第35話ラティーシャ・フロックハート1
ラティーシャは苛立っていた。しかし、焦りはない。むしろ思っていたよりもレセリカという公爵令嬢は騙しやすいと思っている。
それならなぜ、苛立っているのか。それはレセリカがどこまでも清廉潔白だからだ。ラティーシャには彼女が綺麗事を言っているようにしか聞こえない。
ラティーシャは伯爵令嬢ということでそれなりに教育を受けている。親友たちの中でも頭が良く、行動力もあって優秀な部類に入るだろう。
しかし、そのレベルはレセリカには遠く及ばない。よく、とても出来た娘さんだと名前を上げられるラティーシャだったが、いつも決まって話題はレセリカへと移るのだ。あの公爵令嬢は将来が楽しみだ、さぞ美人に育つだろうと皆が口を揃えて褒めそやす。
(なによ。みんなしてレセリカ、レセリカって! 目の前にいるのは私よ!?)
生まれつき備わっているセンスや前の人生での経験を無視しても、努力の量からして大きな差があるのだからレセリカに注目が集まるのは仕方のないことだった。
だが、自分が一番でないとラティーシャは許せない。他のことで勝てないならせめてと、自分の強みである「可愛らしさ」を徹底的に磨き続けているのだ。
それでも上には上がいるという事実はラティーシャを常に苛立たせた。そんな折に、一目惚れして恋焦がれている王太子の婚約者にレセリカが選ばれてしまう。
報せを聞いた新緑の宴では、怒りで目の前が真っ白になった。大暴れしなかった自分を褒めたいとラティーシャは今でも思っている。
しかし、ラティーシャも馬鹿ではない。一度冷静になって考えを巡らせる程度には知恵も回った。
その考えた内容というのが、レセリカを知って弱みを握るためにお茶会に呼び、あわよくばけん制したい、というものである辺りまだ子どもの浅はかな計画ではあったのだが。
「さ、皆さん。二次会と参りますわよ」
レセリカを見送り、屋敷へと戻ったラティーシャは談話室にて声をかけた。ソファーで寛いでいたのは二人の令嬢、アリシアとケイティだ。
先に帰ったと見せかけて、裏口側に戻ってきていたのである。
この二人はラティーシャと幼い頃からの親友であり、今日のお茶会の目的も知らされていた。いわば、協力者である。
「思っていたよりもずっととっつきやすい人でしたわね。レセリカ様って」
早速アリシアがレセリカに対する率直な印象を口にする。協力はするものの、別に彼女はレセリカに対して思うところはない。
見た目の印象から冷たくて怖い人だと思っていたから身構えてはいたが、実際に話してみればなんてことのない、自分たちと同じ側面も持っている普通の令嬢らしいことがわかったのだ。ゆえに、アリシアの印象は上方修正されていた。
「ふふ、ラティーシャ様がいつ癇癪を起こすかって、ドキドキしました」
一方、ケイティは正直なところ、レセリカに興味はなかった。彼女の興味は常に楽しい事柄にある。それが恋愛の話であっても、揉めごとであっても、退屈な日常を忘れられるのならそれでいいのである。
「ケイティ、悪趣味よ。嬉しそうに言わないで!」
「あら。私には癒やされているのではなかったのですか?」
「あんなの、あなたの表向きの印象を言っただけよ。もう、いいから作戦会議をするわよ!」
二人の親友はなかなか癖のある令嬢たちだったが、なんだかんだ言っていつも協力してくれる。
立場的に逆らえないのも多少はあるが、無邪気で子どもっぽく、それでいて頭の回転は悪くないラティーシャのことが嫌いになれないのだ。
「やはりキャロルはダメでしたわね。こちら側には回らなそうです」
「ああいう思い込んだら一直線なタイプは、味方に引き入れられたらレセリカ様を糾弾する時に勢いが増したでしょうに。残念だわ」
アリシアがキャロルの名前を出すと、ため息を吐きながらラティーシャが頬に手を当てた。
今回、キャロルという男爵令嬢を呼んだのはあまりにも身内だけで固まると不審がられるのではないかと心配したからに過ぎない。
あわよくば、商家の娘で顔の広いキャロルを味方に引き入れられれば都合がいいと思っていたのだが、そちらは断念せざるを得なさそうだとラティーシャは諦めた。
