第八章(2)…… 未来に希望

 

 警察にはシュウのことを黙っておいた、と告げられた。


 梶山に誘われて、チェーン店の低価格コーヒーショップに入る。二階の窓際に設置されたカウンター席、六席のうちの端、壁側に隣合わせで陣取った。


 どうやら須藤務は、駐車場で修哉とやりあったことに触れなかったようだ。


 須藤務は、母親の件で恨みを抱くようになり、中野を殺してやろうと決意したと述べたと言う。


『金の無心に応じるフリをして現地で待ったが、気づかれてしまったんです。』

『思い知らせてやるつもりでした。すごく恨んでたし、首を絞めて、苦しんで死ねと思ってました。でもすんでのところで逃げられてしまって、すごく悔しかったですよ。』

『そうしたら、あいつ下の階で盛大に事故りやがったんです。』

『いい気味だと思いました。天罰ってのは本当にあるんですね。胸がすく思いがしましたよ。』


 新聞の地方欄だけでなく、テレビや雑誌でも報道が流れた。人々の好奇心を引きやすい内容だったせいか、取材によって事件の詳細が世間に知れることになった。

 だが一ヶ月もすれば、この程度の小さな傷害事件など世間は忘れ去ってしまうだろう。


「だから、俺も話を合わせておいた。今回の件では、シュウに話を聞きにくることはないんじゃないかな」

「オレはべつに平気だけど?」


 あのなあ、と梶山はあきれたように言って、右人差し指を修哉に突きつけた。

「十年前の犯行の犯人と被害者が、だぞ」

 息をちょっと吸い、「偶、然、に、」と区切りをつけて強調して発声する。


「あの場所で鉢合わせしたってのは、いくらなんだって無理がありすぎるんだよ。おまえ、どうやってかは俺にはよくわからんけど、あの場所突き止めるのに非合法な方法使ったんだろ、よけいなことを話すと聞かれたくないことを片っぱしから詳しく話さなきゃならなくなるぞ」


 あー、そりゃたしかに面倒臭えなあ、と修哉は顔をしかめた。


 もし、どうやってあの場所をつきとめたのかを訊かれたら、十年も前に務と関わり合いがあり、その事件を明らかにしたいがために、弟が川から拾ったストラップから須藤夫人にたどりつき、務の自宅を突き止めたことまでを、逐一説明しなくてはいけなくなる。


 それに、だ。修哉とアカネが実際にやった侵入方法を警察に話そうものなら、聞いた相手は冗談でも言って馬鹿にしていると思うか、頭から正気を疑うかのどちらかだ。


 ありがちな嘘でごまかすとすれば、実はなぜか部屋の鍵がかかってませんでした、だから勝手に入っちゃいました、くらいしか言えない。そうなったら住居侵入で微罪になるだろうか。


「わかったよ、オレはおとなしく引っ込んどくよ」

「ああ、そうしとけって」


 梶山に言われて、ふと思い出した。そういえばひとつ、訊きたいことがあったんだっけ。


 なあ、と梶山に視線を向ける。

「おまえさ、須藤の兄ちゃんに言っただろ、あの時」

 え? と梶山がこちらを見た。グラスを手に持ち、差したストローを口に咥えている。


「なんか言ったっけ?」

「時間ができたら、侑永のストラップと出かけてみたらいいって提案しただろ」


「あー」

 そういえば言ったな、そんなこと。視線を上に向けて、梶山は言った。


「なんであんなこと言ったんだ? 別に雑誌なんて渡さなくてもよかっただろ?」

 んー、と梶山は首をひねる。まあな、と応じた。


「あのさ、人ってな、未来に希望っていうか……目的があったほうが生きやすいんだよ」


 意外な返答に、修哉は黙って梶山の顔を眺めた。ふと梶山は、はにかんだ笑みを浮かべた。


「とは言っても、これは死んだじいちゃんの受け売りなんだけどな」

「そうなんだ」

「まずは楽しいと思える時間がほんのすこしでもあれば、ちょっとのあいだでも生き延びられるだろ。そうしたら数分後の将来には違うなにかがあって、もしかしたらほかの楽しみが見つかるかも。わずかでも、いろんな経験を重ねてさ」


 ああ、そうだな。修哉はそう答えた。

 希望か。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る