいふくを祈る方が良いのだろう。同じく警察の説明を聞いた兄にも、電話でそう説得された。

 しかし事故の場合だと、巻き込まれ怪我をした女性に対しての過失傷害罪は成立する。民法でも賠償義務を負う必要が出てくるという。とはいえ弁護士によると親告罪なので、被害者と上手く示談できれば刑罰を受けずに済む、と説明されたらしい。

 ただし道義的には、それなりの対処をしておいた方が良いだろうとアドバイスされたようだ。どうやら美奈代から話を聞いた兄は会社の顧問弁護士を通じ、雄太の資産鑑定も兼ね相談をしていたのである。その時にこうも言われた。

「お前も突然有名になって忙しいだろう。こっちに任せてくれるなら、俺が弁護士を雇ってもいい。ただ一度くらいは被害者へお詫びをしに行く必要があるだろう。その場合はそっちに頼むかもしれない。雄太の遺体が警察から戻って来て、葬儀を挙げるとなれば俺も帰国できる。その時まで話が付いていればいいが、まず無理だろう。そうなると、俺も簡単には日本へ行き来できないからな」

 異論が無かった為、藤子は兄に全てを委ねた。その後雄太の遺体を引き取り、それに合わせて一時帰国した兄とその一家に藤子を含めたごく少数の親族だけで、ひっそりと葬式をあげたのだ。

 納骨は火葬した直後、祖父母や両親も眠る都内の墓に収められた。兄はそれほど長く日本に滞在できない。その為しばらく手元に置いたり、四十九日の法要を待ったり出来なかったからだ。

 藤子が二十歳の時に祖父の慎蔵しんぞうが亡くなった。その際経済的余裕があった父は都内に墓を買い、これまでの墓を移転した。保曽井家の墓は同じ関東だが東京にはなく、少し遠かったからである。

 戦後しばらく経った頃に曾祖父そうそふが亡くなった為、五人兄妹で遺産分割をしなければならなくなり、住んでいた土地や家は売却されたと聞いていた。しかし先祖代々が眠る墓だけは、そのままにしていたようだ。

 けれど時が過ぎ、その周辺地域の過疎化が進んだことにより、他の身内もそれぞれ土地を離れ始めていたらしい。よって墓守をする人がおらず、また同じく東京へ出て来ていた人達もいたので了承が取りやすかったそうだ。

 曾祖父の死を機に、長男だった祖父が最初に東京へ出たという。曾祖母の容体も悪く、東京の大きな病院に入れる必要があったからだと聞いていた。また一人息子である父の教育を考えての行動でもあったようだ。

 おかげで父は学業に励んで有名大学を卒業後、大手銀行に就職して出世した。祖父の期待に十分応えたと言って良いだろう。また保曽井家は裕福になり、その恩恵を藤子達も十二分に受けられたのだ。

 葬儀の一連の流れの中、久し振りに会った兄と雄太について昔話をした。その上で、何故名前を隠し別の家まで設けて生活していたのか、との疑問も話し合った。

「今思えばネットを使って、あいつの住んでいる家がどういう場所だったのかだけでも調べられたのにな」

 兄の呟きに藤子も頷いた。これまで二人は全くと言っていい程、彼に興味を持たなかったと気づかされ、今更ながら後悔した。特に藤子が新人賞を取った際、教えていないにも関わらず連絡をくれたのは、彼が気にかけてくれていた証拠だ。それなのに自分はどうだったかと振り返った時、情けなくなった。

 まだ一緒に暮らしていた子供の頃を思い出す。雄太は兄や藤子と違い、幼い頃から運動能力が高かった。けれど勉強は苦手だったらしく、やんちゃなグループと付き合いもあり、両親に心配ばかりかけていた。

 その上戦前は特別高等警察に所属しかなり厳格だった祖父の影響もあったからだろう。父はとても教育熱心でしつけも厳しかった。その為兄と藤子の成績はずっと良かった。だからかできない彼を見て、馬鹿にしていたのも確かだ。特に兄は優秀だったし年も七つも違っていた為か、よく雄太を叱っていた記憶がある。

 その一方で親の期待を背負った兄は、口だけでなく実際に父と同じ大学に入った。卒業後も大手総合商社に入社し、エリートコースを歩み続けたのだ。藤子も負けまいと必死に頑張ったが、兄よりは劣った。

 比較され、また蔑まれていた雄太の様になりたくない。そう強く思い始めた為、家を出ようと中高一貫だが全寮制の学校を受験し、入学したのだ。また卒業後も大学に進学した際、家から通える距離ではあったが激しく抵抗してそのまま一人暮らしを始めたのも、両親によるプレッシャーから逃れる為だった。

 その頃雄太は暴力事件に巻き込まれ高校を停学になった件を機に、大学進学を諦めて父親のコネで就職し、家から通っていた。当時は兄も就職し一人暮らししていた為、家族とはいっても皆バラバラだった気がする。それは形だけでなく精神的にもそうだった。それぞれの身の回りで様々なことが起こり、忙しかった時期だったからかもしれない。

 実際雄太が就職した翌年、兄は同じ会社の社員だった美奈代と出来ちゃった婚をし、次の年には秀人が産まれていた。藤子が就職難に喘ぎながらも、何とか中堅の保険会社に総合職として入社した年でもある。

