第179話暴露と意趣返し


「まぁ、もし追加依頼を受けていたとしても、それを素直に実行したかはわかりませんね」

「どういうことだ?」


 シィはソファの背凭れにゆっくりと体重を預けると、大きなため息とともにそう告げる。


 しかしオージアスからの質問に、シィは一瞬でその顔を憎々しげに歪めた。


 彼がここまで感情を顔に出すなんて。レセリカは背筋が凍る思いがした。


「同じ手だったのですよ。あの時と。あの女は僕に、同じ手を使わせようとしました。屈辱でしたねぇ……」

「あの時……?」


 あまりにも憎しみの籠められたその言葉に、レセリカは自分の腕を軽くさすりながら思わず言葉を洩らす。

 声を聞いたシィが、眼鏡越しに目だけでこちらを見た際には、ビクリと肩を揺らしてしまった。


 手を握るロミオの力が込められ、レセリカもまた少しだけ握り返す。おかげで少し落ち着けた気がした。


「……ええ、数年前。王女が亡くなられた、あの事故の件です」


 予想通りではあった。だが、改めてハッキリと告げられたことで、その場にいた誰もが息を呑む。


「僕はちょうどあの日に依頼をされたのです。『この焼き菓子に毒を仕込め』と。それからその菓子がどこに行ったのかは知りませんが、死に方からしてまず間違いなく僕の毒で王女は亡くなりましたね」

「なっ……っ!?」

「ああ、でも。僕は無実ですよ。使用用途を知らなかった・・・・・・ので」


 シィには悪びれる様子が一切見られなかった。


 その姿に、恐怖とも怒りともつかない気持ちが沸き起こる。


 自分はシィ・アクエルという人物を、何も知らなかったのだ。彼の恐ろしさを目の当たりにしたことで、レセリカはようやく思い知らされた。


 本来、元素の一族とは関わってはならないのだ、と。


 だが、オージアスは違う。王城で国王に仕える立場にある彼には胆力があるのだ。


 レセリカと同じ紫の瞳が、怒りに燃えていた。


「旦那様、落ち着いてください。お気持ちはわかりますが、彼が無実なのは間違いないのです。万が一にも水の一族が地の一族を害した場合、彼らも死に至るのですから。今、目の前でアクエルが生きているのが何よりの証拠です」


 そんなオージアスを抑えるように前に出たのは、ダリアだった。


 元素の一族だからこそ知る水の弱点には驚かされたが、それ以上にシィには何を言っても無駄だということがよくわかった。


 元素の一族の者を、彼を裁くことは出来ないということが。


 オージアスは一度、長い息を吐きながら目を閉じた。


「……この件は、陛下に報告させてもらう」

「どうぞ、ご自由に。この情報はすでに貴方のものですから」


 どのみち、裁かれるのは殺害を企てたシンディーのみ。そして、すでに処刑されている者をこれ以上は裁けない。


 オージアスは、どこにも向けられない怒りを飲み込むことしか出来ず、シィは穏やかに微笑むだけであった。


 自分の用意した毒で王女を死に追いやったというのに、シィは一切気にした様子がない。

 わかっているのに、まったく悪いと思っていないのだ。そのことが、レセリカには何よりも恐ろしく感じた。


(どうして、こんなにも無関心でいられるの……?)


 元素の一族、その全員がそんな感覚を持っているわけではないことはわかっている。わかってはいるが、そういった者たちが多いらしいことは理解している。


 ダリアやヒューイがそんな人たちの中で育ったのかと思うと、レセリカは心が苦しくなる思いがした。


「話を戻す。つまり、あの学園には何も仕込んでいないということか。お前の毒で誰かが死ぬことはない、というのだな?」

「それは間違いありません。依頼の延長で多数の生徒に色んな話はしましたが、毒は渡していませんし、誰かを害すようなことも、唆してもいませんよ。そもそも、学園と王妃との契約で出来ないようにされていましたしね」


 確かにシィは、学園にいる限り誰かを害するような言動を取れなかった。ヒューイの報告からもそれは間違いない。

 一時期、ヒューイがシィを見張れなかった時期はあったが、少なくとも不審な行動はしていないはずだ。


 逆に言えば、解雇された今ならなんでも出来るとも言えるのだが。


 ただシンディーとの契約も切れている以上、誰がどうなろうと興味を抱かないシィが個人的に何かをするとも考えにくい。


「それならば、お前はイグリハイム学園で誰にも、何も吹き込んでいないな?」

「その吹き込む、というのが何を指すのかによりますねぇ。相談しに来た生徒にはアドバイスくらいしますし。その全てをお答えするのは、さすがに難しいですから」


 ただ、相談内容はどれも勉強に関することや恋愛に関することなどで、学生らしい相談にしか乗っていないという。


 生徒たちの個人的な相談事を全て教えてもらうわけにはいかない、というのもわかる。


 しかしシィは、一つだけ例外がありました、と人差し指を立てた。


「あの女は、随分な口を叩きましてねぇ……。依頼人は神様だとでも勘違いしていたのでしょう。僕、少しだけ苛立ってきまして」

「何の話をしている」

「いえ。ちょっとした意趣返しをしてしまったのですよ。僕個人の、勝手な判断で。衝動的に」


 いつでも計算で動くシィにしては珍しい、と感じる。


 黙って話の続きを待っていると、今度は心底楽しそうに口元に笑みを浮かべながら続きを語った。


「もう彼女の依頼をこなす気はなくなっていましたからね。うっかり彼女による悪事の証拠を、わかりやすい場所に置いてしまったかもしれません」


 口角を僅かに上げて告げられた言葉には、誰もが目を丸くした。が、納得もしてしまった。


 あまりにも簡単に証拠が集まったとは思っていたのだ。水の一族に関する情報が秘匿されていなかったおかげで、ヒューイは難なく情報を集められたのだから。


 今頃、ヒューイは悔しさに顔を歪めているかもしれない。


「それと。ちょうどフレデリック殿下がご乱心なさったのを見かけましてね。くくっ、リファレットさんにちょっと言いくるめられただけで、あんな風に癇癪を起こすなんて。随分とお子様ですよねぇ」


 リファレットの名が出た瞬間、レセリカはピクリと反応してしまう。その後の話がなんとなく予想出来てしまったのだ。


「ただ、かわいそうな方だとは思いますよ。彼に罪はありませんから、酷いことはしていません。少しだけ、殿下には助言させていただいたのです。リファレットさんをレセリカさんから引き離すなら、アディントン家から追い出せばいい、と」


 その言葉を真に受けて、フレデリックは母親に相談した。シンディーにとっても、レセリカの守りが緩むのは好都合だったはずだ。


 フレデリックからシンディーへ話が伝わり、そして彼女が愛人であるドルマンをうまく言いくるめた結果、リファレットをアディントンから追い出すことに成功したというわけだ。


「おかげで、彼は罰から逃れられたでしょう?」


 先にアディントンと縁を切られていたおかげで、リファレットが罰を受けることはなかった。


 シンディーの罪が暴かれたのも、リファレットに被害が及ばなかったのも、全てシィのおかげと言わざるを得ない。


 だというのに、誰も彼にお礼を言う気にはとてもなれないのであった。

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