第二章(3)…… 燻る火種
両親の帰宅を機に自室に戻った修哉は、床に座り込んで目の前で照明に向けてビニールの小袋を透かしていた。
左肩の気配に、口を開く。
「アカネさんは、カズがいると気配消すのどうしてなんですか」
「だって、あの子良い子なんだもの」
は? と自然と眉根が寄る。
「どういう意味です?」
「存在がきれいすぎるのよ。浄化されちゃいそうになるんだもの」
冗談なのか、違うのかわからない口調で返される。
「オレは霊を引き寄せる体質なのに?」
やぁだ、とアカネは笑いながら手を振ってみせた。
「遺伝だったら、シュウの家族全員が憑依体質じゃなきゃ変よ」
「あいつは霊感ゼロですよ」
「無自覚ってこの世で最強よ、こわいわあ」
右手で縦に顔を覆うようにし、左手をひらつかせて大げさに嘆いてみせる。アカネが悪し様に表現すればするほど、修哉は冷静になる。わざとやっている裏には別の理由があるからだ。
沈黙して無関心を決め込み、ビーズを眺める。
「浄化はさておいて」
ふふん、と鼻先でアカネが笑った。
「あの子、妙に聡いんだもの。万が一、あたしを気取りでもしたら間違いなく死ぬほど心配して、兄さんを救うためにお祓い行脚しようって言って連日、寺巡りに誘うわよ。居づらくなるじゃない」
へえ、と思った。普段、知人がいない野外、ひとけのない場所、自室であれば、アカネは遠慮なく話しかけてくる。だが、家族といる間は大概おとなしい。
他人の目が気になるときは通話のふりをする癖が修哉にもついた。アカネにしても修哉との会話する際には決まりごとを定め、守っていたようだ。家の中では比較的落ち着いていられたのは彼女の配慮もあったのか、と気づかされる。
見た目からは想像がつかない剛気さでたびたび度肝を抜かれてきたが、ふとしたときに意外な細やかさも見せるので油断ならない。
若い姿でいるが、自分の倍は人生経験を積んでいる可能性もあるから当然かもしれない。死んでからも成長していればの話だが。
最低限、自分の居場所は自分で守らなきゃねー、と軽い調子で言い放ち、しなだれて左肩の上に頭を下げて顎を置き、すました顔で耳元に口を寄せた。
「で、これからどうするつもり?」
「ええと……今日わかった情報から訊きたいことができたんで、梶山に連絡を」
入れます、と言いながらスマホの画面をタップする。
SNSのアプリケーションを開いて、短文を送信するとすぐさま既読がついて、スタンプの画像が送られてきた。
横から覗き込んでいたアカネが、呆れたように言う。
「相変わらず早いわねぇ、四六時中監視してるんじゃない?」
「そうかも、ですね」
うわの空で返答する。訊ねたいこと。それは人物の詳細だった。
〈須藤侑永って知ってる?〉
既読がついて、YESが書かれたスタンプが返ってくる。
〈慎の元同級生。何が知りたい?〉
〈火事の件〉
瞬時に既読がついたが、返信が止まった。どう返信しようか迷っているのだろうと推察した。
次の瞬間、画面に着信の表示が出た。呼び出しの振動音と共に、梶山糾の名前があった。
電話に出ると、『なにが訊きたい?』と聞き慣れた声がした。
十年も前の過去を聞き出すわりに、梶山の反応がやけに早くて驚いた。
当時、小学校四年生。それなのによく覚えている。
『忘れられるかよ、衝撃的過ぎて逆に忘れられないって』
軽妙な口振りだが、どこか歯切れの悪さを感じる。
今となって理解した。あのとき、梶山は酒の場で与太話として自分の知り合いが扱われるのが楽しくなかったのか。
『シンのやつに、カズが訊いてきたことがあるんだよ。須藤の家がどうなったか。ウチも親同士は交流があったわけじゃないから、詳しい話は知らないんだけどな』
「引っ越したって聞いたけど」
『ああ、まるごと一軒ひどい燃えかたで隣近所も壁が焦げてさ、火災保険がどの程度おりるかで揉めたらしいんだ。それで修復がうまくいかない家もあってさ。噂もあって町内もいい顔しなかったみたいなんだ。一時は隣駅の近くにあるウイークリーマンションに移り住んでたんだけど、持ち物もほとんど焼けて、土地に思い入れもなければ残る理由もないだろ。片付けが終わったらすぐに他へ転居してった。ついでに隣家が死人の出た土地にいい顔しなかったらしくてさ、その裏の古いアパートもついでに、一時期あの周辺ごっそり建物が無くなったんだよ』
