【完結】盲目な魔法使いのお気に入り

ユリーカ

第1.0章 邂逅 – カイコウ

第01話




 フォラント辺境伯爵令嬢、セレスティア・フォラントは途方に暮れていた。


 フォラント家本邸の夜。その一室でセレスティアと父は相対あいたいしていた。


 父であるフォラント伯爵と散々話し合ったのだが一向に状況は良くならない。むしろ悪化している。

 そもそもセレスティアは父親とは反りがあっていない。親子仲がうまくいっていないのに説得などどだい無理なのかもしれない。


「父上、どうぞリディアの婚姻を認めてやってください。」


 リディアはセレスティアの四つ下の異母妹で十四歳になった。眩い金髪に緑の瞳を持ちとても美しい。来年は社交界デビューの予定であるが、すでにいくつか縁談が舞い込んでいる。


「だめだと言っているだろう。リディアにはすでにガルシア卿から縁談を頂いている。来年には輿入れとなるだろう。」


 ガルシア卿は公爵家当主。そこからの縁談であれば良縁だがそこにリディアの気持ちはない。セレスティアは溜息を噛み殺す。

 公爵家からの縁談は断りづらい。貴族の繋がりも大事だと言うのもわかる。だがセレスティアも引けない事情がある。


「ハリスもリディアも想い合っています。二人を添わせてフォラントを譲ってはいかがでしょうか?」


 ハリスはセレスティアの婚約者で同じ年の十八歳。なかなか婚約者が決まらないセレスティアに父が探してきた相手だ。よく相手が見つかったとセレスティア自身唖然としたものだ。


 三男坊の子爵令息であるハリスは穏やかでおっとりとした優しい紳士であり、セレスティアもそこは好ましいとは思う。しかし大変残念な欠点があった。

 気が弱く優柔不断なのだ。


 セレスティアと初めてあった日のハリスはひどく緊張して挙動不審だった。婚約に本人の意思はないのだろう。そうと初見でわかるほどに意思の弱さが感じられた。


 だが妹のリディアを紹介されたとき、ハリスは初めて表情を変えた。恋に落ちたと顔に書いてあった。ある意味わかりやすい男であった。

 リディアも父と年寄りの使用人以外に男性を知らない。父と違う優しいハリスに心を惹かれたようだ。


 二人が相思相愛になった。いいことではないか。そもそもこの縁談自体セレスティアは全く乗り気でなかったのだから、それはもう手放しで喜んだ。そしてさっさと婚約破棄しようとハリスに迫ったのだが。


 リディアと恋仲になったのに、ハリスは父にセレスティアとの婚約破棄を申し出せない。三人で散々話し合って結論も出ているのに、だ。ハリスの両親と辺境伯に強く言い含められているのだろう。


 予想は易いのだが‥‥、潔く威勢のいい性格のセレスティアはイライラしていた。

 男としてそこはきちんと通さなければならないだろうに、なぜセレスティア自身が苦労するのか。しかもこの婚約は自分が望んだものでもないのに。当の二人が言い訳を口にして動こうとしない。辺境伯の怒りを恐れているのだ。


 二人だけに任せては自分がハリスと結婚させられてしまう。どうせ優柔不断のハリスのことだ、セレスティアと結婚してもリディアとの関係を切れないだろう。

 新婚の夫が浮気公然など、愛がなくても流石に腹立たしい。仕方なくこうして自分が父と交渉しているのだが。


 セレスティアを結婚させて後を継がせようとする父の圧力がすごい。

 父の愛情ではない。流石にそれはわかる。そしてセレスティアはそれほどに領主として才能があるわけでもない。才能ある領地管理者に任せればハリスでも当主は問題ない。だから父の強制の意味がわからない。