 その翌年には雄太の会社が倒産した。大変だとは思ったが、藤子自身も入社して二年目で、自分の仕事をこなす事に精一杯だった。同期の男達に総合職として負けまいと、無理をしてがむしゃらに働いていた頃だ。

 兄も結婚して二年目、子供が生まれて一年目なのに、美奈代は二人目の妊娠が判明した年だったからだろう。雄太の事に関心が及ばず、両親に任せっきりだったという記憶だけはある。なんとか金融関連の子会社に再就職が決まったと聞いた翌年、兄の家では長女のあやが産まれた。

 さらにその翌年、雄太が別の会社に転職をしたと聞いたが、兄は次の年に美奈代からせがまれたらしく、マンションを購入している。当時の藤子は入社五年目で、最初の配属は東京だったが、初めての転勤により大阪支店への配属が決まった時だ。異動の挨拶を済ませ引っ越し、新しい職場での引き継ぎ等で忙殺されていた。

 ようやく一年が過ぎ、これから土地や仕事にも慣れ始めるだろうと思っていた矢先、父がトラックに追突されて事故死したのだ。相手の前方不注意で、勤務中に社有車を運転していた時だった。よって相手側が加入していた保険金で、賠償金も十分まかなわれた。その上で会社の労災や死亡退職金、他にも個人で加入していた生命保険等が支払われたのである。

 当時六十三歳だった父は、銀行を定年退職してからも関連会社の役員をしていた。その為保曽井家は比較的裕福だったこともあり、遺産は約三億二千万円あった。そこで葬式を済ませ財産分与の話になった際、親子四人が久しぶりに顔を会わせ、話し合う場を設けた事を覚えている。

 だがそこで揉めはしなかったが、後に若干のわだかまりを産んだ。法定相続通りだと、配偶者が二分の一、残りの二分の一を子供達で分けるはずである。けれど父は生前母に、上二人は有名大学を卒業し一流企業に勤めているが、雄太は高卒だからとても心配だと漏らしていたという。その為多めに財産を残したいと、母から申し出があったのだ。

 藤子は当時主任に昇格したばかりで、独身で収入にも余裕があったため了承した。兄は子供が二人いて前年にマンションを購入したばかりだったからか、やや渋っていたようだ。

 それでも課長代理に昇進し、収入も藤子より断然多く稼いでいた事等から母に説得され、最後は折れた。よって半分は母親、残り約一億六千万の内、四千万ずつが兄と藤子に、約八千万が雄太の手に渡ったのだ。

 けれど後に美奈代だけは、相当不満を漏らしていたと聞いている。子供達がまだ幼く、手がかかる頃だったからだろう。これから教育費等の出費が増え、マンションのローンも多く抱えていた為に違いない。少しでも遺産で借金を減らしたいと思っていたようだ。

 藤子はその後母親が病死するまで、平均して五年に一回は転勤を繰り返していた。兄達もまた海外を含め転々としていた事情もあり、より縁遠くなってしまったのである。それまでも途絶えがちだった雄太とは、藤子も兄もほとんど直接連絡を取らなくなった。せいぜい母を通して年一、二回程度は互いの様子を知る位だった。

 だからといって雄太は何故、父の遺産で中古の一軒家を購入していたのに、借家だと偽り隠していたのだろう。多く貰った上に、そのような使い方をしてねたまれるとでも思ったのだろうか。

 しかし当時の東京の地価はバブルがはじけ、二〇〇五年頃まで下降が続いていた。そのような土地等が安くなった時期に買ったのだから、今思えば彼は先見の明があったと言える。

 もし当時FPの資格を持つ藤子が相談を受けていたなら、悪くない考えだと答えていたと思う。実際その後地価は高騰し始めた為、詳細は不明だが今だと億近くなっていてもおかしくない。よって彼の行動は正しかった事を証明していた。

 また七年前に母が亡くなった際の遺産も、法定相続通りなら本来三分の一ずつだが、母親の遺言により兄と藤子は四千万ずつ、残りは雄太に渡った。実家の土地家屋が含まれていた為、恐らく九千万以上はあったと思う。

 彼はその後すぐに売却をしていたはずだ。兄は自分が購入したマンションを持っていたし、藤子は社宅を転々としていた為、残すべきだ等と反対しなかったからだろう。

 ただ藤子は雄太に、住む気はないのかと一度だけ聞いた覚えがある。

 しかし彼はその時言った。

「一人で住むには広すぎるよ。俺は今の借家で十分だ」

 賃貸料を払い続けるよりは、持ち家の方が出費は少なくて済む。だが彼の言い分は理解できたし、両親と一緒に住んでいた家だからといってそれ程思い入れが無かった為、それ以上は何も言わなかった。だが今思えば、あの時既に彼は一戸建ての家を持っていたのだ。その為躊躇せず処分できたのだろうと納得できた。

 あの時も美奈代は文句を言っていた。前年に長男が、決して有名とは言えない私立の大学に進学したことで学費がかさむ上、長女も高校卒業を控え、その後の進学に金がかかる時期だったからだ。それでも遺留分となる約三千万より多く分配されていた為、不服を申し立てても法的に勝ち目はない。よって受け入れざるを得なかったのだ。