「ウワサって、なにがあったんだ?」
「侑永はさ、俺が言うのもなんだけどスゲェきれいな顔をしてたんだよ。街中で見かけたことがある。傍目から見ても母親は溺愛してた。だけど兄貴のほうは父親似らしくて、誰でもわかるくらい母親の態度はそっけなかったな。本当の兄弟なのに』
「複雑な家庭環境だったのか」
『侑永の親が不仲だと聞いたことはある。あとから噂で聞いた話では、母親が父親を嫌って、育児放棄っていうほどではないけど……両親ともに共働きだったから、家にいる時間が少なかったらしい』
そのせいか、と梶山は言う。
『歳が離れた兄貴は、弟の面倒をみるように言い渡されてたんだろうな。でも、弟の侑永のほうがくっついて回ってたよ。兄貴がいつも面倒見てたってだけじゃなくて、素直に好きだったんだと思う』
まるで見ていたかなような口振りに、修哉は引っかかった。
「よく知ってるな」
『一度だけ、夏休みに一緒にイベントに行って、丸一日いっしょに過ごしたことがあるんだ。俺とシンと侑永だけじゃ駄目ってウチの親が言うんで、なんでかわからないけど侑永の伯母さんが付き添いするって話になってさ。そしたら侑永の兄貴も行きたがったとかで、ついてきたんだ。少しだけ話もした。あまり口数は多くなかったけど、真面目な印象だったな』
だけど、と梶山の声音が下がる。『ずっと面白くなさそうな顔をしてたから、変だなと思って訊いたんだ。どのキャラクターが好きで来たんですかって』
そのイベントは臨港地区の商業エリアにあるビル内や、野外の広場ごとにタイムテーブルが組まれ、時間になるとステージにたくさんキャラクターが出てきて踊ったり、それ以外にゲリラ的に行進したりするものだった。
夏休みの無料イベントだったため、国内だけでなく海外からもたくさんのファンが集まった。子どもだけでなく、写真を撮る大人も多かったと言う。
『そうしたら、このゲームには興味が無いって言うんだ。じゃあなんで来たんですかって訊いたら、伯母さんとふたりきりにさせるわけにいかないから、ついて行ってちゃんと面倒見るよう母親に言われたからだって』
「え……え?」
どういう意味だ? と考える。左横からアカネが「母親にとって、その人は敵なのね」と口添えしてきた。
「伯母さんって旦那さんのお姉さん、つまり義理の姉ね、なんじゃない? 夫婦で不仲なら、義実家とか親族とも上手くいってない可能性、あるわよね」
なるほど、そういうことか。
右耳に添えたスマートフォンから梶山が続ける。
『俺思ったんだけどさ、きっと、あの家族は母親の存在が凄く強いんだよ』
「そうなのか?」
『すくなくとも兄貴は顔色窺ってる感じがした。なんとなくだけど……兄貴の役割をこなすべきだって命令守ってるっていうか』
義務的な感じがするんだよな、と腹の底に力を込めたような固い声で言った。
ずいぶんと和哉の印象と違うと思った。観察する側の立場で、こうも違って見えるのか。
『シュウは感じたことないか? 母親ってさ、弟に肩入れすることがあるよな。年下だから愛嬌もあるし、立ち回りが上手くて、甘えるのにも抵抗がないしさ。ましてやあの家族は……弟は天使みたいな容貌でまわりの目を惹いてたし、そりゃあ自慢の息子だろ。ここだけの話だけど、火事の後、須藤の母親は大変だったらしい』
「どういうふうに?」
『兄貴は本当に気の毒だったと思うよ』
梶山はすこし間を空けた。なんと言っていいか迷っている。
『あの日、火事があった日――周囲は母親が働きに出てることを知らなかったから、連絡がつかないし、いっしょに火に巻かれたと思ってたらしい。ところが、ひょっこり夜勤から母親が戻ってきて、消火作業が続くなかで旦那と息子の片方が死んだのを警察から聞かされたんだ。その場で半狂乱になって……生き残った兄貴に、おまえが死ねばよかったのにって喚き散らしたって』
