第3話 何とかなるモブ兄

 いやもう、ほんっと苦労したよ。

 十六年の人生で、ここまで憔悴することはなかったってくらい苦労した。

 何がって?そりゃもう父さんと母さんを説得するのがさ。

 思い出したくもないくらいだけど、夕方から説得始めて、途中でヴェンデルの面倒見たり寝かしつけたりしつつ、世迷い言で場を引っ掻き回すシャルを時には物理で黙らせたりしながらようやく納得してくれたのが翌日の昼前だよ。

 正直、この構想を実現するために王家に王宮、エデルリッツ公爵家を巻き込むために用いた「伝手」を説得するより苦労した。


 それから父さんが同僚や上司などのコネクションを使ったり、母さんが実家に泣きついたり、僕は僕で同級生であるところの伝手に根回ししたりで、三人とも怒涛の三日間を過ごしたね。

 戦場だよ戦場。あれはまさしく戦場だね。母さんの実家であるフェイ伯爵家からメイドを借り受けられたから良かったものの、マジで三人とも一睡もしてないからね。現金なんて底を突いたし資産も担保に入れた、何なら僕が持ち出せた私物なんて服と筆記具、これだけだよ。その他は尽く売り払ったもん。


 けど、その甲斐あって何とかかんとか筋書き通りには行った。

 男爵家の直系男子に自分の立場を危うんだ僕が騎士家を手に入れ妹を使って第二王子に取り入ろうとしたという、学院初年生でも呆れた顔しそうなアホ臭いシナリオながらも一応の筋は通っているそれに、胡乱げな目つきで尚書部のお偉方は僕の考え得る最高の裁定を下してくれた。

 男爵家は存続、僕に対する親の責任として工務部から商務部への異動と事務官への降格、僕が継いだメルクーリ騎士家の取り潰しと国外追放。

 いやぁ、世の中金で何とかなるもんだね。貯金が尽きたどころか借金まであるけど、父さんは優秀だからヴェンデルを中等学院に入学させるまでに何とかできるんじゃないかな。


 さて、僕はと言えば。

 元凶であるシャルも連れて行こうと思ったんだけど、尚書部貴族庁調停官の伯爵閣下が苦笑いしながら「そこまでやると見え見えすぎる。シャルロット嬢は置いていきなさい。悪いようにはしないから」と、修道院送りに。シャルの将来を考えるとそれは何とか回避したかったんだけど、伯爵閣下の言うこともごもっともで。最優先は何の罪もない両親と、特にヴェンデルの将来を守ることだったので僕は一人で国外追放されることに。伯爵閣下、アドバイスありがとうございました。

 国外追放ってもね、どこへでも好きな場所へ行けってんじゃ罰にならないから、決められた属領か属国に流された挙げ句、そこの行政庁に権利の一部を剥奪することを明示されるんだよ。具体的に言えば移動制限と公に関する権利剥奪だね。

 つまり、僕は生涯に渡って公務に就くことが出来ない。これは組合に参加する権利も含まれるから、ある程度職業選択の自由もないってことになる。仕事はできるんだけど、組合に加入することは出来ないし組合そのもので働くことも無理。となると、組合の存在する職業に就いても無意味だから、実質的な選択肢としては傭兵、皮革業、屠殺業などのいわゆる底辺業、後は意外に思うかも知れないけど家庭教師。これ実は組合がないんだよ、歴史的には奴隷の仕事だったから。あ、もちろん奴隷と言ってもみんなが想像するようなやつじゃないよ?この辺りがまだ蛮族と呼ばれていたような時代に栄えていた先進地域から、雇用契約に近いかたちで連れて来られた知識人たちの仕事だったんだ。だからある程度は敬仰されるような仕事なのに、組合がないってわけ。

 とは言え、最底辺だった僕ならまだしも、生来の貴族はこれで生きていける訳がないから実質死罪に近いと言われる重刑扱いなのも納得だよね。

 貴族であれば選べる職業の中で検討に値するのは家庭教師。だからもちろん僕も真っ先に家庭教師を考えたんだけど、結論から言えば無理だった。

 そりゃそうだ、僕が何をやらかして国外追放されたかなんて属領総督府で公表されているし、家庭教師を雇えるような富裕層や貴族階級は皆その情報を持ってるんだから。


 そうなると結果としては一択なわけで。

 うん、そうだね、傭兵だよ傭兵。


 かと言って移動を許されてるのは属領南部だけ。放り出された町には傭兵団もいない。辛うじて持参を許された僅かな金じゃあ、傭兵団の支隊があると聞いた町まで持ちそうもない。それを知った時には一体僕にどうしろと、と天を仰いだ。まじで死を覚悟したよ。いやほんと。