 彼は母から受け取った遺産を、ほぼ手付かずのままにしていたのだろう。だから預貯金が一億円以上もあったのだと思われる。

 しかし兄は首を傾げながら言った。

「それにしてもあいつの給料は、俺達に比べれば安かったはずだ。ずっと独身だった点を差し引いても良く貯めたと思うよ。別名義のマンションだって、会社からの補助を除き月八万円払っていたんだぜ。光熱費も併せたら馬鹿にならない金額だぞ。持ち家に住んでいたら、そんな出費なんて必要なかったはずなのにな」

 そこで再び疑問が浮かんだ。本名で土地建物を購入した雄太は何故、そしていつから渡部亮を名乗るようになったのだろう。

 しかし結局答えが出ないまま別れ、後は日本を離れる兄の代理として、美奈代と弁護士達に任せていいんだなと念を押された。会社で紹介された弁護士やリサーチ社の窓口を彼女にすると聞いた時、正直嫌な予感はしていた。

 だが今更駄目だとは言えなかったので藤子は頷いた。そうして彼女が弁護士や調査員を通し、雄太の遺産がどれだけあるか正確に調べ始めたのだ。藤子が彼女に不信感を抱いていたのはデビューが決まった際の対応や、その後豹変した言動があったからだけではない。兄と結婚した当初から相性が合わなかったのである。

 高学歴の両親を持ち、保曽井家よりも裕福な家庭に育ったためか、彼女は異常に自尊心が強かった。ブランド品が大好きで高級な物に目が無く、金銭感覚も藤子達とは明らかに違っていた。けれども父親のコネで事務職として入社し、兄と付き合い始めて間もなく妊娠したことから二人は結婚を決めたのだ。

 よって社会人経験が三年弱しかなかった為、バリバリ働く藤子達に対し内心ではコンプレックスを持っていたらしい。その分雄太だけには優越感を持っていたと思われる。

 そうした反動からか、独身で居続け子供を作らない藤子達を揶揄やゆする発言をした。

「家庭を持ってこそ社会人と言えるのよ。それに高齢化も進んで少子化が問題視されているというのに、あなた達は責任を感じないのかしら」

 日本では確かに一九七〇年から高齢化社会となり、一九九四年に高齢化率が十四%を超え、高齢社会を迎えていた。ドイツで四十二年、フランスで一一四年の年数を経たのに対し、この国は僅か二十四年で突入している。

 その背景に少子化があり、このままでは人口が減少する中、高齢者の割合が高まる一方で経済も衰退せざるを得ないと危惧され始めていた頃だ。

 しかしそれはバブル以前から子育てや教育にお金がかかり過ぎる等の理由から、結婚した人でも複数人も産みたくないと思う家庭が増えるという、社会的な環境がもたらしたものではないか。

 それに加え晩婚化が進んで子供が産み難くなったり、経済的な問題で結婚したくても出来ない人が増えたりしたからだろう。経済的に余裕があっても、今以上または親の世代以上に豊かな生活が出来ないと不安に思わせ、結婚を躊躇う要因が社会全体に蔓延まんえんしていた。その上昔とは異なり、時代は生き方が多様化し始めている。それを個々人の責任に押し付けられても迷惑な話だ。

 明らかに異なる価値観を持っている美奈代だったが、そうかと思えば藤子が退職したと聞くや否や、急に見下し始めた。引け目を感じる必要が無くなったからだろう。無職で独身の人なんて、社会にとって生産性のないただの邪魔者だと思っていたに違いない。

 そういう極端な思想を持つ彼女にも、今となっては同情すべき所がある。大手の会社で順調に昇進し高収入を得ている夫を持ち、各地を転々として子供もまだ幼かった頃は良かった。入社十年目で購入したマンションも父の遺産でローン残債を大きく減らし、転勤中は人に貸して不動産収入を得ていたと聞く。

 だが十二年前の二〇一〇年、彼女の兄が事故で亡くなってから歯車が狂い出した。当時七十三歳と七十歳になる彼女の両親は、兄夫婦が面倒を看ていたようだ。それなのに葬儀が終わった後間もなく、手に入れられる遺産を受け取った兄嫁が家を出てしまったのである。美奈代や両親との関係を完全に切り、子供を連れて立ち去ったらしい。

 二人兄妹だった為、両親の扶養義務は全て美奈代が負う羽目になった。そうした理由もあり、藤子達の母が病死した時彼女は心底ホッとしていたに違いない。兄の親の世話をする心配が無くなり、今後は自分の両親のことだけを考えればよかったからだ。

 しかしそれまで相当な不満や苛立ちを抱えていたのだろう。子供達が大きくなるにつれて、二人共親の期待に沿うような成績が出ない状況もストレスになったらしい。彼女は日々ヒステリックになっていったと、兄から聞いた事がある。

 しかも母が病死する前年、ようやく長男の秀人を大学へ入学させたと思ったら、今度は長女の綾が大学受験しないと言い出した。それだけではない。彼女は親に内緒で男と付き合っており、妊娠してしまったのだ。

 当然進学はせず、高校を卒業後に結婚。孫の百花ももかが産まれた。母が病死した翌年である。また藤子が会社を退職した年でもあった為、結婚式には出席できなかった。つまり秀人の時と同様、藤子はめいの祝いの席にさえ座らなかった。恐らくそうした経緯も含め、美奈代は藤子を毛嫌いしていたのだろう。ただそれはこちらも同じだった。

