第2話微睡みの聖女
誰かが、横たわる自分をきつく抱きしめていた。
『許さない』と耳元で呪詛を吐かれた。
そうね、憎まれても仕方ない。
私には、もうどうすることもできないから。
でも私も許さない。
相容れぬ者同士、これは運命だったのよ。
あなたこそ分かっていたはず。
でも、それなのに………
「どうし………て」
シン、と静寂の広がる自室で、彼女は自らの声で目を覚ました。
寝言を言うなんて。
半身を起こして片手で、そっと胸を押さえた。
最近夢を度々視るようになっていた。でも目覚めると内容を覚えていない。会話をした気がするけれど、相手が誰だったか顔も分からない。
ただ切ない気持ちだけが残った。
夢の中で私は泣いていたのだろうか?
……………いえ、彼が?
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「ではリセ歴1056年の5月には何がありましたか?」
「テネシアが生まれました」
「そうです、これは歴史的に大きな出来事でした」
勿論知っているでしょうとばかりに、教師の女性は眼鏡の奥からフィエルンを見る。
「昔、文明の発展した世において人々は魔の脅威や存在を忘れ去っていました。いろいろな宗教の教えや神話などには記されていましたが、実際に信じていた者は少数でした。しかし500年前、それは突如現れ世界が緩やかに滅びを迎えることを告げました。ここまでは、おさらいです」
「はい」
「魔が蔓延り、人々は生存をかけて数百年もの間戦いに明け暮れました。そして120年前にテレシア様が誕生なされました。彼女は十代で魔の大半を退け、20歳の頃にたった一人で魔王と対峙なされ遂に滅ぼしました」
この国、イグニッド王国に生まれた者は他国よりも深く歴史を学ぶ。幼少期には絵本として、初等教育で簡単に教えられ高等教育になるほど更に詳しく。これは聖女が誕生した国であることが大きい。
フィエルンも耳にタコができるほどに聞いた話だ。ただし彼女は違う国の生まれで、幼少時にこの国に迎え入れられた。
彼女が聖女テレシアの生まれ変わりだからだ。
「原初、光と闇の神があり。闇の神はこの世に自らの代理人として受肉した分身を創り給うた。それが魔王。この人間世界を滅ぼすことを使命として500年前に現れ文明が衰退し荒廃した後に、それを憐れんだ光の神も代理人を遣わしました。それが偉大なる英雄テレシア。莫大な光の力を行使する人間の女性でした」
光の化身にふさわしい目映い波打つ金髪に金の瞳の美女だったというテレシア。
一方フィエルンは、黒みがかった真っ直ぐな銀髪を背中の中程まで伸ばして、瞳は空色。色合いは人目を引くが、顔の造作は非常に美しいというほどではないし、身長も体型もいたって普通だと彼女自身は思っている。今年19になるが幼さは消えていて同年代の娘達のように賑やかにするでもなく、静かに一人でいることを好む地味な娘。
聖女の姿には似ても似つかないフィエルンだが、唯一つ生まれつき首の後ろにある印がテレシアと同じだった。
赤ん坊の拳ほどの大きさで薔薇の模様のような痣。ただの痣なら偶然だろうが、それは金色をしていた。
イグニッド王国では、聖女はこうした印を備えて繰り返し転生するとの言い伝えが根強くあった。だから『変わった痣のある女の子』の噂には敏感で、聞き付けるやいなや両親を説得して引き取った。
彼女がこうした王族と同等の教育を受けて王家で大事に育てられているのは、人々の希望であり最後の盾だからだと、幼い時からフィエルンは理解していた。
だが人々の期待に応えられる自信は無かった。
外見だけでなく、聖女の力さえ使えなかった。前世の戦いの記憶もない。講義で学んだテレシアが自分のことだとは思えない。
でもそういえば夢の中で…………
今朝がた視た夢で、ふと思い出した断片があった。
やや俯いたフィエルンの肩を、緩く纏めた銀糸がスルスルと横に流れた。
「………………先生」
「はい?」
「その………魔王には固有の名はあるのでしょうか?」
「いえ、名は語り継がれていません。あったかどうかは定かではありません」
「そうなのですか」
教師がピクリと眉を寄せる。
「何か思い出しましたか?」
「いいえ、何も。ただ聞いてみただけです」
小さく開けた窓。入り込んだ柔らかな風がカーテンを優しく揺らす。
薄桜の唇をそっと動かし、音に出さずに紡いでみた。
『───シュヴァイツ』
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