第3章 第5話


 ◇ ◇ ◇


 参ったな。全身が魔法で出来た俺でも勝てないのか。

 俺と同格のマナの天使、だもんなぁ。

 良くやった、俺は良くやったよ……。


 相手は動物じゃないんだ。

 ヒュージンの、しかも天の門番と戦ったんだ……血塗れになってまで。


 第一……門番を倒してみろ。

 死ぬよりも辛い、穢れを受けるんだ。

 ……うん。アカネさんを連れてエデンから出よう。

 ルシア社長に助けを求めるんだ。

 社長だって、実験はしたくないって言ってただけだ。何とかなる。

 ……頑張ったよな?

 生まれて初めて喧嘩までして、魂が穢れる危険まで冒して……。

 誰も責めたりしない……

 そうだよ……俺は《    》が作った完璧な人間なんだ、仕方無いじゃないか。

 仕方無いんだ。


 ◇ ◇ ◇


 思い出が泡の様に浮かんでは沈んでいく。迷惑をかけられた記憶だ。


 あの日々は悪徳小説の様だったな……アカネさんは目を離すと問題ばかり起こす。

 そもそもアカネさんが突然、俺の家に飛び込んできて……棲み着いて。

 大人しく勉強してると思ったら、思い出の教科書に書き込みしたり……。

 彼女の開発品を褒めると、滅茶苦茶自慢してきたり……。

 その上、欲の皮を突っ張って失敗する。


 この世界から、転移する機械を作動する時だってそう。

 アカネさんは感極まって、俺の話なんて聞いちゃくれない。

 しかも命の危機だったつーのに、気にするのは科学製品がゴミになった事ばかり。

 

 俺の下着とか俺の半裸を、顔を赤くして凝視してくるし。

 何もしてないのに、俺を理性の制御出来ない発情動物みたいに扱う。

 何がアレかって……俺と恋仲だって話になると、早口でまくし立ててくる。


 家に引き籠もって、何もしなくなったり……。

 故郷に帰れないって、夜も泣いていたり……。

 ご馳走に使おうとした食材を無駄にしたり……。

 俺の為にご飯を作ろうとしたり……。

 いつも泣きべそかいて、助けを請うてきたと思ったら……。

 俺が助けてくれるって信じ切ってやがる……。


 沢山、思い出が湧いてくる。

 迷惑かけられてばっかりだったよ、本当……。





 ……何なんだ。この気持ちは。

 アカネさんとも思い出に、感じた事の無い感情が溢れ出す。


 ……何なんだ。この熱い様で暖かい気持ちは。



 ◇ ◇ ◇


 膨大な濁流が、純白の雲海を百の頭を持つ蛇龍の如く埋め尽くして蹂躙する。

「なんだコレはっ!?」

 ラーエルが、驚きの声をあげる。

 彼は自分の身よりも濁流を押し留める事を優先し、雲海から突き出した数々の塔が密着して濁流を受け止めた。

 代わりにラーエルに濁流がかかる。

 同時に俺が濁流の流れに乗って、彼にしがみついた。

 アカネさんから聞いた、不快な神話……ノアの箱舟。

 その濁流を創造した俺がラーエルを締め上げるっ!