 親子仲もそれ程良くないのになぜそれほどに自分を後継に据えることに固執するのか。


「私が見つけてきた婚約者に不平を言うことは許さん。来月お前はハリスと婚姻式を挙げフォラントを継ぐ準備をしろ。これは決定事項だ。」


 そう言い捨て辺境伯は部屋を憤然と出て行った。口ごたえするセレスティアにいきり立った様子だ。


 誰もいなくなった部屋でセレスティアはソファの背もたれに寄り掛かり溜息をついた。


 もともとが家父長制の家庭だ。セレスティアは母を早くに亡くしている。後添えとして嫁いできた継母もリディアを産んで間もなく亡くなった。その後フォラント辺境伯は再婚することなく二人の娘を育て上げた。

 しかし家庭内が父の独裁だからと言ってその通りにするセレスティアではない。今までは父の無理難題をなんとか飲み込めたが今回ばかりはどうにもならない。


「仕方ない。やはりこうなるか。」


 交渉はした。打てる手も打ったつもりだ。しかし父は折れない。ならば自分が身を引くしかない。自分がいなくなれば流石の父も諦めるだろう。


 幸い、自分は辺境伯爵令嬢の肩書きに義務感はあっても執着はない。家を出奔してもなんとかなる腕もある。この抑圧の家を出ることに躊躇いはなかった。

 今まで粘っていたのは、ただごたごたが面倒で穏便になるよう交渉をしていただけだ。


 部屋に戻ったセレスティアは身支度を始める。すでに準備を整えていたため荷造りはいらない。

 夜も更けて出かける時間ではないが家出には申し分ない。夜陰に紛れてこの牢獄から脱走するのだ。


 セレスティアは強い。師匠に勧められてお試しで参加した武道大会で優勝してしまったのだ。鮮やかな勝利に『フォラントの剣匠』という二つ名をまで送られてしまった。令嬢としてはどうかという名だが、ここまでになれたのは良い師匠につけたためだろう。


「本当はこんなつもりじゃなかったんだけどな。」


 軽鎧を身につけながらぼそりと呟く。


 以前から家を出ることは夢に見ていた。それをおしとどめていたのは辺境伯爵令嬢としての義務感だ。領主の娘として領民を守る義務。

 だがそれさえも捨てなければならない程にセレスティアは今追い詰められていた。


 放浪の身になるのならせめて自分の意思で時期を選んで出て行きたかった。ブーツの紐を結びながらその罪悪感を封じる。


 あらかじめしたためておいた手紙を引き出しから出す。ハリスとリディア宛のものと父宛のもの。それを机の上に並べる。

 自分を探すな、領主はハリスに継がせろ、と書かれている。まあ揉めるだろうがもう仕方がないだろう。こうならないようセレスティアも頑張ったのだ。自分がいなくなれば流石の父も諦めるだろう。


 ふと、最後にリディアだけには顔を見せようかと音を立てないようひっそりと廊下に出る。


 姉妹仲は良い方だと思う。父が独裁だったから異母姉妹でも共闘しなければ生きていけなかった。自分とは全く違い義母によく似た美しいリディアに思うことがないわけではないが、それは生まれついたもの、どうにもならないことだ。そこはとうに割り切ったつもりだ。だが‥‥


 どうして自分は美しかった母に似なかったのだろうか。


 暗がりの廊下を静かに歩きリディアの部屋の前に立ちノックをしようとしたところで話し声が聞こえた。

 囁くような密やかな声であったが、それがリディアとハリスのものであるとわかりセレスティアは眉をひそめる。


 今日もハリスはリディアに会いに来ていたのか。ならば父の説得に入ってくれればいいのに。


 そもそも深夜に婚約者の妹の部屋に忍ぶあたりで倫理観もどうかと思うのだが。万一公になればセレスティアにもリディアにも傷になる。婚約解消まで我慢できないものだろうか。


 ハリスのこの世間知らずな無神経もセレスティアを苛立たせた一つだった。


 これはもうリディアに会えないな。逢い引き中の立ち聞きも良くない。

 そう思い扉から離れようとしたところで自分の名前が聞こえたような気がしてセレスティアは思わず足を止める。


「‥‥‥さえいなければ‥‥」


 聞こえた声は掠れすぎていてそれはどちらが囁いたとも言えない声だった。

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