26.中庭のベンチで

 ある日のこと。

 神殿のお掃除もお洗濯も終わって、おやつの時間まであと少しといった時間。


 双子は今日のおやつのパイを焼くと言って厨房に籠っている。わたしも一緒にと思ったのだけど、休憩しているようにと言われてしまったのだ。

 今日は朝からぼんやりしてしまう時間が多くて、小さな失敗を繰り返している。一つ一つは些細なものだけど、自分でも嫌になってしまうほどだった。


 二人はわたしを叱責したりしないけれど、迷惑を掛けてしまっているのは分かる。申し訳なさに身を縮こまらせてしまうと「疲れているのだろう」と優しくされて、何だか泣きたくなってしまった。


 部屋で休んでもいいのだけど、折角のいい天気なのに籠っているのももったいない。

 横になって寝てしまったら、夜に眠れなくなってしまいそうでそれも怖い。


 だからわたしは中庭のベンチでレース編みをする事にした。

 籐籠には作り途中のレースや道具一式が入っている。テーブルセンターが完成するまでもう少し。ここまで頑張る事が出来たのも、ルカとリオが丁寧に教えてくれたおかげだ。それから……本や道具を揃えてくれたディエ様のおかげ。


 そのディエ様は豹のお姿でわたしと同じベンチに居る。


「だいぶ上手くなったな」

「そう思います? 自分でも上達したなって思うんですよ」


 隣に寝転がって顔だけをこちらに向けているディエ様が、わたしの手元を見て小さく頷いているのが見える。

 そうでしょうと胸を張ったわたしはいつもよりも早くシャトルを動かして、案の定というべきか目を落としてしまった。調子に乗った事を反省しつつ、少し解いてやり直した。


 同じ動きを繰り返しているのに、しっかりと形になっていくのが好きだ。小さな一目でも、いつかはこうして大きなものを作れるようになるのだから。


 テーブルセンターももうすぐ完成だ。

 そうしたら次は何を作ろうか。


 考えながら手を動かしていると、腕に温もりを感じた。擽ったさも感じながらそちらに目を向けると、わたしの腕にディエ様の尻尾が引っ掛かっている。


 どうしたのだろうとディエ様を見るも、くぁ……と大きな欠伸をしたかと思えば両前足を枕に眠り始めてしまった。規則正しく体が上下して、穏やかな寝息が聞こえてくる。


 尻尾が腕に掛かっていても、レース編みに支障はない。むしろ暖かくて気持ちがいいほどだ。尻尾だけなのにこんなにもぽかぽかしているなんて、ディエ様は体温が高いのかもしれない。


 そんな事を思っていたら口元が綻ぶのが分かった。


 いまもきっとディエ様は、わたしが落ち込んでいると思って側にいてくれているのだろう。そう聞いたら否定するだろうから、わざわざ問いかけたりはしないけれど。


 朝から失敗続きのわたしをディエ様も責めない。

 いつもと同じ、変わらない様子でのんびりと過ごしてくれている。


 それにほっとしてしまうのは、やっぱり変わることが怖いからなのかもしれない。


 わたしは【生贄はいらない】というディエ様の元に、無理を言って置いて貰っている状態だ。

 異母姉や精霊に対して、ディエ様も双子も『わたしはディエ様に仕えている』と言ってくれたけれど……わたしはただの人でしかない。

 ルカやリオのように何か秀でているわけでもなく、教養が深いわけでもなく、わたしには特筆出来るような何かがないのだ。


 それなのに皆がわたしに良くしてくれて、様々なものを与えてくれて……わたしがディエ様達の為に出来ることは何なんだろう。最近ずっと、そんな事を考えている。


 子爵家から離れられるとしても、隣国かどこかで暮らせるとしても、人の世に戻るなんて出来ない。わたしは……ディエ様とリオとルカの側にいたいのだ。だから自信を持ってこの場所に居られるように、何かを見つけないといけない。


 それなのに……せめて迷惑にならないようにと思っていても、最近ではぼんやりする事が多くって失敗だってしてしまう。

 情けなさに目の奥が痛むけれど、泣いてしまうのも違うと思ってそれを堪えた。深く息を吐けば詰まっているような何かもゆっくり溶けていくだろう。


 不意に、ぎゅっと尻尾の力が強くなった。

 腕に引っ掛かっていただけの尻尾が、ぐるりと巻き付いている。


 起きているのだろうかとそっと覗き込むけれど、目を閉じたディエ様はやっぱり眠っているようだ。

 規則正しい呼吸、それから上下する体。背中の羽根も丸いお耳も何かに反応している様子はない。


 なんだかその温もりだけで、張り詰めていた気が抜けてしまったわたしは、自分の頬を片手で軽く叩いてからまたシャトルを持ち直した。

 まだまだ編みたいものは沢山ある。難しいところは教えて貰って、いつかは自分一人で編み図も作ってみたい。その為にはもっと練習しなければ。


 そう思ったわたしは、レース編みに集中する事にした。

 シャトルを動かす手も滑らかになってきている。それもまた楽しくて、編み進めていった。



「──おい!」


 遠くで声が聞こえる。


「おい! しっかりしろ!!」


 ディエ様の声だ。

 何か焦ったような、大きな声。ディエ様がこんなにも声を荒げるだなんて、珍しいな。

 相変わらずわたしの名前を呼んではくれないけれど。


 言葉を返したいのに、声が出ない。

 大丈夫だと言いたいのに言葉の紡ぎ方が分からない。


 体に力が入らない。

 溶けてしまったかのように、どこに手があるのか、どこに足があるのかも分からない。


 目の前が霞んでいる。

 ディエ様の顔が見えない。


「──っ!」


 声も聞こえなくなっていく。

 ああ、いやだ。ディエ様の声が聞こえなくなるのは──怖い。


 何かに沈んでいくように、わたしの意識が遠くなっていく。

 一体自分がどうなっているのか、考えられるだけの力もなくなっていった。


 それがひどく、恐ろしかった。

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