 とは言えこのままじゃどうにもならないってことで、途中で行き倒れたらそれまでだ、と決意というより諦めを胸にてくてく歩くこと十日。辛うじて買えた食料は二日分。四日目で木の根や草を食べ始め、五日目で飲料水が尽き、七日目にようやく降った雨水で喉を潤した。傭兵団の支隊がいる属領最南端の貿易都市アチェに到着した時には「ああ、神様っているんだなぁ」と思ったね。飲まず食わずで消耗しきっていたから、回復するまで入団試験を待ってくれた隊長には頭が上がらない。まあ、幾ら回復したからと言って現役バリバリの脳筋傭兵である隊長が、体力の落ちた追放者を全力でボコったのはどうかと思うけどさ。

 とまあ、そんな訳で僕は何とか傭兵団に入ることが出来た。それが一年前。




「おはようございます、隊長」

「おうアロイス。今日も頼むぞ」

 だから僕は今日もオーレル傭兵団のダンプリシャール支隊で事務仕事に精を出す。

「来月から本隊は属領総督からの依頼で辺境警備だそうですよ。支隊にも輜重の出動要請が来ています」

「オーレル団長からか。辺境警備ったって小国との小競り合いだろ。相変わらず団長は美味しい仕事持ってくるのがうまいな」

 呆れてるんだか感心してるんだかよくわからないのは、髭に埋もれて口元がよく見えないから。四十を少し超えたダンプリシャール隊長は、属領南部での仕事を任せられているのだしそれなりに優秀な人なんだろうけど、僕は入団試験の時以降未だにその片鱗を見る機会に恵まれていない。南部の仕事って治安維持レベルでしかないからね、しょうがないね。

 属領になってからそろそろ百年、同化政策や圧政をしていないから王国軍の駐留はなくとも治安は安定している。属領には軍がいないから僕ら傭兵団が軍事行動を受け持つ訳だけど、衛兵隊は存在しているため都市内部の警備は問題ない。ただ都市外、つまり街道や農地のない平野部などまでは衛兵の手が回らないからそのあたりの治安維持活動も傭兵任せだ。

 そのため割と仕事もあるのだが、いくら傭兵と言っても戦闘ばかりをやる訳ではない。大国が安定してきた大陸では戦場も数少なくなってきているし、覚悟して入団したとは言ってもそりゃみんな生命は惜しいよね。そう考えれば世界が今後どうなるかによっては傭兵団もその在り方を変えていくのかも知れない。実際、傭兵団長に求められることは個の武技や戦術よりも、団を維持するための依頼をいかに高額で取ってくるか、どれだけ効率的に人員を回す方策を考えるかなどに変わってきている。会ったことはないけれども、僕はこの傭兵団の団長オーレル元男爵は既にそう考えて動いているのではないかと思っている。


「感心してる暇があるなら隊長もおいしい仕事とってきて下さいよ。ただでさえ南部は平穏で傭兵が戦働きする場なんてないんですから、部隊のみんなが欲求不満になってるんですよ」

「がっはっはっは!まったくどいつもこいつも命知らずの大馬鹿野郎だらけだな、うちの隊は」

「笑いごとじゃないですって。殺る気があり余りすぎてこの間の盗賊退治だって報酬半減だったんですから。横の繋がりを聞き出すために捕らえろって依頼だったのに……」

「すまんすまん、で、団長からの指示は問題なさそうか」

「それはまぁ……物資を買い漁って前線に届けろってだけですからね。資金も届いているから問題はありません。問題があるとすれば、輜重隊を組んだらここには誰もいなくなるってことくらいですね」

 大問題だ。

 実際のところ、こと「くらい」なんて表現して良いレベルではなく大問題なんだけど、そもそもが隊長と僕を除けば五人しかいないダンプリシャール支隊ではよくあること。

 海に面していることによる漁業と海運、豊かな土地と人的交流で経済的に発展している属領南部では、傭兵の仕事なんて盗賊退治や街道警備くらいだ。そこに五人も置くこと自体が無駄でしかないんだけど、団長が敢えて人を配置しているのは今回のように物資補給に便利な場所だからに過ぎない。要するにここには兵站担当がいれば良いだけ。

 なので、

「隊長始めダンプリシャール支隊はそのまま本隊と合流だそうです。僕だけ残って、今後も輜重を担当しろと」

「お、そうか。ならあいつらも喜ぶな。北部ならまだ槍働きの場所もあるだろう」

「まぁ……確かにディテルベ地方じゃ押し込まれてるみたいですからね。珍しく傭兵が求められてますから団長としては狙ってるんでしょう。僕としては憂鬱でしかないんですが」

 いやだってそうじゃん?