 しかし彼女に降りかかる災難はその後も続いた。綾が出戻ってきたのである。その同じ年に五十二歳となった兄は、順調に出世を重ね部長へ昇進して役員まで狙える位置にいたが、社内で勃発した派閥争いの巻き添えになり風向きが変わった。その為会社での地位が悪化した上、シンガポール支店への出向を命じられたのだ。

 通常なら子供達も成人し手を離れている為、夫婦二人で海外生活を送っていただろう。だが家には綾と孫の百花がいたので、そうはいかなかったらしい。シングルマザーになった綾は、将来を見据えてスーパーの社員となり、働き始めた事情も影響した。これまで二十五年専業主婦を続けてきた美奈代が、百花の世話や家事全般を任されてしまったのだ。

 よって定年まであと数年と迫っているにもかかわらず給与と待遇が下がった兄は、単身赴任を余儀なくされた。その前年秀人は就職していたが、兄のコネにより入った中小企業だった為に収入は余り良くなかったという。それなのにまだ子供はおらず共働きとはいえ、結婚して扶養家族がいるのだ。

 要するに幼い頃からこれまで贅沢な生活に慣れていた彼女は、経済的なものも含め、多岐たきにわたる懸念を抱え始めたのである。特にここ最近は孫の世話に加え、これまで元気だった彼女の両親の介護が必要になり始めたと聞いていた。

 八十五歳と八十二歳という高齢なのだから、体調を崩したとしても不思議ではない。そうした心配事が余りにも重なり過ぎて、精神的な余裕がなくなっていたのだろう。そこに来て、不可思議な問題を抱えたまま雄太が死んだのだ。

 正直面倒な事は、藤子に丸投げしてしまいたかったに違いない。その為弁護士達が間に入るとはいえ、後は彼女に任せてもいいかと兄から言われた時、引っかかりを感じたのだ。その理由は後に分かった。調査依頼が進む中で途中経過だと彼女から連絡を受けた際、美奈代は言ったのだ。

「作家として有名になった独身の藤子さんなら、それ程お金は必要ないでしょう。それに比べてうちはお恥ずかしい事に夫の給料は下がってしまったし、私の両親の介護にかかる費用もあるし綾や百花の面倒も看たりしているから、何かと大変なのよ。秀人だってギリギリの生活で、今後子供が産まれたらもっと苦しくなるに違いないわ」

 暗に雄太の遺産調査等わずらわしい役割を引き受けたのだから、多く配分されて当然だと言いたかったのだろう。ただ実際に厄介なのは確かである。雄太名義の資産がいくらあるかを調べるだけでは済まない。借金があるのか、確認の必要もあった。相続が発生する場合、負の遺産も引き継がなければならないからだ。

 また渡部亮という別人の名義があるせいで、その名で蓄えられたお金はいくらあるのか、他にも別名が存在するのか照会しなければならなかった。その上雄太が落下した際に巻き込んだ、女性との示談交渉もある。さらに本当の渡部亮は現在どこにいるのか、名義は売買されたのか、奪い取ったものかも明らかにしなければならない。

 加えて文書偽造の罪で得た不当な収入はないか、あればそれが雄太名義の口座に蓄えられていたのかどうかも疑ってみなければならないという。もし犯罪で得たお金で被害者等が存在すれば返金の義務が生じる。よって相続財産から差し引かれる可能性も出てくるらしい。

 今の所そうした証拠は見つかっておらず、警察も立件は見送る構えだとは聞いていた。渡部亮名義の口座は給与振り込みと光熱費や家賃の引き落とし等で使用されており、多少の残高はあったようだ。また渡部亮として働いていた未払い分の給与や退職金も少しは出る為、借金のような負債がなければそれなりの額はあるという。

 それでも雄太名義で残されていた資産と比較すれば誤差のようなものだ。税務署や警察に差し押さえられても大して影響はない。何なら手続きが面倒になる為、全額放棄したっていいと弁護士は言っているようだ。

藤子は内心美奈代の言い草に腹を立てたが、ここで喧嘩をしても得にならないと諦めた。しかし彼女の思い通りにさせるのはしゃくだと考え、条件を付けることにした。

「お手数をおかけしているので、調査等にかかった費用を差し引いた残りの取り分をどうするかはお任せします。ただし雄太が残した遺産だけでなく彼がどういう人生を送り、何故もう一つの名を持つようになったのかも調べて頂きませんか。もし納得できる内容が得られれば、私の分は少なくても結構です」 

 すると彼女は良い言質げんちが取れたとばかりに喜び承諾した。実際に動くのは弁護士達だ。予想される遺産総額からすれば、上乗せになる経費など安いものだと皮算用したのだろう。藤子としても今は自由に動ける状態ではなく、疑問を解消しようとすれば結局専門家に頼るしかない。それなら兄達が依頼した人達を使えば、手間は省けると考えたのだ。

 しかしそうした判断が、後に大きな間違いだったと悔やむ結果になった。彼女と約束を交わした一週間後、マスコミが雄太の死について突然騒ぎだし、事態は悪い方へと急変したからである。

 いつものように朝刊を開いた藤子は、広告欄にある週刊誌の見出しに目を奪われた。そこで慌てて外出しコンビニに向かい、当該雑誌を購入し帰宅すると即座に記事の内容を読んだ。

 そこには暴露記事が掲載されていた。

“今話題の芥山賞作家がテレビの生放送でコメントした死亡男性は、なんと実の弟だった! しかも他人の戸籍を使い生活しており、何らかの犯罪に関わっていた疑いが浮上!”

