14話 あの空に何を想う
女四人に囲まれたその夜は、なんだかよく眠れなかった。
俺は女たちに遠慮するように、窓際ぎりぎりのところにひとりぽつんと布団を敷いた。
それはそれで悪い気はしない。
女たちは定期的に寝返りを打ったり、むにゃむにゃ寝言を言ったりしている。
俺はその物音を、どこか遠い出来事のように聞いていた。
女の数が多いための油断なのか、俺だからナメられているのか、女たちはまったくの無防備だ。
美優でさえ、さっさと眠りに落ちてしまったようである。
もしかしたら、一日遊んだ疲れが出たのかもしれない。
眠れない寝床から星空を見上げていると、そんな女子たちの様子が、妙にいとおしくも感じられてきた。
小さな妹でもいて、俺がそれを見守っているような、そういう気分。
こんな時間、意外と悪くないな、と俺は思う。
このままこの時間が続いてほしい、とすら不覚にも考えた。
なぜそんな気分になるのかはわからなかった。
ただ、憎まれ口を叩かれていようと、なんだかんだ心を許されているようで、嬉しかったのかもしれない。
守ってやりたい、という気持ちに近いかもしれなかった。
美優の秘密を暴こうとしているのだって、あいつを守るためかもしれないのだ。
俺は自分にそう言い聞かせた。
そうしてようやく、眠りは訪れた。
窓から差し込む光で、目覚めも俺が一番先だった。
身を起こすと、女たちは一夜の間にずいぶんと乱れた様子に変わり果てていた。
俺はあきれて頭をかきつつ、また横になって、ほかの誰かが起き出すのを待つことにした。
俺だけ先に起きていたら、何か悪い疑いでも掛けられそうだからな……。
しばらくして、まずは美優が目を覚まし、洗面所でごそごそ何かしている間に、ナオとメグも起き出してきた。
想像通りというか、マユミだけはいつまでもグースカ眠りこけている。
俺は、ナオメグが洗面所に向かったタイミングで、起床した。
「お~い、朝だぞ~」
寝床で芋虫になったままのマユミは放置されており、俺はやむなしで起こしにかかる。
そろそろこいつと俺とがコンビになってきてるような気もしてきた……。
その日は朝食を頂戴すると、そのあとは朝の温泉街をもう少しふらっと散策して、それから昼前のバスで帰ることになった。
ここまでは、想定通りの展開である。
帰りのバスの中は、静かだった。マユミは俺の斜め前の席で睡眠の続きを取っており、美優は俺の隣りで本を読んでいた。
マユミとの計画も、今日はいったん延期かなと思われた。しかしバスが街にたどり着くと、こいつは見計らったようにばっちりと覚醒しているのだった。
「ミユー、一緒に帰ろうよん?」
俺の肩に腕を載せながら、美優に声をかける。
「ありがとう。でも、ちょっと用事があるから」
美優は、申し訳なさそうな苦笑を浮かべ、そう言う。
「うちらもなんか飲み物買ってくわ〜……」
ナオとメグも、支え合う負傷兵士のようになりながら、疲れきった様子で言う。
その場は、流れ解散となった。
「ナオメグをまけたのはラッキーだけどね〜ん?」
マユミは、去っていく美優の後ろ姿に、疑り深い視線を送る。
やはり、この子はどこかしら、他人を遠ざけようとしている。
「んじゃ、行きますかね?」
俺のほうは見ずに、マユミは言う。
「ああ、そうしよう」
俺も、迷いはなかった。
美優はひとり、電車に乗った。俺とマユミは美優の降りる駅を把握していたから、ばれないようにと車両をひとつあけた。
目的の駅につくと、美優は駅からは徒歩だった。
駅前の喧騒を抜け、すぐに閑静な住宅街に入る。
けれども美優は坂をいくつも越えて、さらに奥へ奥へと進んでいく。
「ずいぶん……歩くね」
マユミがふとつぶやく。
「ばれたか? 遠回りしてるとか……」
「様子、見たほうが良さそうね」
俺たちは少し距離を離して尾行を続けることにした。