さすがに言葉を失った。酷いな、と一言だけ感想が漏れた。
命が助かっても動揺しているさなか、生死を分ける究極の場でそんな言葉を投げつけられたら、まず立ち直れないだろう。死んだほうがましに思う。それが実の母親であれば尚更だ。
『火事現場にいた野次馬の大勢が聞いてたせいで、噂が広がるのも早くてさ。子どもにそんなこと言うなんて有り得ないって、母親として失格だって近所のおばちゃんがめちゃくちゃ怒ってて怖かったよ。そもそも暮らしに困ってなかったはずなのに、夜に子ども置いて働きに出るなんて何を考えてるんだ、酷い母親だって風評が立ってさ』
だけど、と梶山は声をひそめた。
『母親が虐待してたんじゃないか、って話が出るようになったら、今度は家に火をつけたのは子どもじゃないかって言い回る人が居たらしくて、町内で噂が立ったんだよ』
修哉は思い出した。井上が言っていた。子どもの火遊びで家が燃えた。そう言う経緯があったのか。
梶山の言葉の奥にあるやるせない思いを知った気がした。真実はそういうことだったのかと直感めいたものがあった。
「兄貴が日頃から理不尽な母親の仕打ちを受けてて……もしかしたら復讐するつもりで火をつけて、家族を殺したのかもしれないってのか」
『母親は夜勤に出てて家にいなかったから、一家皆殺しとは行かなくても……精神的に追い込まれて、寝静まった家族と心中するつもりで火をつけたのかもしれないとは俺も思う。なんせ、兄貴は煙吸って動けなくなってたところを、近所に住んでた命知らずの大工のおっちゃんに助け出されてるからな。弟を殺すだけなら、火をつけたらすぐに自分は逃げ出すもんだろ』
おっちゃんは普段から酒飲んで酔っ払って道で寝るような人で、奥さんに怒られてばかりだったのが、この一件で見直されたらしい、と付け加える。
『ま、俺が聞いたなかで救いのある話はこれくらいで、あとはろくでもないデマばっかりだったよ』
「よく知ってるんだな」
『まあなぁ、ウチの母親が年寄り相手のボランティアやってるしな。町内の古株からいろいろ聞いたのを話してくれるもんだから』
しかし、実情を知りつつも、酒の場で口が軽くならないのが梶山のいいところだ。
「オレに話してもいいのか?」
『シュウも口は固いほうだろ。それに、突然十年前のことを聞きたがるなんて、なにか覚えがあるんだろ、おまえにも』
やはり察しがいい。
『なにがあったんだ』
梶山に問われて、返答すべきか迷う。いまさら迷ってどうなる。この話を訊ねたら、こう問われるのはわかっていたことだ。
修哉は思い出した記憶と、和哉から渡されたストラップ――持ち主はすでに亡くなっているから、こういうのは遺留品と言えるのだろうか――の関連を話した。梶山は途中で余計な口を挟まず、最後まで落ち着いて修哉の話を聞き終えた。
『そうか』と梶山が納得したように言った。
『俺もカズに賛同するよ。ここまで来たら調べられるところまでやってみて、真実を突き止められるならやってみたほうがいいのかも。そのビーズ、手がかりになるかもしれないしな。駄目ならその時、処分すればいいだろ』
修哉は「でも」と言いよどんだ。
「真実と言っても、もう須藤の家族がどうしてるかなんて調べようがないだろ」
『それがそうでもないんだな』
ようやく、スマホの向こうで梶山が笑うのがわかった。
『イベントで会った、須藤の親戚の連絡先ならわかる』
ただ、問題は十年前のものだってことなんだが、とスマホから聞こえる梶山の声が若干弱った。
『なんでも侑永の話じゃ、伯母さんは侑永のじいちゃんばあちゃんの敷地に住んでるって言ってた。あそこは先祖の代からの居住で、土地持ちの地主だから親族で固まってるらしいんだよ。住んでるのは持ち家っぽかったから、そう簡単に住所は変わらないだろ。それに作品を販売してるガラス工芸家なら、ネットで検索すれば案外見つかるんじゃないかな』
すこし時間くれ、と言って、梶山は通話を切った。
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