 その上他人事のような見解を述べた藤子に対し、非難する内容の記載もあった。

「巻き込まれお怪我をされた方にとっては、本当にお気の毒な事でした。お見舞い申し上げます」

とあの時述べた言葉を取り上げ、それだけで済ませ未だ被害者に会っていない、と責める内容の記事が書かれていたのだ。

 これには藤子も唖然とした。面会していないのは事実だが、実際は弁護士を通し示談を進めている最中だ。しかも報告によればこちらの謝罪意志は先方に伝えており、治療費の実費は全額支払うことで了承を得ている。慰謝料についても法に定められた範囲で概算の金額は提示済みだ。それでほぼ承諾を得て、特に揉めていないと美奈代から聞いていた。

 だが治療が完全に終わらなければ、最終的な賠償額は確定されない。よって正式な示談はその後になってしまう。ただそれだけなのだ。

 また藤子など親族による謝罪についても話がついている。兄が海外にいて、藤子も世間の注目を浴び一躍有名になった人物という事情を加味して頂いた。よってお互いに落ち着いてから、と流れが決まっていたのだ。刑事責任も問わないとまで告げられていた。

 それなのに、雑誌ではまだ会って直接謝罪していない点だけを取り上げ攻撃していた。さらにはその後の意見についても叩かれた。

「また男性の行為が自殺だったとしたら、とても悲しい事件です」

との生放送でのコメントを指し、実の弟がどういう状況だったかも知らないで、作家のくせに安易な言葉を使っているととがめられた。その上、 

「もし私の作品を読んで頂いていたなら、違った形になっていたかもしれない。そう思うのは傲慢でしょうか」

と口にした点については、傲慢どころか本の宣伝をしたいが為の、自分本位な発言だとそしられた。旬の人物として世間に持ち上げられ注目されていた分、そのスキャンダルは手の平を返したように、恰好の餌食となったのである。

 ただでさえデビューしたての新人が大きな賞を獲ったことで、嫉妬を含んだ悪意にさらされていた。それでも新人賞を獲った後、二十歳も年下である担当の中川から、

「作家自身がSNSで宣伝を兼ねたアピールをしなければ、今の時代は小説など売れません。それにあなたの容姿は絶対に世間受けします。だからどんどんネットに書き込んだり画像をアップしたりして、更新回数を増やしましょう」

と、それまで全くしていなかった行動を、半強制的にやらされていた。これまで受けた取材やテレビへの出演の様子はもちろん、その時食べた食事などを写真で取って掲載していたのである。

 それらが災いした。ネット上では調子に乗っている、作家のくせにタレント気取りだ等と誹謗中傷が殺到。批難はエスカレートし、手がつけられない程の炎上状態に陥ったのだ。

 デビューして半年の間とは違った種類の騒動に巻き込まれた藤子は、自宅まで特定された。当然のように多くの記者達が押し寄せ、藤子のコメントを取ろうと躍起になった。何度もチャイムを鳴らされるので電源を一時オフにしたが、悪質な人達は周囲の迷惑も顧みず叫んだ。

「弟さんが他人名義を使っていたのは、何か犯罪に手を染めていたからではないですか」

「過去に補導歴があるようですね。その当時から問題がある弟さんだったのですか」

「怪しい店に出入りするのを見たとの目撃情報もありますが、あなたはご存知でしたか」

「白井先生は、弟さんの正体を知っていたんじゃないですか」

「あなたも犯罪に関わっているんじゃないでしょうね」

 容赦なく常軌じょうきいっした失礼な質問を浴びせられ、藤子は耐え切れなくなった。その為急遽出版社が用意したホテルへ、避難せざるをえなくなったのである。

 また意図的に伏せていたプロフィールまでもがおおやけになった。おかげで悪意を持った学生時代の同級生達が持つアルバム等により、幼い頃から太っていた姿や現在とは全く違う、決して見栄えが良いとは言えない顔立ちもバラされたのだ。

 その為喧騒けんそうは別の方向にも飛び火し、ブーイングがなかなか治まらない状況に追い込まれた。それは外出がままならなくなっただけでなく、仕事にまで影響した。雑誌の取材やテレビ出演のオファーは当然無くなった。その上エッセイの掲載や作品の執筆依頼までもが一時見送りとなり、全て凍結状態になってしまったのである。

 そうしてホテルに籠っている間、美奈代と連絡を取ったところで驚くべき事実を知った。どうやら情報の一部は、彼女がリークしたと分かったのだ。

 彼女は話している内にポロリと本音が出て、こう言った。

「雄太さんの過去や別名義を使用していた理由を探って欲しいなんて藤子さんが言うから、リサーチ会社の人達は相当苦労していたみたいよ。でもマスコミが動いてくれたおかげで、かなり調査がやりやすくなったって聞いたわ。有名人のあなたが偶然にもテレビであんな発言をしてくれていたから、上手くいったみたい。騒がれて大変かもしれないけど、悪い事ばかりではなかったようね」

 その口調に違和感を持った為、厳しく問い質すとしどろもどろになり、色々と言い訳を並べ始めた。

「遺産については絶対に口外しないでくれと言ったわよ。それと例の件についても、慎一郎さんに関わってくるから絶対に言ってない。容姿等に関しての記事は私のせいじゃないわ。あなたの昔の知り合いが勝手に騒いだだけだから。話したのはほんの少しだけよ」