 幾ら後方支援に人を割けないからってさ、僕一人南部に残って補給支援をやれって無茶振りだよ。そりゃ隊長始め支隊のみんなは文字すら満足に読めないから仕方ないって言えば仕方ないんだけど。

 団長も絶対僕のことわかってて使ってるよなあ。僕は傭兵が求められてる北部に行くことは許されてないし、他に仕事なんてないからどんな激務でもしがみつくしかないからね。それなのに薄給ときたもんだ。

「お前は事務仕事好きだろ。いいじゃねぇか」

「別に好きではないですよ。隊長たちがやってくれないから仕方なくやってるだけです」

「ふむ」

 そう言って手を顎に当てて僕をつらつら眺める隊長。いつも思うんだけど、顎髭が痛くないのかな。

「お前、近衛が射程範囲だったんだよな」

「はあ。昔の話ですけどね」

 突然何を言っているんだろうか、この脳筋隊長は。

 もちろん口には出さずに心の中で思う。

「体つきも拾った時からは見違えたし、たしかにお前の剣技は大したもんだ。最初はお坊ちゃん剣術で頼りなかったがな」

「ボルディゴ砦のことですか。仕方ないでしょ、実際の戦闘なんて初めてだったんですから」

 うん、あれは確かに苦い経験だったよ。いや別に命の危険があったとかそんな訳じゃないんだけど、自分の剣技がいかに貴族御用達のお飾りなものかを思い知らされたからね。

 え、今?

 そりゃもう目潰しだろうが金的だろうが、なんでもありありだよ。近衛を目指していた頃の剣技なんて、微塵も残ってないね。人を斬って吐くなんてこともなくなったし。


 と、そんなことを思い出しながら顔をしかめていると、

「南部の補給要員なんて所詮は本隊の補助だろ。金が送られるのも不定期になるだろうし、お前の給金だって大したもんでもねぇ。ある程度稼がないとなんねぇし、逆に言やぁお前がここでどんな仕事してようが誰の目にも止まらん」

 珍しく真面目な顔つきのダンプリシャール隊長だけど、正直そうしてると怖いです。僕はもう中身が飲んだくれ脳筋親父だってわかってるから耐えられるけど、こんな厳ついのが突然現れたら子供は泣くよ。

 でも隊長が僕のことを考えて言ってくれているのはわかる。要は傭兵団の名前を使って好きなように稼げと言ってくれているのだ。こんな顔でも部下にとっては情に厚い良い隊長だから。

「ありがとうございます、隊長。ご厚意に甘えて、隊長たちが敗走しても逃げ込める場所は確保しておきますよ」

「はっ、抜かせ小僧が。小国の弱兵どもなんて蹴散らしてやるさ」

 それからはドヤドヤとやってきた隊員たちと、これからの予定や運ぶ物資の確認などを行い盃を交わした。

 どいつもこいつも筋肉で考えるような馬鹿ばっかだけど、一年共に暮らした気の好い仲間たちだ。再会を期して交わした盃は、けれどそれが永遠の別れの盃になるとは思ってもみなかった。






 さて、隊長達と物資を見送っていざ一人きりの傭兵団支隊となった僕は、彼らとの別れをしみじみと思い返して浸っている余裕なんてない。

 何しろお金ないんで。

 今回みたいに補給物資を買い集めなければならない時には本隊からお金が送られてくるけど、僕の給金なんかもその時にまとめられてしまっている。というより、定められた物資を送った金の中でやりくりして買い、残った分を給金として取れというやつだ。いかに安く買い集めるかによって僕の給金が変わってくる上、次の支給がいつになるのかわかったものじゃない。

 隊長が言ってくれたのもそういった事情を加味してのものだから、僕としてはとにかく時間がある限り傭兵団としての仕事を受けるしか無いんだよね。

 ここで傭兵団の名前が使えるのはありがたいことで、公権制限されてる僕は個人的にまともな仕事を請けることが出来ないから、それなりに名を馳せているオーレル傭兵団の名前を使えなければ野垂れ死ぬしかない。いやほんと、マジで感謝だよ。

 たとえそれが、傭兵の仕事と思えないようなドブ掃除やら農作業やらでもね。僕一人しかいないって言ってるのにぽんと丸投げされる市壁外の広大な平野の見回りでも、西の岩山に巣食った盗賊の討伐でも、キツイと思ったって何でもやるさ。行き倒れる訳にもいかないし。

