第35話人間の権利

血でべたつく手でシュヴァイツの頭部の辺りだろうものを抱え、フィエルンは懸命に治癒の力を注ぎ込んだ。服に付いた朱が擦れて、ぬちゃりと音を立てる。


 こんな状態になっても彼は息をしていた。


 魔王の為せる業なのか、神が許さなかったのか、もう彼女には分からない。




「·····フィエ」




 小さなくぐもった声が腕の中から聴こえた。




「ああ、シュヴァイツ、ごめんね、ごめん」




 今の名を呼んでくれた。それだけでこんなに嬉しい。




 思った通り、魔王に効くはずのない治癒が彼の肉体の再生を手助けしている。顔が復元されて目蓋が持ち上がり銀の瞳が彼女を見上げた。喉から上半身にかけて形成されてると、はっきりと声を発した。




「離れろ!」


「嫌」




 即答した時、鳴りを潜めていた光の神が再び掌を翳した。




「くっ!」




 片膝を着いてシュヴァイツを懐に庇いながら、フィエルンは片手だけで聖女の力を神に向かって放った。


 ドンッと地鳴りのような衝突音が長く響いた。光と光が上下からぶつかり合い、フィエルンの身体は攻撃の重さに苦痛を覚えた。




「あっううう!」




 キシキシと骨が折れそうになりながら、瞳を焼くほどの眩しさに必死に目を凝らす。


 光の神に本来なら吸収されるはずの聖女の力が、その攻撃を危うげながらも防ぐ作用を起こしている。




 だが及ばない。少しずつ押されていくのを見てやはりダメかという思いが過ぎった時、彼女の横に影ができた。




「しっかりするんだ」




 聖剣ルルラーベリアの刃が割って入り神の光を受け止めた。




「······エスタール?」




 片手で柄を握り、もう片方で刃を支えたエスタールが足を踏ん張ると低く雄叫びを上げた。刃を一気に押し戻し、横へと払うと方向を変えた光が遠くに落ちた。




 肩で息をしながら、エスタールはフィエルンを見下ろした。




「無事か?」


「ど、どうして。ダメよ、ここにいたら危ないわ」




 あんなふうに別れた手前、エスタールに何を言ったらいいか分からない。




「いいんだ。覚悟の上だ」


「人が光の神に歯向かうなんて無茶よ」




 こんな時なのにエスタールは冗談っぽく肩を竦めてみせた。




「光の神の代理人である聖女が歯向かったんだから、人間が同じようにしようが今更だろう」


「あ······」


「フィエルン、全てローレンシア様から聞いているんだ。私に聖剣が委ねられたのはこの時の為のはず。これは『試練』なんだろう?」




 彼女を見ていたエスタールが、その手の中にあるものに目をやると、そっと顔を逸らした。




「······君もそいつも随分勝手だ。この世界は二人だけのものじゃないだろう?」




 微かに怒気を孕んだ彼の言葉に、フィエルンは恥じ入る思いだった。無意識に自分が特別な存在だから自分だけが為すべきだと思い込んで、助けも協力なども全く考えが及ばなかった。




 彼女の前に立ち、『ルル』を構えたエスタールは怯んだ様子もなく空を見上げた。




「人間だって生きている限り、この世界を正す権利があるはずだ。神よ、あなたの創る摂理は間違っている。私達は生贄なんていらない」




 上空の光の中に黒い粒が浮かんだ。フィエルンが見ている前でそれは次第に近付き飛空挺であることが分かった。大きな物が三機。そして数え切れない小さな船が一斉に光の神に照準を合わせた。

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