 辻褄の合わない点もあったがそれらの話を繋ぎ合わせて推測するに、どうやら今回の騒ぎの発端は、雄太の過去の調査に行き詰まったリサーチ社が立てた策だったようだ。事件が大きく世間に扱われればマスコミも探り出すはずだと考え、彼女をそそのかし藤子の個人情報の一部を聞き出して意図的に流したという。

 その理由の一つとして、騒ぎが起きたマンションの管理会社が一括し他のマスコミも含めた窓口となり、住民達に箝口令かんこうれいを引いた点が挙げられる。その為情報が一切入らなかったらしい。その上勤務先も含め調査したが、これと言った話を聞けず難航していたようだ。よって何か突破口がないかと模索した結果が、こういう状況をもたらしたのである。

 藤子ははらわたが煮えくり返ったけれど後の祭りだ。後悔先立たず。疑いつつもあんな女に任せるという過ちを犯した、自分自身を恨むしかなかった。その為に長い間、部屋の一室で息を潜めて暮らす日々が続いたのだ。

 しかしこの世の中、悪事を働いた者がのうのうと暮らせる一方、良からぬ行為をすればいつか大きなしっぺ返しを食らう場合もある。今回藤子はそう思い知った。というのも、

“保曽井雄太が死亡した場合、遺産の全額は姉の保曽井藤子に渡す”

と記入された、雄太の遺書が見つかったのだ。

 美奈代達の雇った弁護士は、雄太が二年前の二〇二〇年九月に「自筆証書遺言書保管制度」を利用していた事実を突き止めたらしい。

 遺言書は本人が自筆で作成する際自宅に保管していると、紛失や盗難、偽造や改ざんのおそれがあったり、せっかく書いても発見されなかったりする場合がある。そこで大切な遺言書を守る為に二〇二〇年七月一〇日から導入されたのが、法務局で保管する制度だ。

 保管費用は掛かるが、自筆証書遺言書は遺言者自らの手書きで作成でき、紙とペンや印鑑さえあれば、特別な費用もかからず一人で完成させられるという。その為遺言者が都合の良い時に書いて保管しておくと、相続開始後に相続人等が発見し遺言内容を実行できるらしい。また相続財産の詳細については、パソコンで作成した目録や預金通帳のコピーなどでも認められるという。

 この制度の利用メリットは、法務局の保管所で遺言書の原本と画像データが保管される為、紛失や盗難のおそれが無い点だ。それに遺言者の生存中は、本人以外が遺言書を閲覧できないので、偽造や改ざんの恐れもない。

 その上遺言書の原本を保存する際、スキャナーで読み込んだ画像データも一緒に保管される。よって保管手続きをした遺言書保管所以外でも、全国の遺言書保管所でモニターを使い閲覧ができるのだ。 

 さらにはこれまで遺言者が亡くなった後、公正証書遺言書を除く自筆証書遺言書を開封する際は、偽造や改ざんを防ぐ為に家庭裁判所で検認を受ける必要があった。つまり勝手に中身が見られない上、検認を受けなければ当該遺言書に基づく不動産の名義変更や預貯金の払い戻しができないのである。

 だがこの制度を利用すれば検認が不要となり、相続人等が速やかに遺言書の内容を実行できると言うのが大きな利点だった。

 弁護士が兄と藤子の委任状を持ってその遺言書を取り寄せた所、先に述べた驚くべき事実が書かれていると判明したのだ。それを知った美奈代は激怒した。

 少なくとも一億円以上は受け取れると期待していた所、一銭も貰えないと分かったからだろう。何故なら両親や配偶者または子供がおらず兄妹のみが遺産を受け取る場合、異議を唱えることで法定相続分の二分の一は保障される遺留分が、遺言書のあるケースだと一切認められないからだ。

 しかも目録等によれば、遺産の総額は予想をやや超えた三億円弱あると明らかになった。その為彼女はこれまでの苦労や目論見が全て無駄になり、馬鹿らしくなったらしい。よって兄と相談した結果、今後全ての手続きは藤子に託すと決め、これ以上の調査を放棄すると宣言したのである。

 思ってもいない展開に藤子は困惑した。だが取り敢えず兄が雇っていた弁護士と調査員をホテルに呼び、面会する必要に迫られた。これまでの経緯と報告書を提出させた上で、各々から話を聞かなければならなかったからだ。そこでマスコミもこぞって探ったけれど、雄太が渡部亮の名で犯罪行為をしていた形跡は、全く見つからなかったと告げられた。 

 また本当の渡部亮と思われる人物はおよそ五年前、既に病気で死亡していると分かったらしい。ホームレスだったようで、身元不明者扱いになっていたのが今回の調査で明らかになったという。ちなみにその人物は体調を崩したのを機に会社をリストラされ路上生活者になっていたらしく、親族は誰も発見できなかったと報告された。

 よってこのままいけば、彼名義で残された二百数十万円の資産を受け取る権利も生じる可能性は高いという。少なくとも雄太名義の遺産は、全額受け取ることは可能だろうと教えられた。それでも彼が何故別人として生きていたのかは不明のままだった。