 どうもアチェ市の参事会は傭兵がどんなものなのか、今ひとつ理解していないらしい。ダンプリシャール隊長がいた時はただの荒くれ者だから衛兵の手に余る輩にぶつけてやれ、というくらいに考えていたっぽいけど、隊長たちがいなくなって僕が前面に出るようになったら今度は「え、なに、こんなとっぽい兄ちゃんに何が出来るわけ?あ、でも汚れ仕事やってもらえるならラッキー」みたいな反応になったよ。だったらもう少しマシな仕事欲しいなと思うんだけど、参事会の上層部は当然ながら僕の前科を知ってるからね、文官の人たちはこっちに回したいマシな仕事があるらしいけど止められてるようで。

 前科持ちって、マジきつい。




 隊長達がアチェを発してから三ヶ月、そろそろ北部じゃ戦端も開かれるのではないかと反対側の南部ですら噂されるようになった冬、僕はいつものように傭兵団支隊事務所兼寝床になってる部屋で硬いベットに身を投げ出していた。


 いやキツイわ。

 まじキツイわ、盗賊退治。


 どうせ暇なんだから衛兵隊も手伝ってくれりゃ良いのに、契約外だっつってひとっつも手伝ってくれないでやんの。そりゃ確かに契約結んだの僕だけどさ、敵戦力に応じて応援を出すってちゃんと確認したじゃん。十人以上いるってわかってたじゃん。それって応援出すレベルじゃね、と愚痴っても許されると思う。

 何とか殲滅できたけど、この戦闘でもう矢が尽きたし剣も研ぎに出す金ないからぼろぼろだよ。参ったなあ、もう戦争が始まるんだから本隊から輜重の命令来ないかなぁ……もちろん金も。

 ていうかだね、南部とは言え冬はそれなりに冷えるからいい加減毛布買いたいな、と。もうぺったんこなんだよ、この掛け布。

 薪もそろそろ心もとなくなってきたし、やっぱりちゃんと支隊の体を成していないと厳しいなぁ。ていうか団長、ここの存在忘れてないよね?ね?僕はここにいますよー。


 どうせ朝の残りで硬くなかったパッサパサのパンと塩漬けキャベツくらいしかない。なら夕食はもういいかなとあまりの疲労にうんざりしながら考える。

 ほんとモブって辛いね。シャルがよく物語読んだ後で「絶対に王子様と結婚する。モブとなんて死んでも嫌」とか言ってたけどむべなるかな。誰が好き好んでこんな生活したいと思うものか。同じモブでも職人とか農民とかの方が絶対マシだよ。


 ごろん、と仰向けになると硬いベッドが背中に痛い。

 暖炉がボロボロで排気がうまくいかないせいか、天井が煤けている。よく見るとシミが王国周辺図みたいで笑える。

 見上げたちょうど真上が西方属領、目線を下げればすぐにこのアチェの街。属領南西に突き出した半島の先っぽだから隣国と面していないけど、北へ目を上げれば湾を挟んですぐに境界を接した領域がずっと続く。あの辺で本隊は稼いでるのかなぁ、とどうでも良いことを思うのは東の本国に目を遣りたくないからだ。それは僕だってわかっている。

 目に入れてしまえばどうしても前までの生活が思い起こされてしまう。

 養い親だけれども優しかった両親、バカだけど愛らしかったシャル、僕を実の兄と慕ってくれた賢いヴェンデル。

 同じモブでも近衛のモブ隊員を目指していたのは、今思えばそれって全然モブじゃないじゃん、と思っちゃうよ。勝ち組だよ勝ち組。近衛だもん。

 とは言え、じゃあ今の生活に不満があるのかと言われれば負け惜しみじゃなく本当にないんだな、これが。

 貴族の国外追放なんて実質死罪と言われてることを考えれば、ここまで生き延びてこれから先も頑張れば生き残れる余裕があるだけでも凄いことだからね。そう、言って見ればモブ貴族がモブ市民を一足飛びに超えてモブ底辺になった程度のもの。どうせ同じモブだ、何も問題ないどころか家族に恩返しも出来たのだから万々歳だ。後はそれなりに生きて、死ぬだけ。

 自分のものではなくとも住むところがあって、仕事も何とか見つけられて、餓死しない……いやまあ粗食だけど、食うに困るよりはだいぶマシ。結婚は確実に無理だろうけど、悪くない人生が送れそうじゃん。


 どうしても視界の隅に入る本国のようなシミから無理やり視界を剥がし、目を閉じる。心残りなんかない。僕は僕の人生を生きるだけだ。

 あー……明日の仕事どうしようかな。市壁修理の護衛って、凍えるんだよね。嫌だ……なぁ……。


 ぐぅ。

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