無理に引き入れなくても特に問題のない取るに足らない人物。それがキャロルに対するラティーシャの認識であった。
「……ねぇ、ラティーシャ様。本当にあの方と対峙するのですか? なんだか殿下ともうまくいきそうですし、勝ち目が低そうではありません?」
あれこれと意見を出し合い、話が一度途切れたタイミングでアリシアが控えめに告げた。
ただ、これで引き下がるラティーシャではないとわかっているようで、口元には笑みが浮かんでいる。
案の定、ラティーシャはムッとしたように口を引き結び、テーブルに両手を勢いよくついた。茶器がガチャンと音を立てて揺れ、中の紅茶が少し跳ねる。令嬢としては叱られる行いである。
しかし幼い頃からラティーシャの癇癪に慣れている親友二人は驚かない。
「先に殿下に思いを寄せていたのは私の方なのよ? レセリカ様ったら、まだ殿下をお慕いしてもいないのに……! 後からきて奪われるなんて嫌よっ」
言い分も子どもじみたものである。だがラティーシャからすれば自分の物を横取りされたのと同じなのだ。
反応がわかっていたアリシアは苦笑を浮かべ、ケイティはコロコロと笑う。
「あらあら、ラティーシャ様ったら子どものようにワガママさんですねぇ」
「う、うるさいわね、ケイティ! 貴女、どっちの味方なのよっ」
対応も慣れたものである。だが、からかわれているようでラティーシャとしては気に入らない。不機嫌そうにケイティを睨みつけている。
その視線を受け、ケイティはおっとりと微笑みながら静かに口を開いた。
「面白い方の味方ですよ? ラティーシャ様も知っているでしょう? 貴族社会なんて退屈なことばっかり。決められた相手と結婚して、子を産んで、一生退屈な日々を過ごすことが決まっているのだもの。ちょっとでも楽しそうなことがあったら乗っておかないと、本当に私の人生がペラペラになってしまいます」
八歳にしてすでに将来に希望を抱くのを諦めたかのようなケイティに、ラティーシャはもちろん、アリシアもウッと言葉に詰まる。彼女の両親はかなり厳格な人なので、その影響かもしれない。
「私、ケイティだけは敵に回したくありませんわね……」
「アリシア……気が合うわね。私も今同じことを考えていたわ」
「あら。私は何もしませんよ? 怖くなんてありませんよー」
三人の間になんとも言えない作り笑いが広がった。
「と、とにかく。レセリカ様がただ無感情なお人形ではないって情報は大きな収穫だわ。自分の意見も言えないお人形であればどれだけ楽だったかしれないけれど。でも、騙されやすいわ。私に手を差し伸べるなんて!」
キャハハ、と楽しそうに笑うラティーシャに、殿下を諦めるという考えは微塵もない様子だ。
「私は絶対に、殿下のお嫁さんになるんだから! 側妃でもいいわ!」
「え、それでよろしいのですか?」
「いいのっ! いずれ殿下の寵愛をいただくのは私だもの。どんな形であれお側においてもらうことが第一なのよ! 絶対に愛されてみせるわ」
「すごい自信……」
とにかくラティーシャは素敵な王子様に愛されることを夢見ている。お城での優雅な生活やお姫様という響きに酔いしれる年頃なのだ。
「仕方ありませんわね。ラティーシャ様とは長い付き合いになるでしょうし。出来ることなら協力しますわよ」
わかっていたことなのだろう。アリシアがラティーシャに微笑みかけると、ケイティも小さく手を上げた。
「あら。私だって楽しそうなことなら協力は惜しみませんよ?」
「……ケイティはブレないわね。まぁ、いいわ。楽しませてあげるからついてらっしゃい」
「ふふ、だからラティーシャ様って好きです」
こうして少女たちの二次会は終わりを告げる。このような会議は今後も続けられ、いつしか悪巧みへと変わっていく。この未来は変わらないようだった。
しかし、レセリカの前の人生の時とは違いもある。
それは、アリシアとケイティの認識である。「うまくいくだろう」というものから「うまくいくかはわからない」という僅かな認識の変化。
この小さな変化が、レセリカが前の人生で受けた「令嬢たちの嫌味の数々」に影響を与えるかもしれない。
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