第160話依頼人と八つ当たり
シィ・アクエルは不機嫌だった。それはもう、過去最高に。
とはいえ、依頼人からの要望には出来るだけ答えてこそプロ。いつも通りの笑みを張り付けたまま、シィは目的の部屋のドアをノックし、静かに入室した。
「何か急用でしょうか。出来るだけ手紙で、と申し上げたはずでしょう? 困った方ですねぇ」
不機嫌さを微塵も感じさせない穏やかな口調でシィは言う。彼が苛立っていることなど、誰にも気付かれないだろう。
「あら。呼び出された理由がわからないとは言わせないわよ」
呼び出した部屋の主もまた、不機嫌であった。ただしこちらはその不機嫌さを隠す気もないようだ。
艶やかなシルバーブロンドの髪を首の後ろでまとめた貴婦人は、赤い口紅と程よく濃いめの化粧により妖艶な雰囲気を纏っている。
緩やかに巻かれた長い前髪が顔の横で揺らし、フレデリックによく似た深い青の瞳でシィを睨みつけていた。
「貴方、依頼をこなせていないじゃない。どういうこと? おかげで次の手に進めないわ」
「せっかちな方ですねぇ。手紙、受け取りましたよ。そちらについては今の依頼が終わればいつでもご用意できます」
強気な態度で言い放つ妖艶な女性、シンディー・バラージュは高圧的な態度で告げてくる。
一方、シィの方はまるでそよ風でも吹いているかのような余裕の態度を崩さない。
「そんなことは当然じゃない。毒の手配も出来ないようじゃ、もはや水の一族の価値なんて何もないもの。その程度で誇らしげにしないでもらえる?」
「それはそれは……申し訳ありません」
あからさまに煽られたというのに、シィの表情は変わらない。相変わらず感情の読めない笑みを顔に貼り付けたままだ。
だが、見る人が見れば恐ろしい状況だといえよう。いつシィの怒りが爆発してもおかしくはないのだから。
「なによ、その態度は。無能のレッテルを張られたくなければ、さっさとフレデリックの件をどうにかしなさいよっ! じゃないと次の依頼を受けてくれないんでしょ? ほんと、融通が利かないったら」
シンディーは腕を組み、イライラと指先で自身の腕を叩いている。よほど、シィに依頼した件をさっさとこなしてほしいようだ。
随分な言い草ではあったが、どれだけ相手がクズでも報酬が出る以上、依頼は依頼。
とはいえ、今回の依頼は最初からうまくいかないと確信していた。依頼を引き受ける時にもそう告げており、それでもいいからと半ば無理やり仕事を押し付けられた形なのだ。
そもそも、やる気自体シィには元からなかったのである。
「そうは言いましても、人の心を動かすのは一筋縄ではいきません。かなり時間が必要だということも、お伝えしたでしょう? 何より、フレデリックさんご本人が頑張っていただかなければ話になりませんから」
「はぁっ!? アンタ、私の息子が無能だとでも言いたいのっ!?」
そんなことは言っていないというのに、勝手に言葉の意味を解釈してシンディーはヒステリーを起こす。
今さら驚きはしない。いつものことだからだ。それに言わなかっただけで思ってはいるのだから。
「そんなことは言っていませんよ。ただ、別のお客様からの依頼も立て込んでいましてね。思うように進まないのですよ。ご理解ください」
シィはその能力の高さゆえに忙しい身だ。依頼を何件も同時に受けている状態もザラにある。
「ふん。ドルマンの依頼でしょ。そっちもあまり進展はないと聞いているけれど」
「おや、ご存じでしたか。ではその件については隠す必要がなさそうですね。アディントン伯の依頼は今後、さらなる進展が見込めるかと思いますよ」
ドルマンの依頼。シンディーはそう言うが、実際は彼女がドルマンに依頼させているということをシィは知っていた。
水の一族は、同じ人物から一度に一つしか依頼を受けない。同時にあれもこれも、という依頼はいくら積まれても絶対に引き受けないのだ。
そのため、シンディーは次に頼みたいことがあっても、今の依頼が終わるまで待つしかない状況なのである。
考えたシンディーは、ドルマンという愛人を利用することにした。どうしても、同時進行で頼みたいことがあったからだ。
「でも、本当にあの馬鹿真面目なドルマンの息子が計画通りに動くかしら。ドルマンをどこまで信じるかも考えものね」
シンディーは聞いてもいないのにベラベラとよく喋る。
心情的には心底鬱陶しいのだが、新たな情報が勝手に入手出来るのは良いことだ。
シィはひたすら笑顔を張りつけて、脳内へ叩き込むことに集中している。
「リファレット・アディントン。彼は騎士科の特別枠として、今はレセリカさんの護衛をしているようですから。彼女を通じて、セオフィラス殿下とも親しくなれるのではないかと」
「あっそ。ドルマンがどうしてもっていうから、あの息子を利用することに賛成してやったけど、回りくどいったら。冷徹令嬢を利用した方が早いのに。はっ、私を手放したくないからって必死すぎよね。自分の息子まで使うなんて。馬鹿な男」
組んでいた腕をさらにギュッと閉め、シンディーはご自慢の豊満な胸を寄せ上げる。
シィが馬鹿な男とやらであったなら、今頃鼻の下を伸ばしていたことだろう。
「でも、もう待てない。私は私で、勝手にあの冷徹令嬢を利用させてもらうわ。やっぱり男なんて信用出来ないもの」
シンディーはシィに対しても、暗に「お前もだぞ」とでも言いたげに睨んできたが、シィは華麗に気付かないフリを続けた。
「ところで、そろそろお暇しても? 今回、僕を呼び出したのは早く依頼をこなせというお叱りを言うためだったのでしょう? もう用は済んだはず」
「は? アンタ、まったく反省の色が見えないわね。いい? さっさとフレデリックとレセリカの仲を取り持つのよ。フレデリックは最高の息子だもの。ちょっとしたきっかけさえあれば、あの冷徹令嬢もコロッと落ちるはずよ」
「善処いたします」
シンディーの告げた言葉には多少、いやかなり言いたいことはあったが、その全てを飲み込んでシィはただ一言を感情のない声色で告げた。
「あんまりにも遅いようなら、報酬は減らしますからね。用件は以上よ。さっさと出て行ってちょうだい」
ただ鬱憤を晴らしたいがために自分を呼び出し、さらに追い出そうとするシンディーに何も言い返さなかったシィは、鋼の精神力を持っているかもしれない。
「まったく。依頼主の方が立場が上だと勘違いしているのでしょうね。これはビジネス。対等な立場であると
部屋を退室し、すぐさま彼女の住む屋敷を後にしたシィは独り言を溢しながらニィと笑う。
「次は、ない」
むしろ、次も同じ態度で来てくれればいい。シィはどこまでも冷たく、暗い目でそう言い捨てた。
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