気が付くとだいぶ小高い丘の上に来ているようで、ガードレールの向こうに見える街は、少し遠かった。
黙々と同じペースで歩き続ける美優は、まるで不思議の国へ誘い込むようでもある。
ばれてはまずい、それでいて見失ってもまずい、そんな絶妙な緊張感のせめぎ合いで、俺とマユミとは言葉少なだった。
けれども、その沈黙が尚のこと、自分たちのしていることを実感させられて、こんなことを考えて良いのかわからないが、わくわくするような気もしていた。
美優がふと足を止めた。俺とマユミとの間にも緊張が走る。
美優はそのままこちらを振り返った。
「マズっ!」
マユミがとっさに俺の手を強く引き、そのまま電柱の陰に引き込む。
けれども、美優は俺たちのほうを向くのではなく、ガードレールの向こうの景色へ数歩進んでいく。
なんてことない景色のはずなのに、まるで誰かに呼び止められたように、その景色に目を奪われているようだった。
失った誰かを
青空の遠くからその誰かに呼び止められて、ふと吸い寄せられてしまったようだと、思ったのだ。
見守る俺も、美優のせつなげな視線を追って青空へ吸い寄せられる。
そこには、よく見慣れた街と空があるばかりだった。けれども美優はきっと、その空に何か特別なものを感じていた。
その正体が、俺には推し測れない想いがしていた。
「おっと、動きはじめたね」
マユミは電柱の陰から身を乗り出す。
「何してたんだか」
歩き出した美優を見守るその視線は、俺のように何かを察したようにも、そうでないようにも見えた。
「さあな」
はっきりしないので、俺は素知らぬふりをする。
「行こうか」
俺たちふたりは、再び美優のあとを追いかけた。
のぼりつめてきた坂も、いよいよ果てに近づいているように思えた。
道がなだらかになっていき、坂の先の代わりに、真上の青空がより広くなったように思われた。
丘陵の一番高いところへ、至ったようなのだ。
美優の足取りが、ゆっくりになった。
そして、緑に囲まれた一軒の前で、彼女の足は止まる。
早乙女――。
小さな門には、そう書かれた表札が掲げられていた。
「こんなとこ住んでるんだね~~」
マユミはまぶしそうに、その二階建ての家を見上げる。
親子が共に暮らす広さの家だった。
なら、やはり俺の案じたことは
ここで美優は、その辺の高校生と変わらない毎日を過ごしているのか。
「……っと~」
そこでマユミが鋭く何かを察するようだった。
呆けていた俺を押しのけて、再び強引に物陰に隠れさせる。
今ほど家に戻ったばかりの美優が、また表へ出てきたのだ。
今度こそばれた?
しかし、美優は俺たちの隠れているほうへは見向きもせず、どこかへ立ち去ってしまう。
「荷物だけ置きにきた、って感じね~ん。でも、行くとしたらどこへ?」
美優の家の前に進み出て、上へ下へと物珍しそうにながめ回す。
「……不審者みたいだぞ、それ?」
「未成年だからギリセーフ!」
「どういう論理だよ、それ」
そんな茶番をしていたものだから、誰かが近づいてきていることに、俺もマユミも気づかない。
「あの……」
掛けられたのは、女性の声である。
俺もマユミもびくりとする。
ほぼ同時に振り返る。冗談言い合ってはいても、咎められては弱い立場なのだ。
すると、そこにはトレーナーにオーバーオール、麦わら帽子という出で立ちの女性が立っている。
農家のおばちゃんという風だが、それにしては若いような気もする。
「もしかして、みゆちゃんのお友だち?」
みゆちゃん――。それは美優のことだろう。
俺とマユミは、刹那、視線を交わし、こくりとうなずく。
「よかった……。あの子、本当にお友だち、できてたのね」
女性のその笑みは、長い間わだかまっていた何かが溶けていく様を、物語っているようであった。
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