第157話元婚約者と煽り
クライブは事実を知った感動を噛みしめた後、目を輝かせてダリアに近付く。
大きくゴツゴツした手でダリアの頬に触れ、そのままガシッと顎を摑んで上を向かせた。
「俺は今ァ、気分がいい」
「私は最悪です」
光を失ったかのような黒い瞳。以前は真っ赤なルビーのような美しさだったが、これも悪くないとクライブは言う。
「やっぱ、お前はいい女だナァ……?」
「貴方は昔から変わらずクソですがね」
「そいつぁ褒め言葉と受け取っておくぜェ」
近付けられる顔に、ダリアは眉一つ動かさずただクライブを見つめ続けた。
クライブもまた、鼻先がつきそうでつかない距離を保ったまま話を続ける。ねっとりとした話し方はとても鼻につくのだが。
「よっぽど、運命を変えたかったってことだナァ? お前は自分に執着しない。つまり、時間を巻き戻したのは他の誰かのためだァ。依頼主……じゃねぇナァ。風の一族みてぇに、主人でも決めたかァ?」
「そこまで貴方に話す気はありませんね」
「最初からお前はほとんど喋ってねぇだろォ。ま、それが答えってこったナァ?」
人の心を見透かしたかのような物言いに、ダリアは無意識に舌打ちをする。何もわかってない癖に知ったような口を利かれ、ダリアの機嫌は過去最高に悪かった。
「それで? やり直してどうだァ? うまく人生回ってるかァ?」
「貴方には関係のないことでしょう」
「関係あるだろォ? 元婚約者じゃねぇか」
「名ばかりの、ね。親しかった覚えはありません」
他の元素の一族はどうか知らないが、火の一族はその血を濃く保つために同族同士での婚姻しか認められていない。
当然、一族の人数は年々減ってきている。しかも血筋が近すぎる者同士での婚姻、出産が増えることで、彼らの凶暴性が増しているという噂があった。
クライブは特に血が濃い生まれであり、火の特性をわかりやすく受け継いでいる。
つまり、元婚約者だなんだと言いながらダリアとの距離を詰めてはいるが、そこに一切の愛情はない、
ダリアはついにグイッとクライブの身体を押し、距離を取った。そのまま、忌々しげに鼻を鳴らす。
「私に興味もないでしょう」
「んー? まぁナァ。お前にゃねぇが」
クライブはスッとレセリカたちのいる部屋に視線を向けてニヤッと笑う。
「あのお姫サンには興味がある」
「殺しますよ」
「シシッ、お前に俺が殺せるかよォ」
実際、ダリアにはクライブに勝てる力などない。だが、刺し違えてでも殺してやるという意思だけはあった。
隣室にヒューイがいることもあってあまり殺気を出すことは出来なかったが、その意思はクライブに十分伝わっているだろう。
しかしクライブ本人は一切気にした様子もなく、さらに楽しそうにダリアを煽った。
「だがまぁ、安心しろ。命令がない限り殺しはしねぇ。今のところ敵じゃねぇからナァ……味方でもねぇが。ま、個人的な興味ってヤツだァ」
「……人に興味を持つだなんて、どういった風の吹き回しですか」
ダリアは途中から彼に対して違和感を覚えていた。どうも、昔のクライブとは少し様子が違うようだ、と。
やり直す前は、こうしてクライブとエンカウントすることもなかったため、彼と会うのは本当に久しぶりだった。
会っていない期間に人が変わるのは不思議ではないが、クライブのことを良く知っているだけに、彼がそう簡単に変わるものだろうかという疑問が浮かぶのだ。
「文字通り、風が吹いたから、かもナァ?」
「っ!?」
しかし、そんな思考を吹き飛ばす発言が彼から飛び出す。クライブは暗に、ヒューイの存在に気付いていると言っているのだ。
いや、考えてみればわかることだ。火は風に強い。それに、一度この二人は会ったことがあるのだ。気付かないわけがなかった。
ダリアは己の浅慮さに苛立ち、奥歯を噛みしめた。
「この俺が、風の気配を察知出来ねぇとでも? シシッ、ここまであからさまによォ、あの姫サンにピッタリ貼り付いてやがればナァ? そっちこそ、風のヤツとつるむなんてどういう風の吹き回しだぁ? 女の武器で迫ったかァ? てめぇで一度
「っ、馬鹿な、ことを……!」
「おっと、後悔してんのかァ? 人間らしい感情を持ってたんだナァ、意外だぜ」
くだらない冗談に付き合う気も、余裕もダリアにはなかった。
もし、レセリカに何かをしようというのなら、ここで始末するしかないだろうかと考えてしまうほどに。
(……いえ、ヤツから殺意は感じられない。これはいつものヤツの手口。挑発に乗ってはダメね)
しかし、ギリギリのところで深呼吸を繰り返し、冷静を取り戻す。レセリカのこととなると、沸点が低くなってしまうのがダリアの欠点だ。
「お前と風のヤツが必死になって、俺から姫サンを守ろうとする遊びもしてみてぇが……あまり目立ったことは出来ねェ。ったく、マジでこんな依頼なんか蹴っちまえばよかったぜ」
やはり、ダリアの知るクライブとは少し違う。以前までの彼なら、自分の気分を最優先にしてその遊びとやらを実行したに違いないのに。
「貴方なら、何も言わずに放り投げそうなものですけれど」
「そうもいかねぇのさ」
思ったことをそのままダリアが口にすると、クライブは意外にも少しだけ物悲しそうに目を伏せた。
彼のこんな表情を、ダリアは見たことがなかった。
「野望のためにナァ」
「野望……?」
「そうさ。お前だけにあると思うな? ヤボウってヤツがよォ」
クライブはそれだけを言い残すと、天井の梁から音もなく床に着地した。ダリアも反射的に彼を追うように床に降り立つ。
レセリカたちの部屋にでも行くのと身構えたが、どうやらこのまま立ち去るつもりらしい。自然とダリアの顔も歪む。
「何をしに来たのですか、貴方は」
「言うわけねぇだろォ。だが、せっかくの再会だァ。一つだけ教えてやるよ」
ポケットに手を突っ込んで歩き去るクライブは、振り返ることなく最後に告げた。
「シィ・アクエルには気をつけろ」
「……言われるまでもないことです」
そうかよ、とクツクツ笑ったクライブは、今度こそ姿を消した。
後に残ったダリアはただただ不快な感情を残し、拳を握りしめてその場に立ち尽くす。
「後悔は、していませんから……」
ダリアの脳裏に、前の人生で殺したヒューイの顔が浮かぶ。
奴隷となり、ボロボロな姿だった彼がダリアに刺されたその瞬間……ホッとしたように笑んだ、その顔を。
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