 他に判明したのは、渡部亮と名乗り出したのが本人の死んだ頃と同じ五年前の二〇一七年からという点だ。予想では病をこじらせ、余命いくばくもないと悟った彼から戸籍を買ったのだろう。その証拠に何者かが本物の渡部を病院へ連れてきて、保険証の無い彼の為にお金を払っていったとの証言が取れていた。

 藤子が会社を辞めた翌年、雄太は七か所目となる警備会社のシステム部に転職した時から、何故かそうして入手した名義を使い働き始めていたらしい。他にも調査書等により、少しずつ雄太の過去が見えてきた。けれどそれまで調べた結果全てを聞き終えた後、これ以上調べるには信用できないと考え彼らを解任した。それは藤子のプライベートをリークするよう、美奈代にアドバイスしたと認めたからだ。

 しかしこれからどうすれば良いか頭を抱えた。遺言通り遺産をそのまま受け取れば、兄夫婦との亀裂は決定的になるだろう。また時間が経過したことで、熱しやすく冷めやすいマスコミ等による攻撃は、ようやく下火になり始めている。このまま大人しくしていれば、やがて忘れやすい国民の関心は薄らぎ、藤子に対するバッシングもいずれ止むはずだ。

 けれど兄妹間で遺産騒ぎが起こっている等と情報が洩れれば、騒動が再燃する恐れは多分にあった。雄太が悪事を働きお金を稼いでいた証拠はないけれど、別名義で働いていた期間が五年ある。

 そこで得たお金の一部が、雄太名義の遺産に含まれていないと証明することは難しい。よって疑義のある金を受け取ったとなれば、いつまでも追いかけられる確率も高くなるだろう。

 そうした懸念を解消する方法が三つある事は、藤子も理解していた。まず遺言書とは被相続人が亡くなる前の最後の意思表示であり、相続人はこれに束縛される。しかし例外として相続人全員が遺言の内容に反対する場合、制約を受けずに済む。つまり相続人の間で協議を行い全員が合意さえすれば、話し合った内容で遺産分割を行えるのだ。

 要するに兄と話し合って遺産を分ければ、彼らとのトラブルは避けられる。ただ遺産を少しでも受け取れば、マスコミがまた騒ぐ可能性は排除できない。そうなると残る選択肢は放棄、または相続分を全額どこかに寄付するしかなかった。

 しかし放棄の手続きは三カ月以内に結論を出し、家庭裁判所へ届け出しなければならない。また放棄すれば兄夫婦の元に全遺産が渡る。彼らは藤子とは違って一般人の為、マスコミも敢えて騒ぎ取り上げる真似はしないだろう。そうなれば今目の前で起こっている問題は、全て解決するように一見思えた。

 だがそれは雄太の意志に沿うものなのかと考えた時、それで本当に良いのかと悩む。わざわざ全額を藤子に、と残した意味は何か。それが分からない限り、安易に判断してはいけない気がしたからだ。

 雄太が遺言保管制度を使って遺書を書いた頃、藤子は無職だった。自分で稼いだお金と両親の遺産の貯金を取り崩しながら執筆していた時である。それをあわれんだだけに過ぎないのではないか。

 今は幸い小説家としてデビューし大きな賞まで獲った為、今後の生活も今までよりは楽になるだろう。もしそうなると知っていれば、彼はあの遺言を撤回していたかもしれない。

 それでも騒ぎに巻き込まれた事で、今後の作家生活がどうなるか分からなくなってしまった。よって現実を考えた時、受け取る方が良いのかもしれないとも考え始める。

 しかしそこで思い直す。元々作家になって収入を得られなくとも、贅沢をしなければ老後の生活は何とかなる予定だった。もし今すぐかつてのような無職になっても、芥山賞を取ったおかげで売れた本の印税等を合わせれば、一億円近くあるだろう。

 来年にはそこから税金を払わなければならないが、それらを臨時収入と捉え余剰資産として運用もできる。上手くいけばリタイアメントプランは、これまで描いていたものより余裕を持った設計に作り直せるはずだ。そうなるとやはり、雄太の遺産をどう生かせばよいかが問題となる。兄に渡さず藤子に全額託した意味が必ずどこかにあるはずだ。

 そうした答えの出ない悩みを日々鬱々うつうつと考えていた藤子だったが、放棄するかどうか決断するまで時間の余裕はまだある。ならばまず、直ぐにでも解決できる懸案事項から手を付けようと決めた。それは怪我をさせてしまった綿貫わたぬきという女性との面談だ。

 出版社の伝手を使って新たに手配した弁護士によると、世間が騒ぎだした後も先方から何か言い出してはいないという。しかし被害者感情がどう動くかは予測できないので、万が一に備え一度訪問してみたいと聞いてみた。すると、それがいいかもしれないと後押しを受けたのである。

 その為ホテルの従業員や弁護士の協力を得て、変装をした状態で裏口からこっそり抜け出した。またマスコミを巻く為に、念を入れてタクシーを乗り継いで病院へと向かったのだ。すると事前に連絡を入れていた為、相手はベッドから体を起こして待っていた。

 事前に説明を受けていたが、彼女は身内がいないらしい。その為一人では心細いだろうと思ったのか、付き添いで矢代やしろという男性が横にいた。彼は雄太が屋上から落ちた様子を、目撃していた人でもあるという。同じマンションに住む綿貫とはそれまで挨拶を交わす程度の仲だったが、今回の事故を機に親しくなった経緯もあり同席を申し出たようだ。

