第33話疑心と願い
令嬢たちがこれからの恋物語に思いを馳せていた時、そのフワフワとした空気を変えたのは、またしてもラティーシャだった。
「でも、心配ではありませんか? だって、あんなにも素敵なんですもの。いつか側室を取られるのではないかとか、そちらにお心を取られるのではないか、とか……」
ギュッと胸の前で両手を組み、悲しそうな表情で言うラティーシャは今にも泣きそうな顔をしていた。それぞれがそんな彼女の様子にハッとして心配そうな眼差しを向けている。
「ああ、ごめんなさい。最近、知り合いのお姉様方からそんな話を聞いてしまって、つい……。話に水を差してしまいましたわね」
目を伏せ、やや目を潤ませたラティーシャは庇護欲をそそる。
曰く、ラティーシャはいつか誰かと結婚をするのなら自分の好きな相手と、そして生涯自分だけを見てほしいと思っているのだという。貴族社会に生きている者の考え方としては甘すぎる考えだとレセリカは思ったが、他の令嬢たちも何度も頷いて同意を示していた。
年頃の少女はこういった願望を抱くのが普通なのだろうか。レセリカは内心で首を傾げた。同意は出来ないレセリカだったが、その考えを否定するつもりはなかった。
ただ、自分には自分の考えがある。前の自分だったら、ここで曖昧にそうですか、と言うだけだっただろう。
「……殿下のお心は殿下のもの。いつかそういう日が来たというのなら、私はそれを受け入れながら自分のすべきことをするだけよ。何も変わらないわ」
そう言われて育てられてきたのもあって、レセリカにとってはそれが普通だ。
というより、貴族社会では当たり前のことである。責任が重く圧し掛かる立場の殿下が、心をなぐさめるために自分だけでは不十分だと思われるのならそれも仕方ないと。
ここに集まった令嬢たちだって、皆そのくらいは理解しているはずなのである。納得出来ているかはわからないが。
「それはわかっていますわ! でも、そう簡単に割り切れるものではありませんでしょう? レセリカ様は気になさいませんの?」
やはり、納得はしていない様子である。ラティーシャはここぞとばかりに詰めてきた。泣きそうな顔で両手を組む彼女を見て、やや芝居がかっているとレセリカには思えた。
目を向けてみると、他の令嬢たちはそれに気付かず彼女の言葉に同意を示すように悲しそうな顔をしている。
(彼女がこの話をする裏の意図を抜きにしても、考え自体はみなさん、本心のようね)
その甘すぎる考えをレセリカの担当教育係が聞いたなら、数時間の説教コースである。似たような質問をもっと幼い頃に控えめに訊ねたレセリカでさえ、数十分説教をされたのだから。
そう、レセリカにだって彼女たちの主張がわからないわけではないのである。一度は同じ疑問を抱いたのだから。
共感は出来ないものの、理解は出来る。ここで説教じみた反発をしても聞き入れてはもらえないのもわかっていた。
ならば、素直に。自分の思っていることを、そのまま正直に伝えようとレセリカは決めた。
本当は、少しだけ怖いのだ。自分の考えが正しいとは限らないことを知っているし、それによってまた孤立してしまうのではないかと。
それでもと思うのは、やはりあの忌まわしき出来事が過るからだ。後悔だけはしたくない。レセリカは小さく拳を握りしめた。
「私が言ったのは、淑女としての心得です。それをいつも胸に置いておくだけで、いざという時に心構えが出来るのよ。もしも心が離れたら? それはその時に考えればいいことよ」
それがほぼ確実に起こり得ることなら、対策は必要だろう。そうならないために、普段から気を付けられることがあるなら努力だってする。
「まだ起きてもいないことで不安になるなんて、それこそ相手に失礼ではない? 今の相手を見て、知っていくことこそが、相手の方を想うということなのではないかしらって……私は思うのよ」
人生の終わりなんて、いつ来るかわからないのだから。今、この時の幸せを大事にすることがどれほど重要か、レセリカは嫌というほどわかっている。
「私は、まだ見ぬ未来には絶望ではなくて、幸せを見たいわ。皆さんは違うのかしら……?」
思い出すのは処刑台。悲痛な叫び、罵倒。だからこそ、未来に幸せを見出したいと願うレセリカの思いは切実だった。
もちろん彼女たちにそんなことはわからない。冷たいと思われても仕方ないとレセリカはやや諦めモードである。
「レセリカ様……。ええ、ええ。そうですよね。不安に思ってばかりだと、楽しく過ごせませんよね!」
最初に、熱のこもった目でレセリカを見つめながら言葉を発したのはキャロルだった。
商家の娘である彼女にとって、相手の意見を否定しない話し方は身に染み付いた習性でもある。だが、彼女の様子を見るに、今の言葉が本心であることが伝わってきた。とても素直な令嬢である。
「私、反省しますわ。確かに、最初から疑ってかかるなど失礼な行いですもの」
「私は……それでも、いざとなったら疑ったり、嫉妬してしまうかもしれませんわ。でも、今の言葉は刺さりましたもの。しっかり覚えておいて、その時が来たら思い出そうと思いますわ!」
続けてケイティが恥ずかしそうに微笑みながらポツリと呟き、最後にアリシアが拳を握りながらそう告げた。
(このお二人はたぶん、本心ではないわね……)
あまりにもあっさりとした返答はわざとらしく見え、とりあえず同意を示しただけという印象を受ける。
だが、そう思うだけで真実はわからない。本心かもしれない。偉そうなことを言っておいて、レセリカこそ彼女たちを疑ってかかっており、それがまた心苦しかった。
一度、そんな思いをグッと飲み込んでレセリカはラティーシャに向き直る。伝えるのなら最後までしっかりと、と。
「ラティーシャ様、怖いと思うのは当たり前のことよ。私だって、本当にそんなことがあったらショックを受けるかもしれないもの」
ラティーシャは悲しそうに眉尻を下げたままこちらを見ている。潤んだ瞳も相まって、まるでレセリカが悪者のようだ。
けれど、レセリカは気にせずそのまま続けた。
「けれど、そんな時は相談に乗ってくれる人がたくさんいるのでしょう? ラティーシャ様には、優しいお友達が多くいるもの。きっと味方になってくれるわ」
そうでしょう? と令嬢たちに視線を送れば、それぞれが慌てたようにもちろんですわ、と声を上げる。僅かな困惑の色が見てとれた。
レセリカにとって、ラティーシャはあまりよくない存在だ。だからこそ、この場にいる令嬢たちのことも疑ってしまう。恐怖はどうしても拭いきれないからだ。
けれど、「今」はまだ何も起きていないのだと自分に言い聞かせる。もう少し素直に、彼女たちを信じてもいいのではないか、と。
全てが怪しく見えるし、みんなが敵に思える。そんな彼女たちを信じるというのはとても勇気のいることだったが、レセリカはそれを選んだ。
「……私もよ。もし必要なら、あなたが困った時には助けになりたいって、そう思っているわ」
今のレセリカにとって、ラティーシャはお茶会に呼んでくれた一人の令嬢であってそれ以上でも以下でもない。敵対するのは、まだ早い。そうであってほしいという願いでもある。
だからこそ偽りのない言葉とともに、彼女に手を差し出した。
この手をラティーシャは掴んでくれるのかどうか。レセリカは心臓が飛び出してしまうほど緊張しながら彼女の反応を待った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます