第8話ベッドフォード家の変化


 レセリカは生真面目である。


 勉学、作法、ダンスを完璧にこなすことはもちろん、社交界のノウハウを会得し、さらには貴族社会の相関図なども全て記憶するということを文句一つ言わずにやってのける。

 それだけにとどまらず、レセリカは領ごとに抱える問題や特産品、また日々移り変わっていく各領地の近況にいたるまでを、大まかにではあるが常に把握していた。


 七歳でそれが成せるのはひとえに一度覚えたからではあるのが、それを記憶していつでも引き出せる能力はなかなか身につくものではない。

 なお、本人にはすごいという自覚はなく、努力すれば誰でも会得出来ると本気で思っている。だからこその生真面目でもあった。


「たくさんワガママを言ってしまったもの。その分、もっと勉強しないといけないわね」


 そして現在、本来なら学ばずとも問題のない分野にまで手を出そうとしていた。末恐ろしいお嬢様である。

 ちなみに、たくさんのワガママというのは来年の新緑の宴でデビューしたいというアレである。レセリカのワガママの基準は少々おかしかった。


 つまり、相変わらずレセリカは有能がゆえに何でもかんでも詰め込みすぎるし、背負い込みすぎるし、真面目すぎるのだ。そういった部分は性格であるし、いくら人生をやり直すことになったとはいえそう変わるものではない。

 だが、ちゃんと自分の気持ちを口に出そうという意識は持つようになっていた。


 そのわずかな意識が、このベッドフォード家に確かな変化をもたらしている。


 そもそも、ベッドフォード家は最初から今のように緊張感の絶えないような家ではなかった。ロミオを出産した後、若くして亡くなったレセリカの母リリカがこの屋敷のムードメーカーだったのだ。


 感情表現が豊かで、それでいておっとりとしており、ちょっぴり無邪気。そんな彼女は鉄仮面な夫オージアスの考えを誰よりも理解することが出来た。

 オージアスは普段から無表情で怖い雰囲気を纏っている。それが不機嫌になると周囲の気温が何度か下がる勢いで恐ろしい。


「お茶にしましょう、あなた。食べないのなら私が二つとも食べてしまうわよ?」


 彼女は、怒りのオーラをまき散らす彼に対して臆することなくニコニコと近寄り、お茶とケーキを一緒に食べ始めるような強者であった。そのおかげで屋敷の平和は保たれていたのだ。


 オージアスもまた、そんな彼女を心から愛し、頼り切っていた。彼女が自分のことを理解してくれていればなんの問題もないと、己の態度を改める努力を怠っていたのだ。


 だからこそ、彼女亡き後の屋敷はお通夜状態が続いた。唯一の救いはまだ幼かった娘と息子の存在だ。使用人たちは癒しを求めて子どもの世話をやりたがったという。

 それでも、主人の放つ恐ろしいオーラに耐え切れず離職していくものは多かった。


 子どもたちがある程度成長すると、再び屋敷の雰囲気は悪くなった。聡いレセリカは父に迷惑をかけぬようにと人一倍の努力をしたし、感受性が豊かなロミオは父を怒らせぬようにと大人しくなっていったからだ。

 二人とも、決して父のことを嫌ってはいない。尊敬もしていたし、望まれたようにあろうと努力する素直な心を持っている。


 だが、お世辞にも父親を好いているようには見えなかった。


 そのため、どうしても屋敷の雰囲気はどこか冷たいものになっていた。不仲ではないのに常に緊張感が走っている。ベッドフォード家とはそういう場所になっていたのだ。


 それが、レセリカが少し意識を変えただけであの頃の平和が訪れようとしている。


 変えようと決意したのは、父がただ不器用なだけかもしれないと気付いたからだ。相手を知るには、関わる必要があると学んだレセリカは、父に出来るだけ毎日会うようにすることから始めた。


「おはようございます、お父様」

「いってらっしゃいませ、お父様」

「おかえりなさい、お父様。今日も一日お疲れ様でございました」


 たったこれだけである。

 挨拶は毎日同じであったし、オージアスも「ああ」と一言返すだけの素っ気ないものだった。しかも、互いに無表情。傍から見たら、仲が悪いのではと思われることは間違いない光景である。


 だが、これまでを知る使用人たちからしたら劇的な変化であった。そもそも、親子が顔を合わせること自体が稀だったのだから。

 しかも日々、確実に雰囲気が柔らかいものへと変化しているのを使用人たちは肌で感じていた。毎日この屋敷で働き、家族を見守ってきた者なら誰もが気付いた変化である。おかげで屋敷の居心地は格段に良くなっていた。


 ただ、レセリカにそこまでの意図はない。


(あんな未来が来ないようにするつもりだけれど。家族との時間を大切にしたいわ)


 忌まわしき断罪の記憶を思い返す度に湧き上がる、いつか急に家族と別れてしまうかもしれないという恐怖。

 後悔しないために今を大切にする、というのも理由の一つだった。


 そのため、ロミオとも一緒に過ごす時間が増えている。勉強を教えたり、休憩の時間を合わせてお茶をしたり、護衛をつけて一緒に街へ出かけたりもした。ロミオにとってはパラダイスタイムである。

 結果、感情豊かなロミオの明るい声がまた屋敷に響くようになったのだ。まるで、リリカが存命だった時のような明るさが屋敷に戻ってきたのであった。


 使用人たちはそれが全てレセリカのおかげだと気付いていた。当然、彼女に感謝したし、生涯仕えようと改めて心に決めた者も多い。


「レセリカ様。今日は天気がとても良いです。ランチは庭でなさいますか?」

「え、っと。それはとても素敵な提案だけれど。準備が大変なのではないかしら?」

「問題ございません。レセリカ様がそうされたいのであれば、喜んで準備いたします!」


 ただ、使用人たちがレセリカに尽くしたい理由はそれだけではない。


「そ、そう? じゃあ、お願いしてもいい? その、ワガママを言ってごめんなさい」


 甘やかせば甘やかすほど、無表情なレセリカの超絶可愛らしい反応が見られるからだ。今も頬を染めて俯く姿が奥ゆかしい、と侍女の心を癒している。


 どこまでも不器用で、控えめで、生真面目な彼女にワガママを言わせるのが、使用人たちの間で軽くブームになっているのである。

 一方でワガママを言った分、レセリカは勉強を頑張るのでますます有能になっていく。


「姉様、今日はお庭でランチなのですね!」

「ええ。準備してくれた皆さんにお礼を言いましょうね」

「はい! 皆さん、ありがとうございます!」


 木漏れ日射す庭の一角が、穏やかな空気で満たされる。少々寒くなってきた季節だが、ここだけはほのかに暖かく感じる。ベッドフォード家は本日も平和であった。

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