「待てぇっ!」

「ワーク君っ!?」

 濁流が俺達を押し流していく。

 俺はラーエルから剥がれない様に、歯を噛み締めて力を込める。

 歯がグラグラしてた……。

「何がしたいんだ? 勝てないのは分かっただろっ!」

 ラーエルの拳が俺の右頬を叩く。

 衝撃で濁流が割れ、俺達は宙に放り出されるが構わない。

 濁流はもうマトモに歩けない俺が、彼にしがみつく為に作ったモノだ。役目は終わっている。

「俺はっ……俺は勝てるから、戦ってるんじゃないっ!」

「……~っ!」

「負けられないから、立ち向かうんだっ!」

 泥で汚れた雲海に、二人揃って墜落する。

 ラーエルは俺の叫びから何かを勘づいたのか、さっきまでとは違う全力の拳を振り下ろす。

 その拳の周囲では空間は歪み、軌跡には硝子の様なヒビが尾を引く。

 神話的な破滅が俺の顔面に叩き込まれる。一度、二度、三度。

「ぅ、ぁ……あぁ」

 俺の鼻から血が流れ、思わず情けない嗚咽をあげる。

「そらみろっ。あの娘と関わった事で、魂が穢れかけてるっ! 痛みを感じるん

だろっ!」

 ラーエルが泣いている。

 血塗れでしがみつく俺の折れ曲がった鼻を見て、悲鳴を聞いて泣いている。

「《    》が娘を救うと思ってるのかっ! ヒュージンじゃないんだぞっ!?」

 ラーエルの悲鳴の様な叫びが、俺の耳を叩く。

 俺も動物が威嚇する様に、彼の声に負けない大きさで叫んだ。

「《    》がアビスに迷い込んだアカネさんを救った! 俺に救いに行けと言った!」

「それこそあの子が動物の証だっ! 《    》が救ったのは君で、あの娘じゃない!」

 ラーエルの全身が、巨岩を融解させた熱波よりも眩く輝く。

 極小太陽の熱気が、周囲の濁流を蒸発させ雲さえも遠方に追いやった。

 俺の皮膚は焦され、負けじと瞬時に再生を繰り返す。

 俺は痛みで意識が遠のくのを拒否する為に、更に大きな声で叫ぶ。

 口の中の唾液が蒸発し、喉を、肺を、熱波が舐めようと気にもならない。

「分かってる!! 《    》は彼女が泣いてても、助けてくれないっ!!」

「ならっ!」

「だから俺が行かなくちゃ、ならねぇんだろうがっ!」

 頭を引き絞り……ラーエルの額に、頭突きをかますっ!

 俺の頭からは軽い音がして、彼の頭からは重い音がした。

 体勢を崩した俺達は、地面を転がりながらもつれ合う。

「……ッ!」

「俺は《    》を信じてるっ!」

「やめろ……」

「《    》は俺達ヒュージンを守り、弱きを救ってくれるっ!」

「止めるんだ……」

「俺の家族も救ってくれる。俺は《    》を疑わないっ!! 俺が……俺があの子を守る事は間違って無いっ!!」

「ソレは正義だぞ! 人間が語るものじゃ無いっ、神々のモノだ!」

 ラーエルの指先が俺の脚に触れた瞬間、脚が徐々に灰へと変わっていく。

 魔術式の応用かっ!?

 ただのヒュージンならともかく、全身が魔法である俺達には驚く有効的な攻撃で……俺みたいなへっぽこマギサックラーには真似出来ない芸当だ。

 俺の脚が灰となって崩れ、仰向けに転がってしまう。

 ラーエルはその隙を見逃さない。俺に覆い被さって抑えつけてきた。

 俺はラーエルを逃がさない為に、更に締め上げる。

「固執するなっ、君が堕ちる!! 動物に堕ちてしまうっ!!」

「構うものかっ! あの子を助けてくれるまで、離さないぞっ!」

 その時、俺の体に異変が起きた。

 灰に変わりつつあった俺の脚が、徐々に人肌を取り戻していく。

 代わりに全身に痛みが走る!

 全身の毛穴に針が突き刺さった様な苦痛。

 濁流を呑み込み過ぎて、苦しい腹。

 口内の血と泥の不快な味。

 まるで今までの感覚が嘘の様に、全身の痛みに俺の魂が軋む。

「きゅ、ぅ。ぁっ!」

「『傲慢』だっ、君の体が……思い直せっ!」

 痛い。痛い痛い痛いィイイイイっ!

 口から流れる血の泡を呑み込んで、俺はラーエルの好意を無視する。

 脚が治ったんだっ! ここで離す訳には行かない。

「俺がアカネさんを守らなきゃ……神も世界も愛してくれないならっ!! 俺があの子を守ってやらなきゃ……帳尻が合わないだろっ!!」

 威勢の良い叫びと共に、苦痛はますます増して行く。

 ラーエルが叫ぶ。必死に叫んでいる。何を言ってるか聞こえない。

 頭の中で、何かが弾けそうになるのに耐える俺。

 目を強く瞑って、拳を振るうラーエル。

 俺達二人の決着は、唐突に着いた。

 パァンッ! と俺達の体が弾かれる。

 ラーエルは仰向けに。俺は俯せに地面に転がった。

 何が弾いたのか……見上げる俺達の間に、暖かな光が浮かんでいる。

 あぁ……貴方は。

 来て、くれたんですね。

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