第12話姉弟と安眠


 新緑の宴まであと一週間。冬に誕生日を迎えたレセリカは八歳となっていた。


「姉上、顔色が悪いようですが……」


 朝食の席で、ロミオが心配したように声をかける。彼もまた最近誕生日を迎えて現在は七歳。一年前よりだいぶ背が伸びていた。


「たぶん寝不足ね。緊張しているのかもしれないわ」


 弟の心配に、レセリカは正直に答えた。ただ、全てを話しているわけではない。


(悪夢を見ているなんて言ったら、余計に心配させてしまうもの)


 レセリカはやり直し人生が始まってからというもの、度々あの忌まわしい過去を夢に見ていた。


 薄暗い地下牢、冷たくて重い鎖、人々の罵声。そして、首を落とそうとする断頭台の刃。

 いつも、断頭台の刃が落ちた時に跳ね起きるのだ。汗をかき、心臓は早鐘を打つ。その夢を見た後はどうしても眠れず、不安な夜を明かしていた。

 そのまま寝てしまえば、今の生活が夢になってしまう気がして怖かったのだ。


 そしてここ最近は毎晩その夢を見ている。新緑の宴の日が近付いて、無意識に緊張しているからだとは思うが、レセリカはそこはかとなく嫌な予感を覚えていた。

 もしかしたら、そこで今後の運命が変わるような何かが起こる、その予兆なのではないか、と。


 考えすぎといえばそうなのかもしれない。だが、死んだはずなのに子どもの頃に戻っているというあり得ない事態が実際に起きていることもあって、そういった予感は無視出来ないとも感じる。


 そう思うと不安で仕方なくなり、最近は食欲も落ちていた。ドレスのサイズが合わなくなるので、必死で食事を詰め込んでいる日々だ。


 けれど、それを表に出すことはない。静かで物腰柔らかく、表情をほとんど変えないレセリカの変化には皆、気付きにくいのだ。

 ただ、さすがに寝不足が続くと顔色の悪さでこのようにロミオにバレてしまうのだが。


「ちゃんと眠らないとダメですよ? 顔色が悪くても姉上は美しいですが、やはりデビューの時は一番綺麗な姉上でいてほしいですし。何より、倒れてしまわないか心配です」

「ありがとう、ロミオ。随分と女性への褒め言葉が上手になったわね」

「も、もう! 茶化さないでくださいっ」


 姉に褒められて頬を染めたロミオだったが、それだけでは誤魔化されてくれない。なかなか鋭い弟に、レセリカは白状することを決める。

 最近ではすっかりロミオ相手になら本音を隠さず言うことにも抵抗がなくなっていた。


「ごめんなさい。でもね、私もちゃんと眠りたいって思っているのよ?」

「あっ、姉上……」


 少しだけ困ったように目を伏せた姉を見て、ロミオはハッとなる。それから慌てて頭を下げた。


「ぼ、僕こそごめんなさい、姉上! 無神経なことを言ってしまいました。眠れなくて辛いのは姉上の方なのにちゃんと寝てほしいだなんて……」


 今度は急に謝られたレセリカの方が慌てる番だ。目を軽く見開くだけであまり動揺したようには見えないのだが、レセリカはしっかり慌てている。

 実際、この後なんと声をかけてよいかわからず、数秒ほど二人の間に沈黙が流れてしまった。


「あ、あの! 姉上、今日は僕と一緒に寝ませんか!?」

「えっ」


 居た堪れなくなったのだろう、思わずといった様子で叫んだロミオだったが、すぐにとんでもないことを言ってしまったことに気付いてみるみる顔が赤くなっていく。いっそ、かわいそうになるほどに。


「えっ、えっと! 人の体温を感じると、なぜかよく眠れると言うではないですか! あのっ、別に変な意味ではなく! た、ただ僕は、姉上がぐっすり眠れたらなって、それで!」

「わ、わかっているわ。落ち着いて、ロミオ」


 慌ててあれこれ説明するロミオだったが、言えば言うほど自分がおかしなことを言っている気がしたのかついに黙り込む。レセリカのフォローする言葉も今のロミオには辛かった。

 ロミオは両手をテーブルにつき、頭をゴンッと打ち付けた。食器がカチャンと音を立てる。行儀の悪い行いだが、今の彼には余裕がないのである。


「……忘れてくださいぃ」


 小さな声で呟くロミオを見ていたら、レセリカはフッと肩の力が抜けるのを感じた。

 悪夢を見る日々が続いていて、無駄に気を張っていたのかもしれない。それなら、たまには気分を変えてみることも大事だ。そうなるとロミオの提案はいいもののように思える。


「今日は一緒に寝ましょうか。小さい頃のように」

「ね、姉様っ!?」


 驚いて顔を上げたロミオは、思わず昔のように姉様と呼んだ。ベッドフォード家の次期当主であり、もうすぐデビューを控えている最近のロミオは少し大人びてきたが、今の表情は昔のようにあどけない子どもの顔だ。

 それがなんだか懐かしくて、レセリカは幼い頃のことを思い出す。一度、濃い人生を過ごした記憶があるからか、かなり昔のことのように思える。


 夜、寂しくてレセリカの部屋にやってきたロミオとベッドの上で話している内に、いつの間にか寝てしまうことがよくあったのだ。

 翌朝、侍女にそれを見付けられてロミオがそっと自分の部屋に運ばれていくのを見送った記憶は、今もレセリカの胸に優しい思い出として残っている。


 確かに、ロミオと隣に並んで寝転んでいると温かくて、安心出来て、いつの間にかウトウトしていた。本当にぐっすり眠れるかもしれない。


「私たちはまだデビュー前の子どもだもの。何も問題ないと思わない?」


 懐かしいことを思い出す内に自然と微笑んでいたレセリカは、向かい側の席からロミオの顔を覗き込むように見つめた。

 ロミオは一瞬、呆気にとられたようにぽかんと口を開けると、じわじわと嬉しそうに頬を緩めていく。それから満面の笑みで答えた。


「はいっ! 今の内ですね!」

「そうね、今の内よ」


 恥ずかしかった気持ちはあっという間に吹き飛び、その日の夜は約束した通り二人はロミオの大きなベッドで一緒に眠った。もちろん、心配させないように使用人には事前に伝えてある。父には内緒にしてほしい、とだけ伝えて。


 姉弟は眠くなるまで昔の思い出をヒソヒソと話し合う。時折、ロミオが楽しそうにクスクス笑う声が暗い寝室に静かに響く。

 その日ばかりは、公爵家の姉弟はただの八歳と七歳の子どもであった。


 レセリカはこの日、久しぶりに夢も見ずに朝まで眠り続けた。

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