 藤子としては示談内容で争う気は全くない。ただ彼女に頭を下げる為だけでなく、この機に当時の状況を聞きたいと思っていた。だからもう一人の目撃者がいてくれるというシチュエーションは、かえって有難かった。

「保曽井藤子と申します。この度は私の弟が大変ご迷惑をおかけして、申し訳ございませんでした。お加減は如何ですか」

謝罪しつつそう告げると、彼女は言った。

「あら、あなたがあの方の。だから、」

 そこで一旦口を噤(つぐみ、再び話しだした。

「テレビでお顔は拝見していましたが、近くで見ると本当にお綺麗ですね。彼も男前でしたからご両親のおかげかしら」

 ベッドの横に立っていた男性は何故か顔をしかめていたが、お世辞だと分かっていたけれど、褒められた為に頭を下げた。

「有難うございます。綿貫さんは弟のことを良く知っていたんですか」

「いえいえ。同じマンションなので、会えば挨拶をする程度でした。でも感じのいい方でしたよ。この度は本当にお気の毒でした」

「こちらこそ弟の不注意でお怪我までさせてしまい、お詫びのしようがありません」

「そんなことありませんよ。私もいけなかったんです。たまたま上を見て気付いたのに、気をとられたままその場にぼうっと立っていたから。少し避けていれば、こんな大騒ぎにならなかったでしょうに」

 彼女はそう詫びてくれたが、男性が口を挟んだ。

「綿貫さんが謝る必要は無い。単に巻き込まれただけなんだから。怪我した分の治療費や慰謝料はしっかり貰わないと。それに働けなくなった分の休業補償もあるよね」

 彼女は長年スナックで働いていたらしいが、高齢になったからだろう。今は細々と内職をしながら、主に年金の給付で暮らしているらしい。藤子は再び深く頭を下げた。

「もちろんです。これまでもお話しさせて頂いているかと思いますが、賠償に関してはしっかり対応させて頂きますのでご安心下さい。本当はもっと早くこちらに来てお詫びするべきでした。遅くなって申し訳ございませんでした」

「本当だよ。マスコミが騒いでから来るなんて、誠意がないんじゃないの」

 関係者ではあるが、当事者でもない人間に何故そこまで言われなければならないのかと内心腹を立てたが、黙って下を向いたままでいた。すると彼女が穏やかに言った。

「いいのよ、矢代さん。弁護士さんを通じて事情は聞いているの。その上で私が来なくていいと言ったんだから。それにあの方は他に身内がいないから、この方がいらしているだけじゃない」

「それはそうだけど」

 まだ不満気な彼にも藤子は謝罪しつつ、質問してみた。

「矢代さんにもご迷惑をおかけし、申し訳ありませんでした。弟が落ちた際、たまたま見ていただけなのに警察から事情聴取を受けたりして、お時間をとらせてしまったでしょう。お仕事は何をしていらっしゃるのですか」

 すると彼は目線を逸らして呟くように答えた。

「俺は良いんだよ。朝の散歩でぶらぶらしていただけだから。それより綿貫さんの賠償は、ちゃんとしてるんだろうな。高齢になってからの骨折は後々長引くって言うし、下手すれば寝たきりになる人もいるらしいじゃないか。もしそうなったら責任取ってくれよ」

 ここで藤子の後ろに控えていた弁護士が説明した。

「そうした点も含め、お医者様と相談し適切な処置をするようお願いしております。もちろんその分の治療費や入院中の補償、退院後の通院にかかる費用なども含めお支払いする予定ですので、ご安心ください」

「それだったらいいけどよ」

 雄太とほぼ同年代と思われる彼に、藤子は尋ねた。

「今日は綿貫さんのお見舞いと謝罪の為にお伺いしたのですが、他にもお聞きしたいことがあって参りました。それは弟の事故の件です。ここにはまさしくその状況を目撃した方が、お二人揃っていらっしゃいます。警察の方には何度もお話しされていると思いますが、私にも教えて頂けませんか。申し訳ございません」

「なんだよ。警察から聞いてるだろう」

「大まかには。ただ細かい所まで分かりません。矢代さんは弟と親しかったのでしょうか」

「いや。俺も渡部とは、顔を合わせたら挨拶をする程度だったよ」

「そうですか。それでも下から見て、彼だと分かったんですよね」

「最初は分からなかったよ。屋上に誰かいるなと思っていたら、あいつだった。以前から時々見かけて、危ないと思っていたんだよ。そしたらバランスを崩して落ちたんだ。驚いたよ。しかもその下に綿貫さんがいてぶつかったからさ。全く迷惑な話だ。慌てて声を出したら、何人かが寄って来たんだよ。その内の誰かが救急車を呼んだらしい」

 この点は警察から既に聞いている内容だった。そこから綿貫にも確認したが、二人の話から新たな情報は得られなかった。特に交流はなく、単に目撃したというだけなのだからやむを得ない。ただ彼がなんとなく、雄太に嫌悪感を抱いていたらしい点は気になった。しかしそれも厄介事に巻き込まれたからだろうと考え、藤子はそれ以上の質問を諦めたのだ。

 そうして病院を後にし、再びホテルに籠る生活がしばらく続いた。だがある人物が現れた為に、事態はまた意外な方向へと動